二十話
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二十話
森で麝香鹿を獲ったりしながら、一行は犬橇で敷香を目指し北上していた。吐く息がますます白くなり、手袋が必要な寒さになってくる。尾形は手袋で暖まったナマエの手をたびたび握った。わざわざ手袋を取ってから触るので、ヒヤリと冷たい。どうやらそうやって、人の手で暖を取っているらしい。手袋をしたらいいのに、と言ったけれど、尾形は まだいい、と言ってナマエの手を握るのだった。
暖の取り方は、それだけではなかった。寒さが厳しくなる夜更け、ナマエの着込んだ衣服の一番奥へ、緻密に銃を扱う掌を滑り込ませる。人目につかない森の奥や、宿泊している建物の物陰で。薄く笑う尾形の唇から、ちらりと覗く赤い舌は柔らかく濡れていて温かい。冷えて澄んだ空気の中に、整髪料の匂いがふわりと混ざる。燃えるように熱くなった頬を、尾形の冷たい掌が包んだ。夏みたいだな。彼は低い声で呟くと、ナマエを抱く腕に力を込めた。
たどり着いた敷香は賑やかな街だった。金物屋を始めとして、さまざまな店が並んでいるのが見える。送ってくれた樺太アイヌと別れると、犬橇の代金でスッカラカンになった一行は、雪が積もる森へ入って狩に出かけた。
「何だこれ」
アシリパの声に顔を上げると、長方形の木箱が丸太で作られた簡易的な台に乗せられている。キロランケによると、この辺りに住むウイルタ民族の埋葬法で、天葬というものだそうだ。
「ただその文化も消えつつある…多くのウイルタが改宗させられ、土葬に変えられた。神様が変われば生活も変わるのさ」
そう言ったキロランケの表情は冷たく厳しい。その時、ドォンと銃声が響き渡ったのでふりかえると、尾形がボルトを引いたところだった。
「尾形さん、何を撃ったんですか?」
「エゾシカだ」
「樺太にエゾシカはいねぇよ」
キロランケの言葉通り、斃れている生き物はエゾシカに似ていたが違う動物だった。ナマエは思わず、サンタクロースを連想する。
「馴鹿だ。ウイルタのものだろう、彼らは夜に放牧して日が昇ると飼馴鹿を集める。たぶんあれだな」
キロランケはそう言うと、遠くの方を指さした。馴鹿の群れと人影が見え、ホーゥホーゥと呼び声がする。
「あーあ知〜らないッ 尾形怒られる♪」
「大丈夫です尾形さん、みんなで一緒に行きましょう」
尾形は決まりが悪いのか、無言で髪を撫でつけている。そんな彼に、キロランケとアシリパも励ましの言葉をかけつつウイルタの方へと歩いて行った。雪原を暫く行って見えてきたのは、沢山の馴鹿と天幕の住居だ。彼らは馴鹿と共に移動しながら生活しているそうだ。キロランケが家の主と会話した結果、山馴鹿の狩を手伝って償うことになったのだが、尾形は明らかに面倒そうな顔をしている。長く吐いた息のせいで、彼の口元には白い靄がかかった。しかし、キロランケの アシリパの父も飼馴鹿を撃ってしまったことがある、という発言から気が変わったらしい。この償いも、父親の痕跡を辿る役に立つと考えたようだ。
「一緒に行くか?アシリパ…」
「そうだな…何かアチャのこと思い出せるかも」
そういう訳で、全員で山馴鹿がトナカイゴケを食んでいる地点へ移動すると、雪原の上で一心に餌を食べている馴鹿が見える。オロチックウラーという、化け馴鹿作戦で猟をすることになって、尾形は双眼鏡で馴鹿の群れを眺めた。
馴鹿狩りだぜ とボソリと呟いた彼は、さっきよりは気乗りしている様子で橇に乗り込む。最初はだるそうにしていたが、やはり銃で撃つという行為は彼にとって愉しいことなのだろう。
「おいナマエ、橇から落ちるんじゃねぇぞ」
「さすがに大丈夫ですよ」
「そんな風に余裕ぶってる奴が一番先に落ちるんだ」
尾形は橇の一番後ろにいるナマエを振り返ると、彼女の手元がきちんと自分の腰を掴んでいるか確認しながら言った。もし落ちたとしたら、この女は骨折ぐらいするかもしれない。そう考えて、ナマエへの指示を怠る事はしない。が、こうした態度が時に周囲からは過保護に見えていることを、尾形は知る由もなかった。
