伝承皇帝期略史
【『国父』レオン・伝承法の獲得】
帝国歴900年代は、山岳地帯を中心にモンスターの活動が活発化していた。帝都アバロンは比較的平和だったものの、国土縮小の進行や徴税策の難航などにより国庫も逼迫し、最低迷期と言っても差し支えないような状況だったという。
そんな中の984年、後に『国父』と称されるレオン帝が即位した。政治面にも軍事面にも優れていた彼は、当時から『斜陽の大国に生まれた金獅子帝』として周辺諸国にその名を轟かせていたという。
レオン帝はバレンヌの情勢を憂い、即位直後から様々な政策を実行。特に有名なのが税制改革と傭兵雇用の推進である。
税制改革の要点としては、それまで一部の贅沢品にしか掛けられていなかった消費税について、市場に流通するほぼ全ての商品を一律で対象とした事が一番に挙げられる。施行直後こそ反発も見られたようだが、同時に所得税率や地代の見直しなども行われたこと、法外な税を掛ける悪質な業者に対する抑止効果もあったことなどから、それ以上の混乱は無く、数年後には見事改革に成功している。
また、傭兵の雇用自体は古くから行われていたが、レオン帝の功績はそれまであやふやだった彼等の立場を明確なものとした点にある。レオン帝は、『傭兵』という個人ではなく『傭兵隊』という集団を皇帝の直轄部隊として組織し直し、本来の帝国軍とは完全に別個の部隊として扱う事とした。傭兵隊は、軍規に縛られず金銭的な見返りが大きい代わりに、危険度の高い戦地への投入確率が最も高く、また各種保証の殆どを受ける事が出来ない、特攻専門と言ってもいい部隊である。傭兵隊には腕に覚えのある強者が集い、主に進軍時の先遣隊として活躍した他、正規軍と実戦を想定した訓練を随時行う事により、帝国の持つ軍事力そのものを高める役割も担った。
因みに、この傭兵雇用推進策の裏には、度々問題となっていた移民・外国人の雇用問題があるとする説もある。真偽の程は不明だが、事実傭兵隊には移民・外国人が多く所属している。
政治的問題が粗方落ち着き始めた帝国歴998年、レオン帝は遂にモンスター討伐を掲げ進軍を開始する。
手始めにアバロン市街付近のモンスターを一掃し、再度の侵入に備える為警備を強化、更に市街地をぐるりと囲む外壁を建設。結界などの高等術が無かった当時では浮遊系モンスターの侵入までは防げなかったようだが、以降アバロンとその周辺の町ではモンスターの出現例が激減している。
次いで山岳地帯へ精鋭部隊のみを引き連れた小規模な遠征を繰り返し、国土回復とモンスター討伐に着手。これには、皇后ヴィオレッタとの間に生まれた皇太子ヴィクトール、第二皇子ジェラールの二人の息子も度々随行している。
モンスター討伐も成果を上げ始めた矢先、七英雄の一人クジンシーが突如アバロンに侵攻するという事件が起こる。
事件当時レオン帝は第二皇子ジェラールを連れて遠征中であり、不在だった。留守を預かっていた皇太子ヴィクトールが残存部隊を繰って応戦し被害を最小限に食い止める事に成功するも、彼は命を落としてしまう。
これに激昂したレオン帝は、『七英雄は最早伝説に謳われるような英雄ではなく、我々に仇成す敵である』としてクジンシー討伐を決意。根城となっていたソーモンへ赴き、大規模な戦闘を繰り広げたが、彼もまたクジンシーの攻撃を受け、命辛々撤退。アバロンへ帰還したが回復は叶わず、直後に落命してしまう。
しかし、レオン帝には秘策があった。
クジンシーは相手の魂に直接ダメージを与え絶命させる技を持ち、ただ正面から斬り掛かるのでは勝ち目が無い。息子の死でそれを悟ったレオン帝は、アバロンに滞在していた女魔導士オアイーブに相談を持ちかけ、彼女から『持ち主の魂に反応して先人の記憶と能力を受け継ぐ事が出来る』力を持つという、青い宝玉の嵌った首飾りを授かっていた。オアイーブが『伝承法』と呼称したそれを信じ、レオン帝はクジンシーの元へ向かった。攻撃を受けた者だけが知り得る技の特徴を理解し、生き残ったもう一人の息子へ後を託そうというのである。
