風が吹く
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「ねえお姉さん一人?」
20時45分。閉店間際の、人もまばらなカフェでラテを飲んでいると、横から急に声をかけられる。驚いて顔を上げると、腰まで届くような長い黒髪の、綺麗な顔をした男がこちらをじっと眺めていた。距離感が妙に近く、派手な柄のシャツを着ていて、手首にはアクセサリーをつけている。見るからにチャラそうで、私は咄嗟に目を逸らした。
「まあ、こんな時間にこんなとこでコーヒー飲んでるくらいだから一人だよね」
男はスリーブが付けられたショートサイズのカップを片手に、そんな事を言う。ごつい指輪がはめられた大きな掌が、熱いカップを掴んでいる。
「……何なんですか。私もう帰るので」
私は目一杯迷惑そうな顔を作ると、カップに口をつけてぐいっと最後を飲み込んだ。失礼なナンパの男に違いない。早くこの場を立ち去るに限る。そう思って、私はテーブルの上を片付け始めた。
「帰るの?俺がコーヒー飲み終わるまで付き合って欲しかったんだけどな」
「嫌です。もうここ閉まるし」
それじゃ、と言って立ち去ろうとすると、男は じゃあ俺も、と言って腰を上げた。立ち上がった彼は見上げるほどの高身長で、ジーンズを履いた足はスラリと長かった。
「着いてこないで下さい」
「もう閉店なんだろ?出るしかないよね」
俺が着いてきてると思った?と、男が口角を上げて言ったので、私は腹が立つやら恥ずかしいやらで無言になった。男は少し笑うと、裸足にサンダルを履いた足元をペタペタ言わせながら外へ出る。空はすっかり夜になっていて、目の前にある公園の桜が白っぽい街灯にぼんやりと照らされていた。花は散りかけていてなんだか物悲しい。
「あそこにベンチがあるから座ろうよ」
「何でですか」
「君と話したいから」
男はにっこりと笑うと、長い指でこじんまりとした公園にあるベンチを指さしている。私は少し悩んでから、人通りもあるし、襲われたりはしないだろうと判断して、僅かに頷いて見せた。憂さ晴らしになるかもしれないと思ったのだ。実のところ、私は同棲している男と小1時間ほど前に喧嘩して、家を飛び出している状態だった。行く当てもないのでコーヒーショップで時間を潰していると、この変な男に話しかけられたのだ。私達は、少し間を空けてベンチに腰掛ける。夜の公園はがらんとしていて、よそよそしい雰囲気だった。男はコーヒーに口をつけると一口飲み込んでから、私の顔をじっと見つめる。
「名前はなんて言うの?この近くに住んでるの?」
「……あなたはどうなんですか」
「俺?そうだよな、先に知りたいよね。俺は大沢房太郎。ボウタロウって呼んでよ。この近くで果物屋やってるんだ」
そう言いながら、房太郎はジーンズのポケットに片手を突っ込むと黒いレザーの名刺入れを取り出して、一枚の名刺を手渡した。大沢王国果物店、と店名らしきものが印刷されている。
「王国……?」
「そう。店をデカくして、従業員っていう家臣をたくさん作ってさ。それで俺の王国を作るのが夢なんだよ。いいだろ?」
私は そうですね、と取り敢えず返事をした。見た目からして普通ではなさそうだと思っていたが、想像以上にぶっ飛んだ人物のようだ。房太郎はニコニコしながらコーヒーを一口飲むと、再び口を開く。
「それで、俺の王国には足りないものがあるんだよね。王様がいるなら、お妃様も必要だろ?王様のことを語り継ぐ子どもたちも。」
「……はい」
「だから君がお妃様になってくれない?」
「……はい?」
私は驚いて言葉が出なかった。何を言っているのだろう、この人は。ぶっ飛んでいるどころか頭がおかしいのかもしれない。
「君は誰か大切な人がいるの?」
「彼氏がいますけど……」
「けど何?…もしかして、喧嘩でもした?だから今こんなところにいるんじゃないの?」
