Spettoro(ベネディクト代)
何で皇帝になんてなっちゃったんだろうな、俺。
「…あの、陛下?そんなにくっつかれては少々歩きづらいのですが…」
「あ、す、すまん」
いや、皇帝になった事は別に後悔していない。
己の果たすべき使命が明確ならば、それに誠実に生きるのが正しい道というものだ。
ワグナス死ね。もとい殺す。
…でも、一番最初のお勤めが幽霊退治って何だよ!?
それも場所が海中だなんて無茶振りにも程がある。
しかもなんで都合良く王宮の倉庫に人魚薬なんて眠ってるんだ!?
───そんな事を悶々と考えながら、ベネディクトは傍らに立つテッシュウの羽織の裾を強く掴んだ。
「…陛下」
「いや、うん。シワになったら責任持ってアイロン掛けくらいする」
水中にあっても平素と変わらぬ生命活動が出来るという秘薬のお陰で普通に歩く事は出来ているものの、当たり前に衣服は海水を吸っている。
最早アイロン掛けがどうのとかいう次元の話ではないのだが、今のベネディクトにそこまで考える余裕は無かった。
「そんなに幽霊が怖いんですか」
「うん、怖い」
「随分はっきり仰いますね…」
元々、皇帝として即位する直前まで騎士集団ホーリーオーダーの一員としてその腕を振るっていた身である。
モンスターと相対する事には馴れきっているが、如何せん『生き物でもなく、有機物でも無機物でもないもの』という意味不明な存在である幽霊だけは、生来すこぶる苦手なのだ。
「今更否定したってどうにもならんだろ…怖いものは怖いんだよ」
「ここが海中じゃなかったら泣いてるのモロバレですよー」
「うっさいクロウお前は黙ってろ!」
ただでさえ太陽の光が届きにくい海中の、更に閉ざされた沈没船の中とあっては、薄暗い物陰からいつ幽霊が出て来るのかと冷や冷やしっぱなしなのだった。
すぐ横では同じく幽霊が苦手なキグナスが、前を行くガマの背に隠れる格好でちゃっかりしがみついていたりする。
体格が良く肩幅もあるガマとどちらかと言えば小柄で細身のキグナスとではともすれば大人と子供並の差があるので、いきなり『何か』が現れるかもしれない前方は見えていないだろう。
此処に至る迄に何度か小競り合いがあったが、大方死霊系だったとは言え一応全て普通のモンスターであり、幽霊そのものが現れていないのがせめてもの救いといったところか。
そもそも、的中率100%とも言われる海女の占いで『大嵐の原因は沈没船と幽霊』と言われなければ、間違い無く海中くんだりまでは足を運ばなかったのだ。
占いや幽霊といった超現実的事項には懐疑的なベネディクトだが、それ故に得体の知れぬ恐怖感がいつまでたっても拭えない。
異常なまでの的中率が無かったら一笑に伏して無理矢理にでも忘れていただろう。
渋い顔をするテッシュウを無視して更に手に力を込める。
反対側の利き手にはいつ何があってもいいように武器を番えたままだ。
因みに、海中という特殊な環境に分け入る為に武器や防具・衣服の一式は使い捨てを覚悟で新たに誂えたものを使っている。
特に、必然的に金属部品が多くなる武器は海水の影響で錆びてしまうのを恐れて全員愛用のものを手放してきていた。
そんな中でテッシュウだけがいつもと同じ鶸色の羽織を纏っているのは、本人曰く『ヤウダ男児の矜恃』だとか何とか。
それは兎も角。
「コイツは昔っから妙に怖がりだからな。怪談なんか聞かせてやったら面白いぞー」
「あ、はいはい俺怪談大好き!」
「ちょ、お前らやめろって!」
「昔々ある所におじーさんとおばーさんが…」
「そこまでッ!!」
「いだっ!?」
「それ以上語ったら首吹っ飛ばしますよ!?」
「まだ何も進んでねえだろってか既に俺の首締めてんじゃねえか!」
「わお、キグナスの金的痛そー」
「…怪談じゃなくてただの昔話ですよね、それ」
「あーあー聞こえない聞こえない」
何やら騒がしい一行の行進は、遅々として中々進まない。
茶番は、焦れたテッシュウが「残像剣ッ!!」の一言を発するまで長々と続いた。
そうしてやっと辿り着いた、沈没船の最深部。
「…此処、ですね」
「ああ、此処だな」
「いかにも禍々し~いオーラが漂ってるね」
『それらしい』雰囲気を醸し出す元凶を辿って行き着いた扉の先からは、確かに得体の知れないモノが棲み着いているであろう空気が漂っていた。
「い、行きたくない…」
「此処まで来ておいて今更何を仰るんですか陛下。とっとと退治して帰りますよ。怖いのでしたら私の後ろにでも隠れていて下さい」
「テッシュウ細いし陛下のが大きいんだからどう足掻いても隠れらんなくない?」
