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三日間の恋人~レオナ

 翌日、レオナは市(マーケット)の視察に行くことになっていた。
市では常設の店以外にも露店などが立ち並ぶ。月に一回の市の視察は、市の活気や物の流通を身をもって知る大事な執務でもある。レオナはファレナの名代として、時々視察に行っていた。クローディアは、市に行くなら自分を連れて行ってほしいと頼んだ。
「商店街の宝飾店に、用があるんです」
「宝飾店?」
「これを…修理に出したくて」
クローディアがトランクから取り出したのは、蝶番の壊れた折りたたみ式の鏡だった。表に黒曜石や珊瑚など、珍しい貝や宝石の屑のようなものがあしらわれている。
「宝飾店では修理もやっているのか」
「多分。真珠や宝石のアクセサリ作りやクリーニングもやっているそうだから」
視察の通り道にあるその宝飾店はルートの最後に回ることになった。

 市場は人が多く、お忍びのためにローブを頭からかぶってきたことに、レオナはすぐに後悔した。学園の式典服のフードをだらしなく下げ、クルーウェル先生に叱咤されたことがあったが、そのフード以上にローブは暑い。クローディアはベールのようなローブをかぶっており、やはり少し暑さを感じていた。
 人の波や売り子の呼び込みの声などにもまれ、気づくと左腕がふっと軽く感じた。隣にいるはずの娘が見当たらない。レオナは冷や汗をかいた。(あいつ、どこへ消えた・・・)
 自分が嫌で抜け出したとは思えない。おそらくどこかではぐれたのだろう。だが大声で彼女の名を呼ぶわけにもいかず、レオナは微かな彼女の「匂い」を頼りに探すしかなかった。
 とはいえ、それはたやすいことではなかった。人が多すぎていろいろな匂いが混じっている。まだ自分の鼻に馴染んでいないクローディアの「匂い」を探すのは一苦労だった。レオナは焦りながらなんとかうっすらと匂いのする方へ進んだ。

 クローディアは窮地に陥っていた。市から少し外れた、廃屋のある井戸のところまできて、息が切れた。
「その袋を返して」
ごろつきの男が二人、クローディアの手荷物をボールを投げ合うように投げていた。
「返せと言って返すなら警察も軍隊もいらねえよな、お嬢ちゃん」
「命が惜しかったら諦めて帰ることだな」
「お願いします、大事なものが入っているの」
「ああ?うるせえ女だ、襲っちまうぞ」
ごろつきのうちの太ったほうが怒鳴り散らす。すると、廃屋の影からすらりとした身なりのよさそうな若者が出てきた。
「無駄な抵抗はしないほうがいいですよ、お嬢さん」
「財布なら差し上げます。袋を返して欲しいんです」
「ああ?聞き分けのねえお嬢ちゃんだな」
太ったごろつきがじりじりと迫り、クローディアの体を締め上げナイフを顔に近づける。絶体絶命だとクローディアは思った。
「おい、女の顔に傷をつけるな」
先程の身なりのいい若者がごろつきに鋭い言葉を投げた。
「へえ」
「顔は地味だが着てるものは質がいい。高級娼館に売れば、お前が今持ってる荷物以上の売値がつくかもしれん」
 物陰から出てきてからずっと、この若者は舐めるように自分を見ていた。
「お頭、この女なかなか上玉ですぜ。エロい体してやがる」
痩せた男の方がクローディアの胸を嫌らしい手つきで触り、体中をいじくりまわした。下品な目つきで舐めるように見られ、その屈辱でクローディアは歯を食いしばった。絶対に涙を流してはいけない、と彼女は考えた。弱みを見せたら相手の思うつぼだ。奴隷市場に出されるか、高級娼館に売られるか。どちらにせよ、その後はどうなるか分からない。死ぬか、心が壊れるか、どちらかだ。そんなことは耐えられないと、懐に忍ばせたマジカルペンを取り出そうとしたとき、低い声が飛んできた。
「ほう、人身売買の相談とは見捨てちゃおけねえな」
声のする方を見ると、ローブを頭からかぶった男が腕組みをしてほくそえんでいた。レオナだ。
「俺たちの獲物によそもんが手をだすんじゃねえ」
「は!”俺たちの獲物!!”笑わせるな」
レオナは太った男ににじり寄った。
「おい、太っちょ。お前この国のもんじゃねえな」
「なに?!」
「ここ夕暮れの草原でのお作法はな、女性を丁重に扱うことだ。郷に入っては郷に従え。ああ、それから」
 痩せた男に体をいじくりまわされているクローディアの方を見て、一瞬レオナの髪が逆立ったように見えた。
「どこのどいつか知らねえが、人の女をベタベタ触るんじゃねえ」
痩せたほうのごろつきがナイフを構えると、すらりとした若者がレオナを見て顔色を変えた。
「あ、あの碧玉の瞳…顔の傷…ま、まさか」
ごろつきたちがレオナに飛びかかろうとしたとき、若者は止めた。
「待て!…この男は…下手に手出ししちゃいけねえ」
「しかしボス、こいつ生意気ですよ」
「お前らは流れ者だから知らないかもしれないが、…あの方は、この国の第二王子殿下だ」
「へええ?殿下だか何だか知らねえけど、そんなお坊ちゃんに何ができるっスか」
太ったほうのごろつきがナイフをクローディアに突き付けたまま唾を吐くと、ひゅっという音が飛んできた。
「砂?!」
「ほら見ろ…言わんこっちゃない」
「お頭、いったいあの男何物なんです?」
「あのお方は…夕暮れの草原第二王子殿下、レオナ・キングスカラー様だ…今のファレナ国王陛下の王弟にあたる…全てを砂に変えちまう恐ろしい魔法を使える優秀な魔法士だ…」
レオナは面白そうに指を動かした。ごろつきのナイフが叩き落とされ、砂に変わった。
「ひ、ひぃぃぃぃ」
レオナは面白そうにごろつきたちを眺めた。そしてまた何やら呪文の詠唱を始めたので、痩せたごろつきはすくみ上った。
「で、殿下の大切なお方でしたか。こ、これは失礼を」
「い、命ばかりはお助けを」
「俺の女を怖がらせただろう、お作法を守らねえ行儀の悪い奴を何で助けなきゃならん」
そして、すらりとした若者をレオナはじろりと見つめた。
「こりゃおもしれえ。お前、コブ子爵んとこの末のドラ息子じゃねえか」
 どうやら貴族の末息子らしいと、クローディアは気づいた。コブ子爵の息子は、うっと呻いた。
「最近、貴族の子弟で悪事に手を染めてる奴らがいると兄貴が頭を抱えていたが、まさかコブのおっさんのところのひょろひょろだったとはな」
コブ子爵はカンガルーの獣人で、身分は貴族の中では高くないが財務局の役人をしており、真面目な人柄で国王が高く買っている人物だ。その息子が悪党を引き連れているというのは、最近国王に引き立てられている父親を面白く思わない連中にとってはエサのようなものだった。コブ子爵の息子は青くなった。
「で、殿下…ど、どうか親父にだけは、ご内密に」
「今回は、な。面白えネタをそうそう簡単に手放すか」
レオナは腕組みをして面白そうに笑った。
「立派な親父さんを泣かすんじゃねえ。行っちまえ」
レオナの言葉に、コブ子爵の息子は慌てふためいて手下とともに逃げて行った。