図星を突かれて言葉に詰まると、房太郎は急に距離を詰めて、ゆっくりと手を伸ばす。冷たく無骨な指先が、私の頬へ僅かに触れるのを感じる。
「俺だったらこんな時間に飛び出して行った君を、放ってなんかおかないけどな。危ないだろ?」
房太郎は長い下まつ毛の目元で、私の瞳をじっと覗き込んでいる。
「彼氏さん、君のこと本当に大事にしてるのかな」
「やめて下さい。何なんですかあなた……失礼ですよ」
「本当のことだろ。彼氏さんに悪いとか思ってる?そんな事思う必要ねえさ。その彼氏さんといて、君は幸せなの?」
房太郎はそう言うと、少し顔を傾けた。キスされる。そう直感した時には、私は両手で思い切り彼を突き飛ばすようにした。
「熱」
その拍子にコーヒーが房太郎の柄シャツにかかったが、私はなりふり構わず立ち上がる。
「いい加減にして下さい。私もう帰ります」
踵を返して公園から立ち去ろうとした時、房太郎の低い声が聞こえる。
「……俺が全部奪ってやろうか」
「え……?」
思わず振り返ると、房太郎はゆっくりとベンチから立ち上がったところだった。水の中から浮き上がるように、ゆらりと。
「君の心を全部奪ってやるよ。そしたらそんな辛そうな顔しなくて済むだろ」
「……意味わからないです」
私は捨て台詞みたいに言うと、ずんずんと公園を後にした。名刺に電話番号あるからかけてねー、と呑気な声が聞こえたが、私は振り返らずに家に向かう。幸せだよね。私達、上手くやってるよね。そんな風に問いかけないといけなくなってしまった恋人と住んでいる、私達の家に。
あの後、私は家に帰り彼氏と何となく仲直り……というか、普段の生活に戻った。お互いに仕事をして、分担した家事をして、たまにお惣菜なんかを買ってきて食べて。しかし変わらぬ生活の中で、二人の温度のようなものは、確実に下がっているのを感じる。そしてそれを回復したいという意思が、お互いに湧いてこないということも。私達は日常に押し流されるまま、寝食を共にしているのかもしれない。まあ、これが「安定」と言うものなのかもしれないが。にそんな中、私はふと散りかけた桜の下でもらった名刺のことを思い出して、興味本位で検索してみた。彼氏は飲み会で遅くなるらしい。一人の夜は気楽だ。コンビニで買ってきた惣菜をつまみつつ、スマホに大沢王国果物店と打ち込むと、随分オシャレなサイトがヒットした。生産、物流、小売りを一貫して行い、珍しい果物や規格外の野菜も取り扱うベンチャー企業のようだ。その他、産地のブランディングで地域活性をサポートしたり、果物を加工してジュースクレンズやらスムージーの店も展開しているらしい。都内に数店舗あり、百貨店にポップアップストアを出したりと、事業を拡大しているところのようだ。こじんまりとした八百屋さんを想像していた私は驚いたが、この手の経営者だと分かると、あの風貌や人柄もなんとなく納得がいく。電話してね、と言われたことを思い出すが、流石にかけようとは思わなかった。初対面の私にあんな話をしたくらいだから、女性関係は入り乱れているに違いない。でも売られている果物は本当に美味しそうで、買い出しに行くくらいならいいかな、と考え始めていた。
翌日、仕事が休みだったので昼間にその八百屋を覗いてみる。彼氏は何か用があるらしく、外出していたのでちょうどよかった。山手線沿いの駅にある店は老若男女で賑わっていて、所狭しと並べられた艶やかな果物が美味しそうだった。店内にはスタッフが何人かいたが、中でも目立っていたのは坊主頭の男だ。常連の客は覚えているのだろう、にこやかに話しかけると 今日のせとかは甘いよ、とか それは数日待ってから食べてね、とか親しげにアドバイスしているのが目を引いた。お客がはけてきて、私も何か買おうと小さなカゴを手に取ると、彼はこちらに気がついて いらっしゃい、と気の良さそうな笑顔で言う。ネームプレートには、白石と書かれていた。
