七話
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「待て、ミョウジ」
男の声にナマエが振り向くと、兵舎から出てきた月島の姿が見えた。
彼らは並んで歩き始めたが、重たい沈黙が続く。
「……悪い事は言わん。なにか隠してることがあるなら大人しく鶴見中尉に話した方がいい」
「隠してることなんてないです」
嘘をつけ、と月島は呆れたような顔で言ったが、ナマエは貝のように黙っている。
「全く…お前は自分がどれだけ危険な橋を渡ろうとしているのか分かっていないのだ。お前は尾形と行動を共にするつもりなのだろうが、あの男は危険だ」
なぜですか、とナマエは月島を見上げるようにして問いかけた。
造反組の疑いが強いからだ、とは言えなかったが、金塊には無関係の人間が巻き込まれていくのを見ているのは気分がいいものではなかった。
月島は信じられなかったが、鶴見中尉は彼女が先の世から来た人間だと言うことを確信しているようだし、尾形の弱味になり得るナマエが彼の興味の外に出る事はもう難しいだろう。
ならばせめて、安全な場所に身を置くべきだと月島は考えた。
「お前、故郷に家族はいないのか」
「いますけど…帰り方が分からないんです」
月島は そうか、とだけ言うとしばらく黙った。
愛する者を急に失う辛さを知っている彼は、ナマエの家族のことを慮る。
「……必ず帰ってやれよ」
「…そうですね」
そう言ったナマエの顔には、深い溝のような寂しさが漂っていて、月島は再び沈黙した。
今の彼女には、話しかけるのを躊躇うような切なさがあった。
この女の、この暗がりはどこから来るのだろう。
二人は言葉少なく、軍病院へと戻って行った。
♢
夜になった。
細っそりとした三日月が夜空に浮かんでいるばかりで、尾形とナマエが使っている病室は真っ暗に近かった。
ナマエは眠る前に、尾形の様子を見ることにしている。
入院してから、ずいぶん髪が伸びた。
暗い部屋で目を凝らして彼の様子を眺めてから、いつものように自分のベッドに入ろうとすると、急に手を掴まれて引っ張られる。
気がついた時には、尾形の顔のすぐ近くまで引き寄せられていて驚いた。
僅かな月光が、彼の黒い瞳にちらついているのが見える。
「お、尾形さん?目が覚めたんですね?お医者さんを呼んできます」
「ここにいろよ」
低い声でそう言うと、尾形はナマエの手を握る力を強めた。
「なんでですか。早く診てもらった方がいいですよ」
彼の手を振り解こうとするナマエに向かって、相変わらず五月蝿い女だ、と言うと腕を伸ばしてナマエをベッドの中へ引き込む。
急な出来事に反応出来ずにいると、尾形は荒々しくナマエに接吻した。
「こうすりゃお前は大人しくなるからな」
囁くように言った尾形は相変わらずの上から目線で、元気を取り戻した様子にナマエは安心した。
尾形の筋肉質な肉体が、一人用ベッドの狭さでナマエに沿うように密着している。
「いくつか聞きたいことがあるが…まず、玉井伍長達は戻っているか?」
玉井伍長、と聞いて、少し前にお見舞いに訪れた面々を思い返す。
そういえば彼らの行方が分からない、と言うようなことを、病院に出入りしている兵士が話しているのを小耳に挟んだの思い出して伝えると、尾形は何か考えているようだった。
「玉井伍長達と行動を共にすると言ってたのは、谷垣だったな?」
「はい、確か……なんで知ってるんですか」
嫌な予感にナマエが顔をひきつらせると、尾形がにやりと笑ったのを感じる。
