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夜明けを告げる星~Morning Star~

 斑はもう何年も足を踏み入れていない実家に戻った。
玄関で斑が靴を脱ごうとしていると、奥から出てきた父がしかめ面をしていた。
「早く来いと言っておいたのに、今頃迄何をしていた」
「これでもいろいろ用事があるんだあ」
「相変わらず減らず口を叩くな、斑」
斑は靴を脱ぐ手を止めて父を見上げた。
「急な呼び出しでこちらも予定が狂ったんだぞお」
「まあいい。あの黒野尾の娘と結婚するんだってな」
父は大きくため息をついた。
「因縁がおありのようだなあ。実はさっきまで黒野尾さんのところにいた」
斑は全く申し訳なくないという顔で頭を下げた。
「なぜ先にあっちに行った」
「家にお邪魔したわけじゃなくて、黒野尾さんの”仕事”に関わることで出向いただけだあ」
「あのESとかいうものに関係あるのか」
「お父さんにもそのうちわかるぞお」
「全く、お前はいつも斜め上の行動をとってかき回す」
溜息をつきながら肩を竦めた父をに、斑の目が光った。
「呼んでおいてお説教かあ。お父さんは暇なのかあ?」
「そんな訳がなかろうが。勝手に結婚を決めおって。こっちは信者の娘さんとの縁談も用意していたのに」
「勝手も何も、俺も一応成人しているから勝手に結婚しても構わないんだが…」
相変わらず不機嫌そうな父を見上げ、斑は首を捻った。
「ふむ、ご機嫌斜めのようだあ」
「当然だろう。黒野尾 功は大学の同期だ。同じ剣道場で修業して、同じ釜の飯を食った。くそ真面目でめんどくさい奴でよく俺に絡んできた。
 あれの父親は豪傑で自分の正義を勝ち取るためには手段を選ばん。味方にすれば心強いが、ひっかきまわされることも多い。全く、手に負えん爺さんだ。功のやつは父親の権威をかさに着た鼻もちならない奴だ」
斑はますます首を捻った。父の目には何かのフィルターがかかっているらしい。
「俺が会った黒野尾さんはとてもそんな風には見えなかったが」
「確かに、あいつは弁護士としては優秀かもしれんし、一応娘の婚約者という立場のお前に気を使ったのだろう。そういうことは得意だからな、あいつは。まあいろいろあって、お母さんと結婚するときにあいつが乗り込んできて、うっとおしいから縁を切った。俺が誰と結婚しようが関係ないだろうが」
 息子の結婚にケチをつけるあなたが言うのかと、斑が指摘すると父は眉間に皺を寄せた。
「そして、例の深海さんちの件でバッサリ切られた、と」
父はとてつもなく不味いものを口に含んだような苦い顔をして息子を見た。大体斑は昔から体も声も大きく、器用で能力も高く、弁も立つ。なぜこんな子が息子なのか、父は少々斑のことを不気味に感じていた。
「切ったのはあっちじゃない、こっちだ」
「深海さんちの宗教に関しては、上でも意見が分かれていたのをお父さんが押し切ったと聞いたがなあ」
「押し切っただと…。それが三毛縞の役目だ。全く、お前が余分なことをするから手間をかけさせおって。奏太さまを…”生き神さま”をお社から出すなど…。お陰で”信者”を名乗る不届き者が出てしまった」
「そっちのなんとかいう裁判に関しては、奏太さんは関係ないことだ。奏太さんは望んで”かみさま”から降りたんだし、俺は間違ったことをやったとは今でも思っていない。それにもう、奏太さんとも和解している」
「奏太様も奏太様だ。”ぼくはもうかみさまではありません”とおっしゃり、どれほどの信者が揺らいだことか。その一端をお前が担いだのだとすれば、責められても」
「それでも、奏太さんが”かみさま”ではなく”あいどる”になったことは結果的によかった、と、奏太さんもこの間言っていたぞお。もう時代に合わない教団を大きいままにしておけば、奏太さんの代はともかく、問題が持ち越されるだけだからなあ。変な詐欺集団が湧いたのも、変な形で新聞に載ってしまったのも、結局そう言うことじゃないかと俺は思うぞお」
「とにかく、お前は親の意に背いた。教団にも迷惑をかけた。後始末にどれだけ苦労したかわかるか?
 しかもよりによって、”あの”黒野尾と縁続きになるとは」