「…あの、おすすめはなんですか?」
「うーんどれも美味しいけど……今は苺とかマンゴーが旬でおすすめだよ。ていうか……」
彼はそこで言葉を切ると、私の顔をじっと見つめて観察するようにした。
「あのさ、勘違いだったら悪いんだけど……少し前、房太郎に会った?」
「え?ああ……はい」
「やっぱり。なんとなく房ちゃんが言ってた子に雰囲気が似てるなーと思ってね。……房ちゃんに会いに来たの?」
「いいえ、ただお買い物しに来ただけです」
「そっか。うん、それが賢い選択だと思うよ。アイツいい奴なんだけど、女の子に対する考え方がちょっと変わってるからね」
どんな風に?と聞こうとした時だった。白石の視線が私の背後へ移る。ペタペタという足音とともに現れたのは、大沢房太郎その人だった。
「お〜あの時のお姉さんじゃん。やっぱ来てくれたんだな、電話くれないから寂しかったぜ。君の番号知らないし」
私は気まずさで曖昧な返事をした。コーヒーがかかったシャツのことを思い出して決まりが悪い。
「今日は休み?彼氏さんは一緒じゃないの?」
房太郎は腰を屈めるようにして、私の顔を覗き込みながら聞く。
「……はい」
私が二つの質問に一回で答えると、彼は ふーん、と言ってから笑った。
「じゃあ、これから昼でも食べようよ。シライシ店番頼むぜ」
そう言いながら、私が持っていたカゴを取り上げて白石に渡すと、大きな掌で腕を掴んで外へ連れ出して行く。気がつけば房太郎が乗ってきたらしい車の助手席に乗せられていて、私はしどろもどろになった。オープンカーで目立つことこの上ないが、彼は涼しい顔でアクセルを踏んだ。途端に春風が私達の髪を巻き上げて、景色が後ろへ遠ざかっていく。道路沿いに植えられた桜が、最後の花びらを散らしてひらひらと舞っていくのが見える。
「俺に奪われる気になった?それとももう奪われてる?」
房太郎が前を見たまま言ったので、私はようやく我に帰るとそっぽを向いた。
「やめて下さい、そういうの……あとこの前はすみませんでした。シャツを汚してしまって」
「ああ、あれね。気にしなくていいよ。元気がいい女は好きだし、服なんてクリーニング出せば元通りだろ?」
「おいくらでしたか。払います」
「だからいいって、ほんと。……でもまあ、お姉さんの名前と連絡先でチャラってことにしようぜ」
赤信号になって、車は滑るように止まった。そう言われては、断ることができない。私はゆっくり頷くと、自分の名前を言った。房太郎は確かめるように私の名前を呟くと、ありがとな、と笑った。
私達は駐車場に停めた車を降りると、広々とした公園の芝生に腰掛けていた。抜けるような青空の下、遠くで遊んでいる子ども達の声が聞こえる。犬の散歩をする人、ジョギングをする人が通り過ぎて行く。のんびりとした風景に、私はなんだかホッとするのを感じた。手に持った紙袋には、来る途中で買ったサンドイッチとホットコーヒーが入っていて、芳ばしい良い香りがした。房太郎はペタペタと芝生の上を歩くと、適当な場所に腰掛けて手招きする。私も少し離れたところに座ると、服越しにチクチクと芝生の感触がした。
「ここのコーヒー、美味いんだ。飲んでみて」
そう言われて一口飲んでみれば、豊かな香りが鼻腔に抜けて安らかな気持ちになった。美味しい、と素直な感想が口をついて出る。
「だろ?俺が好きなものを気に入ってくれて嬉しいよ」
私たちはサンドイッチも食べた。芝生の上でのんびりと食事をするなんて何年振りだろう。ゆっくり噛んでいると、なんだか日常の色々な重みが、すうっと軽くなっていくのを感じる。
「やっと笑ったな」
「……私、笑ってましたか?」
「うん。この前初めて見た時、しんどそうな子がいるなって思ってさ。でも今は大丈夫そうだな」
