三日間の恋人~レオナ
朝クローディアが起きると、レオナは珍しく身支度を整えていた。「おはようございます」と声をかけると、「ああ」と唸るだけで、クローディアは拍子抜けした。少しは自分が帰国することを残念がってくれると言うのは淡い期待だったかと落胆した。
執務室にフェルマン宰相が到着した知らせを侍女から聞き、クローディアは身支度をしてレオナの部屋を出た。扉を出て振り返ると、三日間過ごしたレオナの部屋が見えた。大きなベッド。書き物をするライティングビュロー。お茶を飲んだり話をするときに座っていた椅子。自分が来た時と何も変わらないその景色に、この三日間は夢だったのだろうかと考えた。
(さよなら、夕焼けの草原。さよなら…レオナ)
涙を誤魔化すために、クローディアはハンカチで目じりをそっと抑えた。ファレナ国王に尋ねられたら、目にゴミが入ったのだと言い訳すればいいと自分に言い聞かせ、クローディアは国王の執務室を訪れた。レオナに最後の挨拶をしたかったが、どこかに行っているのか姿が見当たらなかった。
「それでは国王陛下。お世話になりました」
「ああ、寂しくなるな…。チェカと遊んでくれてありがとう」
「いいえ。小さな弟ができたようで楽しかったですわ。チェカ様にも、王妃様にも、よろしくお伝えくださいませ」
クローディアはいつも慈愛に満ちたファレナ国王を見上げた。義兄上とお呼びすることはかなわなかったな、と心の中で呟いた。
「娘がお役に立てなかったようで申し訳ありません。ですが、貴国との取引は変わらず続けさせていただくと国王より申し付かってまいりました」
「宰相閣下もご足労であった。朝焼けの平原の国王には変わらず国交を継続するとお伝えください」
いかめしく髭を生やした朝焼けの平原の宰相は軍人のようだとファレナ国王は密かに考えた。この父親ではクローディアもくつろげなかったに違いない。都合で振り回される彼女に、ファレナは同情していた。
「それではこれで婚約解消と」
「待て」
宰相が右手に持っていた婚約解消の念書が忽ち砂になって床に零れ落ちた。その聞き覚えのある低い声に驚いたのは、ファレナだけではなかった。ファレナ国王は驚き、声を上げた。
「レオナ」
レオナは侍従が止めるのを聞かずに執務室へ乗り込んできた。
「こ、これは」
「肝心の念書がないのでは、婚約解消の申し出は無効になりますな、朝焼けの平原の宰相閣下」
「し、しかし」
「まあまあ、フェルマン閣下。我が弟の話を聞いてやってください」
ファレナ国王が内心面白くてうずうずしているのを横目で見て、レオナは心の中で舌打ちしつつ、フェルマン宰相には澄ました顔で慇懃にお辞儀をした。(兄貴が言ってた通りだ。娘を心配している父親って顔じゃねえ。冷酷な軍人…)フェルマン宰相は元近衛兵団長だった。確かに軍人だと改めてレオナは思った。
「お目にかかるのは二度目でしたな、フェルマン閣下」
「レオナ殿下、こ、これはどういう…」
「その質問はこちらがしたいくらいです。私も国王も、クローディア嬢を第二王子妃へという意思は変わりませんが。それとも」
「あの…」
クローディアはかすれた声で叫ぼうとした。レオナは構わず続けた。
「殿下、我が娘は殿下の妃には不相応にございます。なにとぞ」
「不相応と?本当にそのように考えておられるのか」
「クローディアは本ばかり読んでいて娘らしいこともできず、偏屈な娘です。殿下のお気に召さぬのでは」
「ご謙遜を。彼女は実に愛らしい令嬢ですが」
クローディアは両手を組み、レオナの方を見つめた。
「私はご存じの通り、ここ数年はナイトレイブンカレッジで学ぶために王宮を離れております。勉学に励むあまり、許嫁を放置していた私こそが責められる立場。そうではありませんか、兄上」
レオナはやや皮肉めいた口振りで兄の方を見やった。弟が何を考えているのかは分からないが、何か企んでいるのだろうと察したファレナは苦笑した。