「クロウ…それ以上言ったら切り刻みますよ」
「何、やんの?」
「冗談です、やるにしても陸に上がってからにしましょう」
面倒事を早く終わらせたいテッシュウを余所に、クロウは事態を面白がり、ベネディクトとキグナスは怖がりすぎて足が出ない。
「…なあ、開けていいか?」
「ま、まだ心の整理が!」
「それよりも一旦外に出て全部まるっと焼き尽くしましょう!」
「心の整理は兎も角、水中で焼き尽くすなんて事出来るの?」
「………はぁ」
結局、扉に手を掛けたまま十分近く不毛なやりとりを繰り返し続け、やっとの事で怖がり二名の決心が付いた頃にはテッシュウの溜息の回数が二桁を越えていた。
肝の据わったガマとテッシュウが先頭、お気楽なクロウで背後を堅め、怖がり二名はその間に挟まって、全員で息を整える。
「いいかガマ、そーっと、そーっとだぞ」
「別に何もいきなり取って食われる程の事も無いと思うんだがな…ディックの幽霊恐怖症も困ったモンだ」
「いいからとっとと開けて下さい、いつまでももたもたしているとふやけてしまいます」
3、2、1、のカウントの後、せーのっ!でガマがドアを蹴破る。
そーっとって言ったじゃないか!と内心で喚くベネディクトだったが、クロウに押されて強制的にその先へと雪崩れ込む。
そして一斉に突き刺さるモンスターの視線。
更にその奥には。
「キサマが皇帝か!」
親玉が、居た。
「(ひぃぃ、す、透けてる!)」
もうこうなったら全力で叩き潰すしか、と思って一旦構えた剣が振るえない。
歴戦の強者でありながら恐怖で身体が動かないとは何事か、と自分で自分にツッコミを入れたいのは山々のベネディクトではあるが、最早完全に筋金入りの幽霊嫌いはどうしようもない。
何事かを叫びながらくわっと襲い掛かってくる幽霊に、泰然としている三名が何とかしてくれるだろうと祈りにも似た希望を抱きつつぎゅっと目を瞑る。
しかし実際にそれを何とかしたのはガマでもテッシュウでもクロウでもなく───もう一人の怖がり、キグナスだった。
ガマの背にしがみついたまま、振りかぶってきた幽霊に向かってびしっと指を差し、
「ウインドカッターっ!!」
『風魔師』とも渾名される程の術を全力でぶっ放し、相手を細切れにしたのである。
強過ぎる風術の余波を受けて周囲に満ちる海水が一斉に波打ち、蔓延っていたモンスター達をぐしゃっと壁に押し付ける。
その隙にキグナスは全員を引っ張って先程まで幽霊の背に隠れていた新たな扉の先の小部屋に押し込んだ。
「ちょっと、何してるんですか!此処行き止まりですよ!」
「うえぇ!?本当だ!!」
「お前が押すから転がり込んじまったじゃねえか!つか水飲んだ!!不味い!!」
「んじゃ戻ってさくっとオバケ退治の続きを…」
「「嫌だ!!」「嫌です!!」」
罵声なのか怒声なのかよくわからない応酬を、怖がりによる全身全霊の叫びが打ち消す。
ずもももも、と嫌にゆっくり動く海水が扉の向こう側のあれこれを如実に伝えてきているので、最早怖ろしいを通り越してパニック状態である。
寧ろこんな状態でよくも丸く事が収まったモンだな…と後にガマは回想するのだが、今現在はキグナスに全力で羽交い締めにされている為に身動きが取れず、そんな事まで悠長に考えてはいられない。
結局、見かねたテッシュウが天井を破壊して強引に船外へ脱出。
陸上選手も真っ青の速度で海底を走り競泳選手も真っ青の速度で浮上して現場を離脱したキグナスが、去り際に、
「みんな死ねーっ!!」
の捨て台詞と共に再び術を放って沈没船だったものをただの木切れにし、当初の目的『嵐の元凶の発見とその対処』が一応は達成された。
待機していた船に戻り、クロウがぽつんと、
「…もう死んでるから幽霊なんだよね?幽霊って死ぬの?」
とツッコんだが、傍らではベネディクトがぐでん、と床にノびており、キグナスはガマの襟首を捕まえてがくがく揺すっては何事かを喚き散らし、揺すられているガマはうっかり喋ると舌を噛みそうで何も言えず、テッシュウはお気に入りの羽織を乾かす事に精を出していて、その言葉に返す者は誰一人として居なかった。
※※※
―――後日。
アバロンへ帰還した一行は、会議と言う名の説教大会を開いていた。
「良いですか陛下、それにキグナス。今回は無事に片付いたから良かったようなものの、いっぱしの成人男子があのように取り乱してばかりでどうします。貴男方は充分お強いのですから、落ち着いて対処すれば良いだけの事…どうしてそれが出来ないのか、私には理解しかねます」
