ロ兄術廻戦
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うだるような暑さの中幕を開けた今回の任務。夜だというのに昼間と変わらないくらい暑くて、制服がびたりと肌に張り付くのが不快でしかない。伏黒はイライラしていた。先程帳を下ろす補助監督から「近くにいる術師に増援を依頼した」と声を掛けられたが、その瞬間呪霊を認識したため増援に際して誰が来るのか聞けなかったし、そもそもその術師がこの任務を受理してやって来る確証も現時点においては無いので、取り敢えず黙々と目の前に現れる呪霊を討伐するしかない。来るのかも分からない呪術師を待ちながら数十体程祓ったところで、帳の内に足を踏み入れこちらへ近付く者の姿が見えた。見覚えのあるあの金髪長身、あの人物は恐らく。
「七海さん」
声に出してしまった後で、人違いだと気が付いた。確かに七海さんとよく似た背格好の人物だが、いくつか違う点がある。まずトレードマークの眼鏡を身に着けていないこと。そして金髪は幾らか長く、カッチリとはセットされておらずラフに下ろされていること。そしてなによりスーツではなく作業着であること。
「すみません、人違いでした」
伏黒が近付いてきた人物に素直に謝るが、相手はさして気にしていない様子だった。
『君、七海建人と知り合い?俺あいつの弟なんだよ』
なるほどと伏黒は秒で理解した。
「いつもお世話になってます」
『そっか。んじゃ、自己紹介はまた後で。祓除が終わったら交わそうか』
結論流星は強かった。近接タイプの兄、七海建人とは異なり結界術を用いる流星は、遠距離攻撃を用いる伏黒に少なからず、否大いに学びをもたらした。難なく祓除を終えると、流星は補助監督と楽しそうに会話しながら助手席へ乗り込んだため、慌てて伏黒も後部座席へ乗り込んだ。では、と補助監督が緩く発進させた車内で、これまた緩く自己紹介タイムが始まった。
『俺は七海流星。兄貴と区別しづらいだろうから、流星って呼んでね。建設現場でバイトしてるから作業着なんだー。あと兄貴とはよく間違えられるから、さっきのことはマジで気にしないで。黙ってれば気付かれないんだけど、こんな性格だから喋ったら秒でバレる』
「そうですか…」
『あーあと階級は兄貴と一緒。一級だよ』
それは強い訳だ。伏黒は自身の自己紹介を終えてから、助手席に座っている流星をちらりと見やった。暑い疲れたと作業着を脱ぎ、ポロシャツのボタンを気前よく二つ三つ外した流星の胸板は自分よりもぶ厚くて、思わずドキリとした。きっと着痩せするタイプなのだろう。
『伏黒くん、高専帰る前に寄り道してもいい?』
流星が後部座席の伏黒へそう述べた。
「良いですよ」
『俺立て続けの任務で夕飯食ってないんだわ』
言いながら流星はアプリで地図を開き、隣で運転する補助監督にここの店に行くようにと道のりを案内した。
指し示したのは程よい距離にある定食屋で、定食屋に入るなり「おばちゃん、いつもの」と注文していた。
『やっぱうまいなー、ここの定食』
ほくほくと干物をほじる流星を横目に、伏黒は温かい緑茶を啜った。ちなみに補助監督は翌日以降の調整を兼ねたオンラインの打ち合わせがあると言うので車で待機している。
『伏黒くん、兄貴が面倒見良いのは間違いないからさ。これからも嫌わないであげてね』
「もちろんです」
柔らかいほぐし身をいつの間に食べ終えたのか、流星の皿は骨だけ残して綺麗になっていた。茄子の味噌汁を啜り終えた流星はおしぼりで口を拭うと、にこりと笑顔を伏黒に見せた。
『んね、伏黒くん。デザート食ってもいい?』
なんで自分に聞くのだろうと伏黒は思ったが、恐らくは緑茶しか啜っていない自分を申し訳なく思ったのだろう。いいですよ、と答えれば流星はすぐさまカウンターにいる店員へ呼びかけた。
『おばちゃーん、プリンひとつちょうだい。いや、今日はスペシャルがいいな』
「スペシャル?」
そんなものメニューに書いていなかったが。
『俺の考えた最強のプリンって感じ。まあ出てくるの楽しみにしててよ』
そう言ってしばらくの後に提供されたプリンは、よく見るパフェというよりさながら丼だった。見た目は例えるなら海鮮丼。丼に米のごとく入れられたプリンの上を彩るのはクリームと旬のフルーツ。伏黒はサイズ感に圧倒され、思わず胸焼けを起こしそうになった。
『疲れたら甘いモン食うのが一番だよ』
「それ五条先生も同じようなこと言ってた気がします」
『俺、悟さんのこと尊敬してるから、甘いもの好きって聞いてから真似してんだよー』
そう言いながら流星は器用に細長いスプーンでフルーツとプリンを掬い、咀嚼を繰り返している。
伏黒が流星から尋ねられた高専での生活についていくつか返答したところで、流星は羨望の眼差しを伏黒に向けた。
『えーいいよなぁ、悟さんが担任で。俺悟さんが卒業するのと入れ違いで高専入ったから全然関わりが無かったんだよね』
そんなに羨むものでもないと伏黒が言っても、流星は尚も目をキラキラと輝かせていた。
「流星さんって五条先生のことそういう意味で好きなんですか」
