伝承皇帝期略史
【第四代伝承皇帝『鳳帝』ガルタン】
ライブラ帝と並んで『伝承法時代の二大皇』とも称されるのが、1475年に即位した第四代伝承皇帝・ガルタンである。
彼はステップの遊牧民・ノーマッドの出身で、本来は族長位を継ぐ立場にあった。しかし人材交流でアバロンを訪れた際に伝承法適性が発覚した為、次期族長位を実妹ベスマに譲り、そのまま伝承皇帝即位。異民族出身者初の伝承皇帝となった。
即位に際しては、やはり色々と困難があったらしい。部族内では高貴な身分とはいえ、一所に定住し文化的な生活を営む者の目からすれば、草原で遊牧生活を続ける少数民族は蛮族として扱われても決して不思議ではない。
それでも彼が国民に受け入れられたのは、ノーマッドという民族自体が元来(自衛や狩りの為に発達した)武技に優れていたという事実もあるだろう。しかしそれ以上に、この頃にもなれば『伝承皇帝=伝承法適性を持つ者』がどれだけ希有な存在であるかが一般にも浸透し、また彼自身が統治者として実際に有能であったからに他ならない。
『モンスターの活動期に呼応して誕生する異能者』という側面を鑑みて数年~十数年で自ら退位する者も多い中、39年という在位期間は歴代伝承皇帝の中で最長である。にも関わらず、ガルタン帝が目立つ活動をするのは即位直後からの4年間、僅かな進軍期に限られている。これもガルタン帝本来の身分に起因すると言っても過言ではないだろう。
モンスターの活動が終息に向かい行軍の必要に迫られなくなると、旧体制の重鎮として取り立てられていた一族を筆頭に、人種の異なる者を長として国政が行われる事を不服とし、度々反発が起きた。最終的には全て丸く収まっているが、この国家上層部の対立状況が原因で他方面にまで手を回す機会が少なかったと見られ、ガルタン帝の政治的功績は在位年数と比較すると決して多くはない。但し、元より『人の上に立つ者』として育ってきたガルタン帝には人々を牽引していくカリスマ性があり、また民族の特徴とも言える柔軟な思考も持ち合わせていて、そういった意味で非常に優れた統治者であったのは確かである。よって彼の何よりの功績は、伝承皇帝という存在を血統から明確に切り離した点にあると言えよう。
また、それまでのバレンヌには常駐騎士団が存在しなかったが、反対派によるガルタン帝暗殺計画の発覚を切っ掛けとし、軍部の有志が伝承皇帝直属の近衛騎士団を結成している。これは後に正式な部隊として採用され、インペリアルガードと名を変えた。
この時代の国政において、注目すべきは国営機関の充実である。新たに設立されたものこそ少ないが、経営統合と連携を進め、地方毎の格差を埋めて臣民の生活水準を安定させている。特に病院や図書館については旅行者でも利用しやすいシステムになっており、『行幸帝』とも称されるガルタン帝らしい采配と言えよう。
ガルタン帝は即位当初から、帝国領であるか否かを問わず、各地への視察を多く行っている。その結果統治面ではより安定性を増し、また進軍期にはふたつの有名な武勇伝を生んだ。
ひとつがサバンナの併合である。
ステップに隣接するサバンナ地域では、繁殖力の強い『ターム族』と呼ばれる蟻に似た特殊なモンスターの出現例が相次いでおり、同地の村落は困窮していた。元々同地の狩猟民と交流のあったガルタン帝は、過去の経験から地下に棲処があると見て、少数の近衛兵のみを連れ自ら地下に潜ったという。その目論見は的を射ており、蟻で言えば女王に当たるクィーンと呼ばれる本体を撃破した事により事態は解決。サバンナは帝国領となり、狩猟民から選抜者数名をハンターとして同地の警護に当たらせる協定を結んでいる。
もうひとつが、七英雄の一人ロックブーケの撃破である。
文化交流を目的として東方へ向かっていたガルタン帝は、密林地帯を視察中に奇妙な村の噂を耳にする。現地へ足を運んでみると、ロックブーケが多くの男性を誑かし、何事かを企んでいた。
当初ロックブーケの側に敵意は無かったとされるが、事の真意を問い詰めると態度が豹変。その姿には伝説に謳われるような気高い美しさは無く、悪鬼さながらであったという。ガルタン帝と随行部隊が応戦した結果、彼女は討ち取られた。
偶然の遭遇による結果とは言えど、ロックブーケの撃破はガルタン帝一の偉業として後世に語り継がれる。
ロックブーケの撃破も勿論だが、当時何よりも話題になったのは、直後唐突に行われた、ガルタン帝とその側近であるホーリーオーダー・ガートルードの結婚である。
ガルタン帝は上記の通りの生まれで、ガートルードはカンバーランド王家傍流の出身である。ライブラ帝が地上戦艦を駆逐しステップを平定した事によりステップとカンバーランドを隔てていた長城が解放され、交易も活発化していた。更にガルタン帝の即位で帝国領内におけるノーマッドの地位が向上した事などもあり、カンバーランド王家の側が和平の証にと姻戚関係を望んだのだという。
紛う事無き政略結婚であったが、本人同士の関係も良好で、周囲はこれを『長城越えの結婚』と持て囃し祝福した。ただ残念な事に二人の間に子は生まれておらず、養子を取るといった事もしていない。
62歳で崩御したガルタン帝の遺骸は、旧来のバレンヌ皇族以外では初めて宮廷裏の霊廟に葬られた。当初はノーマッドの伝統に則りステップにて鳥葬にされる予定だったとも言われるが、即位後に視察以外では故郷に帰る事の無かった本人の意向を鑑みてこの形になったのだという。