はたしてそれは成功し、第二皇子ジェラールが初代伝承皇帝となる。これが第三帝政期、或いは伝承皇帝期と呼ばれる時代の始まりとなる。
因みに、このオアイーブという女性については詳細が殆ど判明しておらず、魔導士であるという事実のみが伝わっている。先んじて『ソーモンのクジンシーに注意せよ』との忠告をしていたとも言われるが、レオン帝が何故彼女に信を置いたのか、明確な理由は明かされぬままである。
なお、伝承法を取り入れたのはレオン帝であるが、伝承法の能力が本格的に発現したのはジェラール帝への継承後である為、初代伝承皇帝はジェラール帝と定義される。
【『大帝』ジェラールとその仲間達による伝承皇帝期への推移】
即位したジェラール帝を待ち受けていたのは、城下の争乱であった。クジンシーの配下にあるモンスター・ゴブリンの一団が、混乱に乗じて再度侵攻してきたのである。
ジェラール帝は情勢を整える間も無く即時応戦を開始。厳しい戦いではあったが、迅速な対応により一般市民への被害は出さずに済んでいる。
この時、帝都内部での戦いであったにも関わらず、幾つかの部隊が出動を拒んでいる。実戦的な活躍に乏しく、少々内向的なきらいのあったジェラール帝の手腕を疑い、集団でボイコットを行ったからである。特に当時の傭兵隊長ヘクターには、ジェラール帝に面と向かって暴言を吐いたという有名な逸話がある。騒動の沈静後には感服し謝罪、忠誠を誓ったとされる。本来は死罪にも値する悪態であった筈だが、彼が許されその後も活躍し続けているのは、図抜けて優秀な戦士であったからに他ならない。
その後、ジェラール帝はゴブリンの一団を追走し、本拠地を叩く事に成功。そのまま再度ソーモンへ遠征し、父と兄の仇であるクジンシーを見事打ち破った。
クジンシーによる支配から解放されたソーモンは、以降元の通り港町として栄えている。クジンシーが占拠していた館は一般の立ち入りが禁止され、史跡として国の管理下に置かれた。
翌年、ジェラール帝は父の遺志を継ぎ、国土回復に本腰を入れ始める。
先ず、その昔帝国が交通の要所として築き、当時はモンスターに占拠された状態にあったヴィクトール運河の奪還に着手。傭兵隊長ヘクターを長として運河要塞攻略部隊を組織する。
この時、アバロンで一騒動起きている。当初ジェラール帝は、運河要塞に斥候としてシティシーフを送り込み、様子を探るつもりでいたという。しかし当時のシーフギルド代表・スパローが要請を突っ放し、更にはギルドの独立を宣言。これが原因で運河要塞攻略部隊という特別隊の組織と、現地にそれを常駐させる必要が出て来たらしい。
尤も、シーフギルドの独立は、完全なる対立状況という訳ではなかったようだ。シーフギルドは情報屋や密偵としての役割を担っていたが、本来は一般市民による私立組織で、帝国及び皇帝に束縛される立場になかった。元々独立性の高い組織であるが故に、即位して日の浅いジェラール帝の命で動く事を躊躇う声がなかなか減らず、代表であるスパローはギルド内の不和を防ぐ為に依頼を断らざるを得なかったらしい。表向き反発はしていたものの、水面下では可能な限りの協力をしていたらしい事が、近年の研究で判明している。
同年末、運河要塞の攻略には長い年月が掛かると判断したジェラール帝は、方針を転換し南下政策を打ち出す。難攻不落で知られる運河要塞だが、不用意に近付きさえしなければ攻撃される事も無く、運河が利用出来ない以外は目立つ危険も決して多くはない為、一般市民の居住・立ち入りを制限した上で要注意地域として監視する事とされた。