房太郎は片手でサンドイッチを掴み、むしゃむしゃと咀嚼している。
「彼氏さんとは別れてないの?」
「……別れる理由がないですし」
「じゃ、これでどう?」
房太郎は大きな身体を近付けると、私の唇にキスをした。驚いて硬直していると、可愛いね、と言って食事に戻る。
「ナマエちゃん的には、これって浮気なの?」
房太郎がコーヒーを飲みつつ愉快そうに言ったので、私はやっと息を吸って口を開く。
「……事故です。ただの事故」
「それは残念だな。浮気だったら、きっと別れるんじゃないかと思ったけど」
私がサンドイッチを食べ終わったのを見やると、房太郎は長い足ですっと立ち上がって 送ってくよ、と言った。
房太郎に突然キスされた日の夜、彼氏が酔っ払って帰ってきた。名前を呼ばれてすっと顔が近づいてきたが、私はさりげなく交わすと 疲れてるから先に寝てるね、と言って寝室に入る。普通ならこんな対応はありえないのに。しかし彼の方でもそれ以上の追求はせず、お風呂場へ向かった物音がする。私は自分自身が、房太郎のキスについて罪悪感を持っていないことに驚いた。もう私達は終わりだろう、いつから私達は他人に戻ってしまったのだろう。愛し合って一緒に暮らしていたのに。暗い寝室の生活感が、なんだか廃墟のように感じられる。………
別れを切り出されたのは、そのすぐ後のことだった。好きな女ができたらしい。なんでそんなことを正直に言うのか理解できなかったが、心のどこかでは納得している自分もいた。その女と暮らすから、出ていってくれと言われた事には流石に驚いたけれど。そんな訳で、とりあえず私はビジネスホテルの一室に泊まっていた。いくらお互い冷めていたとはいえ、一緒に住んでいた家を追い出されるとは思っていなかった。悔しい、悔しい、なんで私が。どす黒い感情が体内に渦巻いて息苦しくなる。窓の外を見れば、私の心のように真っ暗な夜空に、冷たい月が浮かんでいる。……ああ、何か綺麗なものが見たい。そよ風のようなものに触れたい。心身に溜まった悪いものを洗い流して、この重苦しい感情から解き放たれたい。私は目を使うのも嫌になってしまって、瞼を閉じた。……その暗闇のなかでふと、公園でピクニックをした風景が蘇る。あの時感じた、自由な風。頭や肩や、背中に纏わりつく日常の重さを、いっとき軽くしてくれたあの風。それは房太郎から流れてくるものではなかったか。そう思い至ると、私は彼が渡した名刺を荷物からゴソゴソと取り出した。端が折れてしわくちゃになったそれに印刷されている番号をスマホに入力して耳元へ当てる。あの男の自由な風に吹かれれば、この感情を捨てることができるかもしれない。
『ナマエちゃん?こんな時間にどうした?』
「……あの」
『…いや、直接話そう。今から行くからそこで待ってな。……え、ビジネスホテル?まあいいや。ロビーにいて』
そんな電話をした10分後、房太郎は本当に現れた。ロビーの自動ドアのガラス越しに、長身の人影が見えたかと思うと、房太郎が足早に歩いてくる。私の顔を見るなり、腕をとるとそのまま外へ出ていった。少し歩くと、初めて出会った時の公園に行き合ったので、私達は敷地内のベンチに腰を下ろす。桜の花はすっかり散って、新緑の葉が街灯に照らされて艶々と見えた。
「……彼氏と別れたんです。それで、同棲してた家も追い出されて」
「ナマエちゃんて男見る目ないんじゃない?相当ひどい奴だな」
「……そうかもしれないですね」
「それで、俺に電話くれた訳ね。慰めて欲しいの?」
俺は大歓迎だぜ。房太郎はそう言いながら、手を伸ばして私の指先を包んだ。その先のことを予感させるような、意味深な触れ方。
「慰めて欲しい、というか」
彼は私を不思議そうに見返して、というか、何?と続きを促した。
