終帝物語~終わりの始まり~
連れて来られたのは(実際はアルジャンに道を聞きながらその車椅子を押してクラウディア自身の意志で歩いてきたのだが)、霊廟と小庭園がある、宮殿の裏手だった。
普段静かな其処は近付く程に騒がしく、何やら嫌な予感はしていたのだが、果たしてそれは的中してしまった。
「…うわ」
思わず、声が漏れる。
城内警備に当たらせていたハンニバルが、『誰か』の上に馬乗りになり、更にその首もとを刺叉で地面に縫い付けている。
身動きが取れない『誰か』の方は、必死で身動ぎしながらぎゃあぎゃあと喚き立てている。
それだけを見れば、不審者に対するただの捕り物の図だ。
ただその『誰か』は───『誰か』と言うか、クラウディアもよく知っている人物だった。
「…如何します?」
アルジャンが、困惑半分、呆れ半分といった感じで、先程から引っ込められない苦笑そのままにそう問うてくる。
微妙な敬語なのは、先程のようにからかっている訳ではなく、彼自身もどうしたものか図りかねているからだろう。
如何、と言われても、クラウディアとて当惑するより他にない。
取り敢えず、その気になれば手が届く距離にまで近付いて身を屈め、顔を見せる。
目が合った途端、深碧色が一気に輝いたのを見て、思わずがっくりと項垂れそうになるのだけはなんとか堪えた。
…が、次の瞬間の平手打ちだけは、堪える事が出来なかった。
「クー!」
さも嬉しそうに男が発した可愛らしい響きの愛称が、気に食わない。
ついでに場違い感も満載だったので、昔から気に食わなかったものが、余計に苛ついた。
引っ叩いた勢いもそのままに、何すんだよ、と文句を垂れるその顔を利き手で遠慮無しに押さえ付け、地面とキスの刑に処す。
隙間からくぐもった悲鳴が聞こえ、ハンニバルからは驚愕の視線を向けられている気がするが、全て無視する。
「階級章」
なるべく事務的な響きになるようにと短い言葉を選んだつもりが、喉から出たのは予想以上に低い声で、クラウディア自身少し吃驚した。
ああ余計に機嫌悪くなっちゃったんだな、と自覚する。
ともあれ、声に反応したハンニバルが男のジャケットを探り、ポケットに仕舞われていた銅製のバッジを取り上げさっと検めた。
風に靡く旗のような、少しいびつな長方形の中に、荒波と太陽、そしてそれを背にして舞う鴎のレリーフ。
瞳の部分には浅黄色の硝子が嵌っている。
形や図柄は武装商船団本隊に所属する事を、そして硝子の色は上流階級───真名を持つ貴族や、それに準ずるだけの裕福な家庭───の出身である事を示している。
「バレンヌ直轄領内キャラバンを統括する豪商セザールの息子フィッツジェラルド。………私の、知人よ」
溜息混じりにクラウディアがそう補足を付けてからやっと、ハンニバルは動いた。
けれども直後にそのクラウディアが制したので、身体は退けたものの、刺叉はそのままだ。
故に、首から上の自由と発言権が奪われたままの男は、打ち上げられた魚のように不自由にじたばたとのたうち回る羽目になる。
「し、失礼しました」
「失礼でも何でもないわ。貴男は貴男の仕事を誠実にこなしただけ、働いてくれてありがとう。…と言うか、失礼なのはこっちよね」
こっち、と発したタイミングで拳骨が一閃。
知人という割には扱いが酷くないだろうか、とハンニバルは思う。
が、苛立ちを助長するのも無粋だと判断して、口にはせずにおいた。
───尤も、この年若い主君と上手くやっていけるのだろうか、と若干不安に思ってしまった事の方が、思考を占める割合としては大きかった訳だが。
ハンニバルがこの不審者の方を憐れに思い始めた頃、足掻いていた手足がぱたりと落ちた。
いい加減酸欠で苦しくなってきたのだろう。
アルジャンが「大丈夫?」と声を掛けたら右手がふらふら反応したので、意識はある。
「頑丈なようで結構。話があるから付いてきなさい」
