三日間の恋人~レオナ
翌朝。約束通り、レオナが部屋を訪れた。
クローディアの手荷物は2年間の間にそれほど増えていなかった。
トランクの中身はほとんどが衣服や肌着、身支度を整えるものだけだった。その荷物の少なさに、レオナのほうがかえって驚いたほどだった。聞けば、ここに来てから服を新調したのは1度だけだという。
(それほどかの国は、彼女を厄介払いしたかったのだろうか)
レオナは、自分も放置したとはいえクローディアが不憫になった。
「荷物はそれだけか」
「ええ」
「そうか。じゃあ行こうか」
そう言うと、レオナは左腕を差し出した。クローディアが目を白黒させていると、「お手をどうぞ、お嬢様」とおどけた様子で言った。いろいろ言われている話を聞いているが、やはり王族だとクローディアは内心感心した。
レオナの居室は後宮から離れた王宮内で、クローディアは一度も足を踏み入れたことがない場所だった。王宮に勤める者たちは、気難しいと有名な第二王子殿下が今にも口笛を吹くのではないかというような上機嫌でいる様と、傍らで神妙な顔つきをしながら殿下の腕に捕まって歩く若い女性、その後ろから後宮の侍女ががらがらと音を立てて旅行鞄を押して行く様子に目を見張った。
大きなベッドと書き物をするためのライティング・ビュロー、窓際に寄せた椅子。レオナの部屋にあった家具はそれだけだ。
衣服は作り付けのクローゼットに入っており、特にここ数年は寮生活でほとんど実家に戻らないレオナの部屋は、部屋付きの侍女が時々片付けるので整っていた。
「大きな窓ね。後宮でこれだけ大きな窓のある部屋は、おそらく王妃様のお部屋くらいでしょう」
「俺がお前をこの部屋に呼んだ理由がわかったか?」
クローディアはしばらく首を傾げて考えていたが、慎重に言葉を運んだ。
「私の居室は窓が小さくて息苦しいからでは」
「その通りだ。息が詰まる」
「確かにそうですね」
クローディアはしばらく部屋を見まわしていた。荷物を運んできた侍女はクローディア専属ではなく、後宮の侍女だとレオナは義姉に聞いていた。2年前にクローディアが来たときに、国王はてっきり、フェルマン家か王宮の侍女か侍従が付き添ってくるのではと思っていたが、クローディアを護衛してきた朝焼けの平原の士官はそのまま帰ってしまった。不憫に思った王妃が、後宮仕えの侍女から一人をクローディア付きにしていたのだという。
(厄介払いということか。これほどあからさまなのも珍しいな)
前夜にレオナがその話を義姉から聞かされた時には、複雑な表情をするしかなかった。
「それで。これからどうするの?」
「寝る」
レオナは大きなベッドに倒れ込んだ。
「寝る?!まだお日様が昇ってさほど経っていないのに、寝るですって?」
クローディアは呆れたようにレオナを見下ろした。レオナは怠そうに唸った。
「レオナ・キングスカラー。この三日間は敬語を使わぬようにとのことなので、私は率直に!思ったことを素直にお伝えします。なんてもったいない時間の使い方を」
「じゃあどうする?この際だ、俺はお前がしたいことに付き合うぜ」
ベッドに仰向けになって含みのある笑みを見せながら、レオナは相手がどう出るかを見た。これは駆け引きだ。相手の出方次第ではどう動くかが決まる。クローディアは考え込んだ。
(私はこの人に試されているに違いないわ)
昨晩の電話で、父親に無理を言って延ばしてもらった帰国である。せめて帰国する前に、自分が嫁ぐはずだった相手について少し知っておきたいとクローディアは考えた。
「そういえば」
クローディアは慎重に言葉を紡ぎだした。
「王妃様からうかがったのだけど、あなたは大層なチェスの名手だそうね。一局お手合わせ願えないかしら」
ほう、と、レオナは少しだけ身を起こした。
「お前はチェスの心得は」
「多少は。妃教育の一つとして、王妃様に少し仕込まれました。役不足かもしれないけれど、上手い人と対局すれば自分も腕が上がるんじゃないかと思って」
レオナは鼻先だけで笑った。
