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君はまだ蛹~ヴィル

 入院したイディスはしばらく静養の必要があった。
 そのため、面接試験の練習をあきらめ、体力を戻すことに専念した。急激なダイエットからくる低血糖症状と勉強に根を詰めたための疲労と睡眠不足、栄養のバランスが崩れていたのだ。

彼女にとって良かったのは、母が付き添ってくれたことだった。ヴィルはイディスの父親に、母親の場所を聞いた。父親は肥満で醜い姿のイディスを厄介払いしたがっていたので、別居している母親に娘を押し付けることになっても顔色1つ変えず、ヴィルの使いでイディスの父親に会ったマネージャーのアデラが困惑していた。

「お久しぶりです、マダム」
「ヴィリー、いえ、ヴィル・シェーンハイト。活躍は目にしていますよ」
見舞いに来たヴィルは、イディスの母親と病院のカフェテリアで向かい合った。
「娘がこんなことになっているなんて…。知らせてくれてありがとう」
「いえ。お節介でしたか」
「とんでもない。寮にいるからと安心しきっていた私は母親失格ね。私たちが離婚したのを」
「イーディから聞きました」
マダム・レイヤーはため息をついた。
「…ヴィリー、あなたがあの子を気にかけてくれていたなんてね。意外だったわ」
そういえば、昔は一緒に仕事をすることも多かったが、決していつも仲良く、というわけでもなかったなとヴィルは思い出した。初めての現場にいつも足が竦んでしまうイディスを、ヴィルは叱咤激励していたことも多い。
「イーディは、娘は…昔のわたくしです」
イディスの母はゆっくりと顔を上げて話をし始めた。
細身で神経質な外見の、イディスの母はかつて10代の終わりに、イディスと同じように過食症に苦しんだ。過激なダイエットに失敗し、リバウンドをして、結婚するまで風船のような姿だったのだ。
 自分と同じく、太りやすい体質のイディスを母親は完璧に管理し、キッズモデルとしての体型を維持させていた。自分が失敗したからこそ、科学的な方法で、できるだけ健康に害を及ぼさない方法を模索したのだ。
「マダム・レイヤーは…病院の管理栄養士でしたね」
イディスの母は自分の経験から管理栄養士としても「本当にかんたんでヘルシーなダイエットブック」などのダイエット食の本を出している。そのうちの3分の1のネタは娘の管理からできたものだった。

 だが、イディスの身長が止まり、キッズモデルとしての需要がなくなってきた頃から両親は不仲になった。それと並行して、「仕事が忙しい」と滅多に帰宅しなくなった父親が「若い」「モデルの」女性たちと浮気を繰り返すようになった。
 身長が止まり、ふっくらと女性らしい体つきになってきたイディスを父親は「豚」と呼び、「だらしない体型」「努力していない子はパパは嫌いだ」と、罵声を浴びせるようになった。離婚したときにイディスの母は勤務していた病院の職員宿舎に移ったが、単身者用の宿舎にイディスを連れていくことができなかった。
「イーディが全寮制の学校に入っていたのは進学のためだけじゃなかったのですね」
「…それしか娘を守る方法を思いつかなかったのよ…。元夫は手を挙げることはない。でも言葉の暴力はひどかった。あの子を離すために、それまで通っていた学校から無理やり転校させた。私も仕事が忙しいとはいえ、あの子に構ってやれなかった…かわいそうなことをしてしまったわ」
ヴィルは両手を組み合わせ、顎を載せてマダム・レイヤーの話を聞いていた。
「イーディの机にあった、あなたのダイエットプログラム見たわ。
 この通りに実行したら、確かに成果を上げられる。いいプログラムだわね。”ヴィル・メソッド”として売り出してもいいくらい。でも…」
「イーディはアタシの指示通りやらなくなった」
「そう。ヴィリー、なぜだと思う?」
分からなかった。イディスは頭が悪い子ではない。自分が提示したプログラム通り実行した最初の2週間の痩せ方は健康的だった。面会の期間をあけたのも、焦って急激に体重を落とすことだけを考えず、確実に体を絞ることを実践してもらうためだったのに。
「…焦ったのよ。早く痩せなきゃって」
「愚かな…」
ヴィルはため息をついた。
「全部、あなたのためよ。ヴィル」
「アタシの?」
どういうことだろう。イディスの母はため息をついた。
「それはね、イディスにとってあなたと一緒に仕事をしていたあの頃が一番楽しかったから…その頃に戻りたかったのだと言っていたわ」
その先は、言わなくても分かった。
 どうして自分が、昔馴染みだっただけのイディスにあんなに必死だったのか。とっておきのダイエットプログラムを施したのか。疲れを取るための磁気ネックレス、などと言ってイディスにアクセサリーをプレゼントしたのか。イディスの誕生日なんて忘れているはずだった。
 本当は。

(アタシは、イーディに昔みたいに笑ってほしかった)

イディスの笑顔は最高だった。一緒に仕事をしながら、彼女のあの微笑みに勝ちたいと自分を磨いた。だが同時に、「女の子」であるイディスと自分とは違うということも、聡いヴィルには分かっていた。イディスがいると心が和んだ。学業に専念するためにモデルをやめると、イディスが最初に伝えたのもマネージャーではなくヴィルだった。その時は寂しい気持ちが強く、心の中の隙間に気が付かないまま、ヴィルは新たなライバルになったネージュ・リュバンシェへの闘争心を募らせていった。

「ヴィル、娘にとって、あなたはずっと”憧れの王子様”だったの。
あなたと仕事をしてきた日のあの子は機嫌がよかった。だからこそ、あなたをがっかりさせたくなかったのかもしれない」
そういうと、マダム・レイヤーは鞄から少し古い雑誌の切り抜きを取り出してテーブルに置いた。ヴィルはその切り抜きを一目見て、息を呑んだ。
「こ、これ…」
 それは、ファッション雑誌の1ページだった。
子どもの頃の端正な顔の貴公子然としたヴィルと、バラ色の頬をした愛らしいイディスがおとぎの国の王子と王女の扮装で写っている。そして…。

 イディスの字で、切り抜きにはこう書かれていた。

”My dear Vil. I love you!"
 
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