ロ兄術廻戦
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七海は灰原の死や夏油の離反によって悩み考えることが多くなり、何日も眠れない日々が続いた。処方された睡眠薬もあまり効果を実感出来ない。
夜更けではあるがコーヒーが飲みたくなった七海が自室を抜けて自販機へ向かうと、食堂の明かりが煌々と点いたままになっていた。夜蛾先生が日頃節電しろと五月蝿く言うので七海ももれなく電気を消すため中を確認すると、そこには人がいた。
ひと昔もふた昔も前の時代に取り残されたような古びた机にこぢんまりと向かう、男にしては小柄な背中。
「平手さん」
『ん、七海。びっくりした。こんな遅い時間になにしてんの』
「それはこちらの台詞ですよ。私はコーヒーを買いに…平手さんは?」
『眠気が来るまでここで暇つぶしって言うかなんて言うか、まあそんな感じ』
そう言った平手ははにかんで、自販機で買ったらしい飲みかけのアールグレイティーから手を離し、前のめりに突っ伏した。もさ、と風呂上がりの乾かしきったゆるい前髪が机に押し付けられている。
平手流星は七海の一学年上の先輩だが、変に上級生ぶることなく七海に接してくれる。いつでも五条と夏油のストッパー役であるような、快活で真面目な男だ。一学年上の生徒をまとめる唯一の良心と言っても過言ではない。しかしある日を境に平手の同級生である五条は最強に、夏油は離反してしまった。
もしかして、今平手も自分と同じようなことを考えて眠れていないのだろうか。程なくして机から顔を上げた平手の顔を見れば、うっすらとクマが目の下にできているような気がする。
「向かい、失礼します」
『どーぞ』
七海はコーヒーを買い、ギイと音のする椅子に深く腰を下ろした。カシュ、と先程買った缶コーヒーの蓋を開けて冷たいコーヒーを胃に流し込むと、キリ、と腹が痛んだ気がした。
『七海は呪術師続けるのか?』
「!、それは」
『嫌なら逃げてもいいとか聞くけどさ、逃げた先のことは誰が保証してくれるんだろうな。少なくとも自分のことは好きでいろよ』
「はあ…」
『じゃあ、俺はそろそろ眠くなってきたから寝るわ。おやすみ』
そう言うと平手は廊下を裸足でぺたぺたと歩いて自室へと戻って行った。
翌日から平手の姿をぱったり見かけなくなった。というか、教室にも寮の部屋にも平手が居るような気配がない。数日、数週間のうちは任務かと思っていたが、ひと月も姿を見かけないのは流石におかしい。授業後夜蛾先生に居場所を尋ねると「アイツはもうここには戻らない」との事であった。
どうやら平手は高専を辞めたらしい。
深夜の食堂でぽつぽつと交わしたのがまさか最後の会話になるなんて。そんなことあの時の七海はひとかけらも思いもしなかった。なぜ平手は、自分に何も言ってくれなかったんだろう。一言くらいあっても良かったのでは、と思ったが、それを考えたところでまた眠れなくなることは明白だった。
数年後、高専卒業とともに七海は呪術師を辞めた。
仲間の死や先輩の離反を受け入れる、というか飲み込むことはできたが、この仕事を続けたとて未来はクソだと感じたからだ。それならいっそ潔く金の事だけを考えて、稼いで、ある程度貯まったら仕事をやめて、海外でのんびりとした隠居生活を送りたい。そう考えた七海は金融系の商社へと就職した。だが、そんな七海を待ち受けていたのは、終わらない仕事、残業、上司のパワハラ、顧客の苦情。もし仮にこれらが呪霊だったなら全て薙ぎ払うことが出来るのに。
この蓄積された痛みから、いつか開放されるのだろうか。
様々なことを経験し考えた末、七海は呪術師の道を再度歩みはじめた。仕事は一般社会でも呪術界でもどちらも等しくクソだが、呪術師の方が自分に合っている。やりがいというか適正があるのだろう。
ある日、七海はいつもの様に後輩の伊地知に呼ばれ高専に顔を出したところ、「ここで待っていてください」と何故か会議室に通された。しばらくすると「失礼します」と伊地知ではない声がかかり、細いストライプのスーツを着た痩せ気味の、黒髪の男が部屋へ入ってきた。
『七海久しぶり。元気してた?』
平手だった。
