君はまだ蛹~ヴィル
「彼女」に再会したのは、ヴィルが在学しているナイトレイブンカレッジのある街のカフェだった。
このカフェはセルフサービスだが、紅茶が美味しいのとオーガニック素材のスイーツを扱っていることがヴィルのお気に入りの点だった。そろそろコレクションのモデル依頼が来ている。体型維持は勿論普段からやっていることだが、この時期は特にそれに力を入れている。
オーガニックの紅茶と低糖質のバナナマフィンをトレイに載せて席を探すヴィルは、なんだかころころしたものにぶつかった…気がした。
「あら失礼」
「…こちらこそ…あ?!」
ころころしたものはどうやら女の子らしい。(残念な体型だわ)美意識の高いヴィルは一目見て相手の体型を残念だと思った。
「ひょっとして…ヴィリー?」
懐かしい名前で自分を呼ぶ女の子の顔をヴィルは見つめた。この顔はどこかで見たような気がする。
「え、あんたまさか、イーディ?」
イーディと呼ばれた女の子は体を固くして、ヴィルを見た。
(確かだわ、この子…)
見た目はずいぶん変わっているが、かつて一緒にレッスンをした「仕事仲間」だとヴィルは感じた。
イーディと呼ばれた少女ー10年ぶりに会うまでヴィルは、彼女の本名が「イディス・レイヤー」という名前であることを知らなったーは、おずおずとヴィルの向かいに腰を下ろした。ヴィルが一番嫌う「あ、どっこいしょ」などという掛け声をかけて。
「あんたが事務所を辞めたのはマネージャーに聞いたわ。今何してるの」
「うん、勉強ができるからそっちの道へ行ったほうがいいって両親から言われて。今は弁護士になるために勉強してるの。クイーンズファブラカレッジで」
「弁護士ねえ。そういえば、イーディ勉強よくできたものね」
「ヴィルの活躍は私も見てるよ。オーロラバーンズのコレクションなんてすごいじゃない」
「まあね。3年越しでやっとオファーされたから。それにしてもイーディ」
その体形はどうしたんだとヴィルは尋ねた。
確か彼女の家系は両親ともに肥満ではなかったはずだ。
ヴィルの記憶にある、イディスの母親は美人だが神経質な細身の女性で、プラチナフレームの眼鏡をかけていた。小さい頃のイディスもすらりとした足が長い子だった。
イディスは決まりが悪そうに肩をすくめた。来年の大学受験のために勉強をしているが、ストレスがたまるとつい食欲に走ってしまうのだという。ヴィルは、イディスのトレイに山盛りになったシナモンロールの数を数えて、大げさにため息をついた。10個も一人で食べるなんて多すぎる。テイクアウトするのかと聞いたら全部食べるというイディスの言葉に、ヴィルの目は吊り上がった。
しかも、ドリンクは大きなマグカップに入ったホイップしたクリームたっぷりのホットココアで、話をしながらスプーンで砂糖を大盛り5杯入れている。
「イーディ」
イディスはびくん、と背を伸ばした。
「あんた、砂糖を何杯入れるつもり」
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないわよ。シナモンロール10個に砂糖入れすぎのホットココア。そんなに甘いものばかり取ってどうするつもりなの」
「で、でもほら、脳の活性化には糖分が必要で・・・」
「限度があるでしょう。あんた、弁護士を目指しているって言ったわよね」
「う、うん」
「痩せなさい。今すぐに」
氷の刃のような言葉。
「で、でもヴィリー、あたし、もうモデルじゃないし、無理」
「無理って言わない!」
ヴィルは腕組みをしてイディスをにらみつけた。
「知ってると思うけど、あたしは努力しない人が嫌い。確かにあんたは勉強では努力しているかもしれないけど、体型は維持できてないわ。美しくないだけじゃない、不健康だし自己管理ができていない。そんな弁護士に弁護を頼む依頼人がいる?」
イディスはうつむいた。
「顔もひどい…。そのつながったげじげじの眉毛は何?目やにがついたままで、あんた顔も洗ってないの?!」
刃のような言葉で相手を突き刺すのは、ヴィルが「許せないこと」に対してだった。ヴィルはため息をついていった。
「今の体型じゃどのみちあんた、弁護士になる前に死んじゃうわよ。後でダイエットレシピとトレーニングメニューを送るから、あんたのメアド教えて。いい?あたしの言うとおりにしなさい。2週間後、またこのカフェで会いましょう」
「ヴィリー、忙しいんじゃ…」
「昔の仲間がそんなんじゃ、黙って見てられないわよ。いいわね、絶対あたしの言うとおりにするのよ」
そのままヴィルは、靴音をさせて店を出て行った。
イディスは昼間に会ったヴィルのことを思い出しながら、鏡を久しぶりに見つめた。
(二重顎…ニキビもひどいわ…。眉毛もつながってるし口ひげみたいなのも生えてる…)
