君は一等星
もう何度もこの場所に来たはずなのに、まるで初めて来る場所のような気がする。
斑は音楽堂のロビーに立ってあたりを見回していた。知らない場所ではないはずなのに、今日初めて足が震えた。
今日、自分は茉弥とともにここでコンサートをすることになっている。
「いよいよ、だね」
振り返ると、茉弥が紙袋を下げて立っていた。震えてちゃいけない、きっともっと震えているのは彼女だ。
「その恰好で、弾くのかあ?」
「ううん、着替え持ってきた。斑さんは?」
ベージュのシャツ、赤いタイにツイードのスラックスの斑を、茉弥は眺めた。
「俺かあ?俺は…ジャケット羽織るだけだあ」
「じゃあ着替えてきます」
茉弥は下げていた紙袋を持ち上げた。
茉弥が一礼して奥に消えると、斑はロビーを見回した。
着替えを終えた茉弥を、斑は会議室迄迎えに行った。ドアをノックすると、「どうぞ」と声が聞こえた。
ドアを開けて、斑は息を呑んだ。季節はもう冬のはずだ。だがそこにはまるで春の妖精のような姿の茉弥が立っていたからだ。
シンプルなカナリアイエローの、キャミソールタイプのストレートなドレス。後ろで共布のリボンを結び、くるぶしまであるスカート。爪先は正式なコンサートの時に履く、シルバーのハイヒール。胸元に真珠のネックレスがあしらわれている。髪はまとめてアップにして、右サイドにドレスと共布のイエローのコサージュをつけていた。耳の横とうなじのおくれ毛がほのかな色気を漂わせている。
「…斑、さん?」
茉弥が声をかけるまで、斑はそこに立ち尽くしていた。
「…綺麗だ…茉弥さん」
斑が感嘆の言葉とともに深い溜息をつくと、茉弥は恥じらいを見せた。
「買ったけど着る機会がなくて…。せっかくだからって頑張って着てみた。どう、かな?」
「素敵だ。良く似合う」
「本当?」
「勿論普段の茉弥さんも俺は好きだが、その…あんまり、綺麗、だから…」
斑は思わず茉弥を抱きしめ、唇を重ねた。戸惑う茉弥の耳元に、すかさず囁く。
「肩が、震えてるぞお。…怖いかあ?」
茉弥は微かに頷き、呟いた。
「…せっかく塗ったのに、口紅が剝げちゃう」
「大丈夫だ。塗り直してあげよう」
「本当は、怖い。すごく、怖いの」
「今、俺のパワーを茉弥さんに分けたから。きっと、うまくいくぞお」
その言葉に恥じらいながら微笑む茉弥に、斑は暖かな眼差しを向けた。茉弥は化粧ポーチから口紅を取り出し、斑に差し出した。
「最後の、仕上げだあ」
斑はさっと茉弥の唇をティッシュで押さえ、慣れた手つきで口紅を塗った。それから、茉弥が差し出す鏡を見て、慌てて自分の唇に微かについた口紅を落とした。
ノックの音がして、音楽堂の職員が声をかけてきた。
「みけくろさん、そろそろお願いします」
斑はジャケットを羽織り、茉弥に手を差し伸べた。
「さあ、祭りだあ。楽しもう」
初冬の夕方5時。ロビーの窓から見える景色は既に暗い。
50席程度の座席は9割ほどの入りだった。ピアノがフロアに置かれたロビー。斑と茉弥は聴衆の前に現れた。
「本日は、お忙しい中イブニングコンサートへお集まりくださいましてありがとうございます。はじめまして、みけくろです」
「ユニットの名前の由来は、俺が三毛縞、彼女が黒野尾なので、苗字をとって決めました。今日は40分間、二人で皆さんに音楽をお届けします。さあお立合い、最後までお楽しみください」
前口上は声が少し震えながらも、茉弥がしっかり前を向いてマイクに向かって話したので上出来だと斑は思った。
二人で目くばせをして、ピアノの前に並んで座る。幕が、上がった。
茉弥がピアノに向かい、斑はロビー横の衝立に控えた。
