十話
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翌朝、宿で食事を摂った二人は街へと出かけた。尾形は何か探し物をしているらしく、時折通りすがる人に話しかけては、刺青だの、皮だのと尋ねている。そんな聞き込みを何日か繰り返したある日、尾形は満足のいく回答を得たらしく、ナマエの顔を見ると口を開いた。
「今日はもういい。宿に戻るぞ」
「わかりました」
刺青と皮。一体なんの話をしているのだろう。尾形のことを深く知るのは危険だと考えていたが、そんな警告を乗り越えるくらいには、彼に惹かれていた。宿に戻ったら聞いてみようと考えながら、ひらひら動く白い外套を眺める。
見慣れた建物に入ると、泊まっている部屋で荷物を降ろす。関東で言えばすっかり春めいている時分だが、北海道はまだ寒く、尾形は戻るとすぐに火鉢のそばに座って手を温めるのが常だ。今日もその例に漏れず、火鉢の前を陣取る尾形の背中を見て、少し笑ってしまう。ナマエも彼の横に座ると、手をかざした。じんわりとした熱が掌を温めてくれる。
「あの、刺青って何のことですか?」
尾形は何か考えている様子だったが、火鉢の灰に視線を落としたままゆっくりと口を開いた。
「……暗号だ。北海道の何処かに隠された、アイヌが集めた金塊のありかが分かるんだとよ。第七師団に警察の連中、チンピラ共まで金塊を狙ってる」
その刺青は網走監獄に収監されていた囚人の体に彫られていて、金塊を求める人間は皆それを求めて奪い合っているのだと言う。
「尾形さんは、その刺青見たことあるんですか?」
「鶴見中尉が一枚持ってたからな。いつも軍服の下に着てたぜ」
着てた、というのは殺して皮を剥いで服にしたということだろうか?ナマエはそう思い至ると、背中に寒気が広がるのを感じる。鶴見中尉といい、宇佐美といい、第七師団は恐ろしい人物ばかりのようだ。
「尾形さんも、金塊が欲しいんですか」
そう聞かれて、彼は視線を火鉢から天井の方に移した。何を考えているのかわからない、感情を示さない尾形の横顔。やがて まぁな、と返事をすると、黒い瞳がナマエを見た。
「明日は茨戸に向けて出発する。例の皮の噂を聞いたもんでね」
「見つかるといいですね、それ」
二人はその後もしばらく、火鉢を囲んで過ごした。特に言葉は交わさなかったけれど、満ち足りた沈黙だとナマエは感じた。尾形がどう思っているかは分からないが、この静かな時間に心が穏やかになるのだった。
♢
翌朝、二人は宿を出ると早速茨戸へ向けて出発した。この街から目的地までは、だいたい東へ40キロほどだそうだ。40キロというと、小樽から札幌くらいの距離感である。どうやって行くのかと考えていると、尾形は ちょっと待ってろ、と言って姿を消した。暫く待っていると、何処から連れてきたのか、馬にまたがってやって来るのが見えた。
「え?その馬どうしたんですか?」
「盗った」
尾形は事も無げに言ってのけると、早く乗れと言うように片手を差し出し、ナマエの掌を握ると引っ張り上げた。ぐんと視界が高くなって、振り向くと尾形が無表情にナマエを見返している。
「馬泥棒がバレる前にさっさと行くぞ」
そう言うと、彼は手綱を握って馬を走らせる。少し行くとすぐ山道で、また野宿かと思うと気が重いが致し方ない。延々と続く木々の間を暫く抜けて行くと、川のせせらぎが聞こえてきて尾形は馬を止めた。彼は先に降りると、素っ気ないながらもナマエに手を貸して、そのまま背嚢から水筒を取り出すと澄んだ川の水を汲んだ。ナマエも屈むと、手に掬って口に含む。冷蔵庫に入れたミネラルウォーターのように冷たい水だった。
「落ちるなよ」
「大丈夫ですよ。尾形さんも気をつけてくださいね」
「そうだな、死にかけたしなぁ」
最後の一言が完全に余計だったと、ナマエは彼の顔を見上げて思った。顔に胡散臭い笑顔を貼り付け、ナマエの横へしゃがみ込むようにした尾形は、柄の悪さが前面に出ていて、ナマエは引きつった笑顔を浮かべた。
「はは…無事でよかったです」
「全くだな。……しかしお前、あの時川に入ったろ。あれほど止めろと言った筈だが」
「だってそうしないと、尾形さん本当に死ぬんじゃないかと思って…居ても立っても居られなかったんですよ。あの時第七師団に見つからなかったら、二人とも危なかったですね」
ナマエがそう言うと、尾形は大きく溜息をついてから口を開く。
「……あのな、ああいう場合でも川に入るなって事だ。お前に何ができる?二人して死んじまっても何の意味もねぇだろ」
今度はナマエが溜息をつく番だった。分かってないですね、と言うと、尾形の顔を覗き込むようにする。
「私は元々、ここにいるべき人間じゃないんですよ。この時代に執着があるとすれば、それは……まあ、何というか…尾形さん、と言えなくもない訳ですから、尾形さんが死にそうになったら助けますよ。それにもしかして、死んだら元いた場所に戻るのかもしれないですし」
こういう話、良くあるじゃないですか?と言いながら少し笑ったナマエに向かって、馬鹿を言うな、と小さく呟く。
「だったら尚更お前を死なせる訳にはいかんな」