いやでも、まさか、有り得ない。
「貴方は呪術師を辞めたのでは…?」
『俺は辞めてないよ』
「ではなぜ」
『あのときはね…』
そう言って平手は当時の顛末を語り出した。
式神使いの平手は呪力が安定せず、その時たまたま任務で一緒になった冥冥に即日弟子入りを申し出たらしい。冥冥は冥冥で急遽海外へ行く用事が既にあったので、「平手もおいで」と有無を言わさず荷物をまとめ上げられ誰にも暫し別れの言葉を言う暇なく高専を出たのだと。
つまりどうやら夜蛾先生があの時言った「平手はここには戻らない」とは、荷物をまとめて出ていったから高専の寮に戻ってくることはしばらくない、という意味だったらしい。
『急いでたからこのことは夜蛾先生にしか伝えられなかったんだ。しかも蓋を開けてみれば数年間海外を転々とする暮らしでさ。お陰で鍛えられたよ。色々とね』
冥さんに倣って、式神との視覚共有もできるようになったんだよ、と笑う平手の横顔はあの時よりも随分大人で、余裕や色気すら漂っているし、口調も学生の時より大分和らいでいる。
それを見た七海の頭にカッと血が上った。
そこでようやく七海は自分の本心を知ることになる。
自分は高専のときから平手が好きだったのだ、と。
『七海は大人っぽくなったね』
「それは…」
貴方もですと七海が言うより早く、つい、と平手は七海の顎を撫でた。恐らく冥冥との長期生活で手癖がうつったのだろう。
七海はいてもたっても居られず、平手の少し厚くなった胸板に自分の頭を押しつけた。
「貴方って言う人は…人の気持ちも知らないで」
『なに、教えてよ。言葉にしてくれないか』
平手は押しつけられた七海のうなじを優しく撫でた。
「高専から流星さんがいなくなって、辞めたかと思った。そして私は呪術師を辞めて会社員になりました。それでも上手くいかず、結局呪術師に戻ってきてしまった」
『ごめん、なんだか迷惑かけたみたいだね』
「まあそこそこに」
『悪かったって。今は、夜は眠れてるか?』
「ぼちぼちですね」
『それは良かった』
「それより。私に迷惑をかけた自覚があるのなら責任を取ってください」
『取るって、どうやって』
七海は顔をあげた。
次いで、平手の薄い唇に自身の唇を押し当てた。
「まずは埋め合わせからです」
夜更けではあるがコーヒーが飲みたくなった七海が自室を抜けて自販機へ向かうと、食堂の明かりが煌々と点いたままになっていた。夜蛾先生が日頃節電しろと五月蝿く言うので七海ももれなく電気を消すため中を確認すると、そこには人がいた。
ひと昔もふた昔も前の時代に取り残されたような古びた机にこぢんまりと向かう、男にしては小柄な背中。
「平手さん」
『ん、七海。びっくりした。こんな遅い時間になにしてんの』
「それはこちらの台詞ですよ。私はコーヒーを買いに…平手さんは?」
『眠気が来るまでここで暇つぶしって言うかなんて言うか、まあそんな感じ』
そう言った平手ははにかんで、自販機で買ったらしい飲みかけのアールグレイティーから手を離し、前のめりに突っ伏した。もさ、と風呂上がりの乾かしきったゆるい前髪が机に押し付けられている。
平手流星は七海の一学年上の先輩だが、変に上級生ぶることなく七海に接してくれる。いつでも五条と夏油のストッパー役であるような、快活で真面目な男だ。一学年上の生徒をまとめる唯一の良心と言っても過言ではない。しかしある日を境に平手の同級生である五条は最強に、夏油は離反してしまった。
もしかして、今平手も自分と同じようなことを考えて眠れていないのだろうか。程なくして机から顔を上げた平手の顔を見れば、うっすらとクマが目の下にできているような気がする。
「向かい、失礼します」
『どーぞ』
七海はコーヒーを買い、ギイと音のする椅子に深く腰を下ろした。カシュ、と先程買った缶コーヒーの蓋を開けて冷たいコーヒーを胃に流し込むと、キリ、と腹が痛んだ気がした。
『七海は呪術師続けるのか?』
「!、それは」
『嫌なら逃げてもいいとか聞くけどさ、逃げた先のことは誰が保証してくれるんだろうな。少なくとも自分のことは好きでいろよ』
「はあ…」
『じゃあ、俺はそろそろ眠くなってきたから寝るわ。おやすみ』
