主(あるじ)と従者
「おいラギー、今度の土曜日顔を貸せ」
サバナクロー寮、レオナの自室。なぜか呼び出されたラギーはレオナの靴を磨いていた。土曜日の外出に履くのだという。
「なんすか。レオナさん、土曜日は外出じゃなかったんスか」
「ああそうだが。お前に用がある。俺に付き合え」
ラギーは意味が分からないと言ったように顔をしかめた。
「冗談っしょ。大体俺が行ってなんか役に立つんっスか」
「お前は俺の従者になるんだ、ラギー」
「ちょっと何言ってるかわかんないっス」
ラギーは思わず、靴を磨く手を止めた。
「従者がいねえと困る場所なんだよ。打ってつけの人材がお前くらいしかいねえ」
まためんどくさいことをこの人は頼んでくる、と、ラギーは心の中でつぶやいた。だがその次にレオナから発された言葉に、ますます首を捻ることになる。
「どのみちお前に断る権利はねえがな。頼むぞ、土曜日」
(ちょっと何言ってるかわからないっス)
首を捻るラギーに、話は終わったとばかりにレオナは背を向けた。
レオナの目的は土曜日の朝わかることになる。
「レオナさーん、起きてくださいっス」
いつものようにラギーは、レオナを起こしにきた。この日は授業がなく、朝練も休みのため、朝遅くてもいいのだが、前日に「いつもの時間に起こせ」と言われていたのでその通りにしたのだ。
「うう、もうそんな時間か」
レオナはパジャマのままベッドでゴロゴロとしていた。
「出かけるんでしたよね、今日」
「ああ…10時に荷物が届くから受け取りに行け」
今は9時だ。自分で取りに行けと言っても多分取りにいかないだろう。ラギーは10時に荷物を取りに行って戻ってきた。平たい箱のようなものだ。
「はい、荷物来たっスよ」
「開けろ」
「俺が開けていいんっスか」
「いいに決まってるだろ。それはお前のだ」
レオナ宛の荷物のはずなのになぜ自分のなのか訝りながら、ラギーは箱を開けた。
荷物の中には、どう見てもレオナのサイズではない紳士物の礼服のような服が入っていた。(高そうな服っスね。おいくらマドルするんか)
「それを着ろ。ああ、靴はちゃんとしたのを履けよ。11時半に寮を出る」
「こ、こ、これを俺が着るって…」
「言ったろ、今日はお前は俺の従者だと」
ニヤリと笑うレオナに、ラギーは微妙な表情をした。
ラギーが従者の服を身に着け、靴を履いて降りていくとレオナが談話室で待っていた。珍しく正装に近い服装で、長い髪をまとめている。まさかと思うが自分でやったのだろうか。
「そ、その恰好…」
「なんだ、どっか変か」
「いや、変とかじゃないっスけど…」
(こういう格好似合いすぎるんっスよ、この人は…。やっぱ根が育ちがいい人は違うっス)
それに比べて、貧民街育ちの自分は…と、ラギーは自分の服装を見て少し惨めな気持ちになり、服に着られていないだろうかと鏡をチェックした。こんな自分に果たして、従者など務まるのだろうか。
そんなラギーの気持ちをまるで見透かしたかのように、レオナが声をかけた。
「お前、なかなか似合うじゃねえか。馬子にも衣裳か」
それから、ラギーはレオナの財布を預かり、言われるままに駅前のレストランで食事をした。普段の学園の食堂と違い、カジュアルではあるがそれなりの店に、ラギーは落ち着かなかった。白身魚のフライ定食を頼んだが、何を食べているのかいまいち味がよくわからないまま、食べられるときに食べると決めてラギーは魚を口に放り込んだ。
おまけにレオナが昼間から肉の塊のようなステーキを頼み、野菜を食べようとしないので、ラギーは慌ててサラダの追加をした。レオナには睨まれたが、
「野菜をたまには食べないと、消化が悪くなって胃もたれするっス」
と、たしなめた。
「お前死んだ俺のばあさんみてえなこと言いやがるな」
「ほーん。レオナさんのおばあさんって前々国王妃ってことっスか?どこのばあちゃんも言うことは同じなんっスね。ちょっと親しみわきましたよ」
減らず口を叩きながらも、ラギーはレオナが何を考えているかを探れなかった。
食事を済ませると、ラギーは街の大きな花屋へついて行った。
(これまた高そうな花ばっかりあるっスね)
ごく普通の花屋でも見かけるチューリップやカーネーションなどの他に、びっくりするほどの値段の胡蝶蘭の大きな鉢植えや、見たこともない南国の花などがあり、ラギーは目を回しそうになった。
(ひゃっ、こ、こんな鉢植えが2000マドル?!あ、あっちのチューリップ、街の花屋で見かけるのと同じように見えるのに、1本500マドルもするっス!!)