「大丈夫だ尾形、もし落ちても私が助けてやる。心配しすぎだ」
アシリパは身体が小さいので、尾形の外套の中にすっぽりと入っている。尾形、アシリパ、ナマエの順で橇に乗っているのだった。
「化けトナカイ作戦行くぞッ」
キロランケの号令で、橇は雪原を勢いよく滑り出した。冷たい空気が頬に痛い。やがて射撃に適した地点に辿り着くと、尾形は機械のように正確な動作で次々と馴鹿を斃していく。警戒心が強い動物だから狩るのは難しい、という発言を覆す腕前だった。ナマエが感心していると、満更でもないような表情でフンと息を吐く。
「ベルダンM1870か…単発の古い銃だが悪くない」
尾形は、ウイルタのお父さんから借りた銃を満足げに眺めながら言った。ナマエは彼が愉しげな表情をしているのを、嬉しい気分で眺める。
その後、獲物は皮を剥がされて解体された。肉を運ぶのに何往復もして、全て終わった頃には夕暮れが迫っていた。疲労を感じながら天幕の中にお邪魔すると、中央の囲炉裏のような場所でパンらしきものが焼かれていて、芳ばしい良い香りが天幕いっぱいに漂っている。アシリパから脳味噌をもらった後は、本当に久方ぶりのパンとバター、ミルクという食事を味わった。尾形も気に入ったようで、パクパクとパンを頬張っている。
「贈り物がある。チシポ…アイヌの針入れだ。馴鹿の毛皮が沢山手に入ったから、針もたくさん必要だろ」
そういいながら、キロランケはウイルタの奥さんに筒状の針入れを手渡す。奥さんの表情や声色から、とても喜んでいるのが伝わってきた。そんな様子を、白石は訝しげに眺めながらウイルタに接触した目的を問うた。
「俺たちはみんなスネに傷のある人間だ。まともな方法でロシアに入国なんてできるはずもない。樺太の遊牧民は、国境を自由に行き来することが黙認されている……ウイルタに変装して、国境を越える」
ナマエはごくりと唾を飲み込んだ。ますます物騒な展開になってきたが、隣でベルダンを熱心に眺めている尾形をちらりと見やる。どんな場所にでも、着いていく。そんな思いで、彼の気配を隣に感じた。
森で麝香鹿を獲ったりしながら、一行は犬橇で敷香を目指し北上していた。吐く息がますます白くなり、手袋が必要な寒さになってくる。尾形は手袋で暖まったナマエの手をたびたび握った。わざわざ手袋を取ってから触るので、ヒヤリと冷たい。どうやらそうやって、人の手で暖を取っているらしい。手袋をしたらいいのに、と言ったけれど、尾形は まだいい、と言ってナマエの手を握るのだった。
暖の取り方は、それだけではなかった。寒さが厳しくなる夜更け、ナマエの着込んだ衣服の一番奥へ、緻密に銃を扱う掌を滑り込ませる。人目につかない森の奥や、宿泊している建物の物陰で。薄く笑う尾形の唇から、ちらりと覗く赤い舌は柔らかく濡れていて温かい。冷えて澄んだ空気の中に、整髪料の匂いがふわりと混ざる。燃えるように熱くなった頬を、尾形の冷たい掌が包んだ。夏みたいだな。彼は低い声で呟くと、ナマエを抱く腕に力を込めた。
たどり着いた敷香は賑やかな街だった。金物屋を始めとして、さまざまな店が並んでいるのが見える。送ってくれた樺太アイヌと別れると、犬橇の代金でスッカラカンになった一行は、雪が積もる森へ入って狩に出かけた。
「何だこれ」
アシリパの声に顔を上げると、長方形の木箱が丸太で作られた簡易的な台に乗せられている。キロランケによると、この辺りに住むウイルタ民族の埋葬法で、天葬というものだそうだ。
「ただその文化も消えつつある…多くのウイルタが改宗させられ、土葬に変えられた。神様が変われば生活も変わるのさ」
そう言ったキロランケの表情は冷たく厳しい。その時、ドォンと銃声が響き渡ったのでふりかえると、尾形がボルトを引いたところだった。
「尾形さん、何を撃ったんですか?」
「エゾシカだ」
「樺太にエゾシカはいねぇよ」
キロランケの言葉通り、斃れている生き物はエゾシカに似ていたが違う動物だった。ナマエは思わず、サンタクロースを連想する。
