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砂漠の蛇が守るものージャミル

 頭を殴られたことだけははっきり覚えている。だがその後の記憶がない。気づくと、窓がなく扉だけの部屋に閉じ込められていた。
 その部屋は奇妙な甘い匂いに満ちていた。
「う、ううう」
 微かに聴こえる女性のうめき声。
「ぐ、ぐっ…な、何だこれは」
 朦朧とする頭で、俺は考えた。
 ここはどこだ。そして何が起こったんだ。

 自分の主人であるカリムの従者として、とある商館に商談へ出かけた。商談自体はうまくいった。
 だがその帰り、何者かに羽交い絞めにされて殴られ、気絶させられて放り込まれた部屋の中で、気づいたら俺は壁に向かって自分の胸をかきむしっていた。そしてその傍らに、親しくはないが見覚えのある女性の姿があった。

 今俺の横で呻きながら苦しんでいる女性のことは知っている。俺が従者を務める、カリム・アルアジームのまたいとこのアイーシャ嬢で、2,3度ほど顔を合わせて言葉を交わしたことがある。
俺がこの奇妙な部屋に投げ込まれたときには、既に顔色を悪くしていた。
「いや…助けて、く、苦しい」
「だ、大丈夫か?!」
「そこにいらっしゃるのは…ジャミルさんですか?」
「君は…アイーシャ嬢?!なぜ、ここに…いや、今はそんなことを言っているばあいじゃない。顔色が悪そうだが」
「あ、頭が痛いです…ジャミルさんは?」
「俺も…ダメだ、頭が、重い…」
アイーシャの体が小刻みに震えている。この症状は…。
「と、扉は?」
扉は固く閉じられている。
「開く気配がないな」
「どうすれば…う…」
 涙を溜めたアイーシャが、嗚咽を始めた。
「く、苦しい…ぐ、はあっ…」
 やはり毒だ。しかも上皮から取り込まれて少しずつ効いてくるもの。だがこの甘ったるい匂いは何なのだろう。胃がむかむかする。
「き、気持、悪い…」
そのとたん、扉が開いて人相の悪い男たちが入って来た。

「おやおや、アジームの坊ちゃんこんな情けない姿…ッ!お前アジームの息子じゃないのか?!」
俺が目を見開くと、先程商館で会った商人の息子の従者らしい男が立っている。
「くっ、ま、まさかお前が」
「ふむ…毒の方が先に回ったようだな。いい気持ちであの世に行けるように媚薬を配合したつもりが」
 あの甘くて胸糞悪い匂いは、媚薬だったのか。それでも毒の方が強くて醜態をさらさずに済んだことを心の中で俺は安堵した。
「卑怯者、何が狙いです」
「何とでも。これくらいのことをしなければ我々がアジームとハッダードへの見せしめにはなりませんからね。恨むなら御父上を恨むのですよ。しかし…死にぞこないとは」
「なっ…」
男にとびかかりたかったが、毒を嗅いだからなのか、足腰がふらつく。そこへ俺の父が飛び込んできた。

 俺たちは上皮や鼻から吸い込むタイプの煙のような毒を吸っていたことがわかった。結局俺は体が怠くなり、その毒が抜けるまでは安静にしていた。
その間に、アジームの当主と、アイーシャの父親であるハッダード家の当主がいろいろと調べたらしい。
「お前たちを狙った者が分かった」
「どんな輩です」
「ややこしい関係だ…我が家の商売敵、アル=サウード家の三男だ。だがおそらく、当主も知らぬ存ぜぬではないであろう。カリムを狙ったのは、息子を潰して死体を交渉に使う予定だったからだそうだ」
胸糞の悪い話だ。
「アイーシャ嬢が襲われた理由は何だったのですか」
「実は、サウードの三男がハッダード家に婚姻の申し込みをしていたのだが、アイーシャに袖にされたのを恨んでいたのだ」
 それは逆恨みか。いや待てよ…。俺はサウードの三男の顔を思い浮かべた。確か40近いおっさんじゃないか。対してアイーシャは俺たちの1つ下の16歳だ。しかも、ハッダードの方が上の立場で、わざわざ娘を人質みたいな婚姻に結び付けるとは思わなかった。

 その時俺はそんな風に考えていたのだが、この事件にはまだ明かされない真相が隠されていたことを後に知る。
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