レオナは店の中の色とりどりの花を何度も行ったり来たりしながら眺め、ついに思うような花束を作ってもらった。
それでもまだ、ラギーはレオナが一体どこへ行くのか全く予想がつかなかった。そのことについてはレオナは一言も話さなかったからだ。
タクシーで音楽ホールについたとき、初めてこの日のレオナの予定が分かった。
(そうか、シリルさんか…)
かけだしのピアニスト、シリル・マクリーンはマクリーン財閥の会長の孫娘で、父親は倒産寸前から奇跡の復興を果たしたマクリーン・コーポレーションの社長。いわばお嬢様なのだが、ラギーが嫌悪する「金持ち」のカテゴリに当てはまらない人物だとラギーは考えていた。彼女の出演する演奏会がこの音楽ホールで開かれるのだ。
二週間前に分厚いグリーンの招待状が送られてきているのをラギーも見ている。そういえば、以前王宮に呼ばれて顔を出したとき、ドーナツをくれた人だ。親が決めた許嫁だと言っていたが、その割にレオナは珍しく照れまくり、尻尾を彼女の腰にずっと回していた。あの人は可愛らしい感じいい人だったとラギーは思い出した。
音楽会はレオナのような身分の者にはちょっとした社交場でもあり、どちらかというとそういう付き合いを厭うレオナは今まで、音楽会に自分から出かけるということはなかった。ラギーは、レオナがどれだけ音楽について詳しいか知らず、気にしたこともなかったが、王族だからそれなりの心得はあるのだろう。
だが、義理でもなかなか重い腰が上がらないレオナが、わざわざ花束を自ら選んでまで持参する。シリルという女性はレオナにとってそれほど大切な女性なのかとラギーは感心した。そして、その場に自分が立ち会ってもいいのかとまた首を捻った。
シリルは5人のピアニストのうち3番目、前半の最後の演奏者だった。熾烈なオーディションを勝ち抜いた演奏者たちの演奏はどれも見事だった。もっともラギーには誰がよりうまいか、よりも誰の曲が耳になじむかのほうが重要なのだが。その点、シリルの選曲は偶然だが、ラギーも知っている曲だった。そのことがラギーにも好印象を与えた。
「シリルさん、いい演奏だったッス。それにすごく綺麗だったッスね」
「そうだろう」
やや自慢げなレオナの顔がラギーはおかしかった。(まったく、このにやけた人がサバナクローの寮長と同一人物とか)
そのシリルは演奏会が終わったあと、ゴロゴロと音をたてるトランクを持って楽屋口から出てきた。
「レオナ!来てくれてありがとう」
「お嬢様の晴れの場にお呼びいただけて光栄です。今日の主役に祝福の花束を」
クロークに預かっていた花束はこの時のためだったかと、ラギーは思った。しかもこの人は、見事な花束を女性に差し出し、気の利いた言葉をかけるというのが似合う。普段の怠惰な姿とは別人のようだ。
「花束を所望とのことでしたが、気に入っていただけましたかな、お嬢様」
レオナはシリルの右手を取り、甲に口づけした。(まるで王子様…いやいや、ほんとに王子様だったっス)そのポーズの決まり具合に、ラギーはくらくらした。
「もちろんよ。嬉しいわ、私の好きなアルストロメリアの花束…花言葉もちゃんと添えられてる」
「私の大切なお嬢様のために、心を込めてカードを用意しました。気に入っていただけて私も光栄です」
レオナはシリルの右頬に軽く口づけした。ラギーはその様子を見ていてくらくらした。
(うー、なんなんスか、このリアル王子感…)ふと、シリルがラギーのほうを見てほほ笑んだ。
「…あなたは、この間の…」
「ラギー・ブッチっス。今日はお供で来ました」
「それはそれは。その服、よく似合っているわ。素敵よ」
「あ、ありがとうございます。し、シリルさんも…綺麗っス」
褒められるとなんだかくすぐったかった。窮屈な思いもしたが、たまにレオナの従者になるのも面白い経験ができて案外悪くない、と、ラギーは思った。
もちろん、お駄賃のマドルを思い切りはずんでもらい、シリルの差し入れのドーナツももらったというおまけつきだったのは言うまでもない。
【アルストロメリアの花言葉】
赤 幸い
白 凛々しさ
ピンク 気配り
サバナクロー寮、レオナの自室。なぜか呼び出されたラギーはレオナの靴を磨いていた。土曜日の外出に履くのだという。
「なんすか。レオナさん、土曜日は外出じゃなかったんスか」