「聞いてたからだよ。顎が砕けて話せなかったから黙ってたが、随分と言いたい放題だったな?」
どうやら尾形は意識が戻っているのを隠していたようだった。
ナマエは自分の発言を悔いたが後の祭りで、尾形に片手で両手首を抑えられて抵抗ができない。
「恥ずかしがり屋はお前だろ?婚約者さん」
「そのくだりも知ってるんですね……」
尾形は息を吐くように笑うと、再びナマエの唇を塞いだ。息が苦しい。
彼は空いた手でナマエの身体を撫でた。
「しょ、しょうがなかったんです。鶴見中尉に尾形さんとの関係を聞かれて…不自然にならないようにと思って…」
唇が離れる少しの合間に、ナマエは懸命に弁明するが、尾形は彼女の言葉を無視するかのように、顔をやや傾けると舌先でナマエの唇を舐めた。
「仕方なく言ったのか?嘘吐きな女だ」
そう言いながら、身体を撫でていた尾形の掌が上にあがってきたかと思うと、ナマエの首を包んだ。
このまま力を込められたら、首が絞まるだろう。そういう位置に、彼の掌は置かれていた。
「嘘吐きついでに聞くが…今日の日中、月島と何やってた」
え?とナマエが聞き返すと、首へ置かれた掌に僅かな力が加わるのを感じる。
「洗濯物を手伝ってもらって、そのあと鶴見中尉に呼ばれて一緒に兵舎へ行きました」
「へぇ…随分月島と仲がよろしいようだな。手なんぞ取り合って」
手、と言われて、ようやくナマエは軟膏のことを思い出した。
尾形は何か誤解しているようなので、慌てて口を開く。
「取り合ってませんよ。月島さんがあかぎれに効く薬をくれて、鯉登少尉って人の世話をする癖で塗っちゃっただけらしいです」
ナマエは今更ながら、尾形の目の良さを思い出していた。
病室の窓からはちょうど物干場が見えるので、一部始終を眺めていたのだろう。
「月島はお前みたいなのがお好みなのかね。まあ、どうだっていいが……で、鶴見中尉の所に行って何を話した」
少しづつ首にかかる力が強くなり、ナマエは不穏な空気が漂い始めているのを感じた。
「鶴見中尉には、私が先の世からきた人間なのかと聞かれました」
尾形は黙ってナマエの話を聞いている。
真黒い目が、ナマエの心の底を覗くようにしているのが見える。
一呼吸おいてから、彼女は再び口を開いた。
「……秘密を話すように言われました。そんな重荷を抱える必要はないからと」
尾形は舌打ちしたくなった。死神の手がこんなにも早くまわってくるとは考えていなかった。
鶴見中尉がナマエを丸め込もうと考えたのは明らかだった。
「それでお前はなんて答えたんだ。俺を売ったか?」
尾形が手に力を込めたので、ナマエは少し苦しげな表情を浮かべる。
尾形はそれを無表情で眺めながら、柊子に似ているからずるずる関係を持ったが、らしくない事をしたものだと考えた。
この女がいくらボンヤリしていても、第七師団についた方が有利なのは分かるだろう。
鶴見中尉の思惑通り、造反しようとしている事を喋ったに違いない。
やはり馴れ合いなどするべきではなかったのだ。
そんな風に考えていると、ナマエが静かに口を開いた。
「…売るわけないでしょう。私は尾形さんが居れば、秘密を持っているのも平気です。……この時代に居場所はない筈なのに、あなたの隣は居心地がいいと思ってしまうんです」
ナマエがひっそりと言った言葉を聞いて、尾形は首にかけていた手を緩めると、ナマエの顔を目を凝らすようにして見た。
暗がりで薄っすら見える彼女は、尾形のことをじっと見返している。
尾形の存在を全て受け入れるような目を見ていると、彼は唐突に一つの気付きを得た。
この女は、俺を愛しているのか?
