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君は一等星

 二人が出会い、交際を始めてから2年。その年数の割に、二人で過ごした時間は驚くほど短い。だからこそ、別れて家路に着いてから次に会うまでの時間が少しずつ長く、もどかしく感じられるようになってきたのかもしれなかった。

 きっかけは、先日の感謝祭ライブの後、夕食をとってからだった。茉弥の家の最寄り駅まで(自転車を取りに行くので、そこで下ろして欲しいと茉弥が頼んだのだ)斑が車で送った時だ。
 車が止まった時に斑が茉弥を見ると、茉弥が斑の服の袖を引っ張った。
「おやあ、どうしたんだあ?」
「…なんだかまだ帰りたくないなあ…」
 斑は困惑した。弁護士をしているという茉弥の父親は、茉弥の話ではかなり躾が厳しく、門限だけは絶対だった。以前、夜食事に行ったときにその話を聞かされ、それから茉弥を早めに家に帰すように斑は気遣っていた。
 斑は腕時計を見て時間を確かめた。今から急いで帰ってもぎりぎりかもしれない。
「茉弥さん。お父さんに、叱られるぞお」
「…わかってる…けど、斑さんにまたいつ会えるかわからないんだもの。寂しいよ」
 斑はべそをかいた茉弥の顔をタオルハンカチで拭いて涙をぬぐい、頬に口づけて言った。
「いい子だから、なあ?今門限を破ったら、きっと今迄みたいに自由にさせてもらえなくなる。俺を悪者にしてもらってもいいんだが、ひょっとしたら二度と会えなくなるかもしれない」
「それは…嫌…」
茉弥は俯いた。今だって急いで素知らぬ顔をして帰宅しているが、たびたび帰宅が遅いと父に嫌味を言われているのだ。
「俺だって、茉弥さんともっと一緒にいたいって思ってるんだぞお」
 斑は茉弥を抱き寄せて言った。
「なあ茉弥さん、”お泊り”しようかあ?」
「はへ?お、とまり…ええええええええ?????」
茉弥は後ずさった。そして、顔が真っ赤になった。
「お泊りということはですね、その、あの?えええええ」
「部活の合宿みたいに、夜中にお菓子食べたり、枕投げしたりして遊ぶのは楽しいぞお。門限を気にしなくてもいいしなあ」
なあんだ、と茉弥が呟くと、斑はニッと笑った。

 その約束が果たされるまでに、また2か月ほどかかった。
「やっと親から外泊許可が取れました」
「うむ…無理を言ったんじゃないかあ?」
「頑張ったんだよ。あれから、練習も学校ではしないで早帰りしたり、バイトの日だけは9時に帰ってたけど。でね。一応、名目としてはバイト先の友達の家でパジャマパーティってことにした」
「親御さんに嘘ついて、茉弥さんは悪い子だあ」
「悪い子にしたのはだあれ?」
茉弥が悪戯っぽく笑い、斑の顔を覗き込んだ。
「俺かあ…」

 
 都心のシティホテルの一室。有名デザイナーが内装を担当したことで、観光客に人気がある。内装は落ち着いた木目調で、ベッドはツインだ。ひとしきり部屋を探検した茉弥は、斑に呼びかけた。
「お風呂にでも入る?」
「それはもっとあとだなあ」
「さっき見て来たけど、お風呂は一人しか入れないよ。だから順番に使わないと」
「ううむ、もう少し欲張ってみればよかったかなあ。お風呂が大きければ茉弥さんと一緒に入れるんだがなあ」
「入りませんって。修学旅行でもお風呂は男女別でしょ」
茉弥に断られ、斑はちょっとがっかりしたように項垂れた。

「うん…そうだ、斑さん、これ」
茉弥は大きな包みを取り出した。斑が包みを開けると、青いリネンのパジャマが入っていた。
「ほう、パジャマかあ。茉弥さんは趣味がいいなあ」
「一応、お揃いにしてみました。このブランド、男女両方サイズあるから」
 茉弥が取り出したパジャマは、生地は同じで襟の部分だけが丸みを帯びたデザインだった。
「服のペアルックはちょっと恥ずかしいし、…さすがに外で着られない。だけどパジャマならあってもいいかなって」
 それから、恥ずかしそうにもじもじとしながら言った。
「そ、それと…お誕生日おめでとう…。遅くなっちゃったけど。ぷ、プレゼント、の、つもり」
「おう、そうかあ!ありがとうなあ。嬉しいなあ、茉弥さんからのプレゼント」
 斑が言うと、茉弥はまたもじもじしながら後ずさった。
「あっ、WOWWOW入ってる。何やってるんだろう?今の時間は~?映画だ」
茉弥はテレビのスイッチをリモコンで入れ、番組表を出した。
「この映画知ってる?」
「そんな映画あったなあ」
「ドラマ版で見てたけど最終回見てないし、映画版は見たことないの。見ていい?」
「いいけど」
 特に見たい映画もなかった。タイトルからして、ラブストーリーのようだ。恋愛映画は苦手、というよりも、縁がなかった。茉弥はなんだかはしゃいでいるようだが、斑はどういう顔をしたらいいかわからず、とりあえず茉弥に合わせることにした。
茉弥はぴょこんとベッドに乗って、映画を見始めた。斑も仕方なく、横に座った。

 ーこれは、駄目なやつだ。

最初は真剣に見ていなかったが、あまりにも茉弥が静かになったので横で見始めた斑は、気づいた。

 ー俺は、まさかの、恋愛映画に弱い!!