「俺は容赦しないぜ。叩きのめされても泣きわめいてチェス盤をひっくり返すようなことはしねえだろうな」
「自分から対局を申し込んでおいて、そんな駄々っ子みたいなマネをするわけがないじゃないの」
ふ、と、クローディアは鼻に皺を寄せて含み笑いをした。
「ハンデはいりません。よろしくお願いします」
レオナは「しょうがねえな」と呟き、チェス盤を棚からおろしてベッドに置いた。
「ベッドで?」
「寝転がってたってできるだろう」
クローディアはしぶしぶ、ベッドに上がった。自分から仕掛けたことなのだから、最後まで舞台を降りることはできない、と、彼女は思った。
実際に対局を始めてみて、レオナはクローディアの腕がなかなかのものであることを知った。初心者ではないがと謙遜していたのが信じられない。事実、最初の一局は簡単にレオナが捻じ伏せたが、悔しがったクローディアが二局目を望んできた。次は同じようにはいかなかった。
ぎりぎりまでクローディアが粘り、だが結局引き分けとなった。
二局終わったところで、二人とも頭が沸騰するほど脳みそを酷使していることに気づいた。侍女から「お昼をお持ちしました」と声がかかるまで、時間がそれほど経っていることに気づかなかった。
昼食はサンドイッチとフルーツの盛り合わせと紅茶だ。ワゴンを運んできた侍女は「お食事が終わりましたら外に出していただければ取りに参ります」と言って引き下がった。
「大した腕だな、自分から仕掛けてくることはある」
「いえいえ。お粗末様でした。さすがね、強いわ」
褒められてなんだか悪くない気分になったレオナだった。ベーコンサンドからレタスをつまみ出そうとしたレオナに、クローディアは呆れて丸めて口に入れなさいと言った。その口調に、レオナは寮の後輩であるラギー・ブッチを思い出した。
クローディアは卵サンドがお気に入りらしく、大きな口を開けて平らげた。その素朴なしぐさに、レオナは好感を持った。
午後は、レオナの提案通り二人で昼寝をした。大きなベッドを半分ずつ使っても、余裕で寝返りができた。すぐに寝入ったレオナの横顔を、クローディアは少し体を起こして眺めた。
(綺麗な寝顔…男の人でこんなに綺麗な人ってなかなかいないかも)
長い鬣のような髪。褐色の肌。左目の傷痕。最初に顔を合わせた時は、その眼付きの鋭さと低い唸るような声に少し怖い、と感じた。
だがそれは最初だけで、そのうちぶっきらぼうな口調には悪気があるわけではないことが分かった。低い声も慣れれば心地よかった。
レオナが許嫁を放置していたのは当然だろうとクローディアは考えていた。自分が王宮に来るのと入れ違いのように、黒塗りの馬車が彼を学園に誘っていったという。学園の休暇に帰るのを面倒がり、元々は聡明で器用で何でもこなせるはずなのにたびたび手を抜き、授業をさぼり、そのおかげで留年しているのは国に帰るのがめんどくさいからだろうとクローディアは考えた。
それでも自分が帰る前に三日間を自分に割いてくれたのは、おそらく兄である国王からうるさく言われたからなのだろうが、一応礼儀は尽くしてくれているのだろうということに、クローディアの中では結論づいた。たとえぶっきらぼうに「お前」と呼ばれるとしても。
夕方になり、レオナは目を覚ました。傍らに自分の「許嫁」とされている女がいる。自分が呼んだのだが、横に女がいるのは奇妙な感じだ。
すうすうと寝息を立てて眠っているクローディアを、今度はレオナが眺めた。
(地味な女だ。だが賢い。それに、肌が綺麗だ)
白磁の陶器のような白い肌はじっくり見ると少しなまめかしい。いわゆる美人の範疇からは外れているだろうが、なかなか愛らしい娘だとレオナは思った。
まだ昨日の昼間に顔を合わせてからそんなに時間が経っていない。彼女のことは可愛らしいとは思うが、それは恋愛感情からは程遠い。おそらく彼女の方もそういう気持ちがあるわけではないだろう。
(宰相としては、”扱いが難しい娘”を政略結婚の駒に使うことで体のいい厄介払いをしたつもりだったんだろうな)