かなり辛辣なことを言われたが、子役の時から厳しかったヴィルが「あの程度」で済ませたということは、助けてくれるということなのだろうか。昔は一緒にファッション誌やCMの撮影をして、楽しかった。あの時みたいに可愛らしくスリムにまたなれるんだろうか。ヴィルに呆れられないようになるんだろうか。
悲しかった。子役の自分は「ほっぺぷくぷくの可愛い子」だったが、今の自分は放っておいたら死に至る肥満児だ。
事務所を辞めた理由は、ヴィルに伝えた「親が勉強に力を入れろと言った」以外にもう1つあった。すらりとした足長美人になる予定が、初潮が始まる頃になると身長が止まり、最終的に150cmそこそこで終わった。当時の夢だったファッションモデルへの道は閉ざされ、目標を見失ったイディスにはやめることに悔いはなかった。
イディスが入った女子校では、いわゆるマウンティングがあり、元子役モデルの彼女は「子役だったくせに大して可愛くなくてしかもチビ」とマウントを取られた。そいつらに負けないためには、別のことで優位に立つしかなく、一心不乱に勉強を続けて学年一位を取り続けた。だが…身なりに構わなくなり、人と会うことが億劫になった。
学年一位のため、マウントを取られることはなくなった。が、影で(勉強が出来るだけのデブ)と言われるようになった。イディスを下に見ていた女の子達ばかりではなく、いつも親切にしてくれた、イディスが淡い恋心を抱いた近所の男の子までが一緒になって彼女を笑いものにしていた現場に居合わせてしまった。その場ではおどけて「がり勉デブキャラ」を演じたが、帰ってからイディスは顔が腫れあがるほど泣き明かし、そこからやや引きこもるようになった。そんな話はできなかった。
ヴィルは翌日、きっちりとダイエットレシピとトレーニングメニューをメールで送ってきた。それだけではなかった。
「イーディにはファスティングが必要だと感じます。私が飲んで効果が絶大だった酵素ドリンクを1週間分送ります。荷物に入れた注意書きを正しく守ること。
あんたならできる。自分を諦めないで ヴィル」
厳しいが、昔馴染みの自分に期待もしてくれているらしい。友達もほとんどいなくなった今のイディスには、ここまでしてくれるヴィルの心遣いが嬉しかった。昔から自分にも人にも厳しいが、努力を惜しまない相手は正当に評価する。変わっていなかった。
(ヴィリー、私、がんばる)
イディスは拳を握り締めた。
このカフェはセルフサービスだが、紅茶が美味しいのとオーガニック素材のスイーツを扱っていることがヴィルのお気に入りの点だった。そろそろコレクションのモデル依頼が来ている。体型維持は勿論普段からやっていることだが、この時期は特にそれに力を入れている。
オーガニックの紅茶と低糖質のバナナマフィンをトレイに載せて席を探すヴィルは、なんだかころころしたものにぶつかった…気がした。
「あら失礼」
「…こちらこそ…あ?!」
ころころしたものはどうやら女の子らしい。(残念な体型だわ)美意識の高いヴィルは一目見て相手の体型を残念だと思った。
「ひょっとして…ヴィリー?」
懐かしい名前で自分を呼ぶ女の子の顔をヴィルは見つめた。この顔はどこかで見たような気がする。
「え、あんたまさか、イーディ?」
イーディと呼ばれた女の子は体を固くして、ヴィルを見た。
(確かだわ、この子…)
見た目はずいぶん変わっているが、かつて一緒にレッスンをした「仕事仲間」だとヴィルは感じた。
イーディと呼ばれた少女ー10年ぶりに会うまでヴィルは、彼女の本名が「イディス・レイヤー」という名前であることを知らなったーは、おずおずとヴィルの向かいに腰を下ろした。ヴィルが一番嫌う「あ、どっこいしょ」などという掛け声をかけて。
「あんたが事務所を辞めたのはマネージャーに聞いたわ。今何してるの」
「うん、勉強ができるからそっちの道へ行ったほうがいいって両親から言われて。今は弁護士になるために勉強してるの。クイーンズファブラカレッジで」
「弁護士ねえ。そういえば、イーディ勉強よくできたものね」
「ヴィルの活躍は私も見てるよ。オーロラバーンズのコレクションなんてすごいじゃない」
「まあね。3年越しでやっとオファーされたから。それにしてもイーディ」
その体形はどうしたんだとヴィルは尋ねた。
確か彼女の家系は両親ともに肥満ではなかったはずだ。
ヴィルの記憶にある、イディスの母親は美人だが神経質な細身の女性で、プラチナフレームの眼鏡をかけていた。小さい頃のイディスもすらりとした足が長い子だった。
