四話
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
四話
尾形に連れられて、ようやく街に降りてきた。
木造や石造りの建物が並び、人々は和装で出歩いている。
昨日見た小樽の街並みとはかけ離れていて、それらを見ていると心細くなり、防寒用にと着物の上からかけて貰ったショールの端を手で掴んだ。
少し歩くと尾形は立ち止まって、暖簾のかかった木造の平屋に入る。
どうやらここが宿らしく、女将らしい女性が出てきて宿泊の手続きをしてくれた。
「じゃあ、上手くやれよ」
尾形はそれだけ言うと立ち去ろうとしたので、ナマエは慌てて彼を引き止める。
「ちょっと待ってもらっていいですか」
思わず彼の腕を掴むと、なんだよ、と尾形は面倒そうにナマエを見返した。
「尾形さん、これっきりとかではないですよね…?また会えますよね?」
宿の女将の目を盗むようにしながら、ナマエが声をひそめて問いかけると、尾形はにやりと笑った。
「部屋に会いに来いって?未来から来た女ってのは随分積極的なんだな」
そう言いながら、尾形はナマエに掴まれた腕をちらりと見やったので、慌てて手を離した。
「そう言う意味じゃないです。ただ……その、私には尾形さんしかいないので」
「ならちゃんとお願いしろよ」
彼はにやりと笑うと、黒い瞳でナマエをじっと見つめた。
丸一日この男と行動を共にして分かったことだが、彼は中々の捻くれ者のようだ。
尾形の高圧的な態度は好きになれそうにないが、ここは大人しくしておくべきだろう。
「……会いに来てください、尾形さん」
「えらい棒読みだな」
「いえ、そんなことはないです」
彼はフンと息を吐いてから言葉を続けた。
「街をうろつくくらいならいいが、間違っても山に入るなよ。あと軍関係の施設にも行くな」
「分かりました」
その後尾形は本当に出て行ってしまった。
不安が心にのしかかるが、気を確かに持とうと自分を勇気付ける。
女将に声をかけられて、部屋へと案内された。
こじんまりとしていて、簡素な部屋だが布団があるだけで有り難く感じる。
「じゃ、ごゆっくり。……ねえ、さっきの兵隊さんから聞いたけど、何も覚えてないんだって?」
「え?ああ、はい。そうなんですよ」
女将に話しかけられて答えた時に、ナマエの腹の虫が鳴った。
あら、お腹空いてるの、と女将は言うと、ちょっと待ってなさいとどこかへ行ってしまう。
ナマエは部屋の端にそろりと腰を下ろすと、彼女の戻りを待った。
指先が古い畳のざらざらとした感触をとらえる。
やがて女将は皿に乗せたおにぎりを持ってきて座卓に置くと、おあがりなさいと言った。
有り難く頂くと、美味しい。
そういえば、丸一日何も食べていなかった。
もぐもぐと食べるナマエを見ながら、女将がお茶を二人分入れると自らも座布団に座る。
「もう、びっくりしたよ。あたし、記憶喪失のお嬢さんなんて初めて見たから……あんたも大変だったねぇ」
お茶をズズッと啜って、女将は珍しそうにナマエを見ている。
目の前に現れた奇妙な女に興味津々らしい。
「でもあんた、運がいいよ。だって、北鎮部隊の兵隊さんに目をかけてもらってんだから。
本当立派だねぇ、南樺太を取り返すような強さと、お嬢ちゃんみたいなの拾って世話してやるような親切心まで持ってるなんてさぁ」
女将はうんうんと頷くと、湯呑みを置いてさらに続ける。
「この辺りは私娼窟も多いからねぇ。運が悪けりゃ、売られてたよきっと」
「う、売られる……」
米粒をごくんと飲み込んで、ナマエは今更お腹のあたりがすうっと冷えるような心地がした。
女将の言う通りだ。自分はなんて運が良かったのだろう。
先程尾形の性格に文句をつけた事を心の中で謝った。
「つまり、あんたあの兵隊さんといい仲なんだろう?若いってのはいいねぇ〜」
あたしも若い頃はねぇ、と語り始めそうになったのを遮るように、ナマエは急いで訂正した。
「いえ、違いますよ。……単に、あの兵隊さんが親切だっただけです」
「嘘だあ、だってあんた、数日分の宿泊費とほかに困ってることがあったら助けてやってくれって言ってきたんだから。男にここまで言わせといて、何言ってんだい」
ナマエは意外に思って口を噤んだ。
まさか尾形がそこまで世話を焼いてくれていたとは知らず、気持ちが温まっていくのを感じる。
この温度があれば、この明治時代でもなんとかやっていけるような気がした。
「尾形さん、そんな事を言ってくれてたんですか……知りませんでした」
「フン、素直になれないんだろうよ。察してやりな。それがいい女ってもんだからね」
じゃあね、と女将は好き勝手言うと満足したのか立ち去ろうとする。
そんな彼女を、ナマエは待って、と言って引き止めた。
「……あの、もし良かったら…ここで働かせて下さいませんか。住み込みで」
いつまでも尾形に頼っているわけにはいかないし、令和に戻れるまではとにかくこの時代で生き抜いていかなくてはならない。
ナマエは必死な思いで女将を見つめると、彼女は少し考えるそぶりを見せたが いいよ、と返事をした。
「じゃあ明日から働きな。ちょうど若い子を雇おうと思ってたしね」
そう言うと、今日はゆっくりお休みと言って彼女は出て行った。
ナマエは僅かに光が射したような心地がして、少しぬるくなったお茶を啜る。