「全く気が利かぬ弟で申し訳ない。私も兄として頭を下げねばなりませんな、閣下」
「そ、そのようなお言葉を、ファレナ国王から頂くのは…」
レオナはクローディアに近づき、右手を取ってその甲に口づけをした。
「念書はあのとおり紛失してしまいましたし、改めてこちらより、クローディア嬢への求婚を希望したい。書状を持ち帰っていただけませんかな」
レオナは宰相の方を見て笑みを浮かべた。
「手塩にかけて育てられた大切な娘を他人の若い男に攫われるのはさぞ心配でしょうな」
「むむむ」
「私は彼女を妃に迎えたい。我が国王の希望もそうです。朝焼けの平原の国王陛下に、よい縁談をもたらしてくれたとお伝えください」
無言で目を剥いている外国の宰相に背を向け、レオナはクローディアを伴って執務室を出た。一度も後ろを振り返らず。振り返ってしまえば、肩が笑いで震えているのが分かってしまうからだ。
執務室を出てから、庭までの間二人は言葉を交わさなかった。
庭を歩くレオナは足を止め、振り返った。クローディアは驚いて立ち止まった。
「あの、求婚てどう…」
「クローディア、お前が好きだ」
レオナの突然の告白に、クローディアの頭の中は真っ白になった。
「う、嘘…」
「お前に嘘を言ってどうする」
「で、でも私、王族の妃になんて…」
「おい」
レオナの語気が強くなり、眉間に皺が寄り目つきが鋭くなった。
「今度そんなことを言ったら文字通り食ってやる。顔を上げろ。前を向け」
「やだ…怒ってる。怖い」
「お前があんまり情けねえこと言うからだろうが」
「だって」
「いつまでもそうやって下向いて自分の心殺して生きていくつもりか?!お前にそんなのは似合わない。お前は賢く、心優しく、そして…可愛い」
レオナの言葉に、クローディアは顔を赤くした。こんな風に求められるのは初めてだった。
「可愛い、可愛いって…私が?」
「他に誰がいる」
クローディアはあたりを見回し、そんな彼女をレオナは小突いた。
「おい」
「やだ、また怒ってる」
「怒ってんじゃねえ。お前肝心なところで鈍いな。ああ、伝わってなかったのか」
「ひええ、ご、ごめんなさい…」
「全く。いいか、よく聞け。俺はお前以外の女はいらない。その…お前を、お前だけを、あ、愛しているからな…」
ほとんど噛みつくようにレオナが言うと、クローディアは頬を桜色に染めた。
「私、正直、愛ってどんなものか分からなかった。でもね、あなたを見るとドキドキして、でもずっと見ていたくて、あなたの声が聞きたくて、触れてほしくて、私がずっと欲しかった言葉をくれた…これが愛?人を好きになるって、こんな気持ち?」
「そうだ。今どんな気持ちだ」
「ふわふわする。でも切なくて、甘くて…傍にいたい」
「それが愛、だ。人を好きになる気持ちだ。俺も、同じだ。お前を見ると、切なくて、愛おしくて、自分だけのものにしておきたくなる」
「レオナ…ありがとう、私もあなたが好き。あなたを、…愛してる」
クローディアの言葉に、レオナはそれまでの企むような表情をほどき、ふと柔らかい微笑みを浮かべた。二人の目が合い、どちらからともなく唇を重ねた。
「そうだ、お前にこれを」
レオナは小さな包みを取り出した。クローディアが包みを開けると、四葉のクローバーの形に緑色の宝石をあしらったネックレスが出てきた。
「これ…!」
「随分熱心に見ていたからな。お好みだろう」
「嬉しいけど、こんな高いものもらえない」
「その石はグリーントルマリンだそうだ。エメラルドほど高くないから安心しろ。ちょっとばかり早いが、誕生日プレゼントだ」
レオナはクローディアからネックレスを受け取り、背中に回って留め金をつけた。
「どうかしら」
「思った通りだ。良く似合う」
その言葉に、クローディアははにかみながら微笑んだ。
「四葉のクローバーの花言葉は
わたしのものになって」
歌うようにクローディアの唇から紡がれた言葉は、レオナの心を捉えた。自分が彼女に伝えたかったのは、まさにその言葉だったからだ。レオナはクローディアを抱きしめ、囁いた。
