夜明けを告げる星~Morning Star~
その日、「アルカス法律事務所」にやって来た客に、所長の黒野尾 功は驚いた。
「三毛縞…斑?」
「はい、その方が、所長に面会をと。緊急なのでアポイント予約を取れなかったとのことですが…どうしましょう、所長」
「午後の予定は」
「児島建設さんとのアポが午後3時からです」
黒野尾は時計を見た。「会おう」
秘書が下がってから、黒野尾は大きくため息をついた。
(来たか…)
5分後、面談室。圧迫感を感じる青年が、黒野尾の前に立っていた。
「お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「君が三毛縞の息子、か。その眼光の強さは親譲りだな」
「それは誉め言葉と解釈しておこうかなあ。お忙しいようなので単刀直入に話をすすめよう。黒野尾さんは、アスタープロモーションというのを聞いたことがあるかあ?」
「確か、演劇とかアート系催事のプロモーターだ」
「そのアスプロの不正受給問題にかかわっておられるとか」
斑は書類ケースからクリアファイルに挟まれた書類を出してテーブルに投げた。黒野尾はそれを取り上げ、ぱらぱらとめくった。
「この書類…」
「今アスプロが助成金申請をしている団体の内情、だなあ。お察しの通りダミーだあ」
「やはり、な。だが三毛縞の息子、こんなものを持ってきて何が目的だ」
黒野尾の問いに、斑は答えた。
「交渉、だなあ」
「交渉だと?君の父親の話じゃ、長男はアイドルになったという話だが、アイドルのする仕事じゃ」
「『紅月』というアイドルユニットを黒野尾さんは知っているかあ」
意外な名前を口にする目の前の青年に、黒野尾は驚いた。
「勿論知っている。うちの菩提寺である蓮巳さんの息子さんのユニットだ。君と同じESのアイドルだろう」
「ご存じなら話が早い。黒野尾さんは紅月に関係する訴訟を受け持っていないかあ?」
「曙文化会館の杮落し公演が直前で中止にさせられた。中止の理由が納得いかないと、契約違反でリズムリンクプロダクションが訴訟を起こすので、うちが引き受けた、その話のことか」
「やはりなあ。紅月が引き受ける予定だった、曙文化会館の杮落し公演には俺も一枚噛んでいたから、俺も不利益だったのは間違いないんだなあ」
「そういうことか。だがそれだけでこちらと交渉とは」
「それだけじゃない。…確か黒野尾さんにはお嬢さんがいたはずだが」
「確かに二人いる」
「怒られると思うので先にお伝えしておくが、俺はあなたのお嬢さんの茉弥さんとお付き合いをしている」
斑の言葉に、黒野尾はぎょっとした。
「ああやっぱり。茉弥さん言ってなかったんだなあ」
「お、お付き合い、だと…?そ、それは」
「ご想像にお任せするが、いわゆる…大人のお付き合いをしている」
斑がやや目線を外して話す様子に、黒野尾は察した。
「はあ…確かに茉弥は学生でもないし、成人しているからそういう相手がいてもおかしくはないが…」
「アスプロの社長、明日田は何度も芸能事務所を立ち上げては、前途ある若者を食い物にしているという話が数年前から囁かれている。弱いところを突いてタダ働きさせたり、いわゆる枕営業のようなことを強要する、などだなあ」
「それとうちの娘と何の関係が」
黒野尾の動揺に、斑はため息をついた。
「お父さんには話しづらいことだろうと思うが、茉弥さんはかつて性被害に遭っている。どういうことかは察してほしい」
その言葉で、黒野尾は悟った。
「俺は茉弥さんを傷つけた輩を秘密裏に探して、それが明日田であることは比較的早い時期に分かっていた。物理的に闇に葬ることもできなくはないが、茉弥さんはきっと俺がそういうことをするのは好まないだろう。だから時を待っていた。その間に、ESの後輩で明日田の毒牙にかかった子たちが…具体的な話はできないが…」