先ずは運河要塞のあるミラマー以外の南バレンヌ一帯に足を運び、同地域をアバロン同様に整備。その過程でニーベルを拠点とする格闘家集団・龍の穴と協定を結び、傭兵隊に似た外部組織として帝国傘下に置き、兵力を拡大している。
その後、嘗ては帝国の財源として重要な役割を果たし、国土縮小に伴う荒廃でモンスターの巣窟となっていた宝石鉱山を奪取。更に南下を続け、モンスターの出現例が最も多いルドン高原とその南方ナゼール地方を平定。モンスターの殲滅こそ叶わなかったものの、治安維持隊を組織し常駐させる事で比較的安定して往来が可能となり、ナゼール地方の遊牧民・サイゴ族との友好関係も築いた。
以降数年にわたりルドン・ナゼール方面の街道整備を中心に活動していたジェラール帝だが、1008年、遂に帝国軍全隊を率いて運河要塞に総攻撃を仕掛ける。
しかし、モンスター側もこれに備えており、戦況は泥沼の様相を呈す。多数のモンスターを屠る事には成功したものの、要塞の制圧は叶わず、帝国軍側も少なからぬ犠牲を払う結果となった。
以降大規模な進軍が行われなかったのは、これを悔いての事だと言われる。ジェラール帝自身、親友でもあった忠臣・ヘンリーをこの総攻撃の際に失っており、悲嘆に暮れていたという。
軍事的動向があまり見られない約20年間では、伝承法という新たなシステムを取り入れたバレンヌの国政改革が行われた。
伝承法という切り札により武力面でより優れた手腕を得ていたジェラール帝は、国政からの事実上の引退を宣言。自身は武帝として治安維持と運河要塞攻略に専念するものとし、代わりに為政帝として実の従弟であるアンリを指命。これを受け即位したアンリ帝は、伝承皇帝を国家元首、為政帝を次席とする声明を発表し、二帝統治に関わる法を複数制定。以降バレンヌが共和国となるまで続く伝承皇帝時代の基礎を築く。
アンリ帝はその後41歳で急去するが、その妻であるクラウディア(ジェラール帝の側近ベアの娘)が第二代為政帝となっている。
緊張状態の続くミラマー以外の地域では比較的平和な時代が続いていたが、1033年、その平和は打ち破られた。周辺地域に蔓延るモンスターが大挙してアバロンへ押し寄せてきたのである。この襲撃は、モンスター及び七英雄の側が、帝国が得た伝承法の力を脅威と見て、これ以上の増強をさせまいとしたものだと言われる。
市街地での戦闘を阻止すべく、帝国軍は防衛戦を展開。一般市民の犠牲こそ出さずに済んでいるが、抗争はその後5年に渡り、帝国自体の疲弊は著しいものだった。また、この騒動の最中に武帝ジェラールと次期武帝就任が決定していたアンリ・クラウディア夫妻の第一子ヴィクトールが戦死しており、内政も混乱する。
これを収める為、ジェラール帝と結婚し皇后となっていた側近テレーズが適合者不在となった伝承法を仮継承し、武帝位預かりとなる。また為政帝クラウディアは第二子アルジャンとその妻マリア(ジェラール帝の側近ジェイムズの娘)を復興大臣に指命し、治安維持隊の再組織など情勢の立て直しも計っている。
テレーズはその後数年で引退し、伝承法は第二代運河要塞攻略部隊長・モアに仮継承された。ジェラール・テレーズ夫妻に実子は無く、第二帝政期直系皇家は此処で途絶えている。
1056年、クラウディア帝が摂政位に退いた事により、息子である復興大臣アルジャンが第三代為政帝として即位する。
アルジャン帝は即位式で統治声明を発表。伝承皇帝不在の間は自身を含めた旧皇家傍流などから優れた者を為政者として排出していく事とし、一般的な世襲制にはしないものとした。また、適合者不在の伝承法については、為政帝若しくは将官クラスの人間が代々仮継承していくものとしている。