『強靭かつ清廉な精神こそ武人の基本』と幼い頃から一心に貫いて生きてきたテッシュウからすると、色々と目に余るところがあったらしい。
当たり前の様に畏まる怖がり二名に加え、とばっちりでガマまで一緒に正座させられている様は、とても外部の人間に見せられたものではない。
クロウはと言えば何かを察して早々にとんずらを決め込み何処かへ消えてしまい、それが余計にテッシュウのマシンガントークならぬマシンガン説教を増やしうっすら青筋まで浮かび上がらせる原因になっていた。
因みに、元々ヤウダ出身者にしては薄めの色をしていた髪が長時間海水に浸っていた所為で余計に茶色くなってしまったのが気に食わず、今現在のテッシュウの機嫌はすこぶる悪い。
「キグナス。貴男本当にあの方の弟ですか?兄上はああもどっしり構えていらっしゃるのに」
「兄さんが図太すぎるだけです」
「気構えが大きいのは必要でしょう。貴男も一応王子様なのですから、少しは見習って御覧なさい」
「嫌です!」
「…まあ、庶民的な所に好感が持てると言えばその通りですが、程々にしないと痛い目を見るのは貴男なのですよ」
キグナスにはニコルという兄が居て、その人こそが伝承皇帝と対を成す時の政帝だったりする。
ランダムに選出される伝承皇帝とは違い、バレンヌ帝国皇帝一族の正当な末裔───とは言っても、本来の直系一族は疾うの昔に断絶しており、傍流のそのまた傍流という状態の現一族にはまっとうな貴族らしさを探し出す方が難しい。
ただでさえお貴族生活が嫌で術士の道を選んだキグナスに至っては、殿下と呼ばれて傅かれる事すらも嫌っており、最早完全に一般庶民と化している。
それにしたってちょっと威厳が無さすぎる…とテッシュウは嘆息するが、どうせ言っても聞かないので言わずにおいた。
「威厳と言うなら、陛下」
「うっ…」
ちら、と流れてきた視線に縮こまるベネディクト。
一番ものを言いたいのは自分に対してだな、とわかってはいたものの、実際にその目線を直接受けるとどうしてもこちらの目が泳ぐ。
「一体何なのですかあの態度は。幽霊が怖いという気持ちはわからなくもないですが、それにしたって度が過ぎます」
皇帝という以前に騎士の名折れですよ、と容赦無い言葉を紡ぐテッシュウに、ベネディクトはますます縮こまるしかない。
「すみません、ごめんなさい、精進します…でも怖いものは怖、」
「それはもうわかりましたから」
「………はい」
今度はキグナスと目配せし、お互いに内心で『幽霊と対峙するくらいだったらテッシュウの小言に丸一日付き合う方がマシ』だと頷き合う。
慣れない正座で足がやられているガマは早く解放されたいと願うばかりだが、
「船出してやったの俺なんだぜ?ちったあ感謝してくれても」
「それとこれとは別問題、もっと言うと連帯責任です」
「………ちっ」
「後でお茶のひとつも点てますから、今暫く付き合って下さい」
自分の事はちゃっかり棚上げして説教を続けるテッシュウが、それを許す筈も無かった。
もっとも、テッシュウとて連帯責任と言うからにはそれなりの覚悟のもとに『騎射100発』という課題を己に課しており、ガマの方もその自分イジメの精神に感服してあまり強く言えないのが現実だったりするが。
兎も角、テッシュウはこの目に余るビビリ共を多少なりとも何とかしようと説教をしているのであって、決して己の腹癒せの為にぐちぐちと言い続けている訳ではないのである。
「…埒があかないので、単刀直入にお伺いします。幽霊が怖いと感じる人間は多かろうとは私も思います。しかし陛下、貴男は武勇・知略共に優れた立派な殿方。貴男ほどの方が恐怖で足が竦む相手が幽霊だというのは、重ね重ね、私には些か理解しかねるのです。一体、どうしてそうまで軟弱な面を克服出来ずにおられるのか…是非ともお訊きしたいのですが」
褒めているのか貶しているのか、そんな言葉をつらつらと放ったテッシュウの流し目をまともに受けて、ベネディクトは今度こそ顔を背けた。
それはもう、ざっ、とか、ばっ、とか、効果音が付きそうな勢いで。
人と話す時は、とテッシュウが回り込んでも、頑なに視線を合わそうとしない。
語ろうともしないので、察しの付いているガマが代わりに答える運びとなった。
言うな、絶対言うな!と喚く抗議も虚しく、テッシュウの無遠慮な手刀が決まり、うっすら涙目にすらなりながらベネディクトは下を向いた。
ガマが語った内容はこうである。
ベネディクトとガマは同郷であり、実家はソーモンにある。