「美味しい」
ナマエの声が、ぽつんと狭い部屋に溢れた。
尾形に連れられて、ようやく街に降りてきた。
木造や石造りの建物が並び、人々は和装で出歩いている。
昨日見た小樽の街並みとはかけ離れていて、それらを見ていると心細くなり、防寒用にと着物の上からかけて貰ったショールの端を手で掴んだ。
少し歩くと尾形は立ち止まって、暖簾のかかった木造の平屋に入る。
どうやらここが宿らしく、女将らしい女性が出てきて宿泊の手続きをしてくれた。
「じゃあ、上手くやれよ」
尾形はそれだけ言うと立ち去ろうとしたので、ナマエは慌てて彼を引き止める。
「ちょっと待ってもらっていいですか」
思わず彼の腕を掴むと、なんだよ、と尾形は面倒そうにナマエを見返した。
「尾形さん、これっきりとかではないですよね…?また会えますよね?」
宿の女将の目を盗むようにしながら、ナマエが声をひそめて問いかけると、尾形はにやりと笑った。
「部屋に会いに来いって?未来から来た女ってのは随分積極的なんだな」
そう言いながら、尾形はナマエに掴まれた腕をちらりと見やったので、慌てて手を離した。
「そう言う意味じゃないです。ただ……その、私には尾形さんしかいないので」
「ならちゃんとお願いしろよ」
彼はにやりと笑うと、黒い瞳でナマエをじっと見つめた。
丸一日この男と行動を共にして分かったことだが、彼は中々の捻くれ者のようだ。
尾形の高圧的な態度は好きになれそうにないが、ここは大人しくしておくべきだろう。
「……会いに来てください、尾形さん」
「えらい棒読みだな」
「いえ、そんなことはないです」
彼はフンと息を吐いてから言葉を続けた。
「街をうろつくくらいならいいが、間違っても山に入るなよ。あと軍関係の施設にも行くな」
「分かりました」
その後尾形は本当に出て行ってしまった。
不安が心にのしかかるが、気を確かに持とうと自分を勇気付ける。
女将に声をかけられて、部屋へと案内された。
こじんまりとしていて、簡素な部屋だが布団があるだけで有り難く感じる。
「じゃ、ごゆっくり。……ねえ、さっきの兵隊さんから聞いたけど、何も覚えてないんだって?」
「え?ああ、はい。そうなんですよ」
女将に話しかけられて答えた時に、ナマエの腹の虫が鳴った。
あら、お腹空いてるの、と女将は言うと、ちょっと待ってなさいとどこかへ行ってしまう。
ナマエは部屋の端にそろりと腰を下ろすと、彼女の戻りを待った。
指先が古い畳のざらざらとした感触をとらえる。
やがて女将は皿に乗せたおにぎりを持ってきて座卓に置くと、おあがりなさいと言った。
有り難く頂くと、美味しい。
そういえば、丸一日何も食べていなかった。
もぐもぐと食べるナマエを見ながら、女将がお茶を二人分入れると自らも座布団に座る。
「もう、びっくりしたよ。あたし、記憶喪失のお嬢さんなんて初めて見たから……あんたも大変だったねぇ」
お茶をズズッと啜って、女将は珍しそうにナマエを見ている。
目の前に現れた奇妙な女に興味津々らしい。
「でもあんた、運がいいよ。だって、北鎮部隊の兵隊さんに目をかけてもらってんだから。
本当立派だねぇ、南樺太を取り返すような強さと、お嬢ちゃんみたいなの拾って世話してやるような親切心まで持ってるなんてさぁ」
女将はうんうんと頷くと、湯呑みを置いてさらに続ける。
「この辺りは私娼窟も多いからねぇ。運が悪けりゃ、売られてたよきっと」
「う、売られる……」
米粒をごくんと飲み込んで、ナマエは今更お腹のあたりがすうっと冷えるような心地がした。
女将の言う通りだ。自分はなんて運が良かったのだろう。
先程尾形の性格に文句をつけた事を心の中で謝った。
「つまり、あんたあの兵隊さんといい仲なんだろう?若いってのはいいねぇ〜」
あたしも若い頃はねぇ、と語り始めそうになったのを遮るように、ナマエは急いで訂正した。
「いえ、違いますよ。……単に、あの兵隊さんが親切だっただけです」
「嘘だあ、だってあんた、数日分の宿泊費とほかに困ってることがあったら助けてやってくれって言ってきたんだから。男にここまで言わせといて、何言ってんだい」
ナマエは意外に思って口を噤んだ。
まさか尾形がそこまで世話を焼いてくれていたとは知らず、気持ちが温まっていくのを感じる。
この温度があれば、この明治時代でもなんとかやっていけるような気がした。
「尾形さん、そんな事を言ってくれてたんですか……知りませんでした」
「フン、素直になれないんだろうよ。察してやりな。それがいい女ってもんだからね」
じゃあね、と女将は好き勝手言うと満足したのか立ち去ろうとする。
そんな彼女を、ナマエは待って、と言って引き止めた。
「……あの、もし良かったら…ここで働かせて下さいませんか。住み込みで」
いつまでも尾形に頼っているわけにはいかないし、令和に戻れるまではとにかくこの時代で生き抜いていかなくてはならない。
ナマエは必死な思いで女将を見つめると、彼女は少し考えるそぶりを見せたが いいよ、と返事をした。
「じゃあ明日から働きな。ちょうど若い子を雇おうと思ってたしね」
そう言うと、今日はゆっくりお休みと言って彼女は出て行った。
ナマエは僅かに光が射したような心地がして、少しぬるくなったお茶を啜る。
「美味しい」
ナマエの声が、ぽつんと狭い部屋に溢れた。