これには、斑もむっとして拳を握りしめた。
「面白くないのはわかるが、気に入らなければ顔合わせもなしにしていいと黒野尾さんも言っていた。…それと、茉弥さんのことだけは悪く言わないでほしい。こんな腐れ外道の俺の求婚を受けてくれた人だ」
「お前にはそういう生き方しかできんだろう。体も大きく力も大きく、加減ができん。小賢しく頭も働くくせに、せっかく持っている能力を活用できていない」
「…随分な言われようだあ。外れていなくもないのが微妙にむかつくなあ」
「なぜこんなことになったのだろう。お前は奏太さまを”お守り”する役目だったはずなのに」
「さあ、俺には分からないなあ」
斑は玄関口に置いてあった鞄を取り上げた。必要なものだけは母に伝え、鞄に放り込んでくれと頼んであった。実家に寄ったのはこの荷物を受け取るためだけだった。病気の妹は気になるが、父は自分にこの家にいてほしくないらしく、妹に会うのもためらわれた。

「話はそれだけだ。お前が誰と結婚しようが、三毛縞の家は関わらない」
「そうかあ…そうだよなあ。そちらに譲歩する気がないのに、勘当を解いてくれとは言えないしなあ。別に三毛縞うちの財産とかはどうでもいいからなあ…。そうだ、黒野尾さんは俺が茉弥さんと結婚するのを受け入れてくれたなあ。もう親に許しを得る年じゃないが、嬉しかったなあ。お父さんには期待しないがなあ」
斑は気にせず、靴を履いた。
「どのみち、ここに居場所はないからなあ。分かっていたことだが…。
 俺は今でも、奏太さんが”お社”に囚われなくなったことはよかったと思うし、自分が間違っていたとは思わない。奏太さんは”かみさま”からアイドルになってよかったし、信仰が大事でないとは言わないが、その方法は歪んでいた。俺が手を出さなかったとしても、どこかで綻びていたと思っている」
「後からなら何とでも言える」
「どうしてああいうことをしたか、理由も尋ねなかったくせにか?俺はあの時自分の信条に基づいて行動したんだあ。いいやり方じゃなかったかもしれないが、謝ったりはしないぞお」
「それはもういい。だがお前のしてきたことを、黒野尾の娘は知っているのか」
「俺の後ろ暗い話かあ。それはお父さんの言う”黒野尾の娘”は知ってる。俺の口から話したことや、他の人から聞いたことも。あの子は全部承知だあ。あの子は「火の玉の黒」の孫で「氷壁の黒野尾」の娘だぞお。か弱く見えるが実は胆が据わっているから、俺にはお似合いだと思うがなあ」
 斑はぬるい笑顔で父を見つめた。
「周りの反対を押し切って反社の娘を娶ったあんたと、天敵の娘を迎える俺のどこが、何が違う。もっとも、俺の茉弥さんは反社でもなく、ごく普通に親に愛された人だが」
「む…」
「因果応報。だけど俺はあんたの息子だったことをそんなに嫌だとは思っていないんだあ。この世に生み出して育ててくれたことは感謝している。これで本当に縁を切られたとしても」
「ああ、役にも立たない息子はいないも同然だ」
「役に立たなくて申し訳ないなあ」
「申し訳ないなど思っていないだろう」
「黒野尾の親父さんが心配していたぞお。お父さんは友達がいないって、一人で突っ走るって…まるで俺だなあ」
「友などいらん。どうせ役にも立たん」
「それでも、黒野尾の親父さんはお父さんをまだ友達だと思ってくれているみたいだぞお」
 斑はそれまで玄関に腰を下ろして靴を履いていたが、立ち上がって鞄を肩に担ぎ、言った。
「今迄お世話になりました。もう戻りません。俺の居場所はここにはないから、俺を選んでくれた人と、残りの人生を歩んでいきます」
「斑」
「さよなら、お父さん」
一礼した斑の瞳の奥に寂しげな光が見えた。それから踵を返して玄関を出た斑は、振り返らなかった。その瞳に涙が浮かんでいたことに父は気づいて、あえて止めなかった。
「すまんな、斑。お前を理解してやれなくて。私は…お前が何と言おうと、こういう生き方しかできん」
(碌にあいつの成人も祝ってやれなかったな…)
 子どもの頃から理解できないところがあった息子と父親の、それが最後の顔合わせとなった。

