十二話
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炭坑の爆発から数日経った現在、剥製屋の室内に贋物の手掛かりがあると見て、土方、家永、尾形、ナマエの4人は洋館の中にいた。精巧な作りの動物剥製の間や、薬品やら道具やらがしまってある部屋、居室、物置に至るまで隈なく探すが、それらしきものは出てこない。今日もナマエは尾形の後に続いて目を凝らしていたが、遠くの締め切った部屋でガシャンと窓ガラスが割れたような音がして、尾形は素早くそちらへ向かうと扉を開けた。
「あッ!?チッ…やられたな。ナマエ、下がってろ!外に出るなよ」
室内は火が激しく燃えていて、煙がもうもうと上がっている。出口に駆け寄った家長にも鋭い声で注意すると、尾形は黒い瞳をナマエに向けて手早く言った。
「軍の連中が贋物の証拠を消しにきたに違いない。チラッと外に軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
槓桿を引きながら窓際に寄り、外を見ている尾形の元へ土方もやってきて、ウィンチェスターを手に握る。
「鶴見中尉の手下がこの家を消しにきたということは、月島軍曹が生きて炭鉱を脱出したと考えるべきか」
男達は慌ただしく玄関まで歩きながら、緊迫した様子で言葉を交わす。尾形は だろうな、と返事をすると、ナマエを見据えて言った。
「窓は鉄格子がある。外の連中にとっても突入するならば玄関以外は無い。奴らを玄関まで追い込むから、お前は身を隠せ。隙を見て外に出ろ」
「えっ、そんな私だけ安全な所に……一緒に行きます」
「駄目だ。これから日露帰りの兵士が突入して来るんだぞ。弾が当たったらどうするつもりだ。庇いきれん」
分かったら早く隠れろ、と尾形が急かしたのでナマエは渋々頷いてその場を離れようとしたが、去り際で尾形に腕を掴まれる。
「ここが片付いたら探しに行ってやるからうろちょろするなよ。上から援護してやるから上手くやれ。遮蔽物の間を最短距離で移動しろ」
あとでな、と尾形は短く言うと、狙撃のため二階へ駆け上がっていく。ナマエはゴクリと唾を飲み込むと、覚悟を決めて物陰へと身を隠した。
しばらくすると二階から銃声が聞こえ、尾形が発砲したのだとわかる。しかし隠れていろと言われたものの、火の回りが早いのか次第に息苦しくなって、そろりと周囲の様子を伺うと煙が広がってきていた。もう出るしかないと判断して駆け出すと、通りかかった階段の二階から重たい物音がする。
「お、尾形さん…?この二階って確かさっき上がって行った所じゃ……」
機を見て外に出ろ、という尾形の言葉が蘇るが、もし彼が今二階で死にそうになっているのだとしたら、絶対に放っておくわけにはいかない。ナマエは意を決して二階になるべく静かに駆け上がると、喉がカラカラに乾くのを感じながら扉を開ける。
「死ね!!コウモリ野郎がッ」
尾形に馬乗りになった兵士が、小銃の床尾板を思い切り振り下ろしているのが目に入り、ナマエは絶句した。慌てて辺りに視線を走らせ、大きな陶器の花瓶を見つけると無我夢中で掴み、兵士の後頭部目掛けて叩きつけるようにする。花瓶は命中し、粉々に砕け散った。
「ナマエ」
尾形は驚いた声を出したが、兵士は一瞬クラリとしてから勢い良く振り返ってナマエ目掛けて小銃を振り下ろす。反射的に目を瞑った時、下がって、と落ち着き払った声がした。目を開けてみると、いつの間にか現れた杉元が兵士を斃している。
「お前が好きで助けたわけじゃねえよ。コウモリ野郎」
杉元はそう言い残すと土方の援護に向かった。尾形は血の混じった唾を吐くと、血塗れの顔を拭いながらナマエを見やる。
「お前一体何してんだ。俺の言った事を聞いてなかったのか」
「逃げようとしました。でも二階で尾形さんが……」
「黙れ。全くお前は……」
尾形は怒りを滲ませながらナマエの言葉を遮ると、再び窓際に寄って外にいる兵士を狙撃する。それを何度か繰り返した後、ナマエの腕を乱暴に掴むと階段を駆け下りた。
「逃げるなら今しか無い!!急げ!!」