「下衆いな」
黒野尾は思わずつぶやいた。
「P機関の方でも問題になったが、相手は力も実績もあるプロダクションの社長だ。下手なことはできない。下衆な野郎は滅びればいいと思うが、その過程で被害に遭った子たちのふさがりかけた傷を再び開くようなことはしたくない」
斑は一旦言葉を切り、苦し気な表情になった。
「俺は明日田に”復讐”したい。大事なものを汚した輩を、”社会的に”抹殺するために。だから、黒野尾さんのところへ来た」
「…それで、俺にどうしろと」
「アルカス法律事務所の黒野尾弁護士は、詐欺や政治献金関係の案件に強い。だから、アスプロを社会的に抹殺するために弁護を引き受けてほしい」
「依頼人は」
「P機関だ。紅月の件で損害を与えられたリズリンの所長、月永レオの作品を無断でしかも別人が作ったように見せかけて使った件でうちのニューディの所長、あとは2winkにイベントでタダ働きをさせられたコズプロの七種 茨副所長が連名でだ。俺は交渉人の代理だなあ」
黒野尾は窓を見てため息をついた。
「分かった。この資料があればかなり有利に運べる。蓮巳の息子さんからもらった資料だけでは弱いと思っていたからありがたい。弁護料の請求はP機関だな」
「話が早い。流石”氷壁の黒野尾”と言われるだけのことはあるなあ」
「勿論今日俺が事務所へ来た目的は他にもある」
「目的とは」
「茉弥さんを俺のお嫁さんにしたい」
「なにっ!!」
黒野尾は斑を見つめ、窓に目をやり、もう一度斑の顔を見た。
「茉弥さんが自分でお父さんに話すというのを止めたのは、さっきの話を耳に入れたくなかったから、だあ。わざわざトラウマになることを思い出させるつもりはない」
「では、茉弥はやはり…」
「親御さんの立場で聞きたくない話、だと思うがそういうことになる。…俺と知り合う前だそうだあ」
「ぐ…」
「お父さんには話せないだろう…。俺に話すのもためらっていたからなあ…」
「む…」
「時々、ご両親や妹さんの話を茉弥さんから聞いていた。うちと違って茉弥さんはきちんとご両親の愛情を受けて育ってきた人だから、筋を通すのが一番いいと考えてお父さんのところへ来た」
「お父さんと呼ぶな!!三毛縞の息子」
「…予想通りの反応だなあ…ちょっと傷つくなあ」
斑は肩を竦めた。
「君が将来娘を持ったら、俺の気持ちがわかるだろう。大事に育ててきた娘を胡散臭い男に攫われる父親の気持ちが」
「…言われてしまったなあ…確かに俺は胡散臭いかもしれない…」
斑は惨めな表情で窓を見た。
「君が傷つくな!傷ついているのは俺の方だ!大体茉弥からは恋人がいることも、その相手が君だということも聞かされていない!!今聞いて青天の霹靂だ!」
息を切らしながら拳を振り上げる黒野尾を、斑は椅子に座らせた。
「そんなに激昂すると、血圧が上がるぞお、お父さん」
「だからお父さんと呼ぶなと」
「俺が口から出まかせを言っているかどうかは、茉弥さん本人に聞いてみればいい」
斑が机の上のスマホを指し示したため、黒野尾は仕方なくスマホを取って電話をかけた。
「ああ、茉弥か。急に悪いな。…実は事務所に、三毛縞斑という名前の男が来てお前の恋人だと言っているが本当か?ああ、お前の言う通り体も声もでかくてうるさい男だ…そうか、本当なんだな。…お前をお嫁さんにしたいと言ってきたが…それも本当か。心臓が止まりそうになった。ひょっとしてこの間の週刊誌の…やっぱりあれは茉弥なんだな。全く…お前もESとやらに関わっているなら、もっと慎重…お説教はいいって?