「ああそうだが。お前に用がある。俺に付き合え」
ラギーは意味が分からないと言ったように顔をしかめた。
「冗談っしょ。大体俺が行ってなんか役に立つんっスか」
「お前は俺の従者になるんだ、ラギー」
「ちょっと何言ってるかわかんないっス」
ラギーは思わず、靴を磨く手を止めた。
「従者がいねえと困る場所なんだよ。打ってつけの人材がお前くらいしかいねえ」
まためんどくさいことをこの人は頼んでくる、と、ラギーは心の中でつぶやいた。だがその次にレオナから発された言葉に、ますます首を捻ることになる。
「どのみちお前に断る権利はねえがな。頼むぞ、土曜日」
(ちょっと何言ってるかわからないっス)
首を捻るラギーに、話は終わったとばかりにレオナは背を向けた。
レオナの目的は土曜日の朝わかることになる。
「レオナさーん、起きてくださいっス」
いつものようにラギーは、レオナを起こしにきた。この日は授業がなく、朝練も休みのため、朝遅くてもいいのだが、前日に「いつもの時間に起こせ」と言われていたのでその通りにしたのだ。
「うう、もうそんな時間か」
レオナはパジャマのままベッドでゴロゴロとしていた。
「出かけるんでしたよね、今日」
「ああ…10時に荷物が届くから受け取りに行け」
今は9時だ。自分で取りに行けと言っても多分取りにいかないだろう。ラギーは10時に荷物を取りに行って戻ってきた。平たい箱のようなものだ。
「はい、荷物来たっスよ」
「開けろ」
「俺が開けていいんっスか」
「いいに決まってるだろ。それはお前のだ」
レオナ宛の荷物のはずなのになぜ自分のなのか訝りながら、ラギーは箱を開けた。
荷物の中には、どう見てもレオナのサイズではない紳士物の礼服のような服が入っていた。(高そうな服っスね。おいくらマドルするんか)
「それを着ろ。ああ、靴はちゃんとしたのを履けよ。11時半に寮を出る」
「こ、こ、これを俺が着るって…」
「言ったろ、今日はお前は俺の従者だと」
ニヤリと笑うレオナに、ラギーは微妙な表情をした。
ラギーが従者の服を身に着け、靴を履いて降りていくとレオナが談話室で待っていた。珍しく正装に近い服装で、長い髪をまとめている。まさかと思うが自分でやったのだろうか。
「そ、その恰好…」
「なんだ、どっか変か」
「いや、変とかじゃないっスけど…」
(こういう格好似合いすぎるんっスよ、この人は…。やっぱ根が育ちがいい人は違うっス)
それに比べて、貧民街育ちの自分は…と、ラギーは自分の服装を見て少し惨めな気持ちになり、服に着られていないだろうかと鏡をチェックした。こんな自分に果たして、従者など務まるのだろうか。
そんなラギーの気持ちをまるで見透かしたかのように、レオナが声をかけた。
「お前、なかなか似合うじゃねえか。馬子にも衣裳か」
それから、ラギーはレオナの財布を預かり、言われるままに駅前のレストランで食事をした。普段の学園の食堂と違い、カジュアルではあるがそれなりの店に、ラギーは落ち着かなかった。白身魚のフライ定食を頼んだが、何を食べているのかいまいち味がよくわからないまま、食べられるときに食べると決めてラギーは魚を口に放り込んだ。
おまけにレオナが昼間から肉の塊のようなステーキを頼み、野菜を食べようとしないので、ラギーは慌ててサラダの追加をした。レオナには睨まれたが、
「野菜をたまには食べないと、消化が悪くなって胃もたれするっス」
と、たしなめた。
「お前死んだ俺のばあさんみてえなこと言いやがるな」
「ほーん。レオナさんのおばあさんって前々国王妃ってことっスか?どこのばあちゃんも言うことは同じなんっスね。ちょっと親しみわきましたよ」
減らず口を叩きながらも、ラギーはレオナが何を考えているかを探れなかった。
食事を済ませると、ラギーは街の大きな花屋へついて行った。
(これまた高そうな花ばっかりあるっスね)
ごく普通の花屋でも見かけるチューリップやカーネーションなどの他に、びっくりするほどの値段の胡蝶蘭の大きな鉢植えや、見たこともない南国の花などがあり、ラギーは目を回しそうになった。
(ひゃっ、こ、こんな鉢植えが2000マドル?!あ、あっちのチューリップ、街の花屋で見かけるのと同じように見えるのに、1本500マドルもするっス!!)
