十三話
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月形までの道のりは追手に捕まる事もなく順調に進み、目前まで来たところでアシリパがアイヌコタンで休むことを提案したので、一行は村長の家族に迎えられチセにいた。杉元の懸念をよそに、尾形も大人しくアイヌのしきたりに従ったので、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間だった。尾形がアイヌの一家に難癖をつけ始めたので、キサラリという変な棒をどう使うか、大喜利大会が始まっている。
「やっぱりこいつら怪しいな。おい、いつでも動けるようにしておけよ」
尾形は隣に座るナマエの方に体を傾けてから耳元で囁いた。聞き返す間もなく、杉元に 俺が正しい使い方を当ててやる、と言って変な棒を手に取る。顔には胡散臭い笑顔を浮かべていたので茨戸でのハサミ事件を思い出すが、次の瞬間には村長の爪先に変な棒を思い切り振り下ろしていた。
「痛たあっ」
メキッという恐ろしい音と共に、村長が日本語を話したので一同は驚くが、杉元は彼を庇った。
「アイヌのふりして何の得があるって言うんだ!?いい加減にしろ尾形ッ」
「俺も是非そこが知りたいね。ちょうど戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった」
尾形はそう言いながら、出入口から入ってきたアイヌを見やった。座っているナマエに手を伸ばすと、さりげなく立たせて自分の後ろになるようにする。ナマエもなんとなく様子がおかしいのを感じ始め、尾形の背後から緊張した面持ちで当たりを見回した。
「あれ?アシリパさんは?」
その問いかけに刺繍を教わって夢中になっている、と回答を聞いた瞬間、アシリパを案内したアイヌは杉元に殴り倒された。ナマエは驚いて目を見開くが、尾形は薄く笑いながらことの成り行きを眺めている。杉元の怒り方からして、アシリパの身に何か起こったようだ。殴られた男は床に座り込み、足首に刺青が見えた。
「さっき出て行く時にちらっと足首に見えた気がしたんだよな。そのくりからもんもんが……ヤクザがアイヌのふりか」
尾形は早い段階で彼らの正体を見破っていたらしい。杉元は怒り狂うと、偽アイヌを絞め殺した後に尾形から小銃を受け取り、怒涛の勢いで表へ飛び出していった。
「ははッ…やっこさん随分怒ってるな。お前はその辺に隠れてろよ。この家から一歩も出るな。今度は言うこと聞けよ」
尾形はそう言うと、狙撃のために窓に身を寄せる。ナマエは突如始まった殺し合いに震え上がりながら、先ほどの変な棒が落ちていた辺りに身を隠した。
尾形に「出て来い」と言われて家の外に一歩踏み出してみると、偽アイヌが全員殺されていいる凄惨な風景が広がっていた。助け出されたアシリパも、強張った顔でそれを眺めている。
「杉元のやつ…ほとんど一人で偽アイヌ共を皆殺しにしやがった。おっかねぇ男だぜ」
尾形の言葉に、ナマエはちらりと杉元を見やった。アシリパに気遣いの言葉をかける彼に、こんな恐ろしいことを平然とやってのける一面があるとは信じられないが、杉元は日露帰りの元兵士だ。生き残るために人の命を奪わなくてはならなかったのだろう。杉元のように優しさを持ったごく普通の青年が、人を殺さなくてはならない。それが戦争なのだと、ナマエは思い知らされたような気持ちになった。日露戦争は南下してくるロシアに対抗するため、国家存亡をかけ戦った戦争だ。そのような時代に生まれ、出征した尾形や杉元のような帰還兵たちを、そして散っていった将兵たちを、誰が責める事ができようか。杉元の鬼のような一面は、戦争のせいのような気がしてむしろ傷ましく思えた。そして横に立つ尾形は。彼はあの戦争で、一体何を失ったのだろう。