じゃあ、俺はどう振る舞えばいい?三毛縞くんを一発殴っとけばいいか?…?アイドルの顔を傷つけちゃいけないからそれはやめろって?顔を狙うとは言っていないが…負傷してるから殴るのはやめろ?冗談だ。俺は剣道はやるがおじいちゃんと違って格闘技はしない。…ああ、今隣にいるよ。代われって?…娘が話したいそうだ」
黒野尾は斑にスマホを渡した。
「ああ、茉弥さん、俺だあ。うん、君のお父さんにはちゃんと話をしたぞお。驚かせてしまったようだが、怒ってるわけじゃないみたいだなあ。殴られるのだけは回避した。…あれ、怒ってるのかあ?どうしてだあ?勝手に一人で俺が出かけたからかあ…一緒に行きたかったのかあ…ごめんなあ。ご挨拶はまた別の日にしようなあ。…うむ?颯馬さんがお魚を届けてくれることになっている?捌いてお刺身を作ってくれると?…ようし、じゃあ早く帰るからなあ。茉弥さん、愛してるぞお」
「確かに君の言うことは事実だったな。…今茉弥はどこに?母親が、あの子のマンションに行ってみたが不在だったと言っていたが」
「…俺のちょっとややこしい件…ご存じの通り写真週刊誌に載ってしまったので、俺のところにいてもらっている。…それと、黒野尾さんに相談したいことがある」
「ほう、娘をかっさらっていくだけでもやや腹ただしいがまだ何か」
「週刊誌の記事は半分以上捏造なので、信じないでほしい。その、茉弥さんとはまあ…男女のいろんなことは…勿論、責任はちゃんと取るし、それで結婚という話が出た。
俺の親はお察しの通り、俺に関わるといろいろまずいらしいので、せめて黒野尾さんの方は俺たちのことを認めてほしい」
「認めるとか認めないとかそういう問題か?」
「成人しているから親の許可はいらないが、茉弥さんはそういうことを気にする人だからなあ」
黒野尾は腕組みをして斑の話を聞いていたが、深い溜息をついた。
「三毛縞…いや、斑くん」
「ところで、俺は後ろ暗いこともしてきたが、その分いろいろな伝手がある。野放しにするより娘婿として囲っておいたほうが、黒野尾さんにとってもお得だと思うぞお。俺は身内に悪さはしないからなあ」
それは賢明だ、と、黒野尾は思った。
「そのようだな。…君が警察に入らなかったことを三毛縞が…君のお父さんだが、残念がったのが分かる。
実を言うと、ここ何年か、私と茉弥はずっと冷戦状態だ。あの子の音大進学を反対したときからだ。女の子だが頭の切れる、聡明な子だ。うちの事務所を引き継いでくれると思っていたのが、土壇場でひっくり返された。茉弥があんなに頑固だとは知らなかった。
音大に入ってからも人前で演奏ができなくなって、何のためにと怒って喧嘩になったこともあるし、ESとやらに関わって家を出ると言った時も俺は最後まで反対した。
だが、下の娘…茉弥の妹だが、茉弥が手伝っているSwitchというユニットのイベントに行って、姉が大きな男の人と楽しそうに笑っていると言っていた。それが、君だったんだな…
家でも俺の前では不機嫌なあの子の笑顔を引き出してくれたのは、君か」
「だといいと思っています」
「斑くん。君は…茉弥を愛しているのだな」
黒野尾の言葉に、斑は頷いた。
「黒野尾さんにとって茉弥さんが大事なお嬢さんであるのと同じくらい、俺にとって茉弥さんは大事な人です」
その時初めて、黒野尾は斑が虚勢を張っていたことに気づいた。事務所で自分と顔を合わせた時に見せたやや不届きな笑みは斑の顔から消え去り、そこにいたのはただ一心に愛する女性を想う、ただの誠実な若者の姿だった。
「茉弥さんを愛しています。俺はあの人に救われたようなものなので。必ず、守ります」
「うむ。君のような男に任せるのが、茉弥にとってもいいことなんだろうな。…寂しくなるがな」
「お父さんとは気が合いそうだなあ」
「よしてくれ、斑くん。茉弥との結婚は許したが、まだ”お父さん”と呼ぶことを許してはいない」
「黒野尾さんも結構しつこいなあ」
「…落とし前はきっちりつける主義なんでな」