レオナは店の中の色とりどりの花を何度も行ったり来たりしながら眺め、ついに思うような花束を作ってもらった。
それでもまだ、ラギーはレオナが一体どこへ行くのか全く予想がつかなかった。そのことについてはレオナは一言も話さなかったからだ。
タクシーで音楽ホールについたとき、初めてこの日のレオナの予定が分かった。
(そうか、シリルさんか…)
かけだしのピアニスト、シリル・マクリーンはマクリーン財閥の会長の孫娘で、父親は倒産寸前から奇跡の復興を果たしたマクリーン・コーポレーションの社長。いわばお嬢様なのだが、ラギーが嫌悪する「金持ち」のカテゴリに当てはまらない人物だとラギーは考えていた。彼女の出演する演奏会がこの音楽ホールで開かれるのだ。
二週間前に分厚いグリーンの招待状が送られてきているのをラギーも見ている。そういえば、以前王宮に呼ばれて顔を出したとき、ドーナツをくれた人だ。親が決めた許嫁だと言っていたが、その割にレオナは珍しく照れまくり、尻尾を彼女の腰にずっと回していた。あの人は可愛らしい感じいい人だったとラギーは思い出した。
音楽会はレオナのような身分の者にはちょっとした社交場でもあり、どちらかというとそういう付き合いを厭うレオナは今まで、音楽会に自分から出かけるということはなかった。ラギーは、レオナがどれだけ音楽について詳しいか知らず、気にしたこともなかったが、王族だからそれなりの心得はあるのだろう。
だが、義理でもなかなか重い腰が上がらないレオナが、わざわざ花束を自ら選んでまで持参する。シリルという女性はレオナにとってそれほど大切な女性なのかとラギーは感心した。そして、その場に自分が立ち会ってもいいのかとまた首を捻った。
シリルは5人のピアニストのうち3番目、前半の最後の演奏者だった。熾烈なオーディションを勝ち抜いた演奏者たちの演奏はどれも見事だった。もっともラギーには誰がよりうまいか、よりも誰の曲が耳になじむかのほうが重要なのだが。その点、シリルの選曲は偶然だが、ラギーも知っている曲だった。そのことがラギーにも好印象を与えた。
「シリルさん、いい演奏だったッス。それにすごく綺麗だったッスね」
「そうだろう」
やや自慢げなレオナの顔がラギーはおかしかった。(まったく、このにやけた人がサバナクローの寮長と同一人物とか)
そのシリルは演奏会が終わったあと、ゴロゴロと音をたてるトランクを持って楽屋口から出てきた。
「レオナ!来てくれてありがとう」
「お嬢様の晴れの場にお呼びいただけて光栄です。今日の主役に祝福の花束を」
クロークに預かっていた花束はこの時のためだったかと、ラギーは思った。しかもこの人は、見事な花束を女性に差し出し、気の利いた言葉をかけるというのが似合う。普段の怠惰な姿とは別人のようだ。
「花束を所望とのことでしたが、気に入っていただけましたかな、お嬢様」
レオナはシリルの右手を取り、甲に口づけした。(まるで王子様…いやいや、ほんとに王子様だったっス)そのポーズの決まり具合に、ラギーはくらくらした。
「もちろんよ。嬉しいわ、私の好きなアルストロメリアの花束…花言葉もちゃんと添えられてる」
「私の大切なお嬢様のために、心を込めてカードを用意しました。気に入っていただけて私も光栄です」
レオナはシリルの右頬に軽く口づけした。ラギーはその様子を見ていてくらくらした。
(うー、なんなんスか、このリアル王子感…)ふと、シリルがラギーのほうを見てほほ笑んだ。
「…あなたは、この間の…」
「ラギー・ブッチっス。今日はお供で来ました」
「それはそれは。その服、よく似合っているわ。素敵よ」
「あ、ありがとうございます。し、シリルさんも…綺麗っス」
褒められるとなんだかくすぐったかった。窮屈な思いもしたが、たまにレオナの従者になるのも面白い経験ができて案外悪くない、と、ラギーは思った。
もちろん、お駄賃のマドルを思い切りはずんでもらい、シリルの差し入れのドーナツももらったというおまけつきだったのは言うまでもない。
【アルストロメリアの花言葉】
赤 幸い
白 凛々しさ
ピンク 気配り
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