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甘やかな香り

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「見ろ、月島。どうだ」

出勤早々、若い上司の自慢げな顔が目に入る。浅黒い指先が指し示す方を見てみると、箱に入れられた大量のチョコレートが目に入った。

「……チョコレートですね」

月島が答えると、鯉登はフフンと自慢げに息を吐いた。

「去年も出勤するとすでに置いてあってな。私も罪な男だな?月島よ。で、お前はいくつ貰ったんだ」

そう言いながら上機嫌に仏頂面の部下を見遣るが、たちまち しまった、という顔になる。

「すまん月島、お前には不慣れな話題だったか……?鶴見部長にお渡しするもののついでに買ったものがあるからそれをやろう」

「私にどんなイメージ持ってるんですか。チョコレートなら妻から朝もらいましたよ。……あ、それとこれも」

月島が持っている紙袋に視線を落として言うと、鯉登は興味深そうに部下の手元を見やった。有名なパティスリーの紙袋で、月島の無骨な手がそれを持っているのは不思議に見える。

ミョウジがくれました。チームの皆から」

日頃の感謝をこめてだそうです、と続けようとしたのだが、キエェッと叫んだ鯉登のお陰でそれは叶わなかった。彼は悔しそうに歯を食いしばると、形の良い目元にキッと力を込めて月島を見る。

「貴様……一体どんな手を使った!?ミョウジは私に一度たりともチョコをくれた事がない!義理さえもだ!!それをお前は簡単にもらいおって!!何故お前だけ!!月島ぁん!!」

鯉登はにわかに熱くなると、月島の背広を掴んで揺さぶった。間近で睨まれて暑苦しいが、月島は冷静に上司の手をどかすと口を開く。

「鯉登さん、お気を確かに。話は最後まで聞いてください。ミョウジは私のチームメンバーですから、代表してくれただけです。ほらほら、これを見てください」

そう言いながら紙袋の中に手を突っ込むと、小さなメッセージカードを取り出した。月島主任、いつもありがとうございます。と連名で書かれている。これで鎮火するだろうと踏んでいた月島だったが、そうは問屋が下さなかった。

「手紙まで…!!」

ますます嫉妬の表情を浮かべる鯉登を見て、月島はため息をつきそうになったが心の中にしまう。

「そんなに欲しいのなら、直接聞いてみたらどうですか」

「正気か?そんな事をすれば私の想いを白状しているようなものではないか。もっとさりげなく……鶴見部長ならばどうするだろうか」

そう言うと、鯉登家の令息のためにオフィスの一角へ誂えられた、半個室にある立派なデスクの周りをうろうろして、ああでもないこうでもないと悩み続ける。月島はそんな上司をしばらく黙って見つめていたが、小さくため息をついた後に 鯉登さん、と呼びかけた。

「こういうものは黙っていても仕方がないですよ。今日の終業後にチョコレートが欲しいと言いに行きましょう」

「キエェェッ!?お前なんて事を……無理に決まっているだろう!?第一まともに話したこともないのに……」

「そこです。話したこともないのに何かが起きる訳無いじゃないですか。今日の終業後に勝負かけましょう。いいですか、終業後ですからね」

月島は 終業後、を強調すると朝一にある会議の準備をするように言った。鯉登は心ここに在らずと言った調子だったが、ともかく支度を始めたので教育係である彼はひとまず安心する。

「なあ、月島…会議にはミョウジもいるのか?」

会議室までの廊下を歩きながら尋ねられ、月島は「はい」と答えた。

「まずはご自分で挨拶してみましょう。鯉登さん、いつも私を介してミョウジと話してますよね。それではチョコをもらうなんて無理ですよ」

「今日はいつにも増して厳しいな、月島……。だがお前のいう通りだな」

そう言うと、鯉登は会議室のドアの前で数回深呼吸してから中へ入り、月島はそれに続いた。



「鯉登さん、やればできるじゃないですか。挨拶できましたね」

「うん……頑張った。訛りは出てしまったが…伝わっているよな!?月島ァ!」

「はい」

会議を終えてデスクに戻ると、鯉登は達成感で嬉しそうな表情を浮かべている。好きな女と直接話せた喜びに、心が弾んでいるのが手に取るようにわかる。

「ではさっさと仕事しましょう。ミョウジも鯉登さんの働きぶりに一目置くはずです」

「……!!それもそうだな!ミョウジはいつも頑張っているからな。そういうところが好きだ。終業までに私の存在をアピールしておかなくては。おい、ドアを開けてくれ月島。働いている私の姿をミョウジに見せたいのだ」

月島が無言で扉を開けると、鯉登はチラチラと外を見やって目当てのひとを探しているので、集中集中と声を掛けなくてはならなかった。しかし普段よりも仕事が捗っている様子なので良しとする。それにしても、目を引く美しい容姿を持ち、鯉登グループの御曹司という貴公子のような鯉登音之進が、存在をアピールしたいとは何だか滑稽だった。いるだけで目立つというのに、鯉登はそれに気が付いていないらしい。