「斑」
呼び止められた斑は振り向いた。
「お母さん」
「お客にお茶も出さないなんて、お父さんは気が利かないねえ」
「別にお茶を飲みに来たわけじゃないから、構わないが」
「荷物はあれでよかったの?」
「お手を煩わせてすみませんでした」
「別に。…暇だったし。あんたの顔も見られるかと思ったんだけど、案の定何も言わずに行ってしまうところだったねえ」
反社会勢力にどっぷり関わって来たとは思えない、穏やかな顔の母親に、斑はいつから母はこうだったのだろうと首を捻った。
「あんたさ、お父さんの地雷を踏みまくって、もう踏むようなものもないだろうと思ったけど、最後の最後にやってくれたねえ」
斑は顔をしかめた。
「…面白がってませんか」
「面白くないわけないだろうよ。…ああ、黒野尾の娘ってのに会って来たよ。可愛い子じゃないの。特に、あの目がいいねえ。度胸が据わってる目だ。あんた当たりを引いたね」
 「別にくじ引きで決めたわけじゃないんだがなあ」
「反社の娘を娶ったあんたと天敵の娘を迎える自分とどこが違う、ってのはよかったねえ。あんた、そういう啖呵も切れるんだねえ」
母の笑い声に、斑は顔をさらにしかめた。
「やっぱり面白がってるなあ…」
「ふふん。黒野尾のじいさんに、昔ちょっと助けてもらったことがあってさ。「火の玉の黒」ー黒野尾 健造弁護士は武闘派でね。周りを蹴散らしながら反社団体をいくつも潰してきたんで私らの間では恐れられているんだ。私が引退したのは、あの爺さんには勝てないと思ったからさ。全く…。じじいになっても相変わらず力が有り余ってて、参ったよ」
「お母さんが黒野尾さんのおじいさんと何を勝負したか、効かないことにしておこう」
「それが賢明だね。あのじじいには何度も煮え湯を飲まされてるからね。助けてもらった身で言えないけどさ、もう二度と会いたくなかったよ。まさか自分の息子があのじじいの孫娘に惚れるなんて、とんだ因果だね」
「…お母さんは何が言いたいんだあ」
「うん。…こんな家に生まれてしまったあんたにはあたしは多少責任があるからね、一応何かのためにと思って、あんたの名義で貯めてた貯金の通帳を黒野尾のお嬢さんのところに置いてきた。…お金はあればあっただけ役に立つ。一応餞別だよ」
「しかし…」
「元々あんたのために貯めたお金だ。勿論後ろ暗いところから出てるものでもない。実はあんたの負傷の話をお嬢さんから聞いてね」
母の言葉に、斑は体をこわばらせた。
「そういう目に遭わせたくなくてあんたを勘当した意味がなかったよ、本当に。傷は痛むの?」
「…激しい動きをしたりすると少し縫い跡がまだつれる。たまに痛む」
「全く、アイドルのくせに体に傷をつけて…。ま、そういうことでお見舞いも兼ねてのお金だよ。もう信じてもらえないかもしれないけど、息子の幸せを望んでいないほどあたしたちは外道じゃないんだ。それだけ伝えたくてね」
 母の笑顔は、まだ自分が母の素性を知らなかった頃の「お母さん」の顔だった。この笑顔を最後に見たのはいつだったのか、もう思い出せないほど前だった。
「ありがとう、お母さん」
「珍しいね、あんたがお礼を言うなんて。…もう行きなさい」
冷たく突き放す母が、だが、少し寂しそうな表情だったのを斑は見逃さなかった。
「体にだけは気を付けて。黒野尾のお嬢さんと仲良くやりなさい」

(今度こそ、本当に”さよなら”だなあ)

斑は一礼して歩き始めた。もう振り向かなかった。
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