ノックの音がして、秘書が顔を出した。お茶を淹れてきたがタイミングが掴めなかったらしい。
秘書がお茶を置いて出ていくと、黒野尾は斑にお茶を勧めた。
「そういえば君はニューディメンション事務所の所属だったな」
「よくご存じで」
「君の事務所に、朱桜 司くんという子がいるだろう」
「司さんかあ。真面目な、いい子だあ」
「司くんと、あの副所長の…青葉くんと言ったか、あの子たちにニューディの資産管理関係の手伝いを頼まれてな。うちの事務所の若いのをつけることにした。あと、何か困ってたらうちの爺さんに言ってくれ。君が死んだら茉弥が悲しむからな」
「守ってくれるのかあ?」
「君のお父さんは深海さんのあの”宗教”のこともあって動けないんだろう。体面をかなり気にする男だし、三毛縞家の役割を考えたら君は異端だからね。…ああ、俺は信者じゃないから深いところは知らんよ。あくまで自分が関わった訴訟のことだけだ」
「それで」
「三毛縞の…君のお父さんの間違っていたところは、時代に合わせて信仰の形も変わっていくことに気づいていなかったところだ。信仰が悪いとは俺は一言も言わなかったんだが、あの馬鹿野郎は今でもそれに気づいていない、いや、気づいても認めたくないんだろうなあ。認めたら、”不肖の息子”を切り捨てたことを間違いだと認めなければならなくなる」
「黒野尾さんはよくうちのお父さんのことを分かっているなあ」
「案外顔に出やすいんだよ、三毛縞は…。あいつも意固地にならなきゃ、君と和解できたかもしれんのにな。
君は分かっているかもしれないが、価値観を変えるのはそれを信じ切っていればいるほど難しい。めんどくさい話だが、男の子が大人になるための通過儀礼だと思えばいい。つくづく俺は、自分の子が娘でよかったと思っているよ。たとえ若い男に攫われていくのだとしても」
斑は黒野尾の横顔を見た。(この人は自分が切られたはずなのに、お父さんを友人だと考えている。レオさんと英智さんのような関係なのか。俺には到底思いもよらないがなあ)
「ああ、斑くん。俺は君にお父さんと呼ばれるいわれはない。君を産んでるわけじゃないからな。だが」
「だが?」
「うちの娘と結婚するのに毎回”黒野尾さん”じゃ変だから、”親父さん”とでも呼んでくれ」
それで、斑は茉弥の父を「親父さん」と呼ぶことになった。
「三毛縞…斑?」
「はい、その方が、所長に面会をと。緊急なのでアポイント予約を取れなかったとのことですが…どうしましょう、所長」
「午後の予定は」
「児島建設さんとのアポが午後3時からです」
黒野尾は時計を見た。「会おう」
秘書が下がってから、黒野尾は大きくため息をついた。
(来たか…)
5分後、面談室。圧迫感を感じる青年が、黒野尾の前に立っていた。
「お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「君が三毛縞の息子、か。その眼光の強さは親譲りだな」
「それは誉め言葉と解釈しておこうかなあ。お忙しいようなので単刀直入に話をすすめよう。黒野尾さんは、アスタープロモーションというのを聞いたことがあるかあ?」
「確か、演劇とかアート系催事のプロモーターだ」
「そのアスプロの不正受給問題にかかわっておられるとか」
斑は書類ケースからクリアファイルに挟まれた書類を出してテーブルに投げた。黒野尾はそれを取り上げ、ぱらぱらとめくった。
「この書類…」
「今アスプロが助成金申請をしている団体の内情、だなあ。お察しの通りダミーだあ」
「やはり、な。だが三毛縞の息子、こんなものを持ってきて何が目的だ」
黒野尾の問いに、斑は答えた。
「交渉、だなあ」
「交渉だと?君の父親の話じゃ、長男はアイドルになったという話だが、アイドルのする仕事じゃ」
「『紅月』というアイドルユニットを黒野尾さんは知っているかあ」
意外な名前を口にする目の前の青年に、黒野尾は驚いた。