ソーモンには五百余年の昔に七英雄クジンシーが巣くっていたという館があり、ジェラール帝によりクジンシー討伐が成された後は無人なのだが、そこは結構な心霊スポットとして地元では有名で、あれやこれやの噂話が絶えない。
曰く、窓際から悪魔が覗いていただとか。
曰く、全身傷だらけの女が出て来ただとか。
曰く、うっかり立ち入ると魂を吸い取られるだとか。
恐らくは生贄として捧げられた人々の恨み辛みがうんたらかんたら…と、端から挙げ連ねようとするときりがない。
そんな逸話を何度も何度も何度も、寝物語代わりに聞かされて育ったベネディクトは『幽霊=とんでもなく怖ろしいもの』という図式が脳内でばっちり出来上がってしまい、今更矯正が効かないくらいにまでなってしまった、という訳である。
「…要するに、トラウマですか」
「別に俺は直接何か見た訳でもなし、そこまで怖いとも思わねえけどなあ」
ベネディクトとて実際に体験した訳ではないのだが、寧ろそれ故に想像ばかりが先行してややこしいスパイラルに陥ってしまっていたりする。
「言うなって言ったろ恥ずかしい!」
「恥じるならその肝っ玉の小ささを恥じて下さい」
「うう…」
本格的に目尻に涙が溜まりだしたベネディクトを一蹴し、テッシュウは思考を巡らせる。
皇帝である彼を尊敬はしているが、これではなんだかみっともない。
これは何とかせねばなるまい。
なんだかんだでテッシュウは世話焼きなのだった。
もっとも、当人からすれば有り難迷惑極まりない手段ばかりを連発するのがそっくりそのまま短所になったりもしているのだが、テッシュウ自身はあくまでも大真面目である。
今回も、大真面目に、さらりと恐ろしい事を宣った。
「わかりました。では、トラウマ克服の為にも視察へ行きましょう」
現在、館は国の管理下にあり、皇帝たるベネディクトさえその気になれば好きに出来るのである。
視察と言う名の館内見学くらい、簡単な事はない。
しかし勿論、ベネディクトは猛反発した。
…が、テッシュウもテッシュウで引く筈もなく。
「嫌だ断る!却下だ却下!!」
「あの場所が実際にはどんなものか、ご自分の目で確かめてごらんになれば宜しいでしょう。何事もなければ一安心な訳ですし…仮に何かあったとしても、今回の一件で攻撃が通用する事が証明された訳ですから、その時は得物を抜けば宜しいかと」
所謂、ショック療法、というやつだ。
何事もなければそれで良し、よしんば何かあったところで、ベネディクト本人の手で元凶を討ち取ってしまえば、克服には一歩近付くに違いない…と、テッシュウは考えているらしい。
「無理だ…!」
「やる前から無理だと決め付けるのは良くない事ですよ」
「だって考えてもみろ、あの時トドメ差したのキグナスだぞ、物理じゃなくて術法なんだぞ」
「うえぁ!?ぼ、僕は絶対行きませんからね!!」
途中から耳を塞いでいたキグナスが、嫌な流れを察知して叫ぶ。
そのままあーだこーだと言い合う二人はまるで子供の喧嘩状態である。
これでお互い二十代も半ばを過ぎているのだから、そっちの方が恐ろしい…と、テッシュウは思う。
言わない代わりに、本日何度目になるかわからない嘆息が、長々と漏れた。
「何も、今すぐに、とは言いませんから、心の準備くらいはしておいて下さいよ…ガマ、付き合わせてしまってすみませんでした」
やれやれ、といった体でテッシュウが立ち上がる。
ガマもそれに倣おうとしたが、限界まで痺れている足が変な風に縺れて思い切りよろけた。
どうしてあんな平気な顔で立ち上がってすたすた歩けるのか、ヤウダ人ってすげえ…と思っている間に、おいてけぼりを食らってしまった。
「どこ行くんだよ」
「クロウを探してきます。取っ捕まえてしばき倒………もとい、会議くらいきちんと参加なさいと言いに」
「…今、『しばき倒す』とか言おうとしなかったか?」
「気のせいですよ」
何やら物騒な発言を残し、特徴的な羽織姿はさっさと扉の向こうへ消えた。
残されたガマの「ちょ、お茶はー?」という問いは、いまだにぎゃーぎゃーと騒ぐ二人、特にキグナスの「攻撃が通用するんだからあれは幽霊じゃなかったんですよ!多分!!」という、やたらに声高な心情吐露に掻き消された。
終わっとけ。
「…あの、陛下?そんなにくっつかれては少々歩きづらいのですが…」
「あ、す、すまん」
いや、皇帝になった事は別に後悔していない。
己の果たすべき使命が明確ならば、それに誠実に生きるのが正しい道というものだ。
ワグナス死ね。もとい殺す。
…でも、一番最初のお勤めが幽霊退治って何だよ!?
