十二話
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十二話
誰かに呼ばれたような気がする。遠くの方から、ナマエ、ナマエとかすかな声がする。女の人の、細い声。
「ナマエ」
しかし明瞭になっていく意識の中で聞こえた声は、男の低い声だった。ゆっくりと目を開けると、尾形がナマエの顔を覗き込んでいるのが見える。どうやら剥製屋の洋館に戻ってきており、その一室のベッドに寝かされているようだ。汚れた着物は着ておらず、清潔な襦袢になっている。
「気がついたか」
「あれ、私達確か炭坑の中で爆発に巻き込まれて……尾形さんが助けてくれたんですね」
「ここまでお前を担いでくるのは難儀だったぜ」
そう言いながら、ベッド脇の椅子に腰掛けていた尾形は立ち上がると、ナマエの真横に座った。尾形の重みでベッドが沈み込むのを感じる。
「くれよ、ご褒美」
彼がそう言った途端、急に顔が近づいたかと思うと唇を塞がれて、ナマエは驚いて身を竦める。普段よりも少し乱暴な舌先に、息が苦しくなって紺の軍服を着込んだ尾形の胸板を押してみるがあまり意味はなかった。
「お前は本当に手のかかる女だな。世話してる俺の身にもなってもらいたいもんだ」
「す、すみません……気を失ったりして」
尾形は顔を少し傾けると、再び唇を重ねてナマエの言葉を封じる。
「まったくだ」
舌先にナマエの体温や、湿った息遣いを感じながら、尾形は心のうちに安堵が広がるのを感じていた。炭坑からようやく連れ出した直後のナマエはぐったりして、ピクリとも動かなかったので気が気では無かった。このまま目を覚まさず、元いた世とやらに消えてしまうのではないかと嫌な推測がよぎったが、杞憂に終わったようだ。
「あまり俺の手を煩わせるな」
そう言いながらナマエの瞳を覗き込むと、自分を責めているのか、落ち込んでいるように見える。違う、俺はお前にそんな顔をさせたい訳じゃない。ただ、普段のナマエでいて欲しい。それだけなのに、言葉にするとどうしてこんな風になってしまうのだろう。
「あの、もしかして……着替えさせてくれたのって」
そんな尾形の胸中をよそに、ナマエは引きつった顔で問いかける。その様子がなんだか可笑しくて、尾形は意地悪く笑った。
「俺だ。感謝してもらいたいね」
「そうですか……すみませんでした」
ナマエが気まずそうに顔を赤らめると、尾形は手を伸ばして襦袢越しに体をゆっくりと撫でたので、思わず身じろぎをする。
「そんなに恥ずかしいか。もっと厭らしい事をしているくせに」
そうだよなぁ?と耳元で囁かれ、ナマエは羞恥に耐えきれなくなって顔を目一杯背ける。
「そういう事言わないで下さい。……あ!なんかいい匂いしてますし、家永さんがお料理してるんじゃないですか。私も手伝わないと」
漂ってきた味噌の香りで咄嗟に言うが、尾形は手に力を込めてナマエの動きを封じた。両肩をがっちりと掴まれて、まったく身動きが取れない。
「ここにいろよ。さっき目覚めたばかりだ、体に障るだろ」
そう言って、尾形が再びナマエに顔を寄せたとき、カツカツと靴音が響いてドアをノックする音が聞こえる。
「……邪魔が入ったな。誰だ」
尾形が不機嫌に返事をすると、扉を開けて入ってきたのは家永だ。白い三角巾とエプロンを付けていて、ナマエの予想通り調理中だったらしい。
「あらナマエさん、目が覚めたのね。お食事が出来たから呼びにきたの。食べられそうならお上がりなさい」
「はい、ありがとうございます」
「お邪魔して悪かったわね。それじゃ、食堂で」
家永は尾形をちらりと見遣ってから言うと、部屋を出て扉を閉める。ナマエはゆっくりと身を起こすと身支度を整え、尾形と共に食堂へ向かった。
大きなテーブルが置いてある食堂へ入ってみると、随分と賑やかになっている。見慣れぬ顔が4人程いて、女の子も含まれていることに少し驚いた。青い目の少女はナマエの存在に気がつくと、まっすぐこちらを見て歩み寄ってくる。美しい紋様が入った鉢巻と羽織を身につけていているところからして、きっとアイヌなのだろう。その後ろから、顔に大きな傷のある軍帽の男が仏頂面で付いてくる。
「お前、名は何という。もう体は平気なのか?炭坑から出てきた時は、随分苦しそうだったぞ」
「ナマエです、始めまして。休ませてもらったから大丈夫。ありがとう」
その澄み切った瞳にドキリとしながらもナマエが答えると、女の子は そうか、と言って笑顔を見せた。
「私はアシリパ。後ろのは杉元だ」