それは確信のように思えたが、同時に疑問でもあった。
愛は神と同じくらい存在があやふやなものだ。
愛とは何なのだろう。何をどうする事が愛なのだろう。
尾形は両手でナマエの顔を包むと、彼女の目をじっと見つめて口を開いた。
「つくづく、妙な事を言う女だな……地獄の入口かもしれないぜ」
ナマエは そうですかね、と言いながら、顔を包む尾形の手に触れる。
「私は、地獄だとは思いませんよ」
月に厚い雲がかかって、僅かに見えていた互いの顔が真っ暗闇に溶け込む。
互いの存在を感じられるのは、指先に感じる体温だけだった。
尾形の手が力強くナマエの身体を引き寄せたので、身体がすっぽり彼の腕に収まる。
ナマエはそれだけでどうしようもなく安心する。
未来や過去なんて、どうだって良くなってしまう。
この男の温もりさえあればそれで良いだなんて、子どものような事を考えてしまう。
このひとに深入りするつもりはなかったのに。
帰るべき場所があるのに、それを忘れてしまいたくなる。
「どうだかな」
素っ気ない言葉とは裏腹に、尾形から絡みつくような接吻を受けて、ナマエはそっと目を閉じた。
男の声にナマエが振り向くと、兵舎から出てきた月島の姿が見えた。
彼らは並んで歩き始めたが、重たい沈黙が続く。
「……悪い事は言わん。なにか隠してることがあるなら大人しく鶴見中尉に話した方がいい」
「隠してることなんてないです」
嘘をつけ、と月島は呆れたような顔で言ったが、ナマエは貝のように黙っている。
「全く…お前は自分がどれだけ危険な橋を渡ろうとしているのか分かっていないのだ。お前は尾形と行動を共にするつもりなのだろうが、あの男は危険だ」
なぜですか、とナマエは月島を見上げるようにして問いかけた。
造反組の疑いが強いからだ、とは言えなかったが、金塊には無関係の人間が巻き込まれていくのを見ているのは気分がいいものではなかった。
月島は信じられなかったが、鶴見中尉は彼女が先の世から来た人間だと言うことを確信しているようだし、尾形の弱味になり得るナマエが彼の興味の外に出る事はもう難しいだろう。
ならばせめて、安全な場所に身を置くべきだと月島は考えた。
「お前、故郷に家族はいないのか」
「いますけど…帰り方が分からないんです」
月島は そうか、とだけ言うとしばらく黙った。
愛する者を急に失う辛さを知っている彼は、ナマエの家族のことを慮る。
「……必ず帰ってやれよ」
「…そうですね」
そう言ったナマエの顔には、深い溝のような寂しさが漂っていて、月島は再び沈黙した。
今の彼女には、話しかけるのを躊躇うような切なさがあった。
この女の、この暗がりはどこから来るのだろう。
二人は言葉少なく、軍病院へと戻って行った。
♢
夜になった。
細っそりとした三日月が夜空に浮かんでいるばかりで、尾形とナマエが使っている病室は真っ暗に近かった。
ナマエは眠る前に、尾形の様子を見ることにしている。
入院してから、ずいぶん髪が伸びた。
暗い部屋で目を凝らして彼の様子を眺めてから、いつものように自分のベッドに入ろうとすると、急に手を掴まれて引っ張られる。
気がついた時には、尾形の顔のすぐ近くまで引き寄せられていて驚いた。
僅かな月光が、彼の黒い瞳にちらついているのが見える。
「お、尾形さん?目が覚めたんですね?お医者さんを呼んできます」
「ここにいろよ」
低い声でそう言うと、尾形はナマエの手を握る力を強めた。
「なんでですか。早く診てもらった方がいいですよ」
彼の手を振り解こうとするナマエに向かって、相変わらず五月蝿い女だ、と言うと腕を伸ばしてナマエをベッドの中へ引き込む。
急な出来事に反応出来ずにいると、尾形は荒々しくナマエに接吻した。
「こうすりゃお前は大人しくなるからな」
囁くように言った尾形は相変わらずの上から目線で、元気を取り戻した様子にナマエは安心した。
尾形の筋肉質な肉体が、一人用ベッドの狭さでナマエに沿うように密着している。
「いくつか聞きたいことがあるが…まず、玉井伍長達は戻っているか?」
玉井伍長、と聞いて、少し前にお見舞いに訪れた面々を思い返す。
そういえば彼らの行方が分からない、と言うようなことを、病院に出入りしている兵士が話しているのを小耳に挟んだの思い出して伝えると、尾形は何か考えているようだった。
「玉井伍長達と行動を共にすると言ってたのは、谷垣だったな?」
「はい、確か……なんで知ってるんですか」
嫌な予感にナマエが顔をひきつらせると、尾形がにやりと笑ったのを感じる。
「聞いてたからだよ。顎が砕けて話せなかったから黙ってたが、随分と言いたい放題だったな?」