いいぜ。俺はお前のもの。
そして、お前は俺のものだ。
これからもずっと、な。
執務室にフェルマン宰相が到着した知らせを侍女から聞き、クローディアは身支度をしてレオナの部屋を出た。扉を出て振り返ると、三日間過ごしたレオナの部屋が見えた。大きなベッド。書き物をするライティングビュロー。お茶を飲んだり話をするときに座っていた椅子。自分が来た時と何も変わらないその景色に、この三日間は夢だったのだろうかと考えた。
(さよなら、夕焼けの草原。さよなら…レオナ)
涙を誤魔化すために、クローディアはハンカチで目じりをそっと抑えた。ファレナ国王に尋ねられたら、目にゴミが入ったのだと言い訳すればいいと自分に言い聞かせ、クローディアは国王の執務室を訪れた。レオナに最後の挨拶をしたかったが、どこかに行っているのか姿が見当たらなかった。
「それでは国王陛下。お世話になりました」
「ああ、寂しくなるな…。チェカと遊んでくれてありがとう」
「いいえ。小さな弟ができたようで楽しかったですわ。チェカ様にも、王妃様にも、よろしくお伝えくださいませ」
クローディアはいつも慈愛に満ちたファレナ国王を見上げた。義兄上とお呼びすることはかなわなかったな、と心の中で呟いた。
「娘がお役に立てなかったようで申し訳ありません。ですが、貴国との取引は変わらず続けさせていただくと国王より申し付かってまいりました」
「宰相閣下もご足労であった。朝焼けの平原の国王には変わらず国交を継続するとお伝えください」
いかめしく髭を生やした朝焼けの平原の宰相は軍人のようだとファレナ国王は密かに考えた。この父親ではクローディアもくつろげなかったに違いない。都合で振り回される彼女に、ファレナは同情していた。
「それではこれで婚約解消と」
「待て」
宰相が右手に持っていた婚約解消の念書が忽ち砂になって床に零れ落ちた。その聞き覚えのある低い声に驚いたのは、ファレナだけではなかった。ファレナ国王は驚き、声を上げた。
「レオナ」
レオナは侍従が止めるのを聞かずに執務室へ乗り込んできた。
「こ、これは」
「肝心の念書がないのでは、婚約解消の申し出は無効になりますな、朝焼けの平原の宰相閣下」
「し、しかし」
「まあまあ、フェルマン閣下。我が弟の話を聞いてやってください」
ファレナ国王が内心面白くてうずうずしているのを横目で見て、レオナは心の中で舌打ちしつつ、フェルマン宰相には澄ました顔で慇懃にお辞儀をした。(兄貴が言ってた通りだ。娘を心配している父親って顔じゃねえ。冷酷な軍人…)フェルマン宰相は元近衛兵団長だった。確かに軍人だと改めてレオナは思った。
「お目にかかるのは二度目でしたな、フェルマン閣下」
「レオナ殿下、こ、これはどういう…」
「その質問はこちらがしたいくらいです。私も国王も、クローディア嬢を第二王子妃へという意思は変わりませんが。それとも」
「あの…」
クローディアはかすれた声で叫ぼうとした。レオナは構わず続けた。
「殿下、我が娘は殿下の妃には不相応にございます。なにとぞ」
「不相応と?本当にそのように考えておられるのか」
「クローディアは本ばかり読んでいて娘らしいこともできず、偏屈な娘です。殿下のお気に召さぬのでは」
「ご謙遜を。彼女は実に愛らしい令嬢ですが」
クローディアは両手を組み、レオナの方を見つめた。
「私はご存じの通り、ここ数年はナイトレイブンカレッジで学ぶために王宮を離れております。勉学に励むあまり、許嫁を放置していた私こそが責められる立場。そうではありませんか、兄上」
レオナはやや皮肉めいた口振りで兄の方を見やった。弟が何を考えているのかは分からないが、何か企んでいるのだろうと察したファレナは苦笑した。
「全く気が利かぬ弟で申し訳ない。私も兄として頭を下げねばなりませんな、閣下」
「そ、そのようなお言葉を、ファレナ国王から頂くのは…」