「勿論知っている。うちの菩提寺である蓮巳さんの息子さんのユニットだ。君と同じESのアイドルだろう」
「ご存じなら話が早い。黒野尾さんは紅月に関係する訴訟を受け持っていないかあ?」
「曙文化会館の杮落し公演が直前で中止にさせられた。中止の理由が納得いかないと、契約違反でリズムリンクプロダクションが訴訟を起こすので、うちが引き受けた、その話のことか」
「やはりなあ。紅月が引き受ける予定だった、曙文化会館の杮落し公演には俺も一枚噛んでいたから、俺も不利益だったのは間違いないんだなあ」
「そういうことか。だがそれだけでこちらと交渉とは」
「それだけじゃない。…確か黒野尾さんにはお嬢さんがいたはずだが」
「確かに二人いる」
「怒られると思うので先にお伝えしておくが、俺はあなたのお嬢さんの茉弥さんとお付き合いをしている」
斑の言葉に、黒野尾はぎょっとした。
「ああやっぱり。茉弥さん言ってなかったんだなあ」
「お、お付き合い、だと…?そ、それは」
「ご想像にお任せするが、いわゆる…大人のお付き合いをしている」
斑がやや目線を外して話す様子に、黒野尾は察した。
「はあ…確かに茉弥は学生でもないし、成人しているからそういう相手がいてもおかしくはないが…」
「アスプロの社長、明日田は何度も芸能事務所を立ち上げては、前途ある若者を食い物にしているという話が数年前から囁かれている。弱いところを突いてタダ働きさせたり、いわゆる枕営業のようなことを強要する、などだなあ」
「それとうちの娘と何の関係が」
黒野尾の動揺に、斑はため息をついた。
「お父さんには話しづらいことだろうと思うが、茉弥さんはかつて性被害に遭っている。どういうことかは察してほしい」
その言葉で、黒野尾は悟った。
「俺は茉弥さんを傷つけた輩を秘密裏に探して、それが明日田であることは比較的早い時期に分かっていた。物理的に闇に葬ることもできなくはないが、茉弥さんはきっと俺がそういうことをするのは好まないだろう。だから時を待っていた。その間に、ESの後輩で明日田の毒牙にかかった子たちが…具体的な話はできないが…」
「下衆いな」
黒野尾は思わずつぶやいた。
「P機関の方でも問題になったが、相手は力も実績もあるプロダクションの社長だ。下手なことはできない。下衆な野郎は滅びればいいと思うが、その過程で被害に遭った子たちのふさがりかけた傷を再び開くようなことはしたくない」
斑は一旦言葉を切り、苦し気な表情になった。
「俺は明日田に”復讐”したい。大事なものを汚した輩を、”社会的に”抹殺するために。だから、黒野尾さんのところへ来た」
「…それで、俺にどうしろと」
「アルカス法律事務所の黒野尾弁護士は、詐欺や政治献金関係の案件に強い。だから、アスプロを社会的に抹殺するために弁護を引き受けてほしい」
「依頼人は」
「P機関だ。紅月の件で損害を与えられたリズリンの所長、月永レオの作品を無断でしかも別人が作ったように見せかけて使った件でうちのニューディの所長、あとは2winkにイベントでタダ働きをさせられたコズプロの七種 茨副所長が連名でだ。俺は交渉人の代理だなあ」
黒野尾は窓を見てため息をついた。
「分かった。この資料があればかなり有利に運べる。蓮巳の息子さんからもらった資料だけでは弱いと思っていたからありがたい。弁護料の請求はP機関だな」
「話が早い。流石”氷壁の黒野尾”と言われるだけのことはあるなあ」
「勿論今日俺が事務所へ来た目的は他にもある」
「目的とは」
「茉弥さんを俺のお嫁さんにしたい」
「なにっ!!」
黒野尾は斑を見つめ、窓に目をやり、もう一度斑の顔を見た。
「茉弥さんが自分でお父さんに話すというのを止めたのは、さっきの話を耳に入れたくなかったから、だあ。わざわざトラウマになることを思い出させるつもりはない」
「では、茉弥はやはり…」
「親御さんの立場で聞きたくない話、だと思うがそういうことになる。…俺と知り合う前だそうだあ」
「ぐ…」
「お父さんには話せないだろう…。俺に話すのもためらっていたからなあ…」