それも場所が海中だなんて無茶振りにも程がある。
しかもなんで都合良く王宮の倉庫に人魚薬なんて眠ってるんだ!?
───そんな事を悶々と考えながら、ベネディクトは傍らに立つテッシュウの羽織の裾を強く掴んだ。
「…陛下」
「いや、うん。シワになったら責任持ってアイロン掛けくらいする」
水中にあっても平素と変わらぬ生命活動が出来るという秘薬のお陰で普通に歩く事は出来ているものの、当たり前に衣服は海水を吸っている。
最早アイロン掛けがどうのとかいう次元の話ではないのだが、今のベネディクトにそこまで考える余裕は無かった。
「そんなに幽霊が怖いんですか」
「うん、怖い」
「随分はっきり仰いますね…」
元々、皇帝として即位する直前まで騎士集団ホーリーオーダーの一員としてその腕を振るっていた身である。
モンスターと相対する事には馴れきっているが、如何せん『生き物でもなく、有機物でも無機物でもないもの』という意味不明な存在である幽霊だけは、生来すこぶる苦手なのだ。
「今更否定したってどうにもならんだろ…怖いものは怖いんだよ」
「ここが海中じゃなかったら泣いてるのモロバレですよー」
「うっさいクロウお前は黙ってろ!」
ただでさえ太陽の光が届きにくい海中の、更に閉ざされた沈没船の中とあっては、薄暗い物陰からいつ幽霊が出て来るのかと冷や冷やしっぱなしなのだった。
すぐ横では同じく幽霊が苦手なキグナスが、前を行くガマの背に隠れる格好でちゃっかりしがみついていたりする。
体格が良く肩幅もあるガマとどちらかと言えば小柄で細身のキグナスとではともすれば大人と子供並の差があるので、いきなり『何か』が現れるかもしれない前方は見えていないだろう。
此処に至る迄に何度か小競り合いがあったが、大方死霊系だったとは言え一応全て普通のモンスターであり、幽霊そのものが現れていないのがせめてもの救いといったところか。
そもそも、的中率100%とも言われる海女の占いで『大嵐の原因は沈没船と幽霊』と言われなければ、間違い無く海中くんだりまでは足を運ばなかったのだ。
占いや幽霊といった超現実的事項には懐疑的なベネディクトだが、それ故に得体の知れぬ恐怖感がいつまでたっても拭えない。
異常なまでの的中率が無かったら一笑に伏して無理矢理にでも忘れていただろう。
渋い顔をするテッシュウを無視して更に手に力を込める。
反対側の利き手にはいつ何があってもいいように武器を番えたままだ。
因みに、海中という特殊な環境に分け入る為に武器や防具・衣服の一式は使い捨てを覚悟で新たに誂えたものを使っている。
特に、必然的に金属部品が多くなる武器は海水の影響で錆びてしまうのを恐れて全員愛用のものを手放してきていた。
そんな中でテッシュウだけがいつもと同じ鶸色の羽織を纏っているのは、本人曰く『ヤウダ男児の矜恃』だとか何とか。
それは兎も角。
「コイツは昔っから妙に怖がりだからな。怪談なんか聞かせてやったら面白いぞー」
「あ、はいはい俺怪談大好き!」
「ちょ、お前らやめろって!」
「昔々ある所におじーさんとおばーさんが…」
「そこまでッ!!」
「いだっ!?」
「それ以上語ったら首吹っ飛ばしますよ!?」
「まだ何も進んでねえだろってか既に俺の首締めてんじゃねえか!」
「わお、キグナスの金的痛そー」
「…怪談じゃなくてただの昔話ですよね、それ」
「あーあー聞こえない聞こえない」
何やら騒がしい一行の行進は、遅々として中々進まない。
茶番は、焦れたテッシュウが「残像剣ッ!!」の一言を発するまで長々と続いた。
そうしてやっと辿り着いた、沈没船の最深部。
「…此処、ですね」
「ああ、此処だな」
「いかにも禍々し~いオーラが漂ってるね」
『それらしい』雰囲気を醸し出す元凶を辿って行き着いた扉の先からは、確かに得体の知れないモノが棲み着いているであろう空気が漂っていた。
「い、行きたくない…」
「此処まで来ておいて今更何を仰るんですか陛下。とっとと退治して帰りますよ。怖いのでしたら私の後ろにでも隠れていて下さい」
「テッシュウ細いし陛下のが大きいんだからどう足掻いても隠れらんなくない?」
「クロウ…それ以上言ったら切り刻みますよ」
「何、やんの?」
「冗談です、やるにしても陸に上がってからにしましょう」
面倒事を早く終わらせたいテッシュウを余所に、クロウは事態を面白がり、ベネディクトとキグナスは怖がりすぎて足が出ない。
