三日間の恋人~レオナ
明け方、目が覚めたクローディアはベッドで上掛けにくるまりながら考えていた。
昼間につないでいたレオナの手は、男性らしく武骨で、力強く、だが乾いていた。特に一本ずつしっかりと絡めるように繋がれた指先が触れた時は、切なく甘い感情が胸に沸き上がった。同時に、盗られた荷物を何とかしようと土地勘のない場所で無謀な行動に出た自分を責めず、助けてくれたレオナのことをどう考えたらいいのかと思った。
(あの人の顔を見るまで、生きて帰れるかどうかもわからなかった)
夕焼けの草原は女性兵士も多いが、自分は軍隊で鍛えているわけでもなく、ごく初級の護身術と魔法が使えるからというだけでよくあんな無鉄砲な行動をとったものだとクローディアは自分に呆れた。
(心配して、くれたんだ…)
あのつなぎ方は恋人の繋ぎ方だ。少しは気を許しているが、恋人でもない自分にああいうことをする、その意味を考えてクローディアは恥ずかしくなった。
(あと一日で私はこの国を去って、多分レオナとはもう今のような形で会うことはないだろう…)
上掛けにくるまり、クローディアは目を閉じて考えた。
(私が賢いと褒めてくれた…。紅茶の入れ方も上手いって…。迷子にならないようにしっかり手を繋いで、守ってくれた…
本当に、明日さようならなんて、それでいいのかしら)
まだ夜が明ける前の静けさの中で、クローディアの閉じた瞳から涙が一筋零れた。
「レオナ…」
自然に口から名前が発せられた。こんな気持ちになるなんて、思ってもみなかったのにと彼女はかすれた声で呟いた。その声をレオナが薄目を開けて聞いているとは、クローディアは思わなかった。
その日は他愛のない話をし、一緒にお茶を飲み、午睡の後夕暮れ時に二人は起きた。
「私、あなたに見せたいものがあるの」
「何だ、藪から棒に」
「私がこの国へ来てから見た、一番好きな場所があるの。レオナにそれを見てほしいと思って」
クローディアがレオナを、後宮の中でも特に裏口の方へ案内したので、レオナは驚いた。後宮の裏口には来たことがなかった。というか、そんなところに用事があることなどなかった。レオナが首を捻る間もなく、クローディアはレオナの手を取って通用口へ向かった。
通用口の扉は開け放してある。その扉を開けて外に出ると、平原が広がっていた。
どこも珍しい景色じゃないとレオナが唸ると、クローディアは夕日が沈む方を指さした。
大きな夕日が沈み、夕焼けがあたりを染めた。鳥は巣に帰り、あたりが静まり返っている。
「これよ。私が一番好きな場所、一番好きな時間は」
「夕暮れの、草原…俺の、国の名前のもとになった…」
「そう。レオナの国、あなたが生まれて…生きてきた場所よ」
「俺の…国」
「あなたは第二王子で、王位継承権は第二位だからクーデターでもない限り自分が王になることはないと言ったわね。そのことで、自分がどういう立ち位置でいればいいのかが分からないとも。でもあなたは、ファレナ様やチェカちゃんの存在を消して自分が王位に就くことは、そういう形での王座は望んでいない」
「はっ、お前俺の心を読んだのか」
「読んだわけじゃないけど、あなたがファレナ様やチェカちゃんに見せる表情や口振りからは、うっとおしいが憎んでいるというわけでもないと私には読み取れた」
「全く、賢い雌だなお前は」
「お褒めに預かり恐縮でございます、殿下」
顔色一つ変えずにクローディアが告げたので、レオナはどういう表情をしたらよいか分からず困惑した。のんびりしているようで聡く、しかし相手の神経を逆なでることはしない。彼女を手放すことはいろいろな意味で惜しいとレオナは考えた。
「あなたが留年して迄学園にとどまる理由は私にはわかりません。だけど、あなたはこの国を忌み嫌っているわけではないように思ったの。あなたが嫌いなのは、自分のことを正当に評価せず、ファレナ様を持ち上げるためにあなたを低く見積もる輩や、自分の私利私欲のために自分を抱き込もうとする輩。さて、私のことはどう見えているでしょう」
「俺はお前のその思慮深さは嫌いじゃないぜ。多少無鉄砲なところはあるが。何しろ、こんな景色を俺に見せるくらいだからな」
