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君は一等星

 社会人と学生、特に国内も海外も呼ばれれば出向く、という斑と、毎日の講義や実技の授業をきっちり受けている茉弥は、恋人らしいデートのようなものをする時間がなかなか取れない、という課題があった。

 ましてや、三毛縞斑は曲がりなりにも「アイドル」である。
氷鷹誠矢のあと、アイドルの恋愛や結婚については多少許される傾向にあるが、それもファンの志向や本人の売り出し方、事務所の方針により違う。
 最近、「Trickstar」の遊木真がドラマで共演している同世代の女優との密会スクープ記事を出され(それは後で収録の打ち上げであり、女優の交際相手は別の男だったようだが)スタプロの上層部はぴりぴりしていた。

 斑が所属するニューディメンションの場合も、Knightsの朔間 凛月の熱狂的ファンの女性からのストーカー事件があり、外部との接触にはやや神経質になっていた。その中で、茉弥と交際していることを斑は事務所に伝えきれておらず、こっそり副所長の青葉つむぎにだけ「交際している女性がいる」と言う話を伝えていた。つむぎはしばらく考え込んで、「三毛縞さんの理性と常識を信頼する」とだけ答えた。真面目なつむぎらしいと斑は思った。

 ある日。Double Faceとしてゲスト出演するトーク番組の収録の間に斑がメールを送ると、茉弥から
「ピアノの練習のためにスタジオに行った」
という返事が返って来た。
「多分夜10時くらいまで練習している」
というメールと、スタジオの名前があった。検索をすると、収録スタジオからは地下鉄で3駅程度だということがわかった。
 収録は8時過ぎに終わり、斑はこはくと別れてスタジオへ出向いた。

 防音扉をノックされた茉弥は飛び上がった。
「あれ、まだ利用時間中…斑さん?!」
「仕事の帰りにふらっと寄ってみたんだが」
「びっくりしたあ」
スタジオにはグランドピアノが1台だけ置かれている。いわゆる練習室だが、少しスペースに余裕がある。茉弥はピアノの上に楽譜を広げていた。
「いつもこんな遅くまで練習してるのかあ?」
「ううん。普段は学校の練習室を使ってるから午後7時で終わり。こうやって練習スタジオを借りるのなんて、3か月に1回くらい」
茉弥はスタジオのテーブルに置いたペットボトルのお茶を飲んで、こめかみの汗を拭いた。
「最近うちの大学、教室の鍵が壊された事件があって、午後6時までしか使えないの」
「ああ、そういえばニュースになってたなあ」
「今日は5限が就職ガイダンスだったから、お金はかかるけどスタジオで練習してから家に帰ろうと思った」
「熱心だなあ。確かピアノ専攻だったかあ」
茉弥はため息をついた。
「例の鍵を壊された事件のおかげで、前期試験がずれて、明日からなんだよ。冗談じゃないよ、ほんと」
 茉弥はまたピアノに向かって音を出し始めた。が、すぐに止め、斑の方を向いた。
「そうだ、斑さんってピアノ弾けるんでしょ」
「おやあ?そんな話したかあ?」
「音楽堂で何度か演奏してない?」
「ああ…イベント企画したり代理で出たり。最近はやっていないがなあ」
「聞いたことあるよ、私」
 茉弥は頷いて、椅子から降りた。
「前に話したかもしれないけど、試験以外で人前で弾くのが怖いって話。…相変わらず、なんだ。そんな自分が嫌で」
 誰に話すともなく、茉弥は話し始めた。斑は部屋にあるパイプ椅子を持ってきて、後ろ向きに置いて跨るように座り、話を聞き始めた。

