六話
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六話
そうと決まると、尾形はナマエにここを発つ準備をするように言った。
準備と言っても、持ち物といえば僅かに貯まった日当くらいだったので、ほんの数分で済む。
しかしナマエは少し迷った末に、小棚から鉛筆と紙切れを取り出すと、座卓で手紙を書き始めた。
何やってんだよ、と尾形は急かすような声で言うが、彼女は手を休めなかった。
「女将さんにはお世話になったので…せめて、一言くらい書き残しておきたくて」
そう言いながら、ナマエが鉛筆を走らせていると、尾形が後ろから覗き込む。
「……帰る場所がみつかりました、ねぇ」
彼がフンと息を吐くように笑ったので、ナマエは後ろを見上げるようにすると、少し睨むような顔を作った。
「ちょっと、なんで音読するんですか。あとこれはその…方便ですからね」
そう言うと、ナマエは顔を俯けて作業に戻った。
尾形はその横に腰を下ろすと、彼女の顔を覗き込むようにする。
「さっきまでのしおらしい女は、どこに行っちまったんだろうな?」
視界の端で、彼が意地悪い笑みを浮かべているのが見えて気が散る。
それに追い打ちをかけるかのように、尾形は口を開いた。
「あとお前、俺を方便に使っていいと思ってんのか?お前は恩人には礼儀正しい女だと思っていたんだがな」
ナマエは続きを書こうと懸命に努力していたが、とうとう集中できなくなてしまって、鉛筆の先から視線を外して尾形を見た。
そんなナマエの反応を楽しむように、黒い瞳がじっと彼女を見つめている。
「さっきから何ですか…余計時間かかります」
「お前がチンタラしてるだけだろ。さっさと書けよ」
尾形は口元だけで笑うと、早くしろと急かすのだった。
ナマエは、少々もやもやしつつも、手紙を書き終えて座卓の真ん中に置いておく。
尾形に 行くぞ、と声をかけられて、二人は建物を静かに抜け出した。
ようやく見慣れたこの宿が、どんどん離れていく。
やっと地に足がつきかけたのに、また大海原へ漂流していくような心地がした。
しかし今は一人で漂っているわけではない。
目の前を歩く、何を考えているのかよく分からない男。
彼についていく事が賭けなのは分かっていたが、もしこのまま…今はまだ信じたくないが、もしこのまま元いたところに帰れないとしたら、自分はこの男の隣にいたいと思った。
尾形は自分について多くは語らないので、ナマエをどう思っているのかは自信が持てないが、彼を信じてみようと思う。
「夜明けだ」
尾形の声に空を見ると、曙色が広がって、明るくなっていく。
ナマエは朝日に少し目を細めると、彼の背中を追いかけた。
♢
尾形は山の中へ入ると、何かを探しているようだった。
何を探しているかについては、彼は語ろうとしなかったので分からない。
ナマエは被っている角巻 の温かさに感謝しつつ、彼の後を付いて歩く。
角巻というのは、ナマエが最初ショールだと認識した大判の布で、毛織物で出来ていて分厚い。それを頭から被って身体を覆うと、防寒具になるのだった。
足元は藁の雪靴で、保温性も高く雪を歩くのに適した履物だそうだ。
どれも使い慣れない物ばかりだったし、不便を感じる事も多かったが、こうして手元にあるだけでも有難い。
歩きながら、何か戻れる手がかりはないかと辺りを気にしてみるけれど、同じような森の景色が続くばかりだった。
しかし、尾形の背中を見ていると、自分は本当に帰り道を探しているのか分からなくなる。
自分の居場所はここに無いことは分かっているのに、この男と望んで寝てしまった。
今更になって、自分は結構なことをしてしまったのではないかと思う。
やがて川のせせらぎが聞こえて来ると、尾形はようやく足を止めた。
「飯にするぞ」
雪がかかっていないところを見つけて腰を下ろすと、山に入る前に街で買ったおむすびを出した。
食事をしながら、尾形はいくつかの注意点をナマエに聞かせる。
川には絶対に落ちないようにすること、最悪落ちた場合は動けるうちに火を起こすこと。
銃に手を触れない等、間違ったら死に直結するようなことは話す。
「わかりました…。低体温症ってそんなに恐ろしいものなんですね」
「お前が一人で川に落ちたら間違いなく死ぬだろうな。あとは…第七師団に出会ったら関わらないようにしろ。俺の上官だった鶴見中尉は、上から危険視される程勘がいい男だ。お前の正体を見破るかもしれんぞ」
第七師団、鶴見中尉……とナマエは硬い表情で呟いた。
そんな彼女を尾形はちらりと見やって口を開いた。
「まあ、俺の言う通りにしていればいい」
彼の声はぶっきらぼうだったが、それでもナマエの心は少し落ち着いた。