『そういう意味って、恋愛ってこと?だとしたらそうかもなー。気付いたら目で追ったりしてるから、傍から見れば恋する乙女みたいなもんじゃないか。つか、こんなガタイが良い男に好かれる悟さん可哀想』
「あの、今日ってこの後帰ります?」
『え、うん』
「流星さん高専に寄って貰ってもいいですか?」
『いいけど…なにかあるの』
「五条先生いると思うので連絡しておきます」
『いや、そこまでしなくてもいいよ。会うのは恥ずかしい』
「遠慮しないでください」
『いや遠慮してないから』
車内でオンラインの打ち合わせを終えたという補助監督から連絡を受けた伏黒は、ペロリとプリンを平らげた流星と定食屋を出て、帰路に着いた。流星は補助監督に高専で降ろすよう伝えたあと、直ぐに眠ってしまった。子どもか。伏黒は後部座席で流れる夜景をぼうっと眺めていた。
高専に着くと補助監督が車を停めてくるので今日はここで、と言って伏黒と流星を降ろし駐車場へ向かったため、残された二人で職員室へ向かうこととなった。土足厳禁ではない草臥れた廊下を流星の安全靴が音を鳴らす。校内を同級生や教師でない者と連れ立って歩くことはそうそう無いため、伏黒は不思議と緊張感と高揚感を抱いた。
『悟さんに会うのっていつぶりだろう。懇親会以来だっけかな、緊張してきた』
「そんな緊張するような相手じゃないですよ」
『俺にとっては雲の上の存在だよ』
謎に浮き足立つ流星を横目に伏黒が職員室のドアを開けると、気付いていたのだろう五条の声がすぐさま降ってきた。
「おかえり、恵」
「戻りました」
「で?連れてきたんだ、七海流星くん」
「はい。なんか緊張してるみたいですけど」
『こ、こんばんは…』
そりゃそうだ。呪術界最強が目の前に居るんだぞ、と流星は心の中で叫んだ。ああ、緊張が限界突破している。もう今すぐにでも心臓が破裂してしまいそう。流星がそう思っていたら伏黒はもう寝ます、と寮へ帰って行った。つまりこの部屋には流星と五条の二人だけ。
まぁ座りなよ、と五条は休憩用の椅子を自席の方に引き寄せたので、流星はそちらに大人しく座ることにした。
「七海から噂は聞いてるよ。兄弟共々前職ありって、ウケる。流星くんは今も配管工の仕事やってるんだって?」
『はい』
「タフだねぇ。一級なら術師一本でいけるだろうに」
『職人の仕事も楽しいので』
「へえ。七海は労働はクソ、とか言ってるけどそういうところは兄弟で似ないんだね…まぁ、似てないのは呪力もか」
『…』
五条は隠した目を晒して、じっとりと舐めるように流星を見つめた。
「あのさ、流星くんは後進育成とか興味ない?」
『…へ?』
突然変わった話題に着いて行けずに声をあげる流星を気にすることもなく、五条はデスクに置かれただだ甘いコーヒー飲料を飲み干してからそのまま話を続けた。
「分かってると思うけどさ。呪術師は万年、常時人手不足なわけ。その解消に一役買って出てみたくない?恵から今日の任務の様子について連絡取ってたけど、君教師向いてるんじゃないかな。どう、高専教師やってみない?」
ずい、と五条は流星に届くくらいに顔を近付けた。
『やります、やらせてください』
流星は顔を真っ赤にしながら、憧れの人物からの問いかけに二つ返事で意気込んだ。
職人仕事になんとか折り合いをつけて辞めてから、流星は教壇に立った。とは言ってもはじめは副担任から、と五条の補佐をする形で一年生の面倒を見ることになる。
そして今日は五条の提案で、二年生と三年生をひとつのクラスに集めて流星の自己紹介をすることになった。
「今日からなんと先生が増えるよ!さ、入ってきてー」
誰だ誰だと色めき立つ教室に入るのは、いささか転校生の気分だ。流星はこの日の為にと着てきたスーツを正し、思い切りドアを開き教室に入った。
「え、ナナミン?」
「うるさいよ悠仁。えー彼は七海流星くん。みんなご存知、七海の弟だよ」
『ただ今ご紹介にあずかりました七海流星です。どんな科目でも、分からないことがあれば尋ねてください』
宜しくお願いします、と流星が軽く会釈すると、伏黒と目が合った。それに笑いかけると伏黒は驚いた顔でそっぽを向いてしまった。嫌われたのだろうか。
流星は五条の見立て通り、教育者向きだった。
五条の不在時でも難なく体術も座学もこなし、時には生徒の相談に乗ったりと教育者として必要な技術を遺憾無く発揮している。学長から聞くところによると京都校との連絡も密に取り合っているようで、度々出張だと言って京都へ足を運ぶこともあるらしい。
「流星さん」
『どうした、伏黒』
「相談なんですけど」
『珍しいな、伏黒が俺に相談なんて。いつも悟…五条先生に相談してるのに』
教育者として五条と同じ立場にいる今は悟さんとは呼べないなと、流星は思わず訂正した。虎杖と釘崎の相談には何度か乗っているが、伏黒がこうやって職員室まで訪ねてくるのは初めてだった。
「やっぱいいです、なんでもないです」
『え、いいの?』
「失礼しました」
わざわざ職員室まで来たのに帰ってしまった伏黒の背中を追うことも出来ず、流星はただ深く椅子に腰掛け直した。