♢
一行は偽アイヌ達の遺体を埋めるのを手伝っている。月形へ行く目的だった熊岸長庵も、アイヌになりすまして潜伏していたとは思いもよらない事だった。今頃土方らも、熊岸が樺戸監獄にいないことを知ったかもしれない。作業が済むと、コタンの女達がトゥレプ(オオウバユリ)の料理でもてなしてくれることになって、大勢での調理が始まった。尾形はアシリパの脳ミソの件でアイヌの料理を警戒しているのか、訝しげな顔でそれを見ていたが、クトゥマ(筒焼き)となって出てきた料理はもぐもぐと食べている。
「くずきりみたいですね、美味しい」
ヨブスマソウの香りがうつって甘いクトゥマを食べながら尾形に言うと、彼は口を動かしながらこくんと頷いた。他にもフキの葉で包んで焼いたお団子が出されたり、アイヌの昔話を聞きながら賑やかに食事が進む。やがて夜の帳がおり、ナマエはいつものように尾形の隣で横になる。皆が寝静まった夜更になると、無言でナマエの背に回される掌の温もりを感じながら、眠りに落ちていった。
翌朝、村長に化けていた脱獄囚、詐欺師の鈴川聖弘の処遇が話し合われたが、他の囚人の情報を持っていると言うことで彼は連れて行くことになった。チンポ先生は子種の件で村を去るのが相当名残惜しかったようだが、杉元らにひっぱられ退場していく。
「悪いが用事があるんでね」
尾形は珍しく柔らかな表情を浮かべると、ナマエを促して歩き始めた。再び森の中を進むが、夕方には月形の町が見えてくるそうだ。用心深く双眼鏡を覗きながら、一行の一番後ろを歩く尾形の横で、ナマエは彼の顔を盗み見る。色白のせいか、いつも少し顔色が悪く見える肌に頬の縫合跡。感情が読み取れない黒い瞳。そんな目がふとこちらを向いて、どうした、と問いかけた。
「いいえ」
ナマエは少し笑って答えると、再び双眼鏡を目元にやった尾形に合わせて視線を前に戻す。自分も明治の世に生まれていたら良かったのに。そうしたら、同じ時間を生きる事ができるのに。そんな取り留めのないことを考えながら、ナマエは尾形の横を歩いた。
「やっぱりこいつら怪しいな。おい、いつでも動けるようにしておけよ」
尾形は隣に座るナマエの方に体を傾けてから耳元で囁いた。聞き返す間もなく、杉元に 俺が正しい使い方を当ててやる、と言って変な棒を手に取る。顔には胡散臭い笑顔を浮かべていたので茨戸でのハサミ事件を思い出すが、次の瞬間には村長の爪先に変な棒を思い切り振り下ろしていた。
「痛たあっ」
メキッという恐ろしい音と共に、村長が日本語を話したので一同は驚くが、杉元は彼を庇った。
「アイヌのふりして何の得があるって言うんだ!?いい加減にしろ尾形ッ」
「俺も是非そこが知りたいね。ちょうど戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった」
尾形はそう言いながら、出入口から入ってきたアイヌを見やった。座っているナマエに手を伸ばすと、さりげなく立たせて自分の後ろになるようにする。ナマエもなんとなく様子がおかしいのを感じ始め、尾形の背後から緊張した面持ちで当たりを見回した。
「あれ?アシリパさんは?」
その問いかけに刺繍を教わって夢中になっている、と回答を聞いた瞬間、アシリパを案内したアイヌは杉元に殴り倒された。ナマエは驚いて目を見開くが、尾形は薄く笑いながらことの成り行きを眺めている。杉元の怒り方からして、アシリパの身に何か起こったようだ。殴られた男は床に座り込み、足首に刺青が見えた。
「さっき出て行く時にちらっと足首に見えた気がしたんだよな。そのくりからもんもんが……ヤクザがアイヌのふりか」