「……どうも」
杉元は警戒するようにナマエを眺めている。先ほどまで白熊を巡って争っていたのだから当然だが、なんだか見覚えがあるような気がして記憶を遡ってみると、尾形を川に落とした張本人だという事を思い出した。あの時戦っていた相手は杉元だったようだ。殺し合っていた二人が今は取り敢えず手を組むという事なのか。混乱して尾形を見てみると、相変わらずの無表情で真意は読めない。そこへ慌ただしい足音がして顔を向けると、坊主頭に紫色の半纏を着た男が走り込んできた。
「白石由竹です。独身で彼女はいません。付き合ったら一途で情熱的です」
男はキラキラとした目でそう言ったかと思うと、すっと右手を差し出して握手を求めた。ナマエの横に立っていた尾形がその手をおもむろに掴むと、胡散臭い笑顔を浮かべる。
「いい度胸だな?白石くん」
「いでででで折れるって!!……ちょっと何?そういう事?早く言ってぇ〜?」
白石が右手を摩りながらナマエと尾形を交互に見ていると、何やってんだ、と落ち着いた声がした。
「キロランケ。この二人良い仲なんだってさぁ〜、お熱いぜ」
ヒュウ、と白石が茶化すように口笛を吹いたので、ナマエは思わず目を逸らし、尾形は横で押し黙っている。キロランケは そうなのか、と大して興味を示さず言うと、ナマエの方を向いて人の良さそうな笑顔を見せた。
「皆さん出来ましたよ」
家永の声に、居合わせた面々はそれぞれの席に座って食事が始まる。杉元と尾形が若干口喧嘩をしていたが、大きく揉めることもなく家永が作ったなんこ鍋を皆でつついた。尾形はナマエの隣で黒いお碗に入った鍋を食べていて、熱いのか慎重に息を吹きかけている。
「いずれにせよ坑内に月島軍曹の死体が無いか確認するまでは夕張から動けんが、死体が無ければ判別方法を見つけるのは必須だな」
土方がお茶をすすりながら言うと、家永が贋作を見抜ける人物に心当たりがあると言った。熊岸長庵と言う男で、偽札作りの罪で月形の樺戸監獄に収監されているそうだ。鶴見中尉はこの剥製屋で刺青人皮の精巧な偽物を作ることに成功し、月島によってそれが持ち出されたのだという。当面の間は夕張に留まり、月島軍曹が見つからない場合は月形を目指すと言う事で話はまとまった。しかしナマエは月島がそう簡単に死ぬとは思えないのだった。
誰かに呼ばれたような気がする。遠くの方から、ナマエ、ナマエとかすかな声がする。女の人の、細い声。
「ナマエ」
しかし明瞭になっていく意識の中で聞こえた声は、男の低い声だった。ゆっくりと目を開けると、尾形がナマエの顔を覗き込んでいるのが見える。どうやら剥製屋の洋館に戻ってきており、その一室のベッドに寝かされているようだ。汚れた着物は着ておらず、清潔な襦袢になっている。
「気がついたか」
「あれ、私達確か炭坑の中で爆発に巻き込まれて……尾形さんが助けてくれたんですね」
「ここまでお前を担いでくるのは難儀だったぜ」
そう言いながら、ベッド脇の椅子に腰掛けていた尾形は立ち上がると、ナマエの真横に座った。尾形の重みでベッドが沈み込むのを感じる。
「くれよ、ご褒美」
彼がそう言った途端、急に顔が近づいたかと思うと唇を塞がれて、ナマエは驚いて身を竦める。普段よりも少し乱暴な舌先に、息が苦しくなって紺の軍服を着込んだ尾形の胸板を押してみるがあまり意味はなかった。
「お前は本当に手のかかる女だな。世話してる俺の身にもなってもらいたいもんだ」
「す、すみません……気を失ったりして」
尾形は顔を少し傾けると、再び唇を重ねてナマエの言葉を封じる。
「まったくだ」
舌先にナマエの体温や、湿った息遣いを感じながら、尾形は心のうちに安堵が広がるのを感じていた。炭坑からようやく連れ出した直後のナマエはぐったりして、ピクリとも動かなかったので気が気では無かった。このまま目を覚まさず、元いた世とやらに消えてしまうのではないかと嫌な推測がよぎったが、杞憂に終わったようだ。
「あまり俺の手を煩わせるな」
そう言いながらナマエの瞳を覗き込むと、自分を責めているのか、落ち込んでいるように見える。違う、俺はお前にそんな顔をさせたい訳じゃない。ただ、普段のナマエでいて欲しい。それだけなのに、言葉にするとどうしてこんな風になってしまうのだろう。
「あの、もしかして……着替えさせてくれたのって」
そんな尾形の胸中をよそに、ナマエは引きつった顔で問いかける。その様子がなんだか可笑しくて、尾形は意地悪く笑った。
「俺だ。感謝してもらいたいね」