「…なあ、開けていいか?」
「ま、まだ心の整理が!」
「それよりも一旦外に出て全部まるっと焼き尽くしましょう!」
「心の整理は兎も角、水中で焼き尽くすなんて事出来るの?」
「………はぁ」
結局、扉に手を掛けたまま十分近く不毛なやりとりを繰り返し続け、やっとの事で怖がり二名の決心が付いた頃にはテッシュウの溜息の回数が二桁を越えていた。
肝の据わったガマとテッシュウが先頭、お気楽なクロウで背後を堅め、怖がり二名はその間に挟まって、全員で息を整える。
「いいかガマ、そーっと、そーっとだぞ」
「別に何もいきなり取って食われる程の事も無いと思うんだがな…ディックの幽霊恐怖症も困ったモンだ」
「いいからとっとと開けて下さい、いつまでももたもたしているとふやけてしまいます」
3、2、1、のカウントの後、せーのっ!でガマがドアを蹴破る。
そーっとって言ったじゃないか!と内心で喚くベネディクトだったが、クロウに押されて強制的にその先へと雪崩れ込む。
そして一斉に突き刺さるモンスターの視線。
更にその奥には。
「キサマが皇帝か!」
親玉が、居た。
「(ひぃぃ、す、透けてる!)」
もうこうなったら全力で叩き潰すしか、と思って一旦構えた剣が振るえない。
歴戦の強者でありながら恐怖で身体が動かないとは何事か、と自分で自分にツッコミを入れたいのは山々のベネディクトではあるが、最早完全に筋金入りの幽霊嫌いはどうしようもない。
何事かを叫びながらくわっと襲い掛かってくる幽霊に、泰然としている三名が何とかしてくれるだろうと祈りにも似た希望を抱きつつぎゅっと目を瞑る。
しかし実際にそれを何とかしたのはガマでもテッシュウでもクロウでもなく───もう一人の怖がり、キグナスだった。
ガマの背にしがみついたまま、振りかぶってきた幽霊に向かってびしっと指を差し、
「ウインドカッターっ!!」
『風魔師』とも渾名される程の術を全力でぶっ放し、相手を細切れにしたのである。
強過ぎる風術の余波を受けて周囲に満ちる海水が一斉に波打ち、蔓延っていたモンスター達をぐしゃっと壁に押し付ける。
その隙にキグナスは全員を引っ張って先程まで幽霊の背に隠れていた新たな扉の先の小部屋に押し込んだ。
「ちょっと、何してるんですか!此処行き止まりですよ!」
「うえぇ!?本当だ!!」
「お前が押すから転がり込んじまったじゃねえか!つか水飲んだ!!不味い!!」
「んじゃ戻ってさくっとオバケ退治の続きを…」
「「嫌だ!!」「嫌です!!」」
罵声なのか怒声なのかよくわからない応酬を、怖がりによる全身全霊の叫びが打ち消す。
ずもももも、と嫌にゆっくり動く海水が扉の向こう側のあれこれを如実に伝えてきているので、最早怖ろしいを通り越してパニック状態である。
寧ろこんな状態でよくも丸く事が収まったモンだな…と後にガマは回想するのだが、今現在はキグナスに全力で羽交い締めにされている為に身動きが取れず、そんな事まで悠長に考えてはいられない。
結局、見かねたテッシュウが天井を破壊して強引に船外へ脱出。
陸上選手も真っ青の速度で海底を走り競泳選手も真っ青の速度で浮上して現場を離脱したキグナスが、去り際に、
「みんな死ねーっ!!」
の捨て台詞と共に再び術を放って沈没船だったものをただの木切れにし、当初の目的『嵐の元凶の発見とその対処』が一応は達成された。
待機していた船に戻り、クロウがぽつんと、
「…もう死んでるから幽霊なんだよね?幽霊って死ぬの?」
とツッコんだが、傍らではベネディクトがぐでん、と床にノびており、キグナスはガマの襟首を捕まえてがくがく揺すっては何事かを喚き散らし、揺すられているガマはうっかり喋ると舌を噛みそうで何も言えず、テッシュウはお気に入りの羽織を乾かす事に精を出していて、その言葉に返す者は誰一人として居なかった。
※※※
―――後日。
アバロンへ帰還した一行は、会議と言う名の説教大会を開いていた。
「良いですか陛下、それにキグナス。今回は無事に片付いたから良かったようなものの、いっぱしの成人男子があのように取り乱してばかりでどうします。貴男方は充分お強いのですから、落ち着いて対処すれば良いだけの事…どうしてそれが出来ないのか、私には理解しかねます」
