十八話
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潜入の日を間近に控え、アシリパの親戚のコタンで一同は顔を揃えると全員で食事をした。アシリパとの旅の中ですっかりお馴染みとなったチタタプを全員で行い(なんと尾形も)旬の鮭料理をたらふく食べた。お酒を飲み交わしながら皆んな笑顔で舌鼓を打つ光景は、まさに仲間のような気がしてしまう。
そしてジリジリと日々はすぎ、ついに月の光のない漆黒の夜が訪れた。尾形は山に隠れて援護の役になったので、ナマエも共に身を潜める事となった。潜入する面々に激励の言葉をかけると、彼らと別れて山へ向かう。新月の夜は目の前が全く見えないほどの暗闇で、はぐれないように尾形はナマエの手を握った。真っ暗闇では、互いの体温と強く吹いている風の音が聞こえるばかりで、まるでこの世に二人しかいないかのようだった。尾形は良い位置を見つけると立ち止まり、網走監獄の方面にじっと視線を注ぐ。監獄内は消灯され、夜回りの看守が使う灯りが僅かにともるばかりだった。ハラハラしながらじっと待つこと数十分、突如カンカンカンとけたたましい鐘の音が響き渡る。
「!? もしかしてバレたんですかね?」
「らしいな。……しかも川の方を見てみろ。第七師団のお出ましだぜ」
網走川へ視線を向けてみると、等間隔に並んだ松明の明かりが見え、続いて激しい光と音ともに、橋が爆発して木っ端微塵となった。
「……あれは雷型駆逐艦だな。おいナマエ、耳を塞いでおけ」
言われるがまま両耳を手で覆うと、未だかつて聞いたことのない衝撃音が辺りに響いた。ビリビリと空気が震えたように思う。
「な、何が起きたんですか?なんの音ですか?」
「駆逐艦の大砲だ。あいつらが掘ったトンネルの辺りをやられたな……考えることは同じって事だ。あそこから脱出する手は無くなっちまったって事は、予備の船に乗るしかねぇだろうな」
そう言うと、尾形はナマエ見やって口を開いた。
「お前は予備の船に移動してろ。俺は敷地に入って援護する」
ナマエはもはや脱出が難しそうな監獄へ向かうという尾形のことが心配だったが、一刻を争う状況では何も言えない。はぐれる不安が頭を掠めるが、何も考えないようにして頷くと、駆逐艦が上げた照明弾の明かりを頼りに、あらかじめ教えられていた船の場所に向かって山道を急ぐ。尾形はその後ろ姿を見届けると、自分の仕事に向かった。キロランケと結託し、のっぺらぼうがウイルクと判明次第、撃ち殺す。それが彼の目的だった。
どうにか予備の船に辿り着いたナマエは、極度の緊張を感じながらじっと待機していた。作戦はどうなったのだろうか。誰か危険な目に遭っていないだろうか。尾形はこの船に辿り着けるのか……祈るような思いで体を丸めて息を潜めていると、ガサガサと慌ただしい音が聞こえる。
「たぶんこれだぜ予備の船って!!……あれ?ナマエちゃん!?尾形と一緒じゃなかったの?」
現れたのは白石と松明を持ったアシリパで、ナマエはほっと表情を緩める。
「はい、尾形さんは援護に行くと言って、私だけ先にここで待つよう言われていたので……あの、他の皆んなは」
「それが大変なことになって……今谷垣が杉元の救出に向かってる。インカラマッちゃんとキロちゃんもすぐ来ると思う」
杉元とのっぺら坊が撃たれて、と白石はアシリパに配慮する様に小声で言った。ナマエは驚いて言葉を失う。そこへキロランケが走ってきたが、インカラマッの姿が見えない。
「どうして俺たちの動きが筒抜けだったか分かるだろ?あの女しかいねえんだぞ!連れて行くわけにはいかん」
そう言ったキロランケの表情は重たく、腰のマキリが鞘だけになっているのが不穏であった。やがて足音がもう一人近づいたかと思うと、草むらから慌ただしく現れたのは尾形だ。
「船を出せ逃げるぞ」
ナマエは現れた尾形の姿に心底安心したが、谷垣が鶴見中尉に捕まった、という言葉に鉛を飲み込んだような気持ちになる。
「アチャと杉元は…!?」
「近づいて確認したが、ふたりとも死んでいた」