杉元と土方に声をかけると、一目散に外へ走る。尾形は慎重に当たりを見廻しながら、燃え盛る剥製屋を後にした。
♦︎
尾形と共に夕張の街中までたどり着くと、土方、家永、牛山、アシリパ、杉元の面々が見えた。
「永倉たちを探して合流する。お前たちは先に月形へ向かえ」
土方の言葉に、こいつらと?と牛山が聞き返す。どうやら、杉元とアシリパと共に月形を目指す事になったようだ。そういう訳で、妙な組み合わせの5人組は街を離れ、人目を忍ぶため山道へ入った。鬱蒼とした森が広がっていて、川には澄んだ水が流れている。
「……なんかさぁ…後ろの二人、空気悪くない?」
杉元は少し距離を開けて一番後ろを歩いている尾形とナマエをちらりと見遣ってから、アシリパに囁いた。
「そうだな。喧嘩でもしてるんじゃないか?」
「そんなもん犬も喰わねえからほっとけ、お嬢」
牛山がやれやれと言うと、そうしよう、とアシリパが頷く。事実、尾形とナマエの間には今までにないほどピリピリした空気が漂っていた。沈黙が重い。
「……何故俺の言う事を聞かなかった」
尾形は本気で怒っているらしかった。目を合わせようとしないし、冷たい声色だった。
「……前に言いましたよね。尾形さんが死にそうな時は助けるって」
だから、言って尾形は苛立ちながら立ち止まると、真っ直ぐナマエの目を見る。猫を思わせる黒い瞳には珍しく感情の色がさし、ナマエは言葉を飲み込んだ。
「お前に何ができる。俺を助けられると思ってんのか?余計な事をするな」
「余計なことって……確かに、私はお荷物だと思いますけど、体を張って尾形さんが逃げる隙を作ることぐらいは出来ると思います」
「だからそれが余計な事だって言ってんだ。それにな」
尾形は言葉を切ると、しばらく押し黙った末にゆっくりと口を開いた。
「お前はお荷物じゃない。居るだけでいい」
え、とナマエが尾形を見返すと、彼は相変わらずの感情が読み取れない顔でこちらを見ている。
「お前がああいう場面で最優先にするべきなのは、無傷で逃げ切ることだ。負傷したり死ぬような事は、絶対に赦さん」
いつになく強い語気で言われたじろぐが、ナマエはここで大人しく食い下がる訳にはいかなかった。
「それで尾形さんが死んだらどうするんですか。尾形さんがいないのにここで生きてる意味なんて無いんです。私だって、尾形さんが一人で死ぬような事は許しませんよ。そんな事絶対にさせません」
感情が昂るあまり、涙の気配がするが幸い零れ落ちる事はなかった。尾形はナマエの言葉一つ一つをじっと聞いた後、ようやく口を開く。
「お前は俺のために死ぬという事か。……いいだろう。その時が来るまで、勝手な事をするな。分かったか」
返事しろ、と言われて はい、と答えると尾形はようやく満足したようだった。やや表情を緩めると、再び歩き始めたのでナマエもその後に続く。少し後ろから見える、尾形のうなじや耳、軍服の詰襟からのぞく首筋。白地の外套をまとい、小銃を背負った背中。その全てを失いたく無いとナマエは思った。それに突き動かされるようにして、気がついたら尾形の手を取っていた。
「……何のつもりだ」
少し驚いたようにナマエを振り返る尾形の顔。そういう時、彼は僅かに目を見開くようにする。ナマエはそのまま体を寄せて背伸びをすると、尾形の唇にキスをした。
「好きです、尾形さん」
尾形は面くらった様子で、ナマエの顔をまじまじと見下ろしている。頬がカッと火照るのを感じて、ナマエは顔を逸らすと握っていた手を慌てて離した。すみません、と消え入るような声で告げたあと、先を歩いている見えなくなってしまった三人の姿を追う。
「待て」
今度は尾形がナマエの手を掴んだ。そのまま力強く引き寄せると、逞しい腕にナマエをひしと搔き抱いた。あまりの力に、身体が押し潰されそうになる。幸せだった。今この瞬間、全ての甘い幸福は輝いているように思った。もう他に何も欲しくない。ナマエ、と耳元で名前を呼ぶ尾形の声。軍服越しに伝わる体温、染み付いた硝煙の匂い、尾形と寝た時に感じた肌の香り。この時代に来てから、いつもどこか雲の上を歩いているような感覚があったけれど、今自分を抱きしめる男の存在は、ナマエにとって紛れもない現実だった。この人に生きていて欲しい。自分もその横で生きていたい。これほど生に執着した事は、今までなかった。どれくらいそうしていただろう、やがて尾形はナマエの体を離す。