帝国歴900年代は、山岳地帯を中心にモンスターの活動が活発化していた。帝都アバロンは比較的平和だったものの、国土縮小の進行や徴税策の難航などにより国庫も逼迫し、最低迷期と言っても差し支えないような状況だったという。
そんな中の984年、後に『国父』と称されるレオン帝が即位した。政治面にも軍事面にも優れていた彼は、当時から『斜陽の大国に生まれた金獅子帝』として周辺諸国にその名を轟かせていたという。
レオン帝はバレンヌの情勢を憂い、即位直後から様々な政策を実行。特に有名なのが税制改革と傭兵雇用の推進である。
税制改革の要点としては、それまで一部の贅沢品にしか掛けられていなかった消費税について、市場に流通するほぼ全ての商品を一律で対象とした事が一番に挙げられる。施行直後こそ反発も見られたようだが、同時に所得税率や地代の見直しなども行われたこと、法外な税を掛ける悪質な業者に対する抑止効果もあったことなどから、それ以上の混乱は無く、数年後には見事改革に成功している。
また、傭兵の雇用自体は古くから行われていたが、レオン帝の功績はそれまであやふやだった彼等の立場を明確なものとした点にある。レオン帝は、『傭兵』という個人ではなく『傭兵隊』という集団を皇帝の直轄部隊として組織し直し、本来の帝国軍とは完全に別個の部隊として扱う事とした。傭兵隊は、軍規に縛られず金銭的な見返りが大きい代わりに、危険度の高い戦地への投入確率が最も高く、また各種保証の殆どを受ける事が出来ない、特攻専門と言ってもいい部隊である。傭兵隊には腕に覚えのある強者が集い、主に進軍時の先遣隊として活躍した他、正規軍と実戦を想定した訓練を随時行う事により、帝国の持つ軍事力そのものを高める役割も担った。
因みに、この傭兵雇用推進策の裏には、度々問題となっていた移民・外国人の雇用問題があるとする説もある。真偽の程は不明だが、事実傭兵隊には移民・外国人が多く所属している。
政治的問題が粗方落ち着き始めた帝国歴998年、レオン帝は遂にモンスター討伐を掲げ進軍を開始する。
手始めにアバロン市街付近のモンスターを一掃し、再度の侵入に備える為警備を強化、更に市街地をぐるりと囲む外壁を建設。結界などの高等術が無かった当時では浮遊系モンスターの侵入までは防げなかったようだが、以降アバロンとその周辺の町ではモンスターの出現例が激減している。
次いで山岳地帯へ精鋭部隊のみを引き連れた小規模な遠征を繰り返し、国土回復とモンスター討伐に着手。これには、皇后ヴィオレッタとの間に生まれた皇太子ヴィクトール、第二皇子ジェラールの二人の息子も度々随行している。
モンスター討伐も成果を上げ始めた矢先、七英雄の一人クジンシーが突如アバロンに侵攻するという事件が起こる。
事件当時レオン帝は第二皇子ジェラールを連れて遠征中であり、不在だった。留守を預かっていた皇太子ヴィクトールが残存部隊を繰って応戦し被害を最小限に食い止める事に成功するも、彼は命を落としてしまう。
これに激昂したレオン帝は、『七英雄は最早伝説に謳われるような英雄ではなく、我々に仇成す敵である』としてクジンシー討伐を決意。根城となっていたソーモンへ赴き、大規模な戦闘を繰り広げたが、彼もまたクジンシーの攻撃を受け、命辛々撤退。アバロンへ帰還したが回復は叶わず、直後に落命してしまう。
しかし、レオン帝には秘策があった。
クジンシーは相手の魂に直接ダメージを与え絶命させる技を持ち、ただ正面から斬り掛かるのでは勝ち目が無い。息子の死でそれを悟ったレオン帝は、アバロンに滞在していた女魔導士オアイーブに相談を持ちかけ、彼女から『持ち主の魂に反応して先人の記憶と能力を受け継ぐ事が出来る』力を持つという、青い宝玉の嵌った首飾りを授かっていた。オアイーブが『伝承法』と呼称したそれを信じ、レオン帝はクジンシーの元へ向かった。攻撃を受けた者だけが知り得る技の特徴を理解し、生き残ったもう一人の息子へ後を託そうというのである。