アシリパの悲痛な声が漏れ、ナマエも身を裂かれるような悲しみを覚えた。しかしとにかく今は逃げなくてはならない。悲嘆に暮れるアシリパを船に乗せると、一行は暗い川を流れていった。
♢
朝になり、川を流れて港へ出た。カモメが飛び交い、潮風が通り抜けて行く。別人のようになってしまったアシリパに、ナマエはかける言葉が見つからなかった。
「しっかりしろ。元気を出すんだ。行こう、アシリパ…」
船を乗り換える為立ち上がった尾形は、アシリパを見下ろしてそう言った。彼の顔は朝日に照らされ、瞳に少しの光が入る。ナマエはその様子に、言いようのない違和感を感じずにはいられなかった。何か引っかかるものがあるが、はっきりと実態を掴む事ができない。そんなモヤモヤしたものを抱えながら一旦陸地へ上がると、新たな行先である樺太へ向かう船を待つことになった。樺太行きはキロランケが決定したようだが、詳しいことはよく分からない。網走監獄以降、尾形はキロランケと何か話し合っている場面が多く、近寄り難い雰囲気を漂わせていた。
「ナマエ」
話し合いを終えたのか、一人で海を眺めていたナマエの元へ尾形がゆっくりと歩いてくる。
「尾形さん。これから樺太に行くんですよね。まずは大泊、でしたっけ」
「ああ。……アシリパは暗号の鍵を持っているが、思い出せないらしいんでな。手がかりを探すには樺太に行くしかないんだとさ」
尾形は少し離れたところで、アシリパと白石に話しかけているキロランケを見やって言った。そうですか、と答えたナマエは明らかに口数が少なく、尾形はしばらく黙った後にゆっくりと口を開いた。
「杉元が死んだと聞いて、お前はどう思った」
「それは……悲しいですし、ショックです。あ、強い衝撃を受けて落ち込むってことです。少しの間だけど、一緒にいた人が急にいなくなるというのは…アシリパちゃんも、本当に可哀想で」
ナマエはそこまで言うと、口を噤んで海の波間を眺めた。やがて自嘲的な笑みを浮かべた唇からため息を漏らすと、前を見つめたまま言葉を続ける。
「……私、今回の件で本当に実感したんです。貴方たちは、いつ死んでもおかしくないような危険な橋を渡っているんだと。尾形さんだって、いつそうなってもおかしくないんだって。だから……私、杉元さんが撃たれたと聞いて悲しかったのと同時に、尾形さんじゃなくて良かった、って思ったんです。目の前には、杉元さんの事で悲しんでいる子がいるのに」
尾形は黙ってナマエの話を聞いている。海を見つめる女の目元には、薄らと涙の気配が漂っているのがわかる。
「とにかく私は尾形さんに死んでほしくない。他のことがどうなっても、貴方にだけは生きていてほしい。……そんな風に思いました」
「そうかい」
それから二人は、押しては引いていく波を沈黙の中で眺めた。ナマエは胸の内の違和感を、はっきりさせる勇気と気力が湧いてこなかった。昨夜、網走監獄内で尾形はどんな行動をとっていたのだろう。そして、キロランケのマキリの鞘が空っぽだったのは。あの鋭利な刃物は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
一方、尾形は自分が杉元とウイルクを撃った張本人だということを、なぜナマエに言おうと思えないのか、よく分からなかった。
ナマエのことだから、その事実を知ったら今までのようにアシリパと接することはできないように思うし、尾形が狙撃者だとバレてしまうだろう。そうなれば、せっかく暗号の鍵が解ったとしても聞き出す事は不可能になる。だから黙っている、というのは無論なのだが、それ以上に何か引っかかるように思えた。この女が俺のやった事を知ったら、一体なんと言うのだろう。悲しむのか、怒るのか、俺から離れていくのか……ひょっとして自分は、ナマエがどのような反応をするのか恐れているのではないか。そんな考えが湧いて出てきたが、すぐに頭から消し去る。下らない、そんなはずは無い。しかし杉元とウイルクの件を、わざわざ言う必要はないと判断する。
「おい、お前ら船が来たぞ。早く来い」