ライブラ帝と並んで『伝承法時代の二大皇』とも称されるのが、1475年に即位した第四代伝承皇帝・ガルタンである。
彼はステップの遊牧民・ノーマッドの出身で、本来は族長位を継ぐ立場にあった。しかし人材交流でアバロンを訪れた際に伝承法適性が発覚した為、次期族長位を実妹ベスマに譲り、そのまま伝承皇帝即位。異民族出身者初の伝承皇帝となった。
即位に際しては、やはり色々と困難があったらしい。部族内では高貴な身分とはいえ、一所に定住し文化的な生活を営む者の目からすれば、草原で遊牧生活を続ける少数民族は蛮族として扱われても決して不思議ではない。
それでも彼が国民に受け入れられたのは、ノーマッドという民族自体が元来(自衛や狩りの為に発達した)武技に優れていたという事実もあるだろう。しかしそれ以上に、この頃にもなれば『伝承皇帝=伝承法適性を持つ者』がどれだけ希有な存在であるかが一般にも浸透し、また彼自身が統治者として実際に有能であったからに他ならない。
『モンスターの活動期に呼応して誕生する異能者』という側面を鑑みて数年~十数年で自ら退位する者も多い中、39年という在位期間は歴代伝承皇帝の中で最長である。にも関わらず、ガルタン帝が目立つ活動をするのは即位直後からの4年間、僅かな進軍期に限られている。これもガルタン帝本来の身分に起因すると言っても過言ではないだろう。
モンスターの活動が終息に向かい行軍の必要に迫られなくなると、旧体制の重鎮として取り立てられていた一族を筆頭に、人種の異なる者を長として国政が行われる事を不服とし、度々反発が起きた。最終的には全て丸く収まっているが、この国家上層部の対立状況が原因で他方面にまで手を回す機会が少なかったと見られ、ガルタン帝の政治的功績は在位年数と比較すると決して多くはない。但し、元より『人の上に立つ者』として育ってきたガルタン帝には人々を牽引していくカリスマ性があり、また民族の特徴とも言える柔軟な思考も持ち合わせていて、そういった意味で非常に優れた統治者であったのは確かである。よって彼の何よりの功績は、伝承皇帝という存在を血統から明確に切り離した点にあると言えよう。
また、それまでのバレンヌには常駐騎士団が存在しなかったが、反対派によるガルタン帝暗殺計画の発覚を切っ掛けとし、軍部の有志が伝承皇帝直属の近衛騎士団を結成している。これは後に正式な部隊として採用され、インペリアルガードと名を変えた。
この時代の国政において、注目すべきは国営機関の充実である。新たに設立されたものこそ少ないが、経営統合と連携を進め、地方毎の格差を埋めて臣民の生活水準を安定させている。特に病院や図書館については旅行者でも利用しやすいシステムになっており、『行幸帝』とも称されるガルタン帝らしい采配と言えよう。
ガルタン帝は即位当初から、帝国領であるか否かを問わず、各地への視察を多く行っている。その結果統治面ではより安定性を増し、また進軍期にはふたつの有名な武勇伝を生んだ。
ひとつがサバンナの併合である。
ステップに隣接するサバンナ地域では、繁殖力の強い『ターム族』と呼ばれる蟻に似た特殊なモンスターの出現例が相次いでおり、同地の村落は困窮していた。元々同地の狩猟民と交流のあったガルタン帝は、過去の経験から地下に棲処があると見て、少数の近衛兵のみを連れ自ら地下に潜ったという。その目論見は的を射ており、蟻で言えば女王に当たるクィーンと呼ばれる本体を撃破した事により事態は解決。サバンナは帝国領となり、狩猟民から選抜者数名をハンターとして同地の警護に当たらせる協定を結んでいる。
もうひとつが、七英雄の一人ロックブーケの撃破である。
文化交流を目的として東方へ向かっていたガルタン帝は、密林地帯を視察中に奇妙な村の噂を耳にする。現地へ足を運んでみると、ロックブーケが多くの男性を誑かし、何事かを企んでいた。
当初ロックブーケの側に敵意は無かったとされるが、事の真意を問い詰めると態度が豹変。その姿には伝説に謳われるような気高い美しさは無く、悪鬼さながらであったという。ガルタン帝と随行部隊が応戦した結果、彼女は討ち取られた。
偶然の遭遇による結果とは言えど、ロックブーケの撃破はガルタン帝一の偉業として後世に語り継がれる。
ロックブーケの撃破も勿論だが、当時何よりも話題になったのは、直後唐突に行われた、ガルタン帝とその側近であるホーリーオーダー・ガートルードの結婚である。
ガルタン帝は上記の通りの生まれで、ガートルードはカンバーランド王家傍流の出身である。ライブラ帝が地上戦艦を駆逐しステップを平定した事によりステップとカンバーランドを隔てていた長城が解放され、交易も活発化していた。更にガルタン帝の即位で帝国領内におけるノーマッドの地位が向上した事などもあり、カンバーランド王家の側が和平の証にと姻戚関係を望んだのだという。
紛う事無き政略結婚であったが、本人同士の関係も良好で、周囲はこれを『長城越えの結婚』と持て囃し祝福した。ただ残念な事に二人の間に子は生まれておらず、養子を取るといった事もしていない。
62歳で崩御したガルタン帝の遺骸は、旧来のバレンヌ皇族以外では初めて宮廷裏の霊廟に葬られた。当初はノーマッドの伝統に則りステップにて鳥葬にされる予定だったとも言われるが、即位後に視察以外では故郷に帰る事の無かった本人の意向を鑑みてこの形になったのだという。