夕日に染まるクローディアを見つめ、レオナは自分の心を掴み取られた。昨晩、彼女が呟いた言葉が思い出された。
「他所から来た女に、自分の国の良さを教えられるとはな」
「そういうものかもしれないわよ」
そよ風が吹き、クローディアの髪が揺れた。
「私にもユニーク魔法があります。これです。”吹き荒れる嵐”」
マジカルペンを握り、目を伏せてクローディアは呪文を詠唱した。忽ち、クローディアとレオナの周りの風だけが強く舞い上がり、砂塵があたりを舞った。
「訓練のおかげで風の強さも風向きもコントロールできるようになった。念じれば竜巻も起こせるけれど、吹きさらしの風が強い私の母国ではまず使い道のない魔法ね。だから私はあの国では用無しなのよ。あなたのユニーク魔法と組み合わさったら最悪ね。うちの国王陛下はそのことに気づいて急に恐ろしくなったのかもしれないわ」
寂しそうに呟くクローディアの背中を見て、レオナは目を伏せた。尻尾がゆらりと揺れる。
使い処の難しい強力なユニーク魔法を生まれた時から持っており、自分の立場も相まって人に避けられてきた自分。
同じように強いユニーク魔法がクローディアに現れたのもごく幼い時だと聞いた。生まれた場所では生きづらい二人が出会ったのは、偶然なのかもしれない。だが境遇がこれほど近い人物が二人揃うことは珍しい。
(小さな背中だ…あの背中に一体あいつは何を背負って生きてきたんだ)
ファレナから見せられた彼女の家族写真で、クローディアは口をへの字に曲げて一人だけ離れたところに突っ立っていた。母親の膝に乗り、父親にもたれるように甘えている小さな彼女の妹とは対照的だ。望んだわけではない強い力を持て余し、家族からも扱いにくい娘として孤独な日々を送っていた彼女。レオナは思わずクローディアを背中から抱き締めた。
「レオナ?」
「用無しなんて言うな」
後ろからいきなり抱きかかえられ、クローディアは面食らった。昨日はただ恐怖を感じていた自分を支えてくれただけだと思った。今日のこれはなんだか分からない。
「お前、親父にこう言われたことはないか?”お前が男の子だったら”」
「あります。なぜそれを?」
「俺も似たようなことを言われたことがあるんだよ。死んだ俺のじいさんにな。
”レオナ、お前がファレナより先に生まれていたら”と」
クローディアはその言葉に息を呑んだ。
「兄貴は決して無能な王というわけではない。あんまり陽気すぎて能天気に見えるが、そこそこに国を治める才覚はある。だが、兄貴一人頑張っても国は変えられない。この国は貧富の格差が大きく、放置したら暴動が起きるかもしれんが、今の俺では何の力にもなれん」
「私は…男の子だったらアカデミアに進んで軍人になる予定だったそうです。父も近衛兵団の元団長でしたし、フェルマン家は軍人の家系でもあるからです。朝焼けの平原も、貴族や王族は男性長子が跡取りなので、女の子の私は用無し。年頃になると貴族の子女としてのたしなみや振る舞いを教えられ、然るべきところへ縁組される。チェスの駒です」
「クローディア」
「それでも、母国で窮屈な思いをするよりも外国の空気に触れられてよかったと思います。あなたにお会いできたことも。それだけは伝えたかった」
「ああ」
「見て、レオナ。夕日が沈む」
レオナはクローディアを後ろから抱き締めたまま、クローディアが指さす方を見た。遠くの空に、大きな夕日が沈み、あたりが夕焼けに染まるさまが見えた。
「レオナ」
クローディアが声をかけた。
「何だ」
「あなたと過ごす時間を与えてくださって、ありがとうございました」
「そうだな。俺も楽しかった」
レオナはクローディアの首元に自分の頭をもたせかけて呟いた。
「人の縁は不思議なもんだ。だが全部意味があるらしい。だからこうして今この時間、俺とお前が同じ場所にいるというのも、何か意味があるんだろうな」
「そうね」
クローディアはレオナの頭の重みを感じながら言った。
「お願いですから私にもたれて寝ないでくださいね」
「ふん」
レオナは鼻を鳴らした。喉が自然にゴロゴロ鳴った。そして、本当に彼女が明日の朝出国するのが信じられなかった。その時レオナの心の中が目まぐるしい動きを見せていたことを、クローディアは勿論のこと当のレオナ自身も気づかなかった。