イディスは決まりが悪そうに肩をすくめた。来年の大学受験のために勉強をしているが、ストレスがたまるとつい食欲に走ってしまうのだという。ヴィルは、イディスのトレイに山盛りになったシナモンロールの数を数えて、大げさにため息をついた。10個も一人で食べるなんて多すぎる。テイクアウトするのかと聞いたら全部食べるというイディスの言葉に、ヴィルの目は吊り上がった。
しかも、ドリンクは大きなマグカップに入ったホイップしたクリームたっぷりのホットココアで、話をしながらスプーンで砂糖を大盛り5杯入れている。
「イーディ」
イディスはびくん、と背を伸ばした。
「あんた、砂糖を何杯入れるつもり」
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないわよ。シナモンロール10個に砂糖入れすぎのホットココア。そんなに甘いものばかり取ってどうするつもりなの」
「で、でもほら、脳の活性化には糖分が必要で・・・」
「限度があるでしょう。あんた、弁護士を目指しているって言ったわよね」
「う、うん」
「痩せなさい。今すぐに」
氷の刃のような言葉。
「で、でもヴィリー、あたし、もうモデルじゃないし、無理」
「無理って言わない!」
ヴィルは腕組みをしてイディスをにらみつけた。
「知ってると思うけど、あたしは努力しない人が嫌い。確かにあんたは勉強では努力しているかもしれないけど、体型は維持できてないわ。美しくないだけじゃない、不健康だし自己管理ができていない。そんな弁護士に弁護を頼む依頼人がいる?」
イディスはうつむいた。
「顔もひどい…。そのつながったげじげじの眉毛は何?目やにがついたままで、あんた顔も洗ってないの?!」
刃のような言葉で相手を突き刺すのは、ヴィルが「許せないこと」に対してだった。ヴィルはため息をついていった。
「今の体型じゃどのみちあんた、弁護士になる前に死んじゃうわよ。後でダイエットレシピとトレーニングメニューを送るから、あんたのメアド教えて。いい?あたしの言うとおりにしなさい。2週間後、またこのカフェで会いましょう」
「ヴィリー、忙しいんじゃ…」
「昔の仲間がそんなんじゃ、黙って見てられないわよ。いいわね、絶対あたしの言うとおりにするのよ」
そのままヴィルは、靴音をさせて店を出て行った。
イディスは昼間に会ったヴィルのことを思い出しながら、鏡を久しぶりに見つめた。
(二重顎…ニキビもひどいわ…。眉毛もつながってるし口ひげみたいなのも生えてる…)
かなり辛辣なことを言われたが、子役の時から厳しかったヴィルが「あの程度」で済ませたということは、助けてくれるということなのだろうか。昔は一緒にファッション誌やCMの撮影をして、楽しかった。あの時みたいに可愛らしくスリムにまたなれるんだろうか。ヴィルに呆れられないようになるんだろうか。
悲しかった。子役の自分は「ほっぺぷくぷくの可愛い子」だったが、今の自分は放っておいたら死に至る肥満児だ。
事務所を辞めた理由は、ヴィルに伝えた「親が勉強に力を入れろと言った」以外にもう1つあった。すらりとした足長美人になる予定が、初潮が始まる頃になると身長が止まり、最終的に150cmそこそこで終わった。当時の夢だったファッションモデルへの道は閉ざされ、目標を見失ったイディスにはやめることに悔いはなかった。
イディスが入った女子校では、いわゆるマウンティングがあり、元子役モデルの彼女は「子役だったくせに大して可愛くなくてしかもチビ」とマウントを取られた。そいつらに負けないためには、別のことで優位に立つしかなく、一心不乱に勉強を続けて学年一位を取り続けた。だが…身なりに構わなくなり、人と会うことが億劫になった。
学年一位のため、マウントを取られることはなくなった。が、影で(勉強が出来るだけのデブ)と言われるようになった。イディスを下に見ていた女の子達ばかりではなく、いつも親切にしてくれた、イディスが淡い恋心を抱いた近所の男の子までが一緒になって彼女を笑いものにしていた現場に居合わせてしまった。その場ではおどけて「がり勉デブキャラ」を演じたが、帰ってからイディスは顔が腫れあがるほど泣き明かし、そこからやや引きこもるようになった。そんな話はできなかった。
ヴィルは翌日、きっちりとダイエットレシピとトレーニングメニューをメールで送ってきた。それだけではなかった。
「イーディにはファスティングが必要だと感じます。私が飲んで効果が絶大だった酵素ドリンクを1週間分送ります。荷物に入れた注意書きを正しく守ること。
あんたならできる。自分を諦めないで ヴィル」
厳しいが、昔馴染みの自分に期待もしてくれているらしい。友達もほとんどいなくなった今のイディスには、ここまでしてくれるヴィルの心遣いが嬉しかった。昔から自分にも人にも厳しいが、努力を惜しまない相手は正当に評価する。変わっていなかった。
(ヴィリー、私、がんばる)
イディスは拳を握り締めた。