身の回りの世話をする侍女すら連れてこなかったことから考えて、彼女は捨てられたようなものかもしれないとレオナは考えた。しかし、朝焼けの平原の宰相閣下はクローディアの父親のはずだ。
(せめて父親なら少しでも、自分の娘の体裁くらい整えるのだが、どうやらそういう気はないらしいな)こうなると、彼女の親子関係はあまりよろしくないのかもしれない。本当に戻してよいものなのかと兄王が思案したと言っていたが、国王の口から帰国の延期は言い出せない。だから自分に言わせたのかと苦々しくレオナは感じた。
政略結婚のために送り込まれたのに、肝心の第二王子がほとんど不在であり、帰宅しても彼女を構わなかったのは、朝焼けの平原側としては不満だったのかもしれないが、そんなことはレオナの知ったことではない。
(別に俺はこいつが気に入らないとかそういう理由で構わなかったわけじゃないんだけどな)
ただただ面倒だから保留していたことが、こういう形で解決を迫られるのは不本意だし、それに巻き込まれたクローディアは気の毒だった。もっとも、社交の場での顔合わせのような見合いで彼女と出会っていたら、それはそれでどうなるのか分からないとレオナは思った。
(せいぜい残された時間だけでも、ましなものにしてやるか)それは珍しくレオナが少しお節介になった部分だった。
その日の夕食は国王夫妻と甥のチェカとともに取った。レオナは自分の横に神妙な顔で座って食事をしているクローディアがいるのが不思議だったが、それはクローディアも同じだった。チェカはクローディアとは何度か食事を共にしたことがあり、「おじたんとおねえたんがおとなりにすわってなかよくしてる」ことを喜んでいた。クローディアのチェカへの接し方をレオナは見ていて、子どもの扱いが上手だと感じた。
夕食の後少し時間があり、レオナは机に向かった。
「この時間から?手紙でも?」
「いや、無理やり休みを取ってきたんで、課題が出ている」
レオナは課題のファイルを見せた。
「動物言語学と初級魔法工学のレポート?」
「書くことは決めている。書くのに時間がかかるだけだ」
「見せてもらってもいいかしら?」
「こっちは下書きが終わってるからいいが、物好きだな」
クローディアは笑った。
「私は学校に行ったことがなくて、家庭教師の講義を受けているのでレポートという物を書いたことがないの。だから興味があって」
おかしな奴だなとレオナに言われながらも、クローディアはレオナが課題を片付けている間ずっと、レオナのレポートの下書きを読んでいたようだった。無駄なおしゃべりがない分集中できて、レオナのほうは助かった。
「お茶でもいれましょうか」
ひと段落ついたレオナが伸びをすると、クローディアが立ち上がって侍女を呼び、お湯と茶器のセットを運ばせた。自分でお茶を淹れたいらしい。
「随分静かだったな。そんなに面白かったか」
「添削してました。一部、文章を入れ替えたほうがいいところと、スペルミスがあります」
レオナは驚いた。いつの間にか、レポートの下書きに赤色の添削が入っていた。そこは書いている途中でまとめるのに迷った部分でもある。
「ああ、確かにここはスペルミスだな…よく気づいたな」
「本が好きなので…。文章を書くのも好きです。自分の文章を手直ししているうちに、添削のやり方を学んだ方がいいかと思って少し家庭教師に聞いて覚えました」
「大したものだな。…そうか、やはりこちらの方がいいか」
「出過ぎた真似をしてすみません」
「いや。…ありがとう、クローディア」
レオナは、ポットからお茶を注いでいたクローディアの頭を撫でた。お礼を言われたクローディアは少し頬を紅潮させ、「お役に立ててよかった」と呟いた。ポットの湯を入れ替えに立ち寄った侍女が、その声を聞いて驚いて厨房に戻ったのは言うまでもない。レオナが人にお礼を言うなど、年に数えるほどもないからだ。そんなことは知らず、レオナはクローディアが淹れたカモミールティーを飲み、その日も互いに背を向けて眠った。