昼間につないでいたレオナの手は、男性らしく武骨で、力強く、だが乾いていた。特に一本ずつしっかりと絡めるように繋がれた指先が触れた時は、切なく甘い感情が胸に沸き上がった。同時に、盗られた荷物を何とかしようと土地勘のない場所で無謀な行動に出た自分を責めず、助けてくれたレオナのことをどう考えたらいいのかと思った。
(あの人の顔を見るまで、生きて帰れるかどうかもわからなかった)
夕焼けの草原は女性兵士も多いが、自分は軍隊で鍛えているわけでもなく、ごく初級の護身術と魔法が使えるからというだけでよくあんな無鉄砲な行動をとったものだとクローディアは自分に呆れた。
(心配して、くれたんだ…)
あのつなぎ方は恋人の繋ぎ方だ。少しは気を許しているが、恋人でもない自分にああいうことをする、その意味を考えてクローディアは恥ずかしくなった。
(あと一日で私はこの国を去って、多分レオナとはもう今のような形で会うことはないだろう…)
上掛けにくるまり、クローディアは目を閉じて考えた。
(私が賢いと褒めてくれた…。紅茶の入れ方も上手いって…。迷子にならないようにしっかり手を繋いで、守ってくれた…
本当に、明日さようならなんて、それでいいのかしら)
まだ夜が明ける前の静けさの中で、クローディアの閉じた瞳から涙が一筋零れた。
「レオナ…」
自然に口から名前が発せられた。こんな気持ちになるなんて、思ってもみなかったのにと彼女はかすれた声で呟いた。その声をレオナが薄目を開けて聞いているとは、クローディアは思わなかった。
その日は他愛のない話をし、一緒にお茶を飲み、午睡の後夕暮れ時に二人は起きた。
「私、あなたに見せたいものがあるの」
「何だ、藪から棒に」
「私がこの国へ来てから見た、一番好きな場所があるの。レオナにそれを見てほしいと思って」
クローディアがレオナを、後宮の中でも特に裏口の方へ案内したので、レオナは驚いた。後宮の裏口には来たことがなかった。というか、そんなところに用事があることなどなかった。レオナが首を捻る間もなく、クローディアはレオナの手を取って通用口へ向かった。
通用口の扉は開け放してある。その扉を開けて外に出ると、平原が広がっていた。
どこも珍しい景色じゃないとレオナが唸ると、クローディアは夕日が沈む方を指さした。
大きな夕日が沈み、夕焼けがあたりを染めた。鳥は巣に帰り、あたりが静まり返っている。
「これよ。私が一番好きな場所、一番好きな時間は」
「夕暮れの、草原…俺の、国の名前のもとになった…」
「そう。レオナの国、あなたが生まれて…生きてきた場所よ」
「俺の…国」
「あなたは第二王子で、王位継承権は第二位だからクーデターでもない限り自分が王になることはないと言ったわね。そのことで、自分がどういう立ち位置でいればいいのかが分からないとも。でもあなたは、ファレナ様やチェカちゃんの存在を消して自分が王位に就くことは、そういう形での王座は望んでいない」
「はっ、お前俺の心を読んだのか」
「読んだわけじゃないけど、あなたがファレナ様やチェカちゃんに見せる表情や口振りからは、うっとおしいが憎んでいるというわけでもないと私には読み取れた」
「全く、賢い雌だなお前は」
「お褒めに預かり恐縮でございます、殿下」
顔色一つ変えずにクローディアが告げたので、レオナはどういう表情をしたらよいか分からず困惑した。のんびりしているようで聡く、しかし相手の神経を逆なでることはしない。彼女を手放すことはいろいろな意味で惜しいとレオナは考えた。
「あなたが留年して迄学園にとどまる理由は私にはわかりません。だけど、あなたはこの国を忌み嫌っているわけではないように思ったの。あなたが嫌いなのは、自分のことを正当に評価せず、ファレナ様を持ち上げるためにあなたを低く見積もる輩や、自分の私利私欲のために自分を抱き込もうとする輩。さて、私のことはどう見えているでしょう」
「俺はお前のその思慮深さは嫌いじゃないぜ。多少無鉄砲なところはあるが。何しろ、こんな景色を俺に見せるくらいだからな」
夕日に染まるクローディアを見つめ、レオナは自分の心を掴み取られた。昨晩、彼女が呟いた言葉が思い出された。