キロランケの声がして、二人は顔を見合わせると海に背を向けて歩き出す。キロランケ、アシリパ、白石、尾形、ナマエ。5人は隠れるように船へ乗り込むと、樺太を目指して宗谷海峡を渡っていく。
そしてジリジリと日々はすぎ、ついに月の光のない漆黒の夜が訪れた。尾形は山に隠れて援護の役になったので、ナマエも共に身を潜める事となった。潜入する面々に激励の言葉をかけると、彼らと別れて山へ向かう。新月の夜は目の前が全く見えないほどの暗闇で、はぐれないように尾形はナマエの手を握った。真っ暗闇では、互いの体温と強く吹いている風の音が聞こえるばかりで、まるでこの世に二人しかいないかのようだった。尾形は良い位置を見つけると立ち止まり、網走監獄の方面にじっと視線を注ぐ。監獄内は消灯され、夜回りの看守が使う灯りが僅かにともるばかりだった。ハラハラしながらじっと待つこと数十分、突如カンカンカンとけたたましい鐘の音が響き渡る。
「!? もしかしてバレたんですかね?」
「らしいな。……しかも川の方を見てみろ。第七師団のお出ましだぜ」
網走川へ視線を向けてみると、等間隔に並んだ松明の明かりが見え、続いて激しい光と音ともに、橋が爆発して木っ端微塵となった。
「……あれは雷型駆逐艦だな。おいナマエ、耳を塞いでおけ」
言われるがまま両耳を手で覆うと、未だかつて聞いたことのない衝撃音が辺りに響いた。ビリビリと空気が震えたように思う。
「な、何が起きたんですか?なんの音ですか?」
「駆逐艦の大砲だ。あいつらが掘ったトンネルの辺りをやられたな……考えることは同じって事だ。あそこから脱出する手は無くなっちまったって事は、予備の船に乗るしかねぇだろうな」
そう言うと、尾形はナマエ見やって口を開いた。
「お前は予備の船に移動してろ。俺は敷地に入って援護する」
ナマエはもはや脱出が難しそうな監獄へ向かうという尾形のことが心配だったが、一刻を争う状況では何も言えない。はぐれる不安が頭を掠めるが、何も考えないようにして頷くと、駆逐艦が上げた照明弾の明かりを頼りに、あらかじめ教えられていた船の場所に向かって山道を急ぐ。尾形はその後ろ姿を見届けると、自分の仕事に向かった。キロランケと結託し、のっぺらぼうがウイルクと判明次第、撃ち殺す。それが彼の目的だった。
どうにか予備の船に辿り着いたナマエは、極度の緊張を感じながらじっと待機していた。作戦はどうなったのだろうか。誰か危険な目に遭っていないだろうか。尾形はこの船に辿り着けるのか……祈るような思いで体を丸めて息を潜めていると、ガサガサと慌ただしい音が聞こえる。
「たぶんこれだぜ予備の船って!!……あれ?ナマエちゃん!?尾形と一緒じゃなかったの?」
現れたのは白石と松明を持ったアシリパで、ナマエはほっと表情を緩める。
「はい、尾形さんは援護に行くと言って、私だけ先にここで待つよう言われていたので……あの、他の皆んなは」
「それが大変なことになって……今谷垣が杉元の救出に向かってる。インカラマッちゃんとキロちゃんもすぐ来ると思う」
杉元とのっぺら坊が撃たれて、と白石はアシリパに配慮する様に小声で言った。ナマエは驚いて言葉を失う。そこへキロランケが走ってきたが、インカラマッの姿が見えない。
「どうして俺たちの動きが筒抜けだったか分かるだろ?あの女しかいねえんだぞ!連れて行くわけにはいかん」
そう言ったキロランケの表情は重たく、腰のマキリが鞘だけになっているのが不穏であった。やがて足音がもう一人近づいたかと思うと、草むらから慌ただしく現れたのは尾形だ。
「船を出せ逃げるぞ」
ナマエは現れた尾形の姿に心底安心したが、谷垣が鶴見中尉に捕まった、という言葉に鉛を飲み込んだような気持ちになる。
「アチャと杉元は…!?」
「近づいて確認したが、ふたりとも死んでいた」
アシリパの悲痛な声が漏れ、ナマエも身を裂かれるような悲しみを覚えた。しかしとにかく今は逃げなくてはならない。悲嘆に暮れるアシリパを船に乗せると、一行は暗い川を流れていった。
♢
