或る秋の午後
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土曜日の昼下がり、二階にある寝室の窓を開けると、冷えた空気と共に金木犀の香りが漂ってきた。視線を落すと、手入れされた庭に金木犀が橙色の花が見事に咲いているのが見える。閑かな住宅地の中にある鶴見さんの一軒家は、明治時代の邸宅を改装したものだそうだ。アンティークな装飾や使い込まれて艶やかに光る床板が、彼の住まいとしてぴったりだと感じる。私は素肌に鶴見さんが1時間ほど前に脱いだシャツを一枚羽織った状態だったので、少し寒くなって腕を摩る。上質なシルクの生地に、綺麗に光る貝ボタン。鶴見さんのうなじのあたりの匂いと、微かに香水が混ざった彼の匂いが染み込んだシャツ。
「寒い?」
後ろから声がして振り返ると、真白いシーツがはられた広々としたベッドに横たわる鶴見さんが、ゆったりと微笑んでいる。少し前まで脇に追いやられていたせいで、くしゃっとシワがよった掛け布団から筋肉質な胸板がのぞいて、先程の情事が蘇った。
「私の庭に、何か珍しいものでもあるかい」
「金木犀が咲いていますね。良い匂い」
そう言うと、鶴見さんは形の良い鼻にクンクンと空気を吸い込んでから、そうだね、と返事をする。
「もうそんな季節か。そろそろモンブランが食べたくなるね」
鶴見さんは見かけによらず甘党だ。洋菓子和菓子問わず好きなので、私達はよくカフェやパティスリーに出かける。少し前までは冷やしたストレートティーと柑橘のタルトなんかを食べていたのに、季節の巡りは早いものだ。
「そうですね。……このあと、買いに行きませんか」
「素敵なお誘いだ。是非そうしよう」
そう言うと、鶴見さんは脱ぎ捨てたガウンを拾って素肌の上に身につけてから私の隣に立った。私の腰に手をまわして、そっと抱き寄せるようにする。
「……君は金木犀の香りが似合うね。あの花が咲くたびに、私は君を側に感じるだろう」
「……私は、貴方のことを思い出します」
ふふ、と鶴見さんは笑うと、私の髪にキスをした。それだけで私の心は幸福に満たされてしまう。鶴見さんは魅力的だ、自分を見失ってしまうほどに。
♢
私はシャワーを浴び、服を身につけると髪をとかした。ドレッサーでお化粧を治していると、すっかり着替えた鶴見さんが後ろから見ているのが鏡に映る。情事で少し乱れていた髪はきれいに撫でつけられ、仕立ての良い、シワひとつないシャツがよく似合う。
「ごめんなさい、もう終わります」
「いいんだ、ゆっくり支度しなさい」
私は口紅をぬり、外していたアクセサリーをつけると立ち上がる。鶴見さんは 綺麗だよ、と言って微笑むと、私の手を取って廊下に出ると玄関へ向かう。キスは帰るまでお預けだな、と悪戯っぽく笑いながら。
行きつけのパティスリーに行くと、ちょうど目当てのモンブランがショウケースの中に並んでいる。色とりどりのケーキや、箱詰めされた焼き菓子はおもちゃの宝石のようだ。鶴見さんは嬉しそうな笑顔で、店員さんに声をかけた。
「モンブランを二つと、それに合うコーヒーも見繕ってくれるかな」
伝え終わると鶴見さんは私の方へ体を傾けて、帰ったらお茶にしようと言った。やがて白い箱に入ったケーキとコーヒー豆が手渡され、私達は元来た道を戻っていく。閑かな秋の道、二人分の靴音が耳に心地良い。
「もう少し寒くなったら、紅葉を見に行こう。良い宿があるんだよ」
「いいですね、楽しみです」
そんな話をしていると重厚な門構えの家につき、鶴見さんはカチャリと鍵を開けると どうぞ、と促した。彼は必ず私を先に中へ入れてくれるのだ。廊下を通ってリビングに入ると、ケーキを冷蔵庫にしまう。その間に鶴見さんはコーヒーミルを取り出して買ってきたコーヒー豆を挽きはじめた。ガリガリと豆が砕ける音と共に、良い香りが鼻先に漂ってくる。私は戸棚をあけると美しい細工が施された薄いお皿を二枚出した。鶴見さんは、ケーキをこのお皿によく乗せるのだ。
「ありがとう、ちょっとこっちへおいで」
はい、と返事をして彼の隣に立つと、鶴見さんは体を屈めた。ミルを引く手が止まって、私の頬へ添えられたかと思うと、唇に短いキスをされる。
「少し取れた口紅が、私は好きだな」