「あなたの……房太郎さんの、自由な人柄に触れたいと思ったんです。ピクニックした日のこと、覚えてますか。あの時私、すごく心が軽くなって……今でも不思議なんですけど。でもあれはきっと、房太郎さんがそういう人だからだと思うんです。自由な風の吹く人だから。そんな房太郎さんと、少し話したいな、と思ったんです。だからまあ…結局、慰めて欲しいってこと……ですね」
私は自分が狡いような気がして嫌になった。握られた手元に視線を落とす。房太郎はというと、なんだか拍子抜けしたような表情で私を見返していた。
「……そういう風に言われたのは初めてだな。女の子はだいたい、俺の顔とか肩書きとか資産に興味を持つから。ハッキリ言う子はいないけど、何となく分かるじゃん。正直、ナマエちゃんだってそうなんじゃないかと思ってた。……でも」
私の手を握ったまま、彼は言葉を続ける。
「やっぱり君が、俺のお妃様なのかもしれない」
そう言うと、房太郎は空いている手でスマホを取り出して、何やら操作をしている。
「何してるんですか……?」
「消去。女の子たちの連絡先。いつか俺もたった一人の誰かを見つけられたら良いなって思って、色んな子と関わってきたんだけどね。結局は決まって誰もいなくなるんだよ。だから誰といても終わりが分かるようになってさ」
房太郎はスマホをしまうと、私にじっと視線を注いだ。
「……でもナマエとだったら、違う形になれる気がする。今そう思った」
握った手に力を込めて、唇が触れてしまいそうな距離で言う。私は頭が混乱した。白石の言葉が蘇る。アイツの女の子への考え方、ちょっと変わってるから。ここで絆されては、また痛い目を見るのではないのか。そう思うと、房太郎の視線を受け入れることができない。
「何考えてる?」
「いや、その……房太郎さん、きっと今まで一人に絞らずいろんな女性とすごしてきたんですよね。私はそういう付き合い方、受け入れられないですよ。私達は上手くいかないと思います」
「つまり、よそ見しないで私だけをみてってこと?可愛いこと言うねぇ。安心しろよ、今連絡先消したから」
房太郎はそう言うと、おもむろに立ち上がって私をひょいと抱え上げた。突然の出来事に驚いて、彼の腕にしがみつく。
「とりあえず一緒に住もうぜ。部屋余ってるし」
「え!?あの、そんな急に……」
「チェックアウトしたらすぐ帰ろうな」
下ろしてください、と言っても房太郎は笑顔で「嫌だ」と言うばかりだった。
「俺の王国にはナマエが必要なんだよ」
バタバタ暴れる私を面白がるように笑うと、房太郎は私の唇を塞いだ。たっぷり数秒間そうしたあと、彼は満足そうに私の顔を見下ろしている。長い黒髪はカーテンのようで、春の夜風にふわりと揺れた。私は自分の心が、羽のように軽くなっていることを自覚する。また痛い目を見るかもしれない。怖いけれど、この人といたらどんな景色がみられるのだろう。
「……私、房太郎さんのこと人間としては好きですけど、男性としては正直よく分からないです」
「人間としては好きなんだ?すぐに男としても俺のこと大好きになるよ」
房太郎は自信たっぷりに笑うと、私を抱きかかえたまま歩き続けた。
「そしたら、俺のお妃様になってくれ」
またよく分からないことを言っている。王国とか、王様とか、お妃様とか。普通なら笑ってしまうところだけれど、この男が言うと不思議な説得力があるのだった。この変なひととどんな風になっていくのか見当もつかなかったが、風の吹くまま過ごしてみるのも良いかもしれないと思う。少なくとも、私の心は少し前より幸せだった。房太郎がそうしてくれたのだ。
「なに、俺の顔そんなに見て。いい男だって気がついた?」
「違います。あとおろして下さい」
「嫌だね。こうしてナマエが手の中にいるんだからな、絶対離さねぇよ」
房太郎は愉快そうに笑うと、私を抱く掌に力をこめた。
おわり
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