「む…」
「時々、ご両親や妹さんの話を茉弥さんから聞いていた。うちと違って茉弥さんはきちんとご両親の愛情を受けて育ってきた人だから、筋を通すのが一番いいと考えてお父さんのところへ来た」
「お父さんと呼ぶな!!三毛縞の息子」
「…予想通りの反応だなあ…ちょっと傷つくなあ」
斑は肩を竦めた。
「君が将来娘を持ったら、俺の気持ちがわかるだろう。大事に育ててきた娘を胡散臭い男に攫われる父親の気持ちが」
「…言われてしまったなあ…確かに俺は胡散臭いかもしれない…」
斑は惨めな表情で窓を見た。
「君が傷つくな!傷ついているのは俺の方だ!大体茉弥からは恋人がいることも、その相手が君だということも聞かされていない!!今聞いて青天の霹靂だ!」
息を切らしながら拳を振り上げる黒野尾を、斑は椅子に座らせた。
「そんなに激昂すると、血圧が上がるぞお、お父さん」
「だからお父さんと呼ぶなと」
「俺が口から出まかせを言っているかどうかは、茉弥さん本人に聞いてみればいい」
斑が机の上のスマホを指し示したため、黒野尾は仕方なくスマホを取って電話をかけた。
「ああ、茉弥か。急に悪いな。…実は事務所に、三毛縞斑という名前の男が来てお前の恋人だと言っているが本当か?ああ、お前の言う通り体も声もでかくてうるさい男だ…そうか、本当なんだな。…お前をお嫁さんにしたいと言ってきたが…それも本当か。心臓が止まりそうになった。ひょっとしてこの間の週刊誌の…やっぱりあれは茉弥なんだな。全く…お前もESとやらに関わっているなら、もっと慎重…お説教はいいって?
じゃあ、俺はどう振る舞えばいい?三毛縞くんを一発殴っとけばいいか?…?アイドルの顔を傷つけちゃいけないからそれはやめろって?顔を狙うとは言っていないが…負傷してるから殴るのはやめろ?冗談だ。俺は剣道はやるがおじいちゃんと違って格闘技はしない。…ああ、今隣にいるよ。代われって?…娘が話したいそうだ」
黒野尾は斑にスマホを渡した。
「ああ、茉弥さん、俺だあ。うん、君のお父さんにはちゃんと話をしたぞお。驚かせてしまったようだが、怒ってるわけじゃないみたいだなあ。殴られるのだけは回避した。…あれ、怒ってるのかあ?どうしてだあ?勝手に一人で俺が出かけたからかあ…一緒に行きたかったのかあ…ごめんなあ。ご挨拶はまた別の日にしようなあ。…うむ?颯馬さんがお魚を届けてくれることになっている?捌いてお刺身を作ってくれると?…ようし、じゃあ早く帰るからなあ。茉弥さん、愛してるぞお」
「確かに君の言うことは事実だったな。…今茉弥はどこに?母親が、あの子のマンションに行ってみたが不在だったと言っていたが」
「…俺のちょっとややこしい件…ご存じの通り写真週刊誌に載ってしまったので、俺のところにいてもらっている。…それと、黒野尾さんに相談したいことがある」
「ほう、娘をかっさらっていくだけでもやや腹ただしいがまだ何か」
「週刊誌の記事は半分以上捏造なので、信じないでほしい。その、茉弥さんとはまあ…男女のいろんなことは…勿論、責任はちゃんと取るし、それで結婚という話が出た。
俺の親はお察しの通り、俺に関わるといろいろまずいらしいので、せめて黒野尾さんの方は俺たちのことを認めてほしい」
「認めるとか認めないとかそういう問題か?」
「成人しているから親の許可はいらないが、茉弥さんはそういうことを気にする人だからなあ」
黒野尾は腕組みをして斑の話を聞いていたが、深い溜息をついた。
「三毛縞…いや、斑くん」
「ところで、俺は後ろ暗いこともしてきたが、その分いろいろな伝手がある。野放しにするより娘婿として囲っておいたほうが、黒野尾さんにとってもお得だと思うぞお。俺は身内に悪さはしないからなあ」
それは賢明だ、と、黒野尾は思った。
「そのようだな。…君が警察に入らなかったことを三毛縞が…君のお父さんだが、残念がったのが分かる。
