一話
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今日も一日が始まる。
冬の朝は寒く、布団から出た百之助は小さな体をぶるりと震わせた。
居間に行くと祖母がいて、朝餉にしましょうねと微笑みかける。母は未だ床にいるようで姿は見えない。いつものことだ。
食事を済ませると、いつものように鳥を撃ちに出かけた。
毎晩毎晩、鮟鱇鍋を食べさせられるのはもう嫌だった。
母は自分を通して父の面影ばかり追っている。
どうしてだろう。どうして自分は他の子供が当たり前に受けられるものを与えられないのだろう。
いくら考えても答えは出なかった。
祖父の銃を持って歩いていると、「百ちゃん」と女の声が聞こえた。
振り返ると、柊子が立っている。
近所に住んでいて、農作業の合間に百之助のところにやってきては、色々と世話を焼く女だ。
年は十六歳で、彼から見たら柊子は大人だった。
「また鳥を撃ちにいくの?私も行くから待ってなさい」
「……いいよ。柊子はまた鳥が欲しいの?」
「うん、鳥肉大好きだから」
そう言って笑うと、彼女は家の方に走って行き、家の者に用事を伝えてまた走って帰ってきた。
「百ちゃん、行こう。いっぱい獲れるといいな」
こくりと百之助は頷くと、元気に歩いて行く柊子の少し後をついて行った。
♢
この日は鳥がよく獲れた。
そのたびに柊子は歓声をあげるのでうるさかったけど嫌じゃなかったし、一羽分けてやると本当に喜んだ。
家に帰ると祖父は偉いぞ、と言ってお駄賃もくれた。
けれど母はやっぱり変わらず鮟鱇鍋を作った。
それを食べるたびに、百之助の体の中には澱が溜まって行くような心地がする。
もっと幼い頃は、母が好きなものを食べるのが嬉しかったけれど、今やその料理は彼女の狂気の現れかのようだった。
しかしそれでも、百之助は母の作る鮟鱇鍋を嫌いになることは出来なかった。
ある日、祖父に連れられて百之助は町に出かけた。
買い物のために歩き回るのは、物珍しくて面白い。
その中に雑貨屋があり、ふと手鏡が目に留まった。
買いたいものがあれば買って良いと、鳥を撃ってもらったお駄賃が懐にあるのを思い出す。
彼は祖父の着物の袂を引っ張ると、雑貨屋に近寄って行った。
「何か欲しいのかい、百之助」
こくりと頷くと、小さな手鏡を指差す。
「柊子にあげたいから」
祖父は そうかい、と微笑むと、百之助が勘定するのを見守った。
村に帰ると、柊子の家を訪ねた。
彼女はすぐ出てきて、どうしたの、と笑顔で尋ねる。
百之助は柊子の腕を引っ張ると、家から少し離れたところまで連れてきた。
「これ、あげる」
そう言って、幼い手で彼女の掌に手鏡を渡した。
まあ、素敵。と柊子は笑顔になると、早速鏡に顔を写した。
「ありがとう、百ちゃん」
「ねえ、柊子。おれが大きくなったらお嫁さんになってよ」
そしたら毎日たくさん鳥を撃ってきてあげる、柊子は鳥肉が好きでしょ、と百之助は言った。
柊子はそれを、初めは笑顔で聞いていたが、次第に目を伏せて、やがて肩を震わせた。
「柊子?泣いてるの」
百之助はいつも明るい柊子が泣く姿に狼狽えた。
おずおずと彼女の顔を見上げると、柊子は涙を拭って彼を見下ろす。
「百ちゃん…私ね、縁談が決まったの。隣村に嫁ぐことになったのよ」
そう言うと、また涙がはらりと落ちてくる。
その雫を、百之助は黙って見つめた。
それからいくらも経たないうちに、柊子は手鏡と一緒に嫁いき、二度と会うことはなかった。
嫁いで数年後、病に罹って死んだそうだ。
あの手鏡はどうなったのかと思ったが、確かめる術はなかった。
彼が母の鮟鱇鍋に殺鼠剤を混ぜたのは、それからしばらくしてからの事だった。
