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君はまだ蛹~ヴィル

 病院の屋上で、空を眺めながらヴィルは考え込んでいた。
自分が自分に求めてきた「美」の概念は決して間違っていないと思いたかった。しかし、マネージャーのアデラがヴィルに取ってくる役は相変わらず悪役だ。悪役は最後まで舞台に立っていられない。最後まで舞台に立っていたいヴィルはずっと焦れていた。役者としての才能があるが故、当たり役をキャリアのごく初期に引き当ててしまったのが因果だ。
(それでも、アタシは舞台に立ち続けようとあがいた)
 昔の子役仲間が一人ずつ、その舞台を降りて行った。ある者は、体や外見の成長と求められるもののギャップに苦しんで。そしてある者は、自分の限界を感じて。イディスもそんな一人だった。

 ヴィルは、イディスにもう一度芸能の世界へ戻ってきてほしいと考えたわけではない。彼女は子役をしながら勉強も欠かさずしていたし、台詞覚えがよかったのもその賢さからくるものだった。
 それではなぜ、自分はイディスにダイエットを勧め、彼女を気にかけたのだろう。
(あの子はいつも笑顔だった。…モデルとして最後の仕事だったあの日まで、ずっと)
 ヴィルは、イディスとともにインテリア雑誌のモデルとして仕事をしたことを思いだした。その仕事が、イディスの実質的な最後のモデルの仕事だった。その時もずっとイディスは微笑んでいた。すでに両親が不仲になりかけていたというのに。
 そして、数年ぶりに会ったイディスは外見が変わってしまっただけでなく、おどおどして、自信もなく下を向き、笑顔が消えていた。
「アタシはそれが許せなかった」
言葉に出してもしっくりこない。ヴィルは頭を振って考え込んだ。違う、そうじゃなかった。ただ、悲しかったのだ。

 ヴィルは病室に戻った。ベッドの上で憔悴して横たわるイディスの顔を眺める。ふと、イディスの目が開いた。
「あ、ヴィリー」
「あんたって…勉強ができるバカだったのね」
「ご、ごめんなさい」
イディスは消え入りそうな声で布団にもぐった。
「本当にごめんなさいでしょ。アタシの計算しつくしたプログラムをどういう効果があるのか検討もせず、勝手にアレンジするなんて…。それでよく法の番人になるなんて言うわね」
「…本当にごめんなさい…もっと早く痩せたかったの…痩せて、奇麗になって、ヴィリーに褒めてほしかった…」
「バカね、あんたは」
ヴィルはベッドの横にひざまづいた。
「いい、太りすぎもダメだけど、過激なダイエットで痩せても命に関わるのよ。いくら痩せて綺麗になったって、死んだら意味ないじゃない」
「ヴィリー…ごめん、ごめんなさい…」
「はあ、アンタ、なんで謝るのよ」
「だって、私…バカなことした…」
「1つだけ褒めてあげるわ。方法は思いっきり間違ってるけど、あんたのその根性は大したもんよ。
 あんたが変わりたいなら、もう一度アタシがトレーナーになってあんたのダイエット手伝うけど。どう?」
「ほんとに?いいの?」
「まあね。中途半端は嫌いなの。知ってるでしょう。とことん付き合うわよ、覚悟なさい」
「うん!ありがとう。でもヴィリー…どうしてそこまで」
 ヴィルの顔が赤くなった。気づかなかった自分も間抜けだと彼は思った。
「そのネックレス、リリーベホイムの新作じゃない。コレクションでお披露目したばかりなのにどうしてアンタが」
イディスは首元のネックレスに手を触れた。
「これは…ママが…。お誕生日に面会できなかったからってプレゼントでくれたんだけど…」
「それ、アタシのデザインよ」
 ネックレスのモチーフは、蝶々(パピヨン)。
蝶々のモチーフはイディスのお気に入りだった。
「ヴィリーのデザイン?どうしてこれを…」
「あんたの元気がないから…あんたのママに頼んだのよ。これをつけて、元気を出してって」
いつもクールで冷静なヴィルが顔を赤く染めている。
「い、いつまで蛹のままで閉じこもってるつもり?羽を広げなさい。あんたは綺麗な蝶になれる。アタシが言うんだから間違いないわ」
イディスは痩せて細くなった指先で金色の蝶のモチーフをなぞった。羽の部分に桃色の石がはめ込んである。
「この石…」
それはパワーストーンだとヴィルは言った。
「ピンクオパール、希望の石よ。あんたの才能を引き出す力を持っている。それと…魅力もね」
「ヴィル」
「あんたとの仕事はいつも刺激的で、充実していて…ずっとこのまま二人で上っていくんだと思っていた。でもあんたがモデルを引退して、事務所をやめてしまって、なんだか物足りない気持ちをずっと抱えてきたの。なんでやめたんだってあんたを恨んだことすらある。でも、久しぶりに会って、あんたはあんたのやろうとしていることを頑張っているんだってわかって…どんな形であんたを応援できるのか、そのことばかり今は考えている」
「どうしてそこまで。私はもう引退した人間なのに」
「わかんない?」
イディスは首を横に振った。
不意に、ふわっと甘く、だが魅力的な香りが近づいた。
「ほんっとにあんたって子は、”勉強ができる”くせにおバカさんね」
「ヴィリー」
「世界一の美を目指して、性別すら超越しようとしてきた、このアタシが」
ヴィルは言葉を切った。
「たった一人の女の子の前でこうも恰好つかなくなるとはな。驚いたよ。君は僕をただの男に変えてしまう子だ」
「ヴィル、それって…」
「ああ、バカげてる。本当に呆れるほど君が好きだ。だから、失ってしまった君の笑顔を、もう一度取り戻してほしかった」
「う…」
「これが僕のひとり相撲でも構わない。イディス、君の笑顔を見たい」
 イディスはヴィルを見つめた。端正な、美しい顔。だが自分を抱きしめる彼の腕の力は強く、改めてヴィルが「男の子」なのだとイディスは感じた。
「ヴィル、私、あなたを…」
おずおずと開きかけたイディスの唇を、ヴィルの右手人差し指が吹ふさぐ。
「それは僕に言わせてほしい。イディス、君が好きだ」
「ヴィル…」
耳元に囁きながら、ヴィルはイディスの髪を撫でた。
「私がヴィルを好きになっていいのかしら…こんなみっともない子が」
「あああ、あんたって本当におバカさん」
その次に囁いた言葉を、ヴィルがどんな顔をして言ったのか、イディスにはついに確かめられなかった。
「蛹の姿が冴えないからこそ、蝶々になった時の美しさが引き立つのよ」
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