「そうですか……すみませんでした」
ナマエが気まずそうに顔を赤らめると、尾形は手を伸ばして襦袢越しに体をゆっくりと撫でたので、思わず身じろぎをする。
「そんなに恥ずかしいか。もっと厭らしい事をしているくせに」
そうだよなぁ?と耳元で囁かれ、ナマエは羞恥に耐えきれなくなって顔を目一杯背ける。
「そういう事言わないで下さい。……あ!なんかいい匂いしてますし、家永さんがお料理してるんじゃないですか。私も手伝わないと」
漂ってきた味噌の香りで咄嗟に言うが、尾形は手に力を込めてナマエの動きを封じた。両肩をがっちりと掴まれて、まったく身動きが取れない。
「ここにいろよ。さっき目覚めたばかりだ、体に障るだろ」
そう言って、尾形が再びナマエに顔を寄せたとき、カツカツと靴音が響いてドアをノックする音が聞こえる。
「……邪魔が入ったな。誰だ」
尾形が不機嫌に返事をすると、扉を開けて入ってきたのは家永だ。白い三角巾とエプロンを付けていて、ナマエの予想通り調理中だったらしい。
「あらナマエさん、目が覚めたのね。お食事が出来たから呼びにきたの。食べられそうならお上がりなさい」
「はい、ありがとうございます」
「お邪魔して悪かったわね。それじゃ、食堂で」
家永は尾形をちらりと見遣ってから言うと、部屋を出て扉を閉める。ナマエはゆっくりと身を起こすと身支度を整え、尾形と共に食堂へ向かった。
大きなテーブルが置いてある食堂へ入ってみると、随分と賑やかになっている。見慣れぬ顔が4人程いて、女の子も含まれていることに少し驚いた。青い目の少女はナマエの存在に気がつくと、まっすぐこちらを見て歩み寄ってくる。美しい紋様が入った鉢巻と羽織を身につけていているところからして、きっとアイヌなのだろう。その後ろから、顔に大きな傷のある軍帽の男が仏頂面で付いてくる。
「お前、名は何という。もう体は平気なのか?炭坑から出てきた時は、随分苦しそうだったぞ」
「ナマエです、始めまして。休ませてもらったから大丈夫。ありがとう」
その澄み切った瞳にドキリとしながらもナマエが答えると、女の子は そうか、と言って笑顔を見せた。
「私はアシリパ。後ろのは杉元だ」
「……どうも」
杉元は警戒するようにナマエを眺めている。先ほどまで白熊を巡って争っていたのだから当然だが、なんだか見覚えがあるような気がして記憶を遡ってみると、尾形を川に落とした張本人だという事を思い出した。あの時戦っていた相手は杉元だったようだ。殺し合っていた二人が今は取り敢えず手を組むという事なのか。混乱して尾形を見てみると、相変わらずの無表情で真意は読めない。そこへ慌ただしい足音がして顔を向けると、坊主頭に紫色の半纏を着た男が走り込んできた。
「白石由竹です。独身で彼女はいません。付き合ったら一途で情熱的です」
男はキラキラとした目でそう言ったかと思うと、すっと右手を差し出して握手を求めた。ナマエの横に立っていた尾形がその手をおもむろに掴むと、胡散臭い笑顔を浮かべる。
「いい度胸だな?白石くん」
「いでででで折れるって!!……ちょっと何?そういう事?早く言ってぇ〜?」
白石が右手を摩りながらナマエと尾形を交互に見ていると、何やってんだ、と落ち着いた声がした。
「キロランケ。この二人良い仲なんだってさぁ〜、お熱いぜ」
ヒュウ、と白石が茶化すように口笛を吹いたので、ナマエは思わず目を逸らし、尾形は横で押し黙っている。キロランケは そうなのか、と大して興味を示さず言うと、ナマエの方を向いて人の良さそうな笑顔を見せた。
「皆さん出来ましたよ」
家永の声に、居合わせた面々はそれぞれの席に座って食事が始まる。杉元と尾形が若干口喧嘩をしていたが、大きく揉めることもなく家永が作ったなんこ鍋を皆でつついた。尾形はナマエの隣で黒いお碗に入った鍋を食べていて、熱いのか慎重に息を吹きかけている。
「いずれにせよ坑内に月島軍曹の死体が無いか確認するまでは夕張から動けんが、死体が無ければ判別方法を見つけるのは必須だな」
土方がお茶をすすりながら言うと、家永が贋作を見抜ける人物に心当たりがあると言った。熊岸長庵と言う男で、偽札作りの罪で月形の樺戸監獄に収監されているそうだ。鶴見中尉はこの剥製屋で刺青人皮の精巧な偽物を作ることに成功し、月島によってそれが持ち出されたのだという。当面の間は夕張に留まり、月島軍曹が見つからない場合は月形を目指すと言う事で話はまとまった。しかしナマエは月島がそう簡単に死ぬとは思えないのだった。