ショパンのノクターン 「レント・コン・グラン・エスプレッショーネ」。聞き覚えのある聴衆も多く、暖かい拍手で演奏が終わった。
2曲目が始まったとき、不意に体中が射抜かれるような衝撃を覚えた。
(鐘だ。鐘の音が、鳴り響く)
ロビーに響き渡る鐘の音。ラフマニノフ 前奏曲「鐘」。
ー茉弥さん、レオさんと比較することなんてないんだぞお。君は立派な表現者だー
かつて自分がその復活のために奔走した親友・月永レオのことを思った。あの時はこの音楽堂のホール。そして今はー。
曲が変わった。ベートーヴェン「月光」第三楽章。駆け抜ける音、スリリングなドライブ感のある演奏。
(こんな顔も見せるのか)
眉間に皺を寄せ、鍵盤に向かう茉弥の姿は、今迄見たことがなかった。ある種の狂気を感じた。
弾き終わり、一息ついたあと、茉弥はもう一度ピアノに向かった。目を伏せ、一瞬何かを考えたあと、鍵盤に指を下ろす。滑るように弾き始めたのは、リストの「愛の夢」だった。
ーなぜ、こんなにも胸が締め付けられるのだろう。
衝立の横で斑は立ち尽くし、両の瞳からは涙があふれていた。
暖かい音、包み込むような響き。他にもっと巧みな演奏があったとしても、今この瞬間の茉弥の演奏が、斑にとっては最高のものだった。
「斑さん、出番だよ」
一礼して戻って来た茉弥が小声で囁く。斑は我に返った。
「顔、拭いて」
茉弥が差し出したハンカチで、目頭を抑えた斑は深呼吸をして出ていった。
最初に選んだのはチャイコフスキー「四季」より「舟歌」。めちゃくちゃな演奏で昔、ピアノの先生に怒られて破門された、要はトラウマな曲だが、今はそんな乱暴な演奏はしない。
シューマン「飛翔」。激しく羽音を立てながら大空を飛ぶような豪快な演奏。音大を勧められるほどの腕前だった斑は、だが、アイドルとしての自分を選んだ。レオという天才を間近に見てきたからこその選択だったが、もしアカデミックな方面に進んでいたらどうなっていただろうと考えたこともある。
テンポが急速な曲ばかりの中で、3曲目だけは趣の違う曲だ。
サティ「ジュ・トゥ・ヴ」(あなたが欲しい)。この曲を選んだのは茉弥のためだった。ただひたすらに、茉弥への思いを伝えたかった。
このコンサートに茉弥とともに出ようと思ったのは、茉弥のためだった。ただ、茉弥を助けるためにと思っていたが、どうも違っていたようだ。
(助けられたのは俺の方なのかもしれない)
弾き終わり、聴衆に一礼して、斑は4曲目を弾き始めた。
カプースチン、8つの演奏会用エチュードより、「プレリュード」。ジャズにも通ずる異才の作曲家、カプースチンの曲を弾ききると、さすがの斑も体力をかなり消耗する。衝立のところに戻った時には、息が上がっていた。
「お疲れ様」
「まだ終わりじゃないぞお」
「そうだね。まだ1曲、ある」
斑はポケットから先程借りたハンカチを取り出し、額の汗を抑えた。
それから、ジャケットを脱ぎ、腕をまくった。暑いのだ。
「行こう、斑さん」
再び、ステージへ。今度は、二人で。ここまでやり遂げられた喜びと、終わりの近い寂しさに、足を踏み出すのを一瞬ためらった斑は、茉弥に手を差し伸べられて頷いた。
「お疲れ様!」
「大盛況だったなあ」
「斑さんのカプースチンすごかった!!」
「ハハハ、結構真面目に練習したんだぞお」
「うん、こりゃ相当頑張ったんだなって思った。
私、卒業したらピアノはやめようかなって思ってたの。出来ないこと数えて、後ろ向きで、ネガティブで、殻に閉じこもって…。ピアノは試験のためのルーチンワークになってた。でも、この3か月間は…きつかったけど、逃げ出したくなかった」
茉弥は髪飾りを外しながら言った。
「斑さんのおかげ。本当に感謝しています」