「おい月島、ミョウジは私を見ているか!?これ終わったぞ」

「はい。……そろそろ昼飯ですね。ミョウジには鯉登さんと食べるように言ってあります。頑張って下さい」

え…?と言った鯉登を残して、月島はさっさと部屋を出てしまった。入れ替わりにナマエが遠慮がちに顔を出したのが見えて、鯉登は思わずキエェッと叫ぶ。

「鯉登さん、お疲れ様です。社食行きますか?」

「そ、そうじゃな。いや、やっぱいやっせん。食事は外にしよう」

そう言うと、鯉登は椅子から勢い良く立ち上がって外に出る。後ろからナマエが歩いてくるのを感じ取って、心臓が痛いほど脈打つ。落ち着け、落ち着け……と心の中で唱えながらエレベーターに乗って一階へ行こうとするが、昼時なだけあって中は混み合っていた。鯉登は先に入ると、腕を少し広げてナマエの場所を作った。

「ほら、はよ乗れ」

一瞬躊躇した後、ナマエが遠慮がちに乗り込んできたので鯉登は目を逸らした。扉がゆっくりと閉まると、大勢を乗せた箱は下へ下へと降りていく。前を向いて立っている彼女の後頭部が直ぐ近くにあって、顔を傾けたら髪にキスできてしまいそうだった。いかん、付き合うてんおらんおなごにそげん事を考えてはやっせん、と自分を律していると、ようやく一階に着いた。扉が空いて人々が吐き出されていき、鯉登はその波の中でナマエを呼ぶと、ビルの外へ出る。

「わいは普段、どこで昼食を食べちょっど」

「私ですか?社食か、コンビニで買うかして食べてますよ。鯉登さんはどちらで召し上がってますか」

「おいはこん辺りで食べちょっが……では、おいが普段行っちょっ店でもよかか」

ナマエはやたらと訛っている鯉登を不思議に思いながらも、いいですよ、と頷いて彼の後に続いた。上質で暖かそうなコートに、日光がポカポカと当たっている。さらりとした黒髪が風に揺れたかと思うと、鯉登は 着いてこい、と言うようにナマエの顔を見た。二人は言葉少なにオフィス街を歩き、鯉登が行きつけだと言う店に入ったのだが、ナマエの顔がこわばる。彼が迷いなく入っていったのは老舗の寿司屋で、彼女の感覚としてはお昼休みに簡単に入るような店ではなかった。鯉登は店にはいるなり、主人と親しげに話している。

「個室が空いちょったぞ。ここは美味かでな、あてんおすすめだ」

鯉登は屈託なく笑うと、慣れた様子で通された個室の椅子に座った。ナマエは少し緊張しつつ、彼の前に腰掛ける。

「…どげんした?カウンターん方が良かったか?そん、個室ん方が色々話せっかて思うたんじゃが」

ナマエの表情が浮かないのを見て、鯉登は慌てて問いかけたが彼女は少し笑って答えた。

「いえ、そう言うわけでは……あの、凄く立派なお店ですね」

「そうじゃろ?今日はあてがご馳走すっで遠慮せず食べてくれ」

鯉登は褒められたと感じて嬉しくなり、思わず顔を綻ばせると早速店主を呼んで注文を始めた。平目、真鯛、サヨリ、ホッキ貝、マグロ、牡丹海老、数の子……旬のネタが並んで、上品な所作で寿司を口に入れる。ナマエも箸をつけると、新鮮な歯応えのネタが美味しい。思わず笑顔になったナマエを、鯉登は食い入るように見つめた。いい笑顔だ、また見たい……そう思っているうちに、目があって動揺してしまう。

「凄く美味しいです。こんなに良い物をご馳走になってすみません」

「どんどん食べてくれ。……そいで、今日はそん……バレンタインじゃな」

「そうですね。鯉登さん、沢山もらってますよね」

「ああ、毎年な。今年は去年を上回っ数で、出勤すっと沢山おいてあっとじゃ」

こんな話をしたい訳じゃない。肝心の、お前からチョコレートがほしい、を言わなくては。しかし考えれば考えるほど、鯉登の口は意図とは違う事を話し続けてしまう。、ナマエは穏やかな表情で聞いていたが、話が途切れると静かな声で言った。