『強靭かつ清廉な精神こそ武人の基本』と幼い頃から一心に貫いて生きてきたテッシュウからすると、色々と目に余るところがあったらしい。
当たり前の様に畏まる怖がり二名に加え、とばっちりでガマまで一緒に正座させられている様は、とても外部の人間に見せられたものではない。
クロウはと言えば何かを察して早々にとんずらを決め込み何処かへ消えてしまい、それが余計にテッシュウのマシンガントークならぬマシンガン説教を増やしうっすら青筋まで浮かび上がらせる原因になっていた。
因みに、元々ヤウダ出身者にしては薄めの色をしていた髪が長時間海水に浸っていた所為で余計に茶色くなってしまったのが気に食わず、今現在のテッシュウの機嫌はすこぶる悪い。
「キグナス。貴男本当にあの方の弟ですか?兄上はああもどっしり構えていらっしゃるのに」
「兄さんが図太すぎるだけです」
「気構えが大きいのは必要でしょう。貴男も一応王子様なのですから、少しは見習って御覧なさい」
「嫌です!」
「…まあ、庶民的な所に好感が持てると言えばその通りですが、程々にしないと痛い目を見るのは貴男なのですよ」
キグナスにはニコルという兄が居て、その人こそが伝承皇帝と対を成す時の政帝だったりする。
ランダムに選出される伝承皇帝とは違い、バレンヌ帝国皇帝一族の正当な末裔───とは言っても、本来の直系一族は疾うの昔に断絶しており、傍流のそのまた傍流という状態の現一族にはまっとうな貴族らしさを探し出す方が難しい。
ただでさえお貴族生活が嫌で術士の道を選んだキグナスに至っては、殿下と呼ばれて傅かれる事すらも嫌っており、最早完全に一般庶民と化している。
それにしたってちょっと威厳が無さすぎる…とテッシュウは嘆息するが、どうせ言っても聞かないので言わずにおいた。
「威厳と言うなら、陛下」
「うっ…」
ちら、と流れてきた視線に縮こまるベネディクト。
一番ものを言いたいのは自分に対してだな、とわかってはいたものの、実際にその目線を直接受けるとどうしてもこちらの目が泳ぐ。
「一体何なのですかあの態度は。幽霊が怖いという気持ちはわからなくもないですが、それにしたって度が過ぎます」
皇帝という以前に騎士の名折れですよ、と容赦無い言葉を紡ぐテッシュウに、ベネディクトはますます縮こまるしかない。
「すみません、ごめんなさい、精進します…でも怖いものは怖、」
「それはもうわかりましたから」
「………はい」
今度はキグナスと目配せし、お互いに内心で『幽霊と対峙するくらいだったらテッシュウの小言に丸一日付き合う方がマシ』だと頷き合う。
慣れない正座で足がやられているガマは早く解放されたいと願うばかりだが、
「船出してやったの俺なんだぜ?ちったあ感謝してくれても」
「それとこれとは別問題、もっと言うと連帯責任です」
「………ちっ」
「後でお茶のひとつも点てますから、今暫く付き合って下さい」
自分の事はちゃっかり棚上げして説教を続けるテッシュウが、それを許す筈も無かった。
もっとも、テッシュウとて連帯責任と言うからにはそれなりの覚悟のもとに『騎射100発』という課題を己に課しており、ガマの方もその自分イジメの精神に感服してあまり強く言えないのが現実だったりするが。
兎も角、テッシュウはこの目に余るビビリ共を多少なりとも何とかしようと説教をしているのであって、決して己の腹癒せの為にぐちぐちと言い続けている訳ではないのである。
「…埒があかないので、単刀直入にお伺いします。幽霊が怖いと感じる人間は多かろうとは私も思います。しかし陛下、貴男は武勇・知略共に優れた立派な殿方。貴男ほどの方が恐怖で足が竦む相手が幽霊だというのは、重ね重ね、私には些か理解しかねるのです。一体、どうしてそうまで軟弱な面を克服出来ずにおられるのか…是非ともお訊きしたいのですが」
褒めているのか貶しているのか、そんな言葉をつらつらと放ったテッシュウの流し目をまともに受けて、ベネディクトは今度こそ顔を背けた。
それはもう、ざっ、とか、ばっ、とか、効果音が付きそうな勢いで。
人と話す時は、とテッシュウが回り込んでも、頑なに視線を合わそうとしない。
語ろうともしないので、察しの付いているガマが代わりに答える運びとなった。
言うな、絶対言うな!と喚く抗議も虚しく、テッシュウの無遠慮な手刀が決まり、うっすら涙目にすらなりながらベネディクトは下を向いた。