クローディアの手荷物は2年間の間にそれほど増えていなかった。
トランクの中身はほとんどが衣服や肌着、身支度を整えるものだけだった。その荷物の少なさに、レオナのほうがかえって驚いたほどだった。聞けば、ここに来てから服を新調したのは1度だけだという。
(それほどかの国は、彼女を厄介払いしたかったのだろうか)
レオナは、自分も放置したとはいえクローディアが不憫になった。
「荷物はそれだけか」
「ええ」
「そうか。じゃあ行こうか」
そう言うと、レオナは左腕を差し出した。クローディアが目を白黒させていると、「お手をどうぞ、お嬢様」とおどけた様子で言った。いろいろ言われている話を聞いているが、やはり王族だとクローディアは内心感心した。
レオナの居室は後宮から離れた王宮内で、クローディアは一度も足を踏み入れたことがない場所だった。王宮に勤める者たちは、気難しいと有名な第二王子殿下が今にも口笛を吹くのではないかというような上機嫌でいる様と、傍らで神妙な顔つきをしながら殿下の腕に捕まって歩く若い女性、その後ろから後宮の侍女ががらがらと音を立てて旅行鞄を押して行く様子に目を見張った。
大きなベッドと書き物をするためのライティング・ビュロー、窓際に寄せた椅子。レオナの部屋にあった家具はそれだけだ。
衣服は作り付けのクローゼットに入っており、特にここ数年は寮生活でほとんど実家に戻らないレオナの部屋は、部屋付きの侍女が時々片付けるので整っていた。
「大きな窓ね。後宮でこれだけ大きな窓のある部屋は、おそらく王妃様のお部屋くらいでしょう」
「俺がお前をこの部屋に呼んだ理由がわかったか?」
クローディアはしばらく首を傾げて考えていたが、慎重に言葉を運んだ。
「私の居室は窓が小さくて息苦しいからでは」
「その通りだ。息が詰まる」
「確かにそうですね」
クローディアはしばらく部屋を見まわしていた。荷物を運んできた侍女はクローディア専属ではなく、後宮の侍女だとレオナは義姉に聞いていた。2年前にクローディアが来たときに、国王はてっきり、フェルマン家か王宮の侍女か侍従が付き添ってくるのではと思っていたが、クローディアを護衛してきた朝焼けの平原の士官はそのまま帰ってしまった。不憫に思った王妃が、後宮仕えの侍女から一人をクローディア付きにしていたのだという。
(厄介払いということか。これほどあからさまなのも珍しいな)
前夜にレオナがその話を義姉から聞かされた時には、複雑な表情をするしかなかった。
「それで。これからどうするの?」
「寝る」
レオナは大きなベッドに倒れ込んだ。
「寝る?!まだお日様が昇ってさほど経っていないのに、寝るですって?」
クローディアは呆れたようにレオナを見下ろした。レオナは怠そうに唸った。
「レオナ・キングスカラー。この三日間は敬語を使わぬようにとのことなので、私は率直に!思ったことを素直にお伝えします。なんてもったいない時間の使い方を」
「じゃあどうする?この際だ、俺はお前がしたいことに付き合うぜ」
ベッドに仰向けになって含みのある笑みを見せながら、レオナは相手がどう出るかを見た。これは駆け引きだ。相手の出方次第ではどう動くかが決まる。クローディアは考え込んだ。
(私はこの人に試されているに違いないわ)
昨晩の電話で、父親に無理を言って延ばしてもらった帰国である。せめて帰国する前に、自分が嫁ぐはずだった相手について少し知っておきたいとクローディアは考えた。
「そういえば」
クローディアは慎重に言葉を紡ぎだした。
「王妃様からうかがったのだけど、あなたは大層なチェスの名手だそうね。一局お手合わせ願えないかしら」
ほう、と、レオナは少しだけ身を起こした。
「お前はチェスの心得は」
「多少は。妃教育の一つとして、王妃様に少し仕込まれました。役不足かもしれないけれど、上手い人と対局すれば自分も腕が上がるんじゃないかと思って」
レオナは鼻先だけで笑った。