「俺はなんにもしてないぞお。君とピアノを弾いただけだあ」
「そうなんだけどね。…ねえ」
茉弥は振り向いて言った。
「後ろのリボン解いて、背中のファスナー下げてくれない?」
斑は飛び上がって茉弥に駆け寄り、やや顔を赤らめてリボンをほどき、ファスナーを下ろした。
「あとは自分でやるから…ごめん、外、出て」
「お、俺は別に」
「落ち着かないの!着替えるんだから早く出て」
斑は慌てて外に出て、溜息をついた。(ラッキースケベを狙ってると思われたのかあ?まさかな)
着替えを済ませた茉弥は、来た時の服装に戻って楽譜が入ったバッグと紙袋を持って出てきた。
「うわ、さむっ!!噓でしょ、風が冷たい」
「首筋が寒そうだなあ」
斑は自分のマフラーを茉弥の首に巻き、茉弥と手を繋いだ。遊園地の帰りにしたように、一本ずつ指を絡める恋人の繋ぎ方だ。茉弥は胸の中に甘酸っぱい気持ちが込み上げた。
「今日の茉弥さんは綺麗だったなあ」
「斑さんもかっこよかったよ」
頬を染める茉弥の顎を引き上げ、いつもかけている眼鏡を外し、斑は茉弥に口づけた。ちゅ、と愛らしい音がし、そのまま斑は茉弥の背中を抱きかかえて自分に引き寄せた。
「斑さん…ひょっとしてキス魔?人が見てないと、すぐ私にキスするよね」
「う、バ、バレてたのかあ?」
「ふふ。でもね、始まる前にキスしてくれたから、…きっと、元気、出た」
斑は笑って、また茉弥に唇を重ねた。
「もっと、弾いていたかったなあ」
「楽しかったかあ?」
「うん!…そうだ、ギャラの話…交通費で音楽堂の人から、一人2000円もらった…」
「ほう」
「出演料は出ないけど、一律交通費が出るんだって。どうする?」
斑は茉弥を抱きしめて、言った。
「うむ。そのお金は何か美味しいものを食べるのに使おう。おなかがすいただろう?ご飯を食べに行こうなあ」
笑顔を見せる茉弥の姿を、斑は愛しいと思った。
斑は音楽堂のロビーに立ってあたりを見回していた。知らない場所ではないはずなのに、今日初めて足が震えた。
今日、自分は茉弥とともにここでコンサートをすることになっている。
「いよいよ、だね」
振り返ると、茉弥が紙袋を下げて立っていた。震えてちゃいけない、きっともっと震えているのは彼女だ。
「その恰好で、弾くのかあ?」
「ううん、着替え持ってきた。斑さんは?」
ベージュのシャツ、赤いタイにツイードのスラックスの斑を、茉弥は眺めた。
「俺かあ?俺は…ジャケット羽織るだけだあ」
「じゃあ着替えてきます」
茉弥は下げていた紙袋を持ち上げた。
茉弥が一礼して奥に消えると、斑はロビーを見回した。
着替えを終えた茉弥を、斑は会議室迄迎えに行った。ドアをノックすると、「どうぞ」と声が聞こえた。
ドアを開けて、斑は息を呑んだ。季節はもう冬のはずだ。だがそこにはまるで春の妖精のような姿の茉弥が立っていたからだ。
シンプルなカナリアイエローの、キャミソールタイプのストレートなドレス。後ろで共布のリボンを結び、くるぶしまであるスカート。爪先は正式なコンサートの時に履く、シルバーのハイヒール。胸元に真珠のネックレスがあしらわれている。髪はまとめてアップにして、右サイドにドレスと共布のイエローのコサージュをつけていた。耳の横とうなじのおくれ毛がほのかな色気を漂わせている。
「…斑、さん?」
茉弥が声をかけるまで、斑はそこに立ち尽くしていた。
「…綺麗だ…茉弥さん」
斑が感嘆の言葉とともに深い溜息をつくと、茉弥は恥じらいを見せた。
「買ったけど着る機会がなくて…。せっかくだからって頑張って着てみた。どう、かな?」
「素敵だ。良く似合う」
「本当?」
「勿論普段の茉弥さんも俺は好きだが、その…あんまり、綺麗、だから…」