「私は小学生の頃、月永レオ君と同じ作曲教室に通ってたことがある」
「ほう。レオさんかあ。じゃあ茉弥さんのことを」
「知ってるよ。あんな天才が近くにいたら、自分の才能のなさを痛いほど感じるわ。だからプロとか、そんなことは無理だと思ってた。でも。
 話したっけ?うちの父、弁護士事務所をやってるの。高校までは私も弁護士に、と思って超進学校に通って本気で勉強してた。それを振り切って音大を受けるって決めて。
 だけど、音大の受験用の練習は厳しかった。とにかく課題をたくさんこなさないと受かることもできない。父の反対を押し切って受験することにしたんだけど、煮詰まっちゃってね。自分の選択が合ってたのかわかんなかった。
 受かった時は嬉しかったし、こうして通えているのは親が学費を出してくれてるからで、それはありがたいと思うよ。だけどさ…すごい人たちばっかで、だんだん、私、自信なくなって…」

 ぽつり、ぽつりとそんな話をしながら、茉弥の表情は沈んでいった。過去の辛い記憶を甦らせてしまったのではないかと斑が声をかけようとしたのを、茉弥は手で制した。
「私の書いた曲が、Double Faceの曲として生まれ変わったのを知って、私も変わりたいと思った。…CM用の、たった1分流れるだけの曲だけど。
 それが引き金、だけど、私、音楽堂のロビーコンサートの出演に申し込んだの」
「そうかあ。大決断、だあ」
「お願いがある。MaMでもなく、Double Faceでもなく、三毛縞斑に。ギャラも払えない、仕事だけど」
「仕事?茉弥さんが俺に?」
茉弥はまっすぐ斑を見つめて言った。
「私と一緒に、ロビーコンサートに出てください」

 斑は驚いて茉弥を見た。この瞳は、見覚えがある。
自分に好きだと伝えてきた、あの時と同じ意思の強い瞳。
「確かに俺もピアノを弾くことはあるが、しかし…」
「斑さんと一緒に出たら、大丈夫な気がする。それだけじゃなくて、1曲、斑さんと一緒に弾きたい曲がある」
 茉弥が渡した青いクリアファイルには、楽譜が挟まっていた。随分色褪せた楽譜だと斑は思ったが、題名を見て微笑んだ。彼女がこの曲をどこから持ってきたのかは分からないが、この曲は昔、やったことがある。
「矢代秋雄作曲、『夢の舟』かあ。懐かしいなあ」
「小学生の時に発表会で弾く予定だった。だけど、出来なかった」
「ほう」
「連弾の相方の子と発表会の2週間前に大喧嘩したの。その子は親の転勤で海外に行ってしまって、謝ることもできなかった。だから、この曲を弾けなかったことも私の中でくすぶってる」
「それを俺と?」
「そう。…斑さんにしか、頼めない」
「…いや、俺は」
「私の世界を広げてくれた、斑さんと一緒に…一度だけでいいから同じ舞台に立ちたい。私はアイドルじゃないからこんな方法でしか、同じ舞台に立てないけど」
 張りつめた空気の中、ピアノの音が鳴った。


 チューニングA。鳴らしたのは、斑だった。

「どうしたあ?合わせるんだろ?茉弥さんどっちのパートにするかあ?俺はどっちでも弾けるぞお。子どもの頃、弾いてるからなあ」
 ピアノの前でにこやかに笑う斑に、茉弥は泣きそうになった。
「ほらほら、時間がもったいないぞお」
「じ、じゃあ、私プリモ」
「了解了解。じゃあ始めるかあ」
二人で息を同時に吸い、滑りだすように弾き始める。緩やかな波が揺蕩うように。心を、音を、合わせて。
 初めて音を出した瞬間から、二人の音は溶け合った。打ち合わせをしていないにもかかわらずほとんどミスなしで弾き終えた。
 演奏を終えると、二人とも大きく息を吐いた。
「茉弥さん」
「…うん」
「君の仕事、受ける。一緒に出ようなあ、ロビーコンサート」
頭を上げた茉弥はその言葉に何度も頷いた。
「二人でできることで、俺が茉弥さんを応援することができる。俺はそれが最高に嬉しいんだあ」
 茉弥の笑顔を見て、斑は心が温まるような気持ちになった。何より、初めて彼女を助けることができる、そのことがとても嬉しいと感じた。
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