どうやら尾形は意識が戻っているのを隠していたようだった。
ナマエは自分の発言を悔いたが後の祭りで、尾形に片手で両手首を抑えられて抵抗ができない。
「恥ずかしがり屋はお前だろ?婚約者さん」
「そのくだりも知ってるんですね……」
尾形は息を吐くように笑うと、再びナマエの唇を塞いだ。息が苦しい。
彼は空いた手でナマエの身体を撫でた。
「しょ、しょうがなかったんです。鶴見中尉に尾形さんとの関係を聞かれて…不自然にならないようにと思って…」
唇が離れる少しの合間に、ナマエは懸命に弁明するが、尾形は彼女の言葉を無視するかのように、顔をやや傾けると舌先でナマエの唇を舐めた。
「仕方なく言ったのか?嘘吐きな女だ」
そう言いながら、身体を撫でていた尾形の掌が上にあがってきたかと思うと、ナマエの首を包んだ。
このまま力を込められたら、首が絞まるだろう。そういう位置に、彼の掌は置かれていた。
「嘘吐きついでに聞くが…今日の日中、月島と何やってた」
え?とナマエが聞き返すと、首へ置かれた掌に僅かな力が加わるのを感じる。
「洗濯物を手伝ってもらって、そのあと鶴見中尉に呼ばれて一緒に兵舎へ行きました」
「へぇ…随分月島と仲がよろしいようだな。手なんぞ取り合って」
手、と言われて、ようやくナマエは軟膏のことを思い出した。
尾形は何か誤解しているようなので、慌てて口を開く。
「取り合ってませんよ。月島さんがあかぎれに効く薬をくれて、鯉登少尉って人の世話をする癖で塗っちゃっただけらしいです」
ナマエは今更ながら、尾形の目の良さを思い出していた。
病室の窓からはちょうど物干場が見えるので、一部始終を眺めていたのだろう。
「月島はお前みたいなのがお好みなのかね。まあ、どうだっていいが……で、鶴見中尉の所に行って何を話した」
少しづつ首にかかる力が強くなり、ナマエは不穏な空気が漂い始めているのを感じた。
「鶴見中尉には、私が先の世からきた人間なのかと聞かれました」
尾形は黙ってナマエの話を聞いている。
真黒い目が、ナマエの心の底を覗くようにしているのが見える。
一呼吸おいてから、彼女は再び口を開いた。
「……秘密を話すように言われました。そんな重荷を抱える必要はないからと」
尾形は舌打ちしたくなった。死神の手がこんなにも早くまわってくるとは考えていなかった。
鶴見中尉がナマエを丸め込もうと考えたのは明らかだった。
「それでお前はなんて答えたんだ。俺を売ったか?」
尾形が手に力を込めたので、ナマエは少し苦しげな表情を浮かべる。
尾形はそれを無表情で眺めながら、柊子に似ているからずるずる関係を持ったが、らしくない事をしたものだと考えた。
この女がいくらボンヤリしていても、第七師団についた方が有利なのは分かるだろう。
鶴見中尉の思惑通り、造反しようとしている事を喋ったに違いない。
やはり馴れ合いなどするべきではなかったのだ。
そんな風に考えていると、ナマエが静かに口を開いた。
「…売るわけないでしょう。私は尾形さんが居れば、秘密を持っているのも平気です。……この時代に居場所はない筈なのに、あなたの隣は居心地がいいと思ってしまうんです」
ナマエがひっそりと言った言葉を聞いて、尾形は首にかけていた手を緩めると、ナマエの顔を目を凝らすようにして見た。
暗がりで薄っすら見える彼女は、尾形のことをじっと見返している。
尾形の存在を全て受け入れるような目を見ていると、彼は唐突に一つの気付きを得た。
この女は、俺を愛しているのか?
それは確信のように思えたが、同時に疑問でもあった。
愛は神と同じくらい存在があやふやなものだ。
愛とは何なのだろう。何をどうする事が愛なのだろう。
尾形は両手でナマエの顔を包むと、彼女の目をじっと見つめて口を開いた。
「つくづく、妙な事を言う女だな……地獄の入口かもしれないぜ」
ナマエは そうですかね、と言いながら、顔を包む尾形の手に触れる。
「私は、地獄だとは思いませんよ」
月に厚い雲がかかって、僅かに見えていた互いの顔が真っ暗闇に溶け込む。
互いの存在を感じられるのは、指先に感じる体温だけだった。
尾形の手が力強くナマエの身体を引き寄せたので、身体がすっぽり彼の腕に収まる。
ナマエはそれだけでどうしようもなく安心する。
未来や過去なんて、どうだって良くなってしまう。
この男の温もりさえあればそれで良いだなんて、子どものような事を考えてしまう。
このひとに深入りするつもりはなかったのに。
帰るべき場所があるのに、それを忘れてしまいたくなる。
「どうだかな」
素っ気ない言葉とは裏腹に、尾形から絡みつくような接吻を受けて、ナマエはそっと目を閉じた。