「俺は容赦しないぜ。叩きのめされても泣きわめいてチェス盤をひっくり返すようなことはしねえだろうな」
「自分から対局を申し込んでおいて、そんな駄々っ子みたいなマネをするわけがないじゃないの」
ふ、と、クローディアは鼻に皺を寄せて含み笑いをした。
「ハンデはいりません。よろしくお願いします」
レオナは「しょうがねえな」と呟き、チェス盤を棚からおろしてベッドに置いた。
「ベッドで?」
「寝転がってたってできるだろう」
クローディアはしぶしぶ、ベッドに上がった。自分から仕掛けたことなのだから、最後まで舞台を降りることはできない、と、彼女は思った。
実際に対局を始めてみて、レオナはクローディアの腕がなかなかのものであることを知った。初心者ではないがと謙遜していたのが信じられない。事実、最初の一局は簡単にレオナが捻じ伏せたが、悔しがったクローディアが二局目を望んできた。次は同じようにはいかなかった。
ぎりぎりまでクローディアが粘り、だが結局引き分けとなった。
二局終わったところで、二人とも頭が沸騰するほど脳みそを酷使していることに気づいた。侍女から「お昼をお持ちしました」と声がかかるまで、時間がそれほど経っていることに気づかなかった。
昼食はサンドイッチとフルーツの盛り合わせと紅茶だ。ワゴンを運んできた侍女は「お食事が終わりましたら外に出していただければ取りに参ります」と言って引き下がった。
「大した腕だな、自分から仕掛けてくることはある」
「いえいえ。お粗末様でした。さすがね、強いわ」
褒められてなんだか悪くない気分になったレオナだった。ベーコンサンドからレタスをつまみ出そうとしたレオナに、クローディアは呆れて丸めて口に入れなさいと言った。その口調に、レオナは寮の後輩であるラギー・ブッチを思い出した。
クローディアは卵サンドがお気に入りらしく、大きな口を開けて平らげた。その素朴なしぐさに、レオナは好感を持った。
午後は、レオナの提案通り二人で昼寝をした。大きなベッドを半分ずつ使っても、余裕で寝返りができた。すぐに寝入ったレオナの横顔を、クローディアは少し体を起こして眺めた。
(綺麗な寝顔…男の人でこんなに綺麗な人ってなかなかいないかも)
長い鬣のような髪。褐色の肌。左目の傷痕。最初に顔を合わせた時は、その眼付きの鋭さと低い唸るような声に少し怖い、と感じた。
だがそれは最初だけで、そのうちぶっきらぼうな口調には悪気があるわけではないことが分かった。低い声も慣れれば心地よかった。
レオナが許嫁を放置していたのは当然だろうとクローディアは考えていた。自分が王宮に来るのと入れ違いのように、黒塗りの馬車が彼を学園に誘っていったという。学園の休暇に帰るのを面倒がり、元々は聡明で器用で何でもこなせるはずなのにたびたび手を抜き、授業をさぼり、そのおかげで留年しているのは国に帰るのがめんどくさいからだろうとクローディアは考えた。
それでも自分が帰る前に三日間を自分に割いてくれたのは、おそらく兄である国王からうるさく言われたからなのだろうが、一応礼儀は尽くしてくれているのだろうということに、クローディアの中では結論づいた。たとえぶっきらぼうに「お前」と呼ばれるとしても。
夕方になり、レオナは目を覚ました。傍らに自分の「許嫁」とされている女がいる。自分が呼んだのだが、横に女がいるのは奇妙な感じだ。
すうすうと寝息を立てて眠っているクローディアを、今度はレオナが眺めた。
(地味な女だ。だが賢い。それに、肌が綺麗だ)
白磁の陶器のような白い肌はじっくり見ると少しなまめかしい。いわゆる美人の範疇からは外れているだろうが、なかなか愛らしい娘だとレオナは思った。
まだ昨日の昼間に顔を合わせてからそんなに時間が経っていない。彼女のことは可愛らしいとは思うが、それは恋愛感情からは程遠い。おそらく彼女の方もそういう気持ちがあるわけではないだろう。
(宰相としては、”扱いが難しい娘”を政略結婚の駒に使うことで体のいい厄介払いをしたつもりだったんだろうな)