はたしてそれは成功し、第二皇子ジェラールが初代伝承皇帝となる。これが第三帝政期、或いは伝承皇帝期と呼ばれる時代の始まりとなる。
因みに、このオアイーブという女性については詳細が殆ど判明しておらず、魔導士であるという事実のみが伝わっている。先んじて『ソーモンのクジンシーに注意せよ』との忠告をしていたとも言われるが、レオン帝が何故彼女に信を置いたのか、明確な理由は明かされぬままである。
なお、伝承法を取り入れたのはレオン帝であるが、伝承法の能力が本格的に発現したのはジェラール帝への継承後である為、初代伝承皇帝はジェラール帝と定義される。
【『大帝』ジェラールとその仲間達による伝承皇帝期への推移】
即位したジェラール帝を待ち受けていたのは、城下の争乱であった。クジンシーの配下にあるモンスター・ゴブリンの一団が、混乱に乗じて再度侵攻してきたのである。
ジェラール帝は情勢を整える間も無く即時応戦を開始。厳しい戦いではあったが、迅速な対応により一般市民への被害は出さずに済んでいる。
この時、帝都内部での戦いであったにも関わらず、幾つかの部隊が出動を拒んでいる。実戦的な活躍に乏しく、少々内向的なきらいのあったジェラール帝の手腕を疑い、集団でボイコットを行ったからである。特に当時の傭兵隊長ヘクターには、ジェラール帝に面と向かって暴言を吐いたという有名な逸話がある。騒動の沈静後には感服し謝罪、忠誠を誓ったとされる。本来は死罪にも値する悪態であった筈だが、彼が許されその後も活躍し続けているのは、図抜けて優秀な戦士であったからに他ならない。
その後、ジェラール帝はゴブリンの一団を追走し、本拠地を叩く事に成功。そのまま再度ソーモンへ遠征し、父と兄の仇であるクジンシーを見事打ち破った。
クジンシーによる支配から解放されたソーモンは、以降元の通り港町として栄えている。クジンシーが占拠していた館は一般の立ち入りが禁止され、史跡として国の管理下に置かれた。
翌年、ジェラール帝は父の遺志を継ぎ、国土回復に本腰を入れ始める。
先ず、その昔帝国が交通の要所として築き、当時はモンスターに占拠された状態にあったヴィクトール運河の奪還に着手。傭兵隊長ヘクターを長として運河要塞攻略部隊を組織する。
この時、アバロンで一騒動起きている。当初ジェラール帝は、運河要塞に斥候としてシティシーフを送り込み、様子を探るつもりでいたという。しかし当時のシーフギルド代表・スパローが要請を突っ放し、更にはギルドの独立を宣言。これが原因で運河要塞攻略部隊という特別隊の組織と、現地にそれを常駐させる必要が出て来たらしい。
尤も、シーフギルドの独立は、完全なる対立状況という訳ではなかったようだ。シーフギルドは情報屋や密偵としての役割を担っていたが、本来は一般市民による私立組織で、帝国及び皇帝に束縛される立場になかった。元々独立性の高い組織であるが故に、即位して日の浅いジェラール帝の命で動く事を躊躇う声がなかなか減らず、代表であるスパローはギルド内の不和を防ぐ為に依頼を断らざるを得なかったらしい。表向き反発はしていたものの、水面下では可能な限りの協力をしていたらしい事が、近年の研究で判明している。
同年末、運河要塞の攻略には長い年月が掛かると判断したジェラール帝は、方針を転換し南下政策を打ち出す。難攻不落で知られる運河要塞だが、不用意に近付きさえしなければ攻撃される事も無く、運河が利用出来ない以外は目立つ危険も決して多くはない為、一般市民の居住・立ち入りを制限した上で要注意地域として監視する事とされた。