だが当然、刺叉とクラウディアの手が外れても、すぐに起き上がるだけの元気は、無かった。
普段静かな其処は近付く程に騒がしく、何やら嫌な予感はしていたのだが、果たしてそれは的中してしまった。
「…うわ」
思わず、声が漏れる。
城内警備に当たらせていたハンニバルが、『誰か』の上に馬乗りになり、更にその首もとを刺叉で地面に縫い付けている。
身動きが取れない『誰か』の方は、必死で身動ぎしながらぎゃあぎゃあと喚き立てている。
それだけを見れば、不審者に対するただの捕り物の図だ。
ただその『誰か』は───『誰か』と言うか、クラウディアもよく知っている人物だった。
「…如何します?」
アルジャンが、困惑半分、呆れ半分といった感じで、先程から引っ込められない苦笑そのままにそう問うてくる。
微妙な敬語なのは、先程のようにからかっている訳ではなく、彼自身もどうしたものか図りかねているからだろう。
如何、と言われても、クラウディアとて当惑するより他にない。
取り敢えず、その気になれば手が届く距離にまで近付いて身を屈め、顔を見せる。
目が合った途端、深碧色が一気に輝いたのを見て、思わずがっくりと項垂れそうになるのだけはなんとか堪えた。
…が、次の瞬間の平手打ちだけは、堪える事が出来なかった。
「クー!」
さも嬉しそうに男が発した可愛らしい響きの愛称が、気に食わない。
ついでに場違い感も満載だったので、昔から気に食わなかったものが、余計に苛ついた。
引っ叩いた勢いもそのままに、何すんだよ、と文句を垂れるその顔を利き手で遠慮無しに押さえ付け、地面とキスの刑に処す。
隙間からくぐもった悲鳴が聞こえ、ハンニバルからは驚愕の視線を向けられている気がするが、全て無視する。
「階級章」
なるべく事務的な響きになるようにと短い言葉を選んだつもりが、喉から出たのは予想以上に低い声で、クラウディア自身少し吃驚した。
ああ余計に機嫌悪くなっちゃったんだな、と自覚する。
ともあれ、声に反応したハンニバルが男のジャケットを探り、ポケットに仕舞われていた銅製のバッジを取り上げさっと検めた。
風に靡く旗のような、少しいびつな長方形の中に、荒波と太陽、そしてそれを背にして舞う鴎のレリーフ。
瞳の部分には浅黄色の硝子が嵌っている。
形や図柄は武装商船団本隊に所属する事を、そして硝子の色は上流階級───真名を持つ貴族や、それに準ずるだけの裕福な家庭───の出身である事を示している。
「バレンヌ直轄領内キャラバンを統括する豪商セザールの息子フィッツジェラルド。………私の、知人よ」
溜息混じりにクラウディアがそう補足を付けてからやっと、ハンニバルは動いた。
けれども直後にそのクラウディアが制したので、身体は退けたものの、刺叉はそのままだ。
故に、首から上の自由と発言権が奪われたままの男は、打ち上げられた魚のように不自由にじたばたとのたうち回る羽目になる。
「し、失礼しました」
「失礼でも何でもないわ。貴男は貴男の仕事を誠実にこなしただけ、働いてくれてありがとう。…と言うか、失礼なのはこっちよね」
こっち、と発したタイミングで拳骨が一閃。
知人という割には扱いが酷くないだろうか、とハンニバルは思う。
が、苛立ちを助長するのも無粋だと判断して、口にはせずにおいた。
───尤も、この年若い主君と上手くやっていけるのだろうか、と若干不安に思ってしまった事の方が、思考を占める割合としては大きかった訳だが。
ハンニバルがこの不審者の方を憐れに思い始めた頃、足掻いていた手足がぱたりと落ちた。
いい加減酸欠で苦しくなってきたのだろう。
アルジャンが「大丈夫?」と声を掛けたら右手がふらふら反応したので、意識はある。
「頑丈なようで結構。話があるから付いてきなさい」
だが当然、刺叉とクラウディアの手が外れても、すぐに起き上がるだけの元気は、無かった。