ガマが語った内容はこうである。
ベネディクトとガマは同郷であり、実家はソーモンにある。
ソーモンには五百余年の昔に七英雄クジンシーが巣くっていたという館があり、ジェラール帝によりクジンシー討伐が成された後は無人なのだが、そこは結構な心霊スポットとして地元では有名で、あれやこれやの噂話が絶えない。
曰く、窓際から悪魔が覗いていただとか。
曰く、全身傷だらけの女が出て来ただとか。
曰く、うっかり立ち入ると魂を吸い取られるだとか。
恐らくは生贄として捧げられた人々の恨み辛みがうんたらかんたら…と、端から挙げ連ねようとするときりがない。
そんな逸話を何度も何度も何度も、寝物語代わりに聞かされて育ったベネディクトは『幽霊=とんでもなく怖ろしいもの』という図式が脳内でばっちり出来上がってしまい、今更矯正が効かないくらいにまでなってしまった、という訳である。
「…要するに、トラウマですか」
「別に俺は直接何か見た訳でもなし、そこまで怖いとも思わねえけどなあ」
ベネディクトとて実際に体験した訳ではないのだが、寧ろそれ故に想像ばかりが先行してややこしいスパイラルに陥ってしまっていたりする。
「言うなって言ったろ恥ずかしい!」
「恥じるならその肝っ玉の小ささを恥じて下さい」
「うう…」
本格的に目尻に涙が溜まりだしたベネディクトを一蹴し、テッシュウは思考を巡らせる。
皇帝である彼を尊敬はしているが、これではなんだかみっともない。
これは何とかせねばなるまい。
なんだかんだでテッシュウは世話焼きなのだった。
もっとも、当人からすれば有り難迷惑極まりない手段ばかりを連発するのがそっくりそのまま短所になったりもしているのだが、テッシュウ自身はあくまでも大真面目である。
今回も、大真面目に、さらりと恐ろしい事を宣った。
「わかりました。では、トラウマ克服の為にも視察へ行きましょう」
現在、館は国の管理下にあり、皇帝たるベネディクトさえその気になれば好きに出来るのである。
視察と言う名の館内見学くらい、簡単な事はない。
しかし勿論、ベネディクトは猛反発した。
…が、テッシュウもテッシュウで引く筈もなく。
「嫌だ断る!却下だ却下!!」
「あの場所が実際にはどんなものか、ご自分の目で確かめてごらんになれば宜しいでしょう。何事もなければ一安心な訳ですし…仮に何かあったとしても、今回の一件で攻撃が通用する事が証明された訳ですから、その時は得物を抜けば宜しいかと」
所謂、ショック療法、というやつだ。
何事もなければそれで良し、よしんば何かあったところで、ベネディクト本人の手で元凶を討ち取ってしまえば、克服には一歩近付くに違いない…と、テッシュウは考えているらしい。
「無理だ…!」
「やる前から無理だと決め付けるのは良くない事ですよ」
「だって考えてもみろ、あの時トドメ差したのキグナスだぞ、物理じゃなくて術法なんだぞ」
「うえぁ!?ぼ、僕は絶対行きませんからね!!」
途中から耳を塞いでいたキグナスが、嫌な流れを察知して叫ぶ。
そのままあーだこーだと言い合う二人はまるで子供の喧嘩状態である。
これでお互い二十代も半ばを過ぎているのだから、そっちの方が恐ろしい…と、テッシュウは思う。
言わない代わりに、本日何度目になるかわからない嘆息が、長々と漏れた。
「何も、今すぐに、とは言いませんから、心の準備くらいはしておいて下さいよ…ガマ、付き合わせてしまってすみませんでした」
やれやれ、といった体でテッシュウが立ち上がる。
ガマもそれに倣おうとしたが、限界まで痺れている足が変な風に縺れて思い切りよろけた。
どうしてあんな平気な顔で立ち上がってすたすた歩けるのか、ヤウダ人ってすげえ…と思っている間に、おいてけぼりを食らってしまった。
「どこ行くんだよ」
「クロウを探してきます。取っ捕まえてしばき倒………もとい、会議くらいきちんと参加なさいと言いに」
「…今、『しばき倒す』とか言おうとしなかったか?」
「気のせいですよ」
何やら物騒な発言を残し、特徴的な羽織姿はさっさと扉の向こうへ消えた。
残されたガマの「ちょ、お茶はー?」という問いは、いまだにぎゃーぎゃーと騒ぐ二人、特にキグナスの「攻撃が通用するんだからあれは幽霊じゃなかったんですよ!多分!!」という、やたらに声高な心情吐露に掻き消された。
終わっとけ。
1/1ページ