斑は思わず茉弥を抱きしめ、唇を重ねた。戸惑う茉弥の耳元に、すかさず囁く。
「肩が、震えてるぞお。…怖いかあ?」
茉弥は微かに頷き、呟いた。
「…せっかく塗ったのに、口紅が剝げちゃう」
「大丈夫だ。塗り直してあげよう」
「本当は、怖い。すごく、怖いの」
「今、俺のパワーを茉弥さんに分けたから。きっと、うまくいくぞお」
その言葉に恥じらいながら微笑む茉弥に、斑は暖かな眼差しを向けた。茉弥は化粧ポーチから口紅を取り出し、斑に差し出した。
「最後の、仕上げだあ」
斑はさっと茉弥の唇をティッシュで押さえ、慣れた手つきで口紅を塗った。それから、茉弥が差し出す鏡を見て、慌てて自分の唇に微かについた口紅を落とした。
ノックの音がして、音楽堂の職員が声をかけてきた。
「みけくろさん、そろそろお願いします」
斑はジャケットを羽織り、茉弥に手を差し伸べた。
「さあ、祭りだあ。楽しもう」
初冬の夕方5時。ロビーの窓から見える景色は既に暗い。
50席程度の座席は9割ほどの入りだった。ピアノがフロアに置かれたロビー。斑と茉弥は聴衆の前に現れた。
「本日は、お忙しい中イブニングコンサートへお集まりくださいましてありがとうございます。はじめまして、みけくろです」
「ユニットの名前の由来は、俺が三毛縞、彼女が黒野尾なので、苗字をとって決めました。今日は40分間、二人で皆さんに音楽をお届けします。さあお立合い、最後までお楽しみください」
前口上は声が少し震えながらも、茉弥がしっかり前を向いてマイクに向かって話したので上出来だと斑は思った。
二人で目くばせをして、ピアノの前に並んで座る。幕が、上がった。
茉弥がピアノに向かい、斑はロビー横の衝立に控えた。
ショパンのノクターン 「レント・コン・グラン・エスプレッショーネ」。聞き覚えのある聴衆も多く、暖かい拍手で演奏が終わった。
2曲目が始まったとき、不意に体中が射抜かれるような衝撃を覚えた。
(鐘だ。鐘の音が、鳴り響く)
ロビーに響き渡る鐘の音。ラフマニノフ 前奏曲「鐘」。
ー茉弥さん、レオさんと比較することなんてないんだぞお。君は立派な表現者だー
かつて自分がその復活のために奔走した親友・月永レオのことを思った。あの時はこの音楽堂のホール。そして今はー。
曲が変わった。ベートーヴェン「月光」第三楽章。駆け抜ける音、スリリングなドライブ感のある演奏。
(こんな顔も見せるのか)
眉間に皺を寄せ、鍵盤に向かう茉弥の姿は、今迄見たことがなかった。ある種の狂気を感じた。
弾き終わり、一息ついたあと、茉弥はもう一度ピアノに向かった。目を伏せ、一瞬何かを考えたあと、鍵盤に指を下ろす。滑るように弾き始めたのは、リストの「愛の夢」だった。
ーなぜ、こんなにも胸が締め付けられるのだろう。
衝立の横で斑は立ち尽くし、両の瞳からは涙があふれていた。
暖かい音、包み込むような響き。他にもっと巧みな演奏があったとしても、今この瞬間の茉弥の演奏が、斑にとっては最高のものだった。
「斑さん、出番だよ」
一礼して戻って来た茉弥が小声で囁く。斑は我に返った。
「顔、拭いて」
茉弥が差し出したハンカチで、目頭を抑えた斑は深呼吸をして出ていった。
最初に選んだのはチャイコフスキー「四季」より「舟歌」。めちゃくちゃな演奏で昔、ピアノの先生に怒られて破門された、要はトラウマな曲だが、今はそんな乱暴な演奏はしない。
シューマン「飛翔」。激しく羽音を立てながら大空を飛ぶような豪快な演奏。音大を勧められるほどの腕前だった斑は、だが、アイドルとしての自分を選んだ。レオという天才を間近に見てきたからこその選択だったが、もしアカデミックな方面に進んでいたらどうなっていただろうと考えたこともある。
