面影
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日曜日、この辺りの遊郭ならどこもそうだろうが、兵隊さんの姿が目立つ。一人でひっそりくる客、戦友という名の悪友と肩を並べてやってきて、横柄で行儀の悪い客……色々な人がいるけれども、兎に角軍が休みの日曜日は、遊女にとって稼ぎ時だ。私は仕事が終わればいちいち彼らのことを記憶に留めたりはしないのだが、一人だけ気に入っている客がいる。野間といって、頬に傷がある日露帰りの兵隊さんだ。真面目な男で口数も少なく、気の利いたことをする訳でもないのだが、彼の掌はいつでも優しく私に触れる。毎週やってきては行儀良く遊ぶ野間は良客で、私は彼が来ると ああ今日は日曜日か、と思うのだ。
「変わりはないか」
「ええ、いつも通り」
日曜日。今日も野間はやってきて、言葉少なに挨拶すると布団の中へ這入る。薄暗い部屋の締め切った襖、障子からぼんやりとはいる日の光。くぐもった声に、そっと私の肌へ触れる野間の指先………。
「ねえ、野間さん。あなた他の子とは遊ばないの。いつも来てくれるけど」
ことを終えて酌をしながら私は聞いた。野間は着崩れた軍服姿で盃の酒を嘗めると、少し黙ってから口を開く。
「……あんたがいいんだ」
「どうして」
「似てるから」
誰に、と聞くと、野間は注がれた酒をあおって遠くを見るような目をする。
「……ずっと好きだった女に。俺の出征前に嫁いじまったけどな」
あんたに似て器量良しの、いい女だったよ。野間はそう言うと、ふっと口元に笑みを浮かべた。空いた盃が差し出されたので、私は透明の酒をとくとくと注ぐ。
「そのひとは、貴方の気持ち知ってたの」
「いいや、俺は遠くから見ているだけだったから」
そうか。だからこの男はこんなに優しいのだ。私はその想い人の代わりという訳だ。私は自分を嗤った。ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、野間のことを好いと思ったことを嗤った。遊女の身である私が客に本気になるなんて、とんだ馬鹿を見るところだった。
「ねえ、野間さん」
私は盃が空いたのを見計らって、彼の軍服の袖にそっと掌を乗せる。
「そのひと、なんてお名前」
私をそう呼んでいいのよ。言いながら、私は自分がしようとしていることの愚かさに呆れながらも、止めることができない。身代わりでもいい、この男は本気で好きな女を、どのように抱くのかどうしても知りたかった。
野間は盃を置くと、無言で私に接吻した。指先がまだ熱の残る肌の上をまさぐり、知らない女の名前が聞こえる。この部屋の中には、寂しさしかなかった。二人して、寂しさに埋もれていくようだった。
「直明さん」
野間は私の手をきつく握る。私達は行き場のない想いを、互いの体温で紛らわそうとした。目の奥に薄らと涙の気配を感じる。私はなんて馬鹿なの。このひとに、他の女の名前を呼ばれて寂しいなんて。
♢
あれから野間は姿を見せなくなった。私に飽きてしまったのか。今日は日曜日なのにまた彼は現れず、私は客を取る合間にぼんやりと外を眺める。軍帽を被った兵隊さんに野間の面影を探すけれど、ついに見つけることはできなかった。それもそのはずだ、兵士の客から聞かされたが、彼は任務中に山で死んだそうだ。貴方が来なくなったのは、もう居なくなってしまったからだったのね。でも私は、頬に傷のある兵隊さんを見るたびに、一瞬だけ貴方かと思ってしまうのです。もう一度会えるのではないかと、貴方の面影をいつまでも探してしまうのです。
おわり
「変わりはないか」
「ええ、いつも通り」
日曜日。今日も野間はやってきて、言葉少なに挨拶すると布団の中へ這入る。薄暗い部屋の締め切った襖、障子からぼんやりとはいる日の光。くぐもった声に、そっと私の肌へ触れる野間の指先………。
「ねえ、野間さん。あなた他の子とは遊ばないの。いつも来てくれるけど」
ことを終えて酌をしながら私は聞いた。野間は着崩れた軍服姿で盃の酒を嘗めると、少し黙ってから口を開く。
「……あんたがいいんだ」
「どうして」
「似てるから」
誰に、と聞くと、野間は注がれた酒をあおって遠くを見るような目をする。
「……ずっと好きだった女に。俺の出征前に嫁いじまったけどな」
あんたに似て器量良しの、いい女だったよ。野間はそう言うと、ふっと口元に笑みを浮かべた。空いた盃が差し出されたので、私は透明の酒をとくとくと注ぐ。
「そのひとは、貴方の気持ち知ってたの」
「いいや、俺は遠くから見ているだけだったから」
そうか。だからこの男はこんなに優しいのだ。私はその想い人の代わりという訳だ。私は自分を嗤った。ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、野間のことを好いと思ったことを嗤った。遊女の身である私が客に本気になるなんて、とんだ馬鹿を見るところだった。
「ねえ、野間さん」
私は盃が空いたのを見計らって、彼の軍服の袖にそっと掌を乗せる。
「そのひと、なんてお名前」
私をそう呼んでいいのよ。言いながら、私は自分がしようとしていることの愚かさに呆れながらも、止めることができない。身代わりでもいい、この男は本気で好きな女を、どのように抱くのかどうしても知りたかった。
野間は盃を置くと、無言で私に接吻した。指先がまだ熱の残る肌の上をまさぐり、知らない女の名前が聞こえる。この部屋の中には、寂しさしかなかった。二人して、寂しさに埋もれていくようだった。
「直明さん」
野間は私の手をきつく握る。私達は行き場のない想いを、互いの体温で紛らわそうとした。目の奥に薄らと涙の気配を感じる。私はなんて馬鹿なの。このひとに、他の女の名前を呼ばれて寂しいなんて。
♢
あれから野間は姿を見せなくなった。私に飽きてしまったのか。今日は日曜日なのにまた彼は現れず、私は客を取る合間にぼんやりと外を眺める。軍帽を被った兵隊さんに野間の面影を探すけれど、ついに見つけることはできなかった。それもそのはずだ、兵士の客から聞かされたが、彼は任務中に山で死んだそうだ。貴方が来なくなったのは、もう居なくなってしまったからだったのね。でも私は、頬に傷のある兵隊さんを見るたびに、一瞬だけ貴方かと思ってしまうのです。もう一度会えるのではないかと、貴方の面影をいつまでも探してしまうのです。
おわり
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