「そうですか。鯉登さん、大人気ですもんね。そんなに頂くのも大変ですよね……せめて、私は遠慮しておきますから安心して下さい」

そう言うと、再び箸を持って寿司を口に運ぶ。本当に美味しいですね、この味は絶対忘れません、と言って笑った彼女を鯉登はまともに見ることが出来なかった。



「そうですか……失敗しましたか」

「はっきり言うな月島ぁ……私はどうしてあんな話を……」

デスクに戻った鯉登の様子を見に来た月島は、計画の失敗を悟った。がっかりとしょげている鯉登は気の毒なほどで、月島は今日何度目か分からないため息をつくと口を開く。

「鯉登さん、もうここまできたら小細工はやめて正々堂々行きましょう。思っていることを素直に伝えるべきです」

「そんな…… ミョウジは私の事など何とも思っていないかもしれないんだぞ。いや、そうに違いない……それにどうしても薩摩弁が出てしまうしな」

「それでもいいじゃないですか。真剣に言えば伝わりますよ。普段からミョウジのことを私に散々話しているじゃないですか。それを言えばいいんです」

「いつも頑張っているところが好きだとか、笑顔が良いとかそう言う話か?」

「そうです。それは私じゃなくてミョウジに言ってください」

「お前もしかして私の恋バナが面倒になったのか……?」

「いいえ」

月島は短く答えると、腕時計を見やって 仕事しましょう、と言った。

「そうと決まれば今日の仕事を早く終わらせないといけないですね。集中集中」

鯉登の脳内はもはや終業後の事でいっぱいになっていたが、この厳しい教育係には敵わない。月島の視線を感じながら、鯉登は午後の仕事に取り掛かった。

 時間はあっという間に過ぎて、月島から了承を得た鯉登は仕事を切り上げた。窓の外は夕暮れで、街の明かりがチラチラと光っている。彼は考えた末に、自分が何かをナマエにあげようと思い立って小走りにオフィスを出た。歩きながら急いでコートを羽織っていると、まだ仕事をしている彼女の姿が見える。それを尻目に足速にエレベーターに乗り込もうとすると、女子社員が何人か集まって 鯉登さん!と黄色い声を上げた。続々と集まってくるので受け答えをしていたら時間がかかってしまいそうだったが、振り切ってしまうのも気が咎めた。しかし彼女たちの後ろの方で、PCのモニターを見つめているナマエの姿を見つけると、優先順位を思い出す。

「君たちすまない、私は急用があってすぐに出なくてはならないのだ」

「はい、皆さん。鯉登さんへのチョコレートならこちらで預かりますよ」

すかさず現れた月島が、朝の箱を持ち出して言った。鯉登に 行って下さい、と目配せすると、女子社員達を誘導している。お陰で鯉登はエレベーターに身を滑り込ませることに成功して、暗くなり始めた街へ飛び出していった。手近な百貨店へ入ってみたが、チョコレート売場は大変な混雑で今更並べそうにもない。すぐに買えて、想いも伝えられるものは無いかと走り回っていると、街角にポツンと花屋が見えた。真っ赤な薔薇がバケツ一杯にさしてあって、鯉登は吸い寄せられるように店へ向かう。

「店にある薔薇を全部くれ。今すぐだ」

全部ですか?と店員が驚いたように聞き返したが、鯉登が深く頷いたので手早く準備を始めた。やがて抱えなくてはならないほどの花束が出来上がると、鯉登の腕に渡される。カードで支払いを済ませて、きた道を一目散に走って帰った。街行く人が驚いたように鯉登を見ているが、そんな事には構わず足を進める。ミョウジが帰ってしまう、今日こそは、今年こそはこの想いを伝えたい。お前の笑顔を側で見たいと思った。お前の一番近くにいたいと思った。お前を守る男は私でありたいと願った。この想いを伝えるには、今日しかない。走って走ってオフィスが入っているビルが見えてくると、一人で退社するナマエの姿が見えた。真っ直ぐ駅へ向かうその後ろ姿を、鯉登は全速力で追いかける。

「…… ミョウジ!!待ってくれ」

息の上がった声で呼びかけると、彼女はぴたりと足を止めてゆっくり振り返った。驚いた顔で鯉登を見て、どうしたんですか、と不思議そうに尋ねる。

「……こいを…こいを受け取ってくれ」

そう言いながら、鯉登は抱えていた薔薇の花束を差し出した。ナマエは状況が飲み込めず、目の前の赤い薔薇を呆然と眺めている。

「わいが好いちょっど」

肩で息をしながら想いを伝えた鯉登を、ナマエは目を丸くして眺めていたが、ゆっくりとバッグへ手を滑り込ませると、小さな箱を取り出した。

「私も好きです」

差し出されたのはチョコレートだった。今度は鯉登が呆気に取られてナマエの顔を穴が開くほど見つめていたが、おずおずとその箱を手に取った。代わりに薔薇の花束は離れていって、渡したかったひとの腕の中に抱かれている。

「……毎年、渡したかったんです。でも勇気が出なくて……今年も結局諦めてました。お昼にチャンスが来たのに」

ナマエは少し笑うと、薔薇に視線を落として続けた。

「信じられません。夢みたいです」

「……夢じゃなか」

そう言うと、鯉登は花束と一緒にナマエを腕に包んだ。夢みたいだ。言葉とは裏腹に、抱きしめた温もりは幻かのように思えた。顎の下に収まる彼女の髪に、そっと口付けてみる。唇に優しい感触がして、夢が現実になっていくようだった。

「……あの、鯉登さん。そろそろ離してくれませんか…」

ナマエに言われてハッと我に帰ると、道のど真ん中であった。鯉登は慌てて彼女を離すと、照れ臭そうに目を逸らす。二人は頬を赤くすると、そそくさと道を歩いた。これから何をしよう。とりあえず夜ご飯でも食べようか。薔薇とチョコレートの香りが、初々しい恋人たちを優しく包みながら、バレンタインの夜は更けていく。

おわり
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