実を言うと、ここ何年か、私と茉弥はずっと冷戦状態だ。あの子の音大進学を反対したときからだ。女の子だが頭の切れる、聡明な子だ。うちの事務所を引き継いでくれると思っていたのが、土壇場でひっくり返された。茉弥があんなに頑固だとは知らなかった。
音大に入ってからも人前で演奏ができなくなって、何のためにと怒って喧嘩になったこともあるし、ESとやらに関わって家を出ると言った時も俺は最後まで反対した。
だが、下の娘…茉弥の妹だが、茉弥が手伝っているSwitchというユニットのイベントに行って、姉が大きな男の人と楽しそうに笑っていると言っていた。それが、君だったんだな…
家でも俺の前では不機嫌なあの子の笑顔を引き出してくれたのは、君か」
「だといいと思っています」
「斑くん。君は…茉弥を愛しているのだな」
黒野尾の言葉に、斑は頷いた。
「黒野尾さんにとって茉弥さんが大事なお嬢さんであるのと同じくらい、俺にとって茉弥さんは大事な人です」
その時初めて、黒野尾は斑が虚勢を張っていたことに気づいた。事務所で自分と顔を合わせた時に見せたやや不届きな笑みは斑の顔から消え去り、そこにいたのはただ一心に愛する女性を想う、ただの誠実な若者の姿だった。
「茉弥さんを愛しています。俺はあの人に救われたようなものなので。必ず、守ります」
「うむ。君のような男に任せるのが、茉弥にとってもいいことなんだろうな。…寂しくなるがな」
「お父さんとは気が合いそうだなあ」
「よしてくれ、斑くん。茉弥との結婚は許したが、まだ”お父さん”と呼ぶことを許してはいない」
「黒野尾さんも結構しつこいなあ」
「…落とし前はきっちりつける主義なんでな」
ノックの音がして、秘書が顔を出した。お茶を淹れてきたがタイミングが掴めなかったらしい。
秘書がお茶を置いて出ていくと、黒野尾は斑にお茶を勧めた。
「そういえば君はニューディメンション事務所の所属だったな」
「よくご存じで」
「君の事務所に、朱桜 司くんという子がいるだろう」
「司さんかあ。真面目な、いい子だあ」
「司くんと、あの副所長の…青葉くんと言ったか、あの子たちにニューディの資産管理関係の手伝いを頼まれてな。うちの事務所の若いのをつけることにした。あと、何か困ってたらうちの爺さんに言ってくれ。君が死んだら茉弥が悲しむからな」
「守ってくれるのかあ?」
「君のお父さんは深海さんのあの”宗教”のこともあって動けないんだろう。体面をかなり気にする男だし、三毛縞家の役割を考えたら君は異端だからね。…ああ、俺は信者じゃないから深いところは知らんよ。あくまで自分が関わった訴訟のことだけだ」
「それで」
「三毛縞の…君のお父さんの間違っていたところは、時代に合わせて信仰の形も変わっていくことに気づいていなかったところだ。信仰が悪いとは俺は一言も言わなかったんだが、あの馬鹿野郎は今でもそれに気づいていない、いや、気づいても認めたくないんだろうなあ。認めたら、”不肖の息子”を切り捨てたことを間違いだと認めなければならなくなる」
「黒野尾さんはよくうちのお父さんのことを分かっているなあ」
「案外顔に出やすいんだよ、三毛縞は…。あいつも意固地にならなきゃ、君と和解できたかもしれんのにな。
君は分かっているかもしれないが、価値観を変えるのはそれを信じ切っていればいるほど難しい。めんどくさい話だが、男の子が大人になるための通過儀礼だと思えばいい。つくづく俺は、自分の子が娘でよかったと思っているよ。たとえ若い男に攫われていくのだとしても」
斑は黒野尾の横顔を見た。(この人は自分が切られたはずなのに、お父さんを友人だと考えている。レオさんと英智さんのような関係なのか。俺には到底思いもよらないがなあ)
「ああ、斑くん。俺は君にお父さんと呼ばれるいわれはない。君を産んでるわけじゃないからな。だが」
「だが?」
「うちの娘と結婚するのに毎回”黒野尾さん”じゃ変だから、”親父さん”とでも呼んでくれ」
それで、斑は茉弥の父を「親父さん」と呼ぶことになった。