先ずは運河要塞のあるミラマー以外の南バレンヌ一帯に足を運び、同地域をアバロン同様に整備。その過程でニーベルを拠点とする格闘家集団・龍の穴と協定を結び、傭兵隊に似た外部組織として帝国傘下に置き、兵力を拡大している。
その後、嘗ては帝国の財源として重要な役割を果たし、国土縮小に伴う荒廃でモンスターの巣窟となっていた宝石鉱山を奪取。更に南下を続け、モンスターの出現例が最も多いルドン高原とその南方ナゼール地方を平定。モンスターの殲滅こそ叶わなかったものの、治安維持隊を組織し常駐させる事で比較的安定して往来が可能となり、ナゼール地方の遊牧民・サイゴ族との友好関係も築いた。
以降数年にわたりルドン・ナゼール方面の街道整備を中心に活動していたジェラール帝だが、1008年、遂に帝国軍全隊を率いて運河要塞に総攻撃を仕掛ける。
しかし、モンスター側もこれに備えており、戦況は泥沼の様相を呈す。多数のモンスターを屠る事には成功したものの、要塞の制圧は叶わず、帝国軍側も少なからぬ犠牲を払う結果となった。
以降大規模な進軍が行われなかったのは、これを悔いての事だと言われる。ジェラール帝自身、親友でもあった忠臣・ヘンリーをこの総攻撃の際に失っており、悲嘆に暮れていたという。
軍事的動向があまり見られない約20年間では、伝承法という新たなシステムを取り入れたバレンヌの国政改革が行われた。
伝承法という切り札により武力面でより優れた手腕を得ていたジェラール帝は、国政からの事実上の引退を宣言。自身は武帝として治安維持と運河要塞攻略に専念するものとし、代わりに為政帝として実の従弟であるアンリを指命。これを受け即位したアンリ帝は、伝承皇帝を国家元首、為政帝を次席とする声明を発表し、二帝統治に関わる法を複数制定。以降バレンヌが共和国となるまで続く伝承皇帝時代の基礎を築く。
アンリ帝はその後41歳で急去するが、その妻であるクラウディア(ジェラール帝の側近ベアの娘)が第二代為政帝となっている。
緊張状態の続くミラマー以外の地域では比較的平和な時代が続いていたが、1033年、その平和は打ち破られた。周辺地域に蔓延るモンスターが大挙してアバロンへ押し寄せてきたのである。この襲撃は、モンスター及び七英雄の側が、帝国が得た伝承法の力を脅威と見て、これ以上の増強をさせまいとしたものだと言われる。
市街地での戦闘を阻止すべく、帝国軍は防衛戦を展開。一般市民の犠牲こそ出さずに済んでいるが、抗争はその後5年に渡り、帝国自体の疲弊は著しいものだった。また、この騒動の最中に武帝ジェラールと次期武帝就任が決定していたアンリ・クラウディア夫妻の第一子ヴィクトールが戦死しており、内政も混乱する。
これを収める為、ジェラール帝と結婚し皇后となっていた側近テレーズが適合者不在となった伝承法を仮継承し、武帝位預かりとなる。また為政帝クラウディアは第二子アルジャンとその妻マリア(ジェラール帝の側近ジェイムズの娘)を復興大臣に指命し、治安維持隊の再組織など情勢の立て直しも計っている。
テレーズはその後数年で引退し、伝承法は第二代運河要塞攻略部隊長・モアに仮継承された。ジェラール・テレーズ夫妻に実子は無く、第二帝政期直系皇家は此処で途絶えている。
1056年、クラウディア帝が摂政位に退いた事により、息子である復興大臣アルジャンが第三代為政帝として即位する。
アルジャン帝は即位式で統治声明を発表。伝承皇帝不在の間は自身を含めた旧皇家傍流などから優れた者を為政者として排出していく事とし、一般的な世襲制にはしないものとした。また、適合者不在の伝承法については、為政帝若しくは将官クラスの人間が代々仮継承していくものとしている。