尾形は早い段階で彼らの正体を見破っていたらしい。杉元は怒り狂うと、偽アイヌを絞め殺した後に尾形から小銃を受け取り、怒涛の勢いで表へ飛び出していった。
「ははッ…やっこさん随分怒ってるな。お前はその辺に隠れてろよ。この家から一歩も出るな。今度は言うこと聞けよ」
尾形はそう言うと、狙撃のために窓に身を寄せる。ナマエは突如始まった殺し合いに震え上がりながら、先ほどの変な棒が落ちていた辺りに身を隠した。
尾形に「出て来い」と言われて家の外に一歩踏み出してみると、偽アイヌが全員殺されていいる凄惨な風景が広がっていた。助け出されたアシリパも、強張った顔でそれを眺めている。
「杉元のやつ…ほとんど一人で偽アイヌ共を皆殺しにしやがった。おっかねぇ男だぜ」
尾形の言葉に、ナマエはちらりと杉元を見やった。アシリパに気遣いの言葉をかける彼に、こんな恐ろしいことを平然とやってのける一面があるとは信じられないが、杉元は日露帰りの元兵士だ。生き残るために人の命を奪わなくてはならなかったのだろう。杉元のように優しさを持ったごく普通の青年が、人を殺さなくてはならない。それが戦争なのだと、ナマエは思い知らされたような気持ちになった。日露戦争は南下してくるロシアに対抗するため、国家存亡をかけ戦った戦争だ。そのような時代に生まれ、出征した尾形や杉元のような帰還兵たちを、そして散っていった将兵たちを、誰が責める事ができようか。杉元の鬼のような一面は、戦争のせいのような気がしてむしろ傷ましく思えた。そして横に立つ尾形は。彼はあの戦争で、一体何を失ったのだろう。
♢
一行は偽アイヌ達の遺体を埋めるのを手伝っている。月形へ行く目的だった熊岸長庵も、アイヌになりすまして潜伏していたとは思いもよらない事だった。今頃土方らも、熊岸が樺戸監獄にいないことを知ったかもしれない。作業が済むと、コタンの女達がトゥレプ(オオウバユリ)の料理でもてなしてくれることになって、大勢での調理が始まった。尾形はアシリパの脳ミソの件でアイヌの料理を警戒しているのか、訝しげな顔でそれを見ていたが、クトゥマ(筒焼き)となって出てきた料理はもぐもぐと食べている。
「くずきりみたいですね、美味しい」
ヨブスマソウの香りがうつって甘いクトゥマを食べながら尾形に言うと、彼は口を動かしながらこくんと頷いた。他にもフキの葉で包んで焼いたお団子が出されたり、アイヌの昔話を聞きながら賑やかに食事が進む。やがて夜の帳がおり、ナマエはいつものように尾形の隣で横になる。皆が寝静まった夜更になると、無言でナマエの背に回される掌の温もりを感じながら、眠りに落ちていった。
翌朝、村長に化けていた脱獄囚、詐欺師の鈴川聖弘の処遇が話し合われたが、他の囚人の情報を持っていると言うことで彼は連れて行くことになった。チンポ先生は子種の件で村を去るのが相当名残惜しかったようだが、杉元らにひっぱられ退場していく。
「悪いが用事があるんでね」
尾形は珍しく柔らかな表情を浮かべると、ナマエを促して歩き始めた。再び森の中を進むが、夕方には月形の町が見えてくるそうだ。用心深く双眼鏡を覗きながら、一行の一番後ろを歩く尾形の横で、ナマエは彼の顔を盗み見る。色白のせいか、いつも少し顔色が悪く見える肌に頬の縫合跡。感情が読み取れない黒い瞳。そんな目がふとこちらを向いて、どうした、と問いかけた。
「いいえ」
ナマエは少し笑って答えると、再び双眼鏡を目元にやった尾形に合わせて視線を前に戻す。自分も明治の世に生まれていたら良かったのに。そうしたら、同じ時間を生きる事ができるのに。そんな取り留めのないことを考えながら、ナマエは尾形の横を歩いた。