身の回りの世話をする侍女すら連れてこなかったことから考えて、彼女は捨てられたようなものかもしれないとレオナは考えた。しかし、朝焼けの平原の宰相閣下はクローディアの父親のはずだ。
(せめて父親なら少しでも、自分の娘の体裁くらい整えるのだが、どうやらそういう気はないらしいな)こうなると、彼女の親子関係はあまりよろしくないのかもしれない。本当に戻してよいものなのかと兄王が思案したと言っていたが、国王の口から帰国の延期は言い出せない。だから自分に言わせたのかと苦々しくレオナは感じた。
政略結婚のために送り込まれたのに、肝心の第二王子がほとんど不在であり、帰宅しても彼女を構わなかったのは、朝焼けの平原側としては不満だったのかもしれないが、そんなことはレオナの知ったことではない。
(別に俺はこいつが気に入らないとかそういう理由で構わなかったわけじゃないんだけどな)
ただただ面倒だから保留していたことが、こういう形で解決を迫られるのは不本意だし、それに巻き込まれたクローディアは気の毒だった。もっとも、社交の場での顔合わせのような見合いで彼女と出会っていたら、それはそれでどうなるのか分からないとレオナは思った。
(せいぜい残された時間だけでも、ましなものにしてやるか)それは珍しくレオナが少しお節介になった部分だった。
その日の夕食は国王夫妻と甥のチェカとともに取った。レオナは自分の横に神妙な顔で座って食事をしているクローディアがいるのが不思議だったが、それはクローディアも同じだった。チェカはクローディアとは何度か食事を共にしたことがあり、「おじたんとおねえたんがおとなりにすわってなかよくしてる」ことを喜んでいた。クローディアのチェカへの接し方をレオナは見ていて、子どもの扱いが上手だと感じた。
夕食の後少し時間があり、レオナは机に向かった。
「この時間から?手紙でも?」
「いや、無理やり休みを取ってきたんで、課題が出ている」
レオナは課題のファイルを見せた。
「動物言語学と初級魔法工学のレポート?」
「書くことは決めている。書くのに時間がかかるだけだ」
「見せてもらってもいいかしら?」
「こっちは下書きが終わってるからいいが、物好きだな」
クローディアは笑った。
「私は学校に行ったことがなくて、家庭教師の講義を受けているのでレポートという物を書いたことがないの。だから興味があって」
おかしな奴だなとレオナに言われながらも、クローディアはレオナが課題を片付けている間ずっと、レオナのレポートの下書きを読んでいたようだった。無駄なおしゃべりがない分集中できて、レオナのほうは助かった。
「お茶でもいれましょうか」
ひと段落ついたレオナが伸びをすると、クローディアが立ち上がって侍女を呼び、お湯と茶器のセットを運ばせた。自分でお茶を淹れたいらしい。
「随分静かだったな。そんなに面白かったか」
「添削してました。一部、文章を入れ替えたほうがいいところと、スペルミスがあります」
レオナは驚いた。いつの間にか、レポートの下書きに赤色の添削が入っていた。そこは書いている途中でまとめるのに迷った部分でもある。
「ああ、確かにここはスペルミスだな…よく気づいたな」
「本が好きなので…。文章を書くのも好きです。自分の文章を手直ししているうちに、添削のやり方を学んだ方がいいかと思って少し家庭教師に聞いて覚えました」
「大したものだな。…そうか、やはりこちらの方がいいか」
「出過ぎた真似をしてすみません」
「いや。…ありがとう、クローディア」
レオナは、ポットからお茶を注いでいたクローディアの頭を撫でた。お礼を言われたクローディアは少し頬を紅潮させ、「お役に立ててよかった」と呟いた。ポットの湯を入れ替えに立ち寄った侍女が、その声を聞いて驚いて厨房に戻ったのは言うまでもない。レオナが人にお礼を言うなど、年に数えるほどもないからだ。そんなことは知らず、レオナはクローディアが淹れたカモミールティーを飲み、その日も互いに背を向けて眠った。