テンポが急速な曲ばかりの中で、3曲目だけは趣の違う曲だ。
サティ「ジュ・トゥ・ヴ」(あなたが欲しい)。この曲を選んだのは茉弥のためだった。ただひたすらに、茉弥への思いを伝えたかった。
このコンサートに茉弥とともに出ようと思ったのは、茉弥のためだった。ただ、茉弥を助けるためにと思っていたが、どうも違っていたようだ。
(助けられたのは俺の方なのかもしれない)
弾き終わり、聴衆に一礼して、斑は4曲目を弾き始めた。
カプースチン、8つの演奏会用エチュードより、「プレリュード」。ジャズにも通ずる異才の作曲家、カプースチンの曲を弾ききると、さすがの斑も体力をかなり消耗する。衝立のところに戻った時には、息が上がっていた。
「お疲れ様」
「まだ終わりじゃないぞお」
「そうだね。まだ1曲、ある」
斑はポケットから先程借りたハンカチを取り出し、額の汗を抑えた。
それから、ジャケットを脱ぎ、腕をまくった。暑いのだ。
「行こう、斑さん」
再び、ステージへ。今度は、二人で。ここまでやり遂げられた喜びと、終わりの近い寂しさに、足を踏み出すのを一瞬ためらった斑は、茉弥に手を差し伸べられて頷いた。
「お疲れ様!」
「大盛況だったなあ」
「斑さんのカプースチンすごかった!!」
「ハハハ、結構真面目に練習したんだぞお」
「うん、こりゃ相当頑張ったんだなって思った。
私、卒業したらピアノはやめようかなって思ってたの。出来ないこと数えて、後ろ向きで、ネガティブで、殻に閉じこもって…。ピアノは試験のためのルーチンワークになってた。でも、この3か月間は…きつかったけど、逃げ出したくなかった」
茉弥は髪飾りを外しながら言った。
「斑さんのおかげ。本当に感謝しています」
「俺はなんにもしてないぞお。君とピアノを弾いただけだあ」
「そうなんだけどね。…ねえ」
茉弥は振り向いて言った。
「後ろのリボン解いて、背中のファスナー下げてくれない?」
斑は飛び上がって茉弥に駆け寄り、やや顔を赤らめてリボンをほどき、ファスナーを下ろした。
「あとは自分でやるから…ごめん、外、出て」
「お、俺は別に」
「落ち着かないの!着替えるんだから早く出て」
斑は慌てて外に出て、溜息をついた。(ラッキースケベを狙ってると思われたのかあ?まさかな)
着替えを済ませた茉弥は、来た時の服装に戻って楽譜が入ったバッグと紙袋を持って出てきた。
「うわ、さむっ!!噓でしょ、風が冷たい」
「首筋が寒そうだなあ」
斑は自分のマフラーを茉弥の首に巻き、茉弥と手を繋いだ。遊園地の帰りにしたように、一本ずつ指を絡める恋人の繋ぎ方だ。茉弥は胸の中に甘酸っぱい気持ちが込み上げた。
「今日の茉弥さんは綺麗だったなあ」
「斑さんもかっこよかったよ」
頬を染める茉弥の顎を引き上げ、いつもかけている眼鏡を外し、斑は茉弥に口づけた。ちゅ、と愛らしい音がし、そのまま斑は茉弥の背中を抱きかかえて自分に引き寄せた。
「斑さん…ひょっとしてキス魔?人が見てないと、すぐ私にキスするよね」
「う、バ、バレてたのかあ?」
「ふふ。でもね、始まる前にキスしてくれたから、…きっと、元気、出た」
斑は笑って、また茉弥に唇を重ねた。
「もっと、弾いていたかったなあ」
「楽しかったかあ?」
「うん!…そうだ、ギャラの話…交通費で音楽堂の人から、一人2000円もらった…」
「ほう」
「出演料は出ないけど、一律交通費が出るんだって。どうする?」
斑は茉弥を抱きしめて、言った。
「うむ。そのお金は何か美味しいものを食べるのに使おう。おなかがすいただろう?ご飯を食べに行こうなあ」
笑顔を見せる茉弥の姿を、斑は愛しいと思った。