「行くぞ」
素っ気なく言うと、いつものように歩き始める。ナマエは はい、と返事をすると、尾形の後ろを追いかけた。
「あッ!?チッ…やられたな。ナマエ、下がってろ!外に出るなよ」
室内は火が激しく燃えていて、煙がもうもうと上がっている。出口に駆け寄った家長にも鋭い声で注意すると、尾形は黒い瞳をナマエに向けて手早く言った。
「軍の連中が贋物の証拠を消しにきたに違いない。チラッと外に軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
槓桿を引きながら窓際に寄り、外を見ている尾形の元へ土方もやってきて、ウィンチェスターを手に握る。
「鶴見中尉の手下がこの家を消しにきたということは、月島軍曹が生きて炭鉱を脱出したと考えるべきか」
男達は慌ただしく玄関まで歩きながら、緊迫した様子で言葉を交わす。尾形は だろうな、と返事をすると、ナマエを見据えて言った。
「窓は鉄格子がある。外の連中にとっても突入するならば玄関以外は無い。奴らを玄関まで追い込むから、お前は身を隠せ。隙を見て外に出ろ」
「えっ、そんな私だけ安全な所に……一緒に行きます」
「駄目だ。これから日露帰りの兵士が突入して来るんだぞ。弾が当たったらどうするつもりだ。庇いきれん」
分かったら早く隠れろ、と尾形が急かしたのでナマエは渋々頷いてその場を離れようとしたが、去り際で尾形に腕を掴まれる。
「ここが片付いたら探しに行ってやるからうろちょろするなよ。上から援護してやるから上手くやれ。遮蔽物の間を最短距離で移動しろ」
あとでな、と尾形は短く言うと、狙撃のため二階へ駆け上がっていく。ナマエはゴクリと唾を飲み込むと、覚悟を決めて物陰へと身を隠した。
しばらくすると二階から銃声が聞こえ、尾形が発砲したのだとわかる。しかし隠れていろと言われたものの、火の回りが早いのか次第に息苦しくなって、そろりと周囲の様子を伺うと煙が広がってきていた。もう出るしかないと判断して駆け出すと、通りかかった階段の二階から重たい物音がする。
「お、尾形さん…?この二階って確かさっき上がって行った所じゃ……」
機を見て外に出ろ、という尾形の言葉が蘇るが、もし彼が今二階で死にそうになっているのだとしたら、絶対に放っておくわけにはいかない。ナマエは意を決して二階になるべく静かに駆け上がると、喉がカラカラに乾くのを感じながら扉を開ける。
「死ね!!コウモリ野郎がッ」
尾形に馬乗りになった兵士が、小銃の床尾板を思い切り振り下ろしているのが目に入り、ナマエは絶句した。慌てて辺りに視線を走らせ、大きな陶器の花瓶を見つけると無我夢中で掴み、兵士の後頭部目掛けて叩きつけるようにする。花瓶は命中し、粉々に砕け散った。
「ナマエ」
尾形は驚いた声を出したが、兵士は一瞬クラリとしてから勢い良く振り返ってナマエ目掛けて小銃を振り下ろす。反射的に目を瞑った時、下がって、と落ち着き払った声がした。目を開けてみると、いつの間にか現れた杉元が兵士を斃している。
「お前が好きで助けたわけじゃねえよ。コウモリ野郎」
杉元はそう言い残すと土方の援護に向かった。尾形は血の混じった唾を吐くと、血塗れの顔を拭いながらナマエを見やる。
「お前一体何してんだ。俺の言った事を聞いてなかったのか」
「逃げようとしました。でも二階で尾形さんが……」
「黙れ。全くお前は……」
尾形は怒りを滲ませながらナマエの言葉を遮ると、再び窓際に寄って外にいる兵士を狙撃する。それを何度か繰り返した後、ナマエの腕を乱暴に掴むと階段を駆け下りた。
「逃げるなら今しか無い!!急げ!!」
杉元と土方に声をかけると、一目散に外へ走る。尾形は慎重に当たりを見廻しながら、燃え盛る剥製屋を後にした。
♦︎
尾形と共に夕張の街中までたどり着くと、土方、家永、牛山、アシリパ、杉元の面々が見えた。
「永倉たちを探して合流する。お前たちは先に月形へ向かえ」