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冬の朝は寒く、布団から出た百之助は小さな体をぶるりと震わせた。
居間に行くと祖母がいて、朝餉にしましょうねと微笑みかける。母は未だ床にいるようで姿は見えない。いつものことだ。
食事を済ませると、いつものように鳥を撃ちに出かけた。
毎晩毎晩、鮟鱇鍋を食べさせられるのはもう嫌だった。
母は自分を通して父の面影ばかり追っている。
どうしてだろう。どうして自分は他の子供が当たり前に受けられるものを与えられないのだろう。
いくら考えても答えは出なかった。
祖父の銃を持って歩いていると、「百ちゃん」と女の声が聞こえた。
振り返ると、柊子が立っている。
近所に住んでいて、農作業の合間に百之助のところにやってきては、色々と世話を焼く女だ。
年は十六歳で、彼から見たら柊子は大人だった。
「また鳥を撃ちにいくの?私も行くから待ってなさい」
「……いいよ。柊子はまた鳥が欲しいの?」
「うん、鳥肉大好きだから」
そう言って笑うと、彼女は家の方に走って行き、家の者に用事を伝えてまた走って帰ってきた。
「百ちゃん、行こう。いっぱい獲れるといいな」
こくりと百之助は頷くと、元気に歩いて行く柊子の少し後をついて行った。
♢
この日は鳥がよく獲れた。
そのたびに柊子は歓声をあげるのでうるさかったけど嫌じゃなかったし、一羽分けてやると本当に喜んだ。
家に帰ると祖父は偉いぞ、と言ってお駄賃もくれた。
けれど母はやっぱり変わらず鮟鱇鍋を作った。
それを食べるたびに、百之助の体の中には澱が溜まって行くような心地がする。
もっと幼い頃は、母が好きなものを食べるのが嬉しかったけれど、今やその料理は彼女の狂気の現れかのようだった。
しかしそれでも、百之助は母の作る鮟鱇鍋を嫌いになることは出来なかった。
ある日、祖父に連れられて百之助は町に出かけた。
買い物のために歩き回るのは、物珍しくて面白い。
その中に雑貨屋があり、ふと手鏡が目に留まった。
買いたいものがあれば買って良いと、鳥を撃ってもらったお駄賃が懐にあるのを思い出す。
彼は祖父の着物の袂を引っ張ると、雑貨屋に近寄って行った。
「何か欲しいのかい、百之助」
こくりと頷くと、小さな手鏡を指差す。
「柊子にあげたいから」
祖父は そうかい、と微笑むと、百之助が勘定するのを見守った。
村に帰ると、柊子の家を訪ねた。
彼女はすぐ出てきて、どうしたの、と笑顔で尋ねる。
百之助は柊子の腕を引っ張ると、家から少し離れたところまで連れてきた。
「これ、あげる」
そう言って、幼い手で彼女の掌に手鏡を渡した。
まあ、素敵。と柊子は笑顔になると、早速鏡に顔を写した。
「ありがとう、百ちゃん」
「ねえ、柊子。おれが大きくなったらお嫁さんになってよ」
そしたら毎日たくさん鳥を撃ってきてあげる、柊子は鳥肉が好きでしょ、と百之助は言った。
柊子はそれを、初めは笑顔で聞いていたが、次第に目を伏せて、やがて肩を震わせた。
「柊子?泣いてるの」
百之助はいつも明るい柊子が泣く姿に狼狽えた。
おずおずと彼女の顔を見上げると、柊子は涙を拭って彼を見下ろす。
「百ちゃん…私ね、縁談が決まったの。隣村に嫁ぐことになったのよ」
そう言うと、また涙がはらりと落ちてくる。
その雫を、百之助は黙って見つめた。
それからいくらも経たないうちに、柊子は手鏡と一緒に嫁いき、二度と会うことはなかった。
嫁いで数年後、病に罹って死んだそうだ。
あの手鏡はどうなったのかと思ったが、確かめる術はなかった。
彼が母の鮟鱇鍋に殺鼠剤を混ぜたのは、それからしばらくしてからの事だった。
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