そう言いながら尾形は立ち上がると、行くぞ、とナマエに声をかける。
「明るいうちに距離を稼ぐ。早く来い」
はい、と返事をすると、ナマエは手を布で拭く。尾形が馬の上から差し出した掌に手を重ねると、彼の前に座った。
「今日はもういい。宿に戻るぞ」
「わかりました」
刺青と皮。一体なんの話をしているのだろう。尾形のことを深く知るのは危険だと考えていたが、そんな警告を乗り越えるくらいには、彼に惹かれていた。宿に戻ったら聞いてみようと考えながら、ひらひら動く白い外套を眺める。
見慣れた建物に入ると、泊まっている部屋で荷物を降ろす。関東で言えばすっかり春めいている時分だが、北海道はまだ寒く、尾形は戻るとすぐに火鉢のそばに座って手を温めるのが常だ。今日もその例に漏れず、火鉢の前を陣取る尾形の背中を見て、少し笑ってしまう。ナマエも彼の横に座ると、手をかざした。じんわりとした熱が掌を温めてくれる。
「あの、刺青って何のことですか?」
尾形は何か考えている様子だったが、火鉢の灰に視線を落としたままゆっくりと口を開いた。
「……暗号だ。北海道の何処かに隠された、アイヌが集めた金塊のありかが分かるんだとよ。第七師団に警察の連中、チンピラ共まで金塊を狙ってる」
その刺青は網走監獄に収監されていた囚人の体に彫られていて、金塊を求める人間は皆それを求めて奪い合っているのだと言う。
「尾形さんは、その刺青見たことあるんですか?」
「鶴見中尉が一枚持ってたからな。いつも軍服の下に着てたぜ」
着てた、というのは殺して皮を剥いで服にしたということだろうか?ナマエはそう思い至ると、背中に寒気が広がるのを感じる。鶴見中尉といい、宇佐美といい、第七師団は恐ろしい人物ばかりのようだ。
「尾形さんも、金塊が欲しいんですか」
そう聞かれて、彼は視線を火鉢から天井の方に移した。何を考えているのかわからない、感情を示さない尾形の横顔。やがて まぁな、と返事をすると、黒い瞳がナマエを見た。
「明日は茨戸に向けて出発する。例の皮の噂を聞いたもんでね」
「見つかるといいですね、それ」
二人はその後もしばらく、火鉢を囲んで過ごした。特に言葉は交わさなかったけれど、満ち足りた沈黙だとナマエは感じた。尾形がどう思っているかは分からないが、この静かな時間に心が穏やかになるのだった。
♢
翌朝、二人は宿を出ると早速茨戸へ向けて出発した。この街から目的地までは、だいたい東へ40キロほどだそうだ。40キロというと、小樽から札幌くらいの距離感である。どうやって行くのかと考えていると、尾形は ちょっと待ってろ、と言って姿を消した。暫く待っていると、何処から連れてきたのか、馬にまたがってやって来るのが見えた。
「え?その馬どうしたんですか?」
「盗った」
尾形は事も無げに言ってのけると、早く乗れと言うように片手を差し出し、ナマエの掌を握ると引っ張り上げた。ぐんと視界が高くなって、振り向くと尾形が無表情にナマエを見返している。
「馬泥棒がバレる前にさっさと行くぞ」
そう言うと、彼は手綱を握って馬を走らせる。少し行くとすぐ山道で、また野宿かと思うと気が重いが致し方ない。延々と続く木々の間を暫く抜けて行くと、川のせせらぎが聞こえてきて尾形は馬を止めた。彼は先に降りると、素っ気ないながらもナマエに手を貸して、そのまま背嚢から水筒を取り出すと澄んだ川の水を汲んだ。ナマエも屈むと、手に掬って口に含む。冷蔵庫に入れたミネラルウォーターのように冷たい水だった。
「落ちるなよ」
「大丈夫ですよ。尾形さんも気をつけてくださいね」
「そうだな、死にかけたしなぁ」
最後の一言が完全に余計だったと、ナマエは彼の顔を見上げて思った。顔に胡散臭い笑顔を貼り付け、ナマエの横へしゃがみ込むようにした尾形は、柄の悪さが前面に出ていて、ナマエは引きつった笑顔を浮かべた。
「はは…無事でよかったです」
「全くだな。……しかしお前、あの時川に入ったろ。あれほど止めろと言った筈だが」
「だってそうしないと、尾形さん本当に死ぬんじゃないかと思って…居ても立っても居られなかったんですよ。あの時第七師団に見つからなかったら、二人とも危なかったですね」
ナマエがそう言うと、尾形は大きく溜息をついてから口を開く。
「……あのな、ああいう場合でも川に入るなって事だ。お前に何ができる?二人して死んじまっても何の意味もねぇだろ」
今度はナマエが溜息をつく番だった。分かってないですね、と言うと、尾形の顔を覗き込むようにする。
「私は元々、ここにいるべき人間じゃないんですよ。この時代に執着があるとすれば、それは……まあ、何というか…尾形さん、と言えなくもない訳ですから、尾形さんが死にそうになったら助けますよ。それにもしかして、死んだら元いた場所に戻るのかもしれないですし」
こういう話、良くあるじゃないですか?と言いながら少し笑ったナマエに向かって、馬鹿を言うな、と小さく呟く。
「だったら尚更お前を死なせる訳にはいかんな」
そう言いながら尾形は立ち上がると、行くぞ、とナマエに声をかける。
「明るいうちに距離を稼ぐ。早く来い」
はい、と返事をすると、ナマエは手を布で拭く。尾形が馬の上から差し出した掌に手を重ねると、彼の前に座った。