朝になり、川を流れて港へ出た。カモメが飛び交い、潮風が通り抜けて行く。別人のようになってしまったアシリパに、ナマエはかける言葉が見つからなかった。
「しっかりしろ。元気を出すんだ。行こう、アシリパ…」
船を乗り換える為立ち上がった尾形は、アシリパを見下ろしてそう言った。彼の顔は朝日に照らされ、瞳に少しの光が入る。ナマエはその様子に、言いようのない違和感を感じずにはいられなかった。何か引っかかるものがあるが、はっきりと実態を掴む事ができない。そんなモヤモヤしたものを抱えながら一旦陸地へ上がると、新たな行先である樺太へ向かう船を待つことになった。樺太行きはキロランケが決定したようだが、詳しいことはよく分からない。網走監獄以降、尾形はキロランケと何か話し合っている場面が多く、近寄り難い雰囲気を漂わせていた。
「ナマエ」
話し合いを終えたのか、一人で海を眺めていたナマエの元へ尾形がゆっくりと歩いてくる。
「尾形さん。これから樺太に行くんですよね。まずは大泊、でしたっけ」
「ああ。……アシリパは暗号の鍵を持っているが、思い出せないらしいんでな。手がかりを探すには樺太に行くしかないんだとさ」
尾形は少し離れたところで、アシリパと白石に話しかけているキロランケを見やって言った。そうですか、と答えたナマエは明らかに口数が少なく、尾形はしばらく黙った後にゆっくりと口を開いた。
「杉元が死んだと聞いて、お前はどう思った」
「それは……悲しいですし、ショックです。あ、強い衝撃を受けて落ち込むってことです。少しの間だけど、一緒にいた人が急にいなくなるというのは…アシリパちゃんも、本当に可哀想で」
ナマエはそこまで言うと、口を噤んで海の波間を眺めた。やがて自嘲的な笑みを浮かべた唇からため息を漏らすと、前を見つめたまま言葉を続ける。
「……私、今回の件で本当に実感したんです。貴方たちは、いつ死んでもおかしくないような危険な橋を渡っているんだと。尾形さんだって、いつそうなってもおかしくないんだって。だから……私、杉元さんが撃たれたと聞いて悲しかったのと同時に、尾形さんじゃなくて良かった、って思ったんです。目の前には、杉元さんの事で悲しんでいる子がいるのに」
尾形は黙ってナマエの話を聞いている。海を見つめる女の目元には、薄らと涙の気配が漂っているのがわかる。
「とにかく私は尾形さんに死んでほしくない。他のことがどうなっても、貴方にだけは生きていてほしい。……そんな風に思いました」
「そうかい」
それから二人は、押しては引いていく波を沈黙の中で眺めた。ナマエは胸の内の違和感を、はっきりさせる勇気と気力が湧いてこなかった。昨夜、網走監獄内で尾形はどんな行動をとっていたのだろう。そして、キロランケのマキリの鞘が空っぽだったのは。あの鋭利な刃物は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
一方、尾形は自分が杉元とウイルクを撃った張本人だということを、なぜナマエに言おうと思えないのか、よく分からなかった。
ナマエのことだから、その事実を知ったら今までのようにアシリパと接することはできないように思うし、尾形が狙撃者だとバレてしまうだろう。そうなれば、せっかく暗号の鍵が解ったとしても聞き出す事は不可能になる。だから黙っている、というのは無論なのだが、それ以上に何か引っかかるように思えた。この女が俺のやった事を知ったら、一体なんと言うのだろう。悲しむのか、怒るのか、俺から離れていくのか……ひょっとして自分は、ナマエがどのような反応をするのか恐れているのではないか。そんな考えが湧いて出てきたが、すぐに頭から消し去る。下らない、そんなはずは無い。しかし杉元とウイルクの件を、わざわざ言う必要はないと判断する。
「おい、お前ら船が来たぞ。早く来い」
キロランケの声がして、二人は顔を見合わせると海に背を向けて歩き出す。キロランケ、アシリパ、白石、尾形、ナマエ。5人は隠れるように船へ乗り込むと、樺太を目指して宗谷海峡を渡っていく。