「他所から来た女に、自分の国の良さを教えられるとはな」
「そういうものかもしれないわよ」
そよ風が吹き、クローディアの髪が揺れた。
「私にもユニーク魔法があります。これです。”吹き荒れる嵐”」
マジカルペンを握り、目を伏せてクローディアは呪文を詠唱した。忽ち、クローディアとレオナの周りの風だけが強く舞い上がり、砂塵があたりを舞った。
「訓練のおかげで風の強さも風向きもコントロールできるようになった。念じれば竜巻も起こせるけれど、吹きさらしの風が強い私の母国ではまず使い道のない魔法ね。だから私はあの国では用無しなのよ。あなたのユニーク魔法と組み合わさったら最悪ね。うちの国王陛下はそのことに気づいて急に恐ろしくなったのかもしれないわ」
寂しそうに呟くクローディアの背中を見て、レオナは目を伏せた。尻尾がゆらりと揺れる。
使い処の難しい強力なユニーク魔法を生まれた時から持っており、自分の立場も相まって人に避けられてきた自分。
同じように強いユニーク魔法がクローディアに現れたのもごく幼い時だと聞いた。生まれた場所では生きづらい二人が出会ったのは、偶然なのかもしれない。だが境遇がこれほど近い人物が二人揃うことは珍しい。
(小さな背中だ…あの背中に一体あいつは何を背負って生きてきたんだ)
ファレナから見せられた彼女の家族写真で、クローディアは口をへの字に曲げて一人だけ離れたところに突っ立っていた。母親の膝に乗り、父親にもたれるように甘えている小さな彼女の妹とは対照的だ。望んだわけではない強い力を持て余し、家族からも扱いにくい娘として孤独な日々を送っていた彼女。レオナは思わずクローディアを背中から抱き締めた。
「レオナ?」
「用無しなんて言うな」
後ろからいきなり抱きかかえられ、クローディアは面食らった。昨日はただ恐怖を感じていた自分を支えてくれただけだと思った。今日のこれはなんだか分からない。
「お前、親父にこう言われたことはないか?”お前が男の子だったら”」
「あります。なぜそれを?」
「俺も似たようなことを言われたことがあるんだよ。死んだ俺のじいさんにな。
”レオナ、お前がファレナより先に生まれていたら”と」
クローディアはその言葉に息を呑んだ。
「兄貴は決して無能な王というわけではない。あんまり陽気すぎて能天気に見えるが、そこそこに国を治める才覚はある。だが、兄貴一人頑張っても国は変えられない。この国は貧富の格差が大きく、放置したら暴動が起きるかもしれんが、今の俺では何の力にもなれん」
「私は…男の子だったらアカデミアに進んで軍人になる予定だったそうです。父も近衛兵団の元団長でしたし、フェルマン家は軍人の家系でもあるからです。朝焼けの平原も、貴族や王族は男性長子が跡取りなので、女の子の私は用無し。年頃になると貴族の子女としてのたしなみや振る舞いを教えられ、然るべきところへ縁組される。チェスの駒です」
「クローディア」
「それでも、母国で窮屈な思いをするよりも外国の空気に触れられてよかったと思います。あなたにお会いできたことも。それだけは伝えたかった」
「ああ」
「見て、レオナ。夕日が沈む」
レオナはクローディアを後ろから抱き締めたまま、クローディアが指さす方を見た。遠くの空に、大きな夕日が沈み、あたりが夕焼けに染まるさまが見えた。
「レオナ」
クローディアが声をかけた。
「何だ」
「あなたと過ごす時間を与えてくださって、ありがとうございました」
「そうだな。俺も楽しかった」
レオナはクローディアの首元に自分の頭をもたせかけて呟いた。
「人の縁は不思議なもんだ。だが全部意味があるらしい。だからこうして今この時間、俺とお前が同じ場所にいるというのも、何か意味があるんだろうな」
「そうね」
クローディアはレオナの頭の重みを感じながら言った。
「お願いですから私にもたれて寝ないでくださいね」
「ふん」
レオナは鼻を鳴らした。喉が自然にゴロゴロ鳴った。そして、本当に彼女が明日の朝出国するのが信じられなかった。その時レオナの心の中が目まぐるしい動きを見せていたことを、クローディアは勿論のこと当のレオナ自身も気づかなかった。