 ーしかもヒロインが死ぬとか!!!反則だあ!!!

 人生に希望を見いだせない主人公と、病魔に侵された恋人の最後の半年間を描くものだが、気づいたら斑の瞳からは涙が零れていた。鼻をかんで誤魔化すつもりでティッシュケースに手を伸ばすと、茉弥の手が触れた。
(茉弥さんが、泣いている)
静かに涙を流す茉弥を、斑はそっとしておこうと思いティッシュペーパーを1枚取って目頭だけを抑えた。だが、自分の涙腺が壊れたのかと思うほど、その後も斑は涙を流し続けた。

 ーやっぱり、この映画は、駄目なやつだあ!!!

 ーもし茉弥さんが病気で死んでしまったら…俺は何のために生きてるか分からなくなってしまうかもなあ。

そんなことを考えると、また涙が出てきた。

 一方の茉弥も、いつになく静かな斑の様子が気になった。だが、映画のストーリーも気になる。
(話には聞いてたけど、これ…涙腺崩壊だわ)
 普段恋愛映画をあまり見ない茉弥にとっても、危険な映画だった。何度も胸が締め付けられ、そのたびに涙があふれる。

(静かだなあ、斑さん)

気になって視線を移すと、驚くべき斑の姿を見た。

ー斑さん、泣いてる…こんな姿、見たことないー

茉弥は急に背筋がぞくっとして、思わず自分の身を抱きしめた。
(私…斑さんが死んじゃったら生きていけないかもしれない)
そう考えるのが怖かった。打ち消そうとしても消えないその疑念が、余計に茉弥の涙の量を増やした。

映画が終わったあとも、二人は無言のまま次の番組が映っているのをただ眺めていた。

「まだら、さん」
斑の顔を茉弥が覗き込んでいた。
「終わった、かあ?」
「うん…駄目だ、涙で酷い顔になってる」
茉弥は泣きはらした瞼がなんだか少し腫れているようだった。
「反則、だよねえ…死んじゃうんだもの」
「…あ、ああ」
「斑さん、泣いてたね」
「うおっ?!き、気づかれていたかあ」
茉弥は頷いて、頭を斑の肩に載せた。
「ねえ斑さん。…無駄死にしたら、駄目だよ」
唐突に何を言うのかと斑が茉弥を見ると、茉弥は言った。
「今、危ない仕事、してるんだよね」
斑はとっさに顔色を変えた。
「どこまで、聞いた」
「概要だけ。…秘密裏に、悪事を働いている人間を消す、と」
「その話、誰から」
「こはくくん。あなたの相方。大事な時やから、足引っ張るなって釘刺された」
「こはくさんも物騒だなあ」
「だから私も、仕事に口出しはしないけど、斑さんが一人で立ちまわって危ない目に遭わないよう見張ってて、って、ちゃんと連れて帰ってきてって頼んだ」
 斑は、真顔の茉弥に驚いた。
「はっきり言うなあ?こはくさんもさぞかし驚いただろうなあ」
「本当は言いたいことあるよ。そんな仕事引き受けないでとか。でも私には、止める権利は、ない」
「どうして」
「私、斑さんの、”家族”じゃない…ただの、”恋人”…」
 寂しそうな表情で、茉弥は斑から視線を外した。
「だから私が言えるのは、無駄死にしちゃダメだってこと。どんなことがあっても、生きて帰って。こはくくんも連れて帰るんだよ」
斑は、茉弥の言葉を心の中で反芻した。それで、初めて気づいたことがあった。

(自分の命なんて誰かのために散らせてもいいと思ってた。でも、今は違う…茉弥さんを残して、死ねない)

「わかった。どこまでできるか分からないが、出来るだけ生きて帰るようにする」
すると、茉弥は安心したかのように斑に抱きついた。
「こらこら、茉弥さんは甘えん坊さんだなあ!ママが抱っこしてあげよう」
「斑さんは私のママじゃないんですけど」
「ハハハ。茉弥さんお風呂に入るかあ?」
「さっきも言ったけど、一緒には入りませんよ」
茉弥に言われて、斑は少し拗ねたような表情になった。
「あれは一人用だから…2人で入ると壊れるからダメ」
「じゃあ、いつ一緒にお風呂に入ってくれるんだあ?」
すると、茉弥はそっぽを向いて呟いた。

「また、今度」

 今度があるのかと聞き返した斑に、茉弥からの返事はなかった。
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