「クローディア」
レオナの険しい顔に、クローディアは少しだけ怯んだ。
「全く世話の焼ける奴だ」
「怒って、る?」
クローディアはベールで顔を半分隠して尋ねた。本当は恐ろしく、足が竦みそうだったのをやっと勇気を振り絞っていたことに、レオナはその時初めて気づいた。表情は変えず、レオナは言った。
「怒ってはいない。だが急に消えちまったから焦った」
「あっという間だったの。人は多くてかき分けられないし、荷物を取り返すことだけしか考えてなかった」
クローディアが肩を落とした様子を見て、レオナは初めて表情を緩め、クローディアを腕の中に抱き留めた。
「お前がこんなはねっ返りだったとはな」
クローディアは安堵したのか、大人しくレオナの腕に倒れ込んだ。
「見つかってよかった。もう俺の傍から離れるな」
「見つけてくださって、ありがとうございました」
そして、「あなたのユニーク魔法初めて見ました」と付け加えた。
「驚いたか。あれは俺が忌み嫌われてるものの”もと”だ」
「確かに、…あれを怖いと思う人は多いでしょうね」
「そんなに荷物を取り返したかったのか」
「はい」
「返り討ちにあったとしてもか」
クローディアは頷いた。
「これ…」
クローディアが袋の中から取り出したのは、修理に出す予定の鏡だった。
「直すと言ってたものだな。どうしてそれにこだわる」
「…馬鹿げていると自分でも思うけど、これは大事なものだから」
「どういうことだ」
「これは、南洋の国のお土産なんです。私の父の…。
 父は家庭よりも宰相としての自分の立場や仕事が大事な人で、冷たい人だといつも思っている。ただ…珍しく私に買ってきてくれたお土産がこれだったの。ここに来る前の年にもらったの。どんなに父が嫌いでも、これがあるから嫌いになり切れなかった…」
淡々と話すクローディアが気の毒になった。
「失いたくない、思い出の品、か」
 レオナは、立場的には憂いを感じることが多いが、兄も義姉も甥も、暑苦しいほど自分に愛情を注いでくれていることだけは分かる。父も母も、兄と自分を比べはしても、別に冷たく当たるというほどではなかった。

 だが、クローディアは親の愛情をあまり感じられていないようだ。許嫁の話は、家から逃げるために都合がいいということで受けたのかもしれないとレオナは思った。不憫な娘だと思うだけでなく、隣から姿が消えたと知った時のぞっとするような喪失感を思い出し、クローディアが見つかってよかったと心から思った。
 王宮へ戻るときに、レオナが自分にまっすぐ手を差し出したのを見て、クローディアは驚いた。そして、自分の右手の指一本一本の間に指を絡めてしっかりと握ったことにますます驚いた。この手の繋ぎ方は簡単にほどけない。クローディアがレオナを見上げると、レオナは
「またはぐれたらシャレにならん」
「そうですね」
「帰るぞ」
ぶっきらぼうな口調ながら、自分を心配してくれていたのが分かり、クローディアの心は少し暖かくなった。


 結局、それから二人はまっすぐ宝飾店に向かい、鏡の修理を依頼している間店の中を見て回った。王族が来ることを配慮しているからか、店の中にはレオナ達しか客がいなかった。
 退屈そうに店の中を歩いていたレオナは、クローディアが何かに目を止めているのを見た。
 クローディアがその陳列棚を去ってから見ると、緑色の宝石をハートの形に削り、四葉のクローバーの形に寄せたネックレスだった。こういう物が好きなのかとレオナは思った。
 結局、蝶番の同じものが工房には在庫がなく、取り寄せになるため1週間ほどの時間がかかることがわかり、修理が出来たら連絡をすることになった。

 その夜。夕食後、歩き疲れたクローディアは早々に眠りについた。レオナは前の晩にクローディアに添削された動物言語学のレポートを清書し、ベッドに滑り込んだ。疲れていて何も考えられず、レオナはそのまま眠った。
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