自分の唇についた口紅の色を、指先で拭いながら鶴見さんは言って、涼しい顔で再びコーヒーの準備を始めた。私は胸の中が熱くなるのを感じながら、彼の手元を眺める。どこからか漂ってくる金木犀の香りと、フィルターに入れたコーヒーに、お湯を注ぐ柔らかな音。なんて幸福な午後だろう。私は冷蔵庫に戻ると、モンブランが入った箱を取り出した。
「寒い?」
後ろから声がして振り返ると、真白いシーツがはられた広々としたベッドに横たわる鶴見さんが、ゆったりと微笑んでいる。少し前まで脇に追いやられていたせいで、くしゃっとシワがよった掛け布団から筋肉質な胸板がのぞいて、先程の情事が蘇った。
「私の庭に、何か珍しいものでもあるかい」
「金木犀が咲いていますね。良い匂い」
そう言うと、鶴見さんは形の良い鼻にクンクンと空気を吸い込んでから、そうだね、と返事をする。
「もうそんな季節か。そろそろモンブランが食べたくなるね」
鶴見さんは見かけによらず甘党だ。洋菓子和菓子問わず好きなので、私達はよくカフェやパティスリーに出かける。少し前までは冷やしたストレートティーと柑橘のタルトなんかを食べていたのに、季節の巡りは早いものだ。
「そうですね。……このあと、買いに行きませんか」
「素敵なお誘いだ。是非そうしよう」
そう言うと、鶴見さんは脱ぎ捨てたガウンを拾って素肌の上に身につけてから私の隣に立った。私の腰に手をまわして、そっと抱き寄せるようにする。
「……君は金木犀の香りが似合うね。あの花が咲くたびに、私は君を側に感じるだろう」
「……私は、貴方のことを思い出します」
ふふ、と鶴見さんは笑うと、私の髪にキスをした。それだけで私の心は幸福に満たされてしまう。鶴見さんは魅力的だ、自分を見失ってしまうほどに。
♢
私はシャワーを浴び、服を身につけると髪をとかした。ドレッサーでお化粧を治していると、すっかり着替えた鶴見さんが後ろから見ているのが鏡に映る。情事で少し乱れていた髪はきれいに撫でつけられ、仕立ての良い、シワひとつないシャツがよく似合う。
「ごめんなさい、もう終わります」
「いいんだ、ゆっくり支度しなさい」
私は口紅をぬり、外していたアクセサリーをつけると立ち上がる。鶴見さんは 綺麗だよ、と言って微笑むと、私の手を取って廊下に出ると玄関へ向かう。キスは帰るまでお預けだな、と悪戯っぽく笑いながら。
行きつけのパティスリーに行くと、ちょうど目当てのモンブランがショウケースの中に並んでいる。色とりどりのケーキや、箱詰めされた焼き菓子はおもちゃの宝石のようだ。鶴見さんは嬉しそうな笑顔で、店員さんに声をかけた。
「モンブランを二つと、それに合うコーヒーも見繕ってくれるかな」
伝え終わると鶴見さんは私の方へ体を傾けて、帰ったらお茶にしようと言った。やがて白い箱に入ったケーキとコーヒー豆が手渡され、私達は元来た道を戻っていく。閑かな秋の道、二人分の靴音が耳に心地良い。
「もう少し寒くなったら、紅葉を見に行こう。良い宿があるんだよ」
「いいですね、楽しみです」
そんな話をしていると重厚な門構えの家につき、鶴見さんはカチャリと鍵を開けると どうぞ、と促した。彼は必ず私を先に中へ入れてくれるのだ。廊下を通ってリビングに入ると、ケーキを冷蔵庫にしまう。その間に鶴見さんはコーヒーミルを取り出して買ってきたコーヒー豆を挽きはじめた。ガリガリと豆が砕ける音と共に、良い香りが鼻先に漂ってくる。私は戸棚をあけると美しい細工が施された薄いお皿を二枚出した。鶴見さんは、ケーキをこのお皿によく乗せるのだ。
「ありがとう、ちょっとこっちへおいで」
はい、と返事をして彼の隣に立つと、鶴見さんは体を屈めた。ミルを引く手が止まって、私の頬へ添えられたかと思うと、唇に短いキスをされる。
「少し取れた口紅が、私は好きだな」
自分の唇についた口紅の色を、指先で拭いながら鶴見さんは言って、涼しい顔で再びコーヒーの準備を始めた。私は胸の中が熱くなるのを感じながら、彼の手元を眺める。どこからか漂ってくる金木犀の香りと、フィルターに入れたコーヒーに、お湯を注ぐ柔らかな音。なんて幸福な午後だろう。私は冷蔵庫に戻ると、モンブランが入った箱を取り出した。
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