このまま、きっと何とかなるだろう。
そう思いながら、おむすびの最後の一口を味わって食べる。
そうと決まると、尾形はナマエにここを発つ準備をするように言った。
準備と言っても、持ち物といえば僅かに貯まった日当くらいだったので、ほんの数分で済む。
しかしナマエは少し迷った末に、小棚から鉛筆と紙切れを取り出すと、座卓で手紙を書き始めた。
何やってんだよ、と尾形は急かすような声で言うが、彼女は手を休めなかった。
「女将さんにはお世話になったので…せめて、一言くらい書き残しておきたくて」
そう言いながら、ナマエが鉛筆を走らせていると、尾形が後ろから覗き込む。
「……帰る場所がみつかりました、ねぇ」
彼がフンと息を吐くように笑ったので、ナマエは後ろを見上げるようにすると、少し睨むような顔を作った。
「ちょっと、なんで音読するんですか。あとこれはその…方便ですからね」
そう言うと、ナマエは顔を俯けて作業に戻った。
尾形はその横に腰を下ろすと、彼女の顔を覗き込むようにする。
「さっきまでのしおらしい女は、どこに行っちまったんだろうな?」
視界の端で、彼が意地悪い笑みを浮かべているのが見えて気が散る。
それに追い打ちをかけるかのように、尾形は口を開いた。
「あとお前、俺を方便に使っていいと思ってんのか?お前は恩人には礼儀正しい女だと思っていたんだがな」
ナマエは続きを書こうと懸命に努力していたが、とうとう集中できなくなてしまって、鉛筆の先から視線を外して尾形を見た。
そんなナマエの反応を楽しむように、黒い瞳がじっと彼女を見つめている。
「さっきから何ですか…余計時間かかります」
「お前がチンタラしてるだけだろ。さっさと書けよ」
尾形は口元だけで笑うと、早くしろと急かすのだった。
ナマエは、少々もやもやしつつも、手紙を書き終えて座卓の真ん中に置いておく。
尾形に 行くぞ、と声をかけられて、二人は建物を静かに抜け出した。
ようやく見慣れたこの宿が、どんどん離れていく。
やっと地に足がつきかけたのに、また大海原へ漂流していくような心地がした。
しかし今は一人で漂っているわけではない。
目の前を歩く、何を考えているのかよく分からない男。
彼についていく事が賭けなのは分かっていたが、もしこのまま…今はまだ信じたくないが、もしこのまま元いたところに帰れないとしたら、自分はこの男の隣にいたいと思った。
尾形は自分について多くは語らないので、ナマエをどう思っているのかは自信が持てないが、彼を信じてみようと思う。
「夜明けだ」
尾形の声に空を見ると、曙色が広がって、明るくなっていく。
ナマエは朝日に少し目を細めると、彼の背中を追いかけた。
♢
尾形は山の中へ入ると、何かを探しているようだった。
何を探しているかについては、彼は語ろうとしなかったので分からない。
ナマエは被っている
角巻というのは、ナマエが最初ショールだと認識した大判の布で、毛織物で出来ていて分厚い。それを頭から被って身体を覆うと、防寒具になるのだった。
足元は藁の雪靴で、保温性も高く雪を歩くのに適した履物だそうだ。
どれも使い慣れない物ばかりだったし、不便を感じる事も多かったが、こうして手元にあるだけでも有難い。
歩きながら、何か戻れる手がかりはないかと辺りを気にしてみるけれど、同じような森の景色が続くばかりだった。
しかし、尾形の背中を見ていると、自分は本当に帰り道を探しているのか分からなくなる。
自分の居場所はここに無いことは分かっているのに、この男と望んで寝てしまった。
今更になって、自分は結構なことをしてしまったのではないかと思う。
やがて川のせせらぎが聞こえて来ると、尾形はようやく足を止めた。
「飯にするぞ」
雪がかかっていないところを見つけて腰を下ろすと、山に入る前に街で買ったおむすびを出した。
食事をしながら、尾形はいくつかの注意点をナマエに聞かせる。
川には絶対に落ちないようにすること、最悪落ちた場合は動けるうちに火を起こすこと。
銃に手を触れない等、間違ったら死に直結するようなことは話す。
「わかりました…。低体温症ってそんなに恐ろしいものなんですね」
「お前が一人で川に落ちたら間違いなく死ぬだろうな。あとは…第七師団に出会ったら関わらないようにしろ。俺の上官だった鶴見中尉は、上から危険視される程勘がいい男だ。お前の正体を見破るかもしれんぞ」
第七師団、鶴見中尉……とナマエは硬い表情で呟いた。
そんな彼女を尾形はちらりと見やって口を開いた。
「まあ、俺の言う通りにしていればいい」
彼の声はぶっきらぼうだったが、それでもナマエの心は少し落ち着いた。
このまま、きっと何とかなるだろう。
そう思いながら、おむすびの最後の一口を味わって食べる。