そう言うと平手は廊下を裸足でぺたぺたと歩いて自室へと戻って行った。
翌日から平手の姿をぱったり見かけなくなった。というか、教室にも寮の部屋にも平手が居るような気配がない。数日、数週間のうちは任務かと思っていたが、ひと月も姿を見かけないのは流石におかしい。授業後夜蛾先生に居場所を尋ねると「アイツはもうここには戻らない」との事であった。
どうやら平手は高専を辞めたらしい。
深夜の食堂でぽつぽつと交わしたのがまさか最後の会話になるなんて。そんなことあの時の七海はひとかけらも思いもしなかった。なぜ平手は、自分に何も言ってくれなかったんだろう。一言くらいあっても良かったのでは、と思ったが、それを考えたところでまた眠れなくなることは明白だった。
数年後、高専卒業とともに七海は呪術師を辞めた。
仲間の死や先輩の離反を受け入れる、というか飲み込むことはできたが、この仕事を続けたとて未来はクソだと感じたからだ。それならいっそ潔く金の事だけを考えて、稼いで、ある程度貯まったら仕事をやめて、海外でのんびりとした隠居生活を送りたい。そう考えた七海は金融系の商社へと就職した。だが、そんな七海を待ち受けていたのは、終わらない仕事、残業、上司のパワハラ、顧客の苦情。もし仮にこれらが呪霊だったなら全て薙ぎ払うことが出来るのに。
この蓄積された痛みから、いつか開放されるのだろうか。
様々なことを経験し考えた末、七海は呪術師の道を再度歩みはじめた。仕事は一般社会でも呪術界でもどちらも等しくクソだが、呪術師の方が自分に合っている。やりがいというか適正があるのだろう。
ある日、七海はいつもの様に後輩の伊地知に呼ばれ高専に顔を出したところ、「ここで待っていてください」と何故か会議室に通された。しばらくすると「失礼します」と伊地知ではない声がかかり、細いストライプのスーツを着た痩せ気味の、黒髪の男が部屋へ入ってきた。
『七海久しぶり。元気してた?』
平手だった。
いやでも、まさか、有り得ない。
「貴方は呪術師を辞めたのでは…?」
『俺は辞めてないよ』
「ではなぜ」
『あのときはね…』
そう言って平手は当時の顛末を語り出した。
式神使いの平手は呪力が安定せず、その時たまたま任務で一緒になった冥冥に即日弟子入りを申し出たらしい。冥冥は冥冥で急遽海外へ行く用事が既にあったので、「平手もおいで」と有無を言わさず荷物をまとめ上げられ誰にも暫し別れの言葉を言う暇なく高専を出たのだと。
つまりどうやら夜蛾先生があの時言った「平手はここには戻らない」とは、荷物をまとめて出ていったから高専の寮に戻ってくることはしばらくない、という意味だったらしい。
『急いでたからこのことは夜蛾先生にしか伝えられなかったんだ。しかも蓋を開けてみれば数年間海外を転々とする暮らしでさ。お陰で鍛えられたよ。色々とね』
冥さんに倣って、式神との視覚共有もできるようになったんだよ、と笑う平手の横顔はあの時よりも随分大人で、余裕や色気すら漂っているし、口調も学生の時より大分和らいでいる。
それを見た七海の頭にカッと血が上った。
そこでようやく七海は自分の本心を知ることになる。
自分は高専のときから平手が好きだったのだ、と。
『七海は大人っぽくなったね』
「それは…」
貴方もですと七海が言うより早く、つい、と平手は七海の顎を撫でた。恐らく冥冥との長期生活で手癖がうつったのだろう。
七海はいてもたっても居られず、平手の少し厚くなった胸板に自分の頭を押しつけた。
「貴方って言う人は…人の気持ちも知らないで」
『なに、教えてよ。言葉にしてくれないか』
平手は押しつけられた七海のうなじを優しく撫でた。
「高専から流星さんがいなくなって、辞めたかと思った。そして私は呪術師を辞めて会社員になりました。それでも上手くいかず、結局呪術師に戻ってきてしまった」
『ごめん、なんだか迷惑かけたみたいだね』
「まあそこそこに」
『悪かったって。今は、夜は眠れてるか?』
「ぼちぼちですね」
『それは良かった』
「それより。私に迷惑をかけた自覚があるのなら責任を取ってください」
『取るって、どうやって』
七海は顔をあげた。
次いで、平手の薄い唇に自身の唇を押し当てた。
「まずは埋め合わせからです」