土方の言葉に、こいつらと?と牛山が聞き返す。どうやら、杉元とアシリパと共に月形を目指す事になったようだ。そういう訳で、妙な組み合わせの5人組は街を離れ、人目を忍ぶため山道へ入った。鬱蒼とした森が広がっていて、川には澄んだ水が流れている。
「……なんかさぁ…後ろの二人、空気悪くない?」
杉元は少し距離を開けて一番後ろを歩いている尾形とナマエをちらりと見遣ってから、アシリパに囁いた。
「そうだな。喧嘩でもしてるんじゃないか?」
「そんなもん犬も喰わねえからほっとけ、お嬢」
牛山がやれやれと言うと、そうしよう、とアシリパが頷く。事実、尾形とナマエの間には今までにないほどピリピリした空気が漂っていた。沈黙が重い。
「……何故俺の言う事を聞かなかった」
尾形は本気で怒っているらしかった。目を合わせようとしないし、冷たい声色だった。
「……前に言いましたよね。尾形さんが死にそうな時は助けるって」
だから、言って尾形は苛立ちながら立ち止まると、真っ直ぐナマエの目を見る。猫を思わせる黒い瞳には珍しく感情の色がさし、ナマエは言葉を飲み込んだ。
「お前に何ができる。俺を助けられると思ってんのか?余計な事をするな」
「余計なことって……確かに、私はお荷物だと思いますけど、体を張って尾形さんが逃げる隙を作ることぐらいは出来ると思います」
「だからそれが余計な事だって言ってんだ。それにな」
尾形は言葉を切ると、しばらく押し黙った末にゆっくりと口を開いた。
「お前はお荷物じゃない。居るだけでいい」
え、とナマエが尾形を見返すと、彼は相変わらずの感情が読み取れない顔でこちらを見ている。
「お前がああいう場面で最優先にするべきなのは、無傷で逃げ切ることだ。負傷したり死ぬような事は、絶対に赦さん」
いつになく強い語気で言われたじろぐが、ナマエはここで大人しく食い下がる訳にはいかなかった。
「それで尾形さんが死んだらどうするんですか。尾形さんがいないのにここで生きてる意味なんて無いんです。私だって、尾形さんが一人で死ぬような事は許しませんよ。そんな事絶対にさせません」
感情が昂るあまり、涙の気配がするが幸い零れ落ちる事はなかった。尾形はナマエの言葉一つ一つをじっと聞いた後、ようやく口を開く。
「お前は俺のために死ぬという事か。……いいだろう。その時が来るまで、勝手な事をするな。分かったか」
返事しろ、と言われて はい、と答えると尾形はようやく満足したようだった。やや表情を緩めると、再び歩き始めたのでナマエもその後に続く。少し後ろから見える、尾形のうなじや耳、軍服の詰襟からのぞく首筋。白地の外套をまとい、小銃を背負った背中。その全てを失いたく無いとナマエは思った。それに突き動かされるようにして、気がついたら尾形の手を取っていた。
「……何のつもりだ」
少し驚いたようにナマエを振り返る尾形の顔。そういう時、彼は僅かに目を見開くようにする。ナマエはそのまま体を寄せて背伸びをすると、尾形の唇にキスをした。
「好きです、尾形さん」
尾形は面くらった様子で、ナマエの顔をまじまじと見下ろしている。頬がカッと火照るのを感じて、ナマエは顔を逸らすと握っていた手を慌てて離した。すみません、と消え入るような声で告げたあと、先を歩いている見えなくなってしまった三人の姿を追う。
「待て」
今度は尾形がナマエの手を掴んだ。そのまま力強く引き寄せると、逞しい腕にナマエをひしと搔き抱いた。あまりの力に、身体が押し潰されそうになる。幸せだった。今この瞬間、全ての甘い幸福は輝いているように思った。もう他に何も欲しくない。ナマエ、と耳元で名前を呼ぶ尾形の声。軍服越しに伝わる体温、染み付いた硝煙の匂い、尾形と寝た時に感じた肌の香り。この時代に来てから、いつもどこか雲の上を歩いているような感覚があったけれど、今自分を抱きしめる男の存在は、ナマエにとって紛れもない現実だった。この人に生きていて欲しい。自分もその横で生きていたい。これほど生に執着した事は、今までなかった。どれくらいそうしていただろう、やがて尾形はナマエの体を離す。
「行くぞ」
素っ気なく言うと、いつものように歩き始める。ナマエは はい、と返事をすると、尾形の後ろを追いかけた。