レオナはクローディアに近づき、右手を取ってその甲に口づけをした。
「念書はあのとおり紛失してしまいましたし、改めてこちらより、クローディア嬢への求婚を希望したい。書状を持ち帰っていただけませんかな」
レオナは宰相の方を見て笑みを浮かべた。
「手塩にかけて育てられた大切な娘を他人の若い男に攫われるのはさぞ心配でしょうな」
「むむむ」
「私は彼女を妃に迎えたい。我が国王の希望もそうです。朝焼けの平原の国王陛下に、よい縁談をもたらしてくれたとお伝えください」
無言で目を剥いている外国の宰相に背を向け、レオナはクローディアを伴って執務室を出た。一度も後ろを振り返らず。振り返ってしまえば、肩が笑いで震えているのが分かってしまうからだ。
執務室を出てから、庭までの間二人は言葉を交わさなかった。
庭を歩くレオナは足を止め、振り返った。クローディアは驚いて立ち止まった。
「あの、求婚てどう…」
「クローディア、お前が好きだ」
レオナの突然の告白に、クローディアの頭の中は真っ白になった。
「う、嘘…」
「お前に嘘を言ってどうする」
「で、でも私、王族の妃になんて…」
「おい」
レオナの語気が強くなり、眉間に皺が寄り目つきが鋭くなった。
「今度そんなことを言ったら文字通り食ってやる。顔を上げろ。前を向け」
「やだ…怒ってる。怖い」
「お前があんまり情けねえこと言うからだろうが」
「だって」
「いつまでもそうやって下向いて自分の心殺して生きていくつもりか?!お前にそんなのは似合わない。お前は賢く、心優しく、そして…可愛い」
レオナの言葉に、クローディアは顔を赤くした。こんな風に求められるのは初めてだった。
「可愛い、可愛いって…私が?」
「他に誰がいる」
クローディアはあたりを見回し、そんな彼女をレオナは小突いた。
「おい」
「やだ、また怒ってる」
「怒ってんじゃねえ。お前肝心なところで鈍いな。ああ、伝わってなかったのか」
「ひええ、ご、ごめんなさい…」
「全く。いいか、よく聞け。俺はお前以外の女はいらない。その…お前を、お前だけを、あ、愛しているからな…」
ほとんど噛みつくようにレオナが言うと、クローディアは頬を桜色に染めた。
「私、正直、愛ってどんなものか分からなかった。でもね、あなたを見るとドキドキして、でもずっと見ていたくて、あなたの声が聞きたくて、触れてほしくて、私がずっと欲しかった言葉をくれた…これが愛?人を好きになるって、こんな気持ち?」
「そうだ。今どんな気持ちだ」
「ふわふわする。でも切なくて、甘くて…傍にいたい」
「それが愛、だ。人を好きになる気持ちだ。俺も、同じだ。お前を見ると、切なくて、愛おしくて、自分だけのものにしておきたくなる」
「レオナ…ありがとう、私もあなたが好き。あなたを、…愛してる」
クローディアの言葉に、レオナはそれまでの企むような表情をほどき、ふと柔らかい微笑みを浮かべた。二人の目が合い、どちらからともなく唇を重ねた。
「そうだ、お前にこれを」
レオナは小さな包みを取り出した。クローディアが包みを開けると、四葉のクローバーの形に緑色の宝石をあしらったネックレスが出てきた。
「これ…!」
「随分熱心に見ていたからな。お好みだろう」
「嬉しいけど、こんな高いものもらえない」
「その石はグリーントルマリンだそうだ。エメラルドほど高くないから安心しろ。ちょっとばかり早いが、誕生日プレゼントだ」
レオナはクローディアからネックレスを受け取り、背中に回って留め金をつけた。
「どうかしら」
「思った通りだ。良く似合う」
その言葉に、クローディアははにかみながら微笑んだ。
「四葉のクローバーの花言葉は
わたしのものになって」
歌うようにクローディアの唇から紡がれた言葉は、レオナの心を捉えた。自分が彼女に伝えたかったのは、まさにその言葉だったからだ。レオナはクローディアを抱きしめ、囁いた。
いいぜ。俺はお前のもの。
そして、お前は俺のものだ。
これからもずっと、な。