「馴鹿だ。ウイルタのものだろう、彼らは夜に放牧して日が昇ると飼馴鹿を集める。たぶんあれだな」
キロランケはそう言うと、遠くの方を指さした。馴鹿の群れと人影が見え、ホーゥホーゥと呼び声がする。
「あーあ知〜らないッ 尾形怒られる♪」
「大丈夫です尾形さん、みんなで一緒に行きましょう」
尾形は決まりが悪いのか、無言で髪を撫でつけている。そんな彼に、キロランケとアシリパも励ましの言葉をかけつつウイルタの方へと歩いて行った。雪原を暫く行って見えてきたのは、沢山の馴鹿と天幕の住居だ。彼らは馴鹿と共に移動しながら生活しているそうだ。キロランケが家の主と会話した結果、山馴鹿の狩を手伝って償うことになったのだが、尾形は明らかに面倒そうな顔をしている。長く吐いた息のせいで、彼の口元には白い靄がかかった。しかし、キロランケの アシリパの父も飼馴鹿を撃ってしまったことがある、という発言から気が変わったらしい。この償いも、父親の痕跡を辿る役に立つと考えたようだ。
「一緒に行くか?アシリパ…」
「そうだな…何かアチャのこと思い出せるかも」
そういう訳で、全員で山馴鹿がトナカイゴケを食んでいる地点へ移動すると、雪原の上で一心に餌を食べている馴鹿が見える。オロチックウラーという、化け馴鹿作戦で猟をすることになって、尾形は双眼鏡で馴鹿の群れを眺めた。
馴鹿狩りだぜ とボソリと呟いた彼は、さっきよりは気乗りしている様子で橇に乗り込む。最初はだるそうにしていたが、やはり銃で撃つという行為は彼にとって愉しいことなのだろう。
「おいナマエ、橇から落ちるんじゃねぇぞ」
「さすがに大丈夫ですよ」
「そんな風に余裕ぶってる奴が一番先に落ちるんだ」
尾形は橇の一番後ろにいるナマエを振り返ると、彼女の手元がきちんと自分の腰を掴んでいるか確認しながら言った。もし落ちたとしたら、この女は骨折ぐらいするかもしれない。そう考えて、ナマエへの指示を怠る事はしない。が、こうした態度が時に周囲からは過保護に見えていることを、尾形は知る由もなかった。
「大丈夫だ尾形、もし落ちても私が助けてやる。心配しすぎだ」
アシリパは身体が小さいので、尾形の外套の中にすっぽりと入っている。尾形、アシリパ、ナマエの順で橇に乗っているのだった。
「化けトナカイ作戦行くぞッ」
キロランケの号令で、橇は雪原を勢いよく滑り出した。冷たい空気が頬に痛い。やがて射撃に適した地点に辿り着くと、尾形は機械のように正確な動作で次々と馴鹿を斃していく。警戒心が強い動物だから狩るのは難しい、という発言を覆す腕前だった。ナマエが感心していると、満更でもないような表情でフンと息を吐く。
「ベルダンM1870か…単発の古い銃だが悪くない」
尾形は、ウイルタのお父さんから借りた銃を満足げに眺めながら言った。ナマエは彼が愉しげな表情をしているのを、嬉しい気分で眺める。
その後、獲物は皮を剥がされて解体された。肉を運ぶのに何往復もして、全て終わった頃には夕暮れが迫っていた。疲労を感じながら天幕の中にお邪魔すると、中央の囲炉裏のような場所でパンらしきものが焼かれていて、芳ばしい良い香りが天幕いっぱいに漂っている。アシリパから脳味噌をもらった後は、本当に久方ぶりのパンとバター、ミルクという食事を味わった。尾形も気に入ったようで、パクパクとパンを頬張っている。
「贈り物がある。チシポ…アイヌの針入れだ。馴鹿の毛皮が沢山手に入ったから、針もたくさん必要だろ」
そういいながら、キロランケはウイルタの奥さんに筒状の針入れを手渡す。奥さんの表情や声色から、とても喜んでいるのが伝わってきた。そんな様子を、白石は訝しげに眺めながらウイルタに接触した目的を問うた。
「俺たちはみんなスネに傷のある人間だ。まともな方法でロシアに入国なんてできるはずもない。樺太の遊牧民は、国境を自由に行き来することが黙認されている……ウイルタに変装して、国境を越える」
ナマエはごくりと唾を飲み込んだ。ますます物騒な展開になってきたが、隣でベルダンを熱心に眺めている尾形をちらりと見やる。どんな場所にでも、着いていく。そんな思いで、彼の気配を隣に感じた。