雪が降る
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その日以来、私達は恋人同士になった。付き合いだしてからわかったことは沢山ある。寒がりだとか、社内でそんな素振りは見せないが、実は朝が弱いとか、潔癖症気味であるとか。住んでいる部屋は殺風景な印象で、几帳面に整えられている。寝て起きるだけだから、と彼が言ったその部屋に、私は金曜日の夜や週末に訪れた。そのうちに私の荷物が少しずつ増えていって、「お前のものはここに入れろ」と収納ボックスを渡された。私の部屋も同様で、尾形の着替えやら歯ブラシやら、ヘアワックスなんかが置かれるようになり、お互いが生活に入り込んでいくのを感じたものだった。
彼は自分の気持ちを言葉にする事が極度に苦手だった。嫌味は元気よく話せるのだが、自分の情緒面のことは黙ってしまうか、捻くれたことを言ってはぐらかすかのどちらかだ。だから私は表情や仕草で尾形の心情を推し量るのだが、これについてはあまり苦労が無い。彼は案外顔に出やすいタチだったので、よく見ていれば嬉しいとか美味しいとか、ムカつくとか嫌だとかはすぐ分かった。けれども、料理を二人で食べる時などは「美味しい」という会話がないのは、少し寂しく思った。尾形は何を食べるときも無言で黙々と食べるので、私はこれについて一度話題にした事がある。彼は暫く黙ると、そういう習慣が無かったから、と答えた。尾形の母は小学生の頃に亡くなっていて、祖父母に引き取られて育ったそうだ。自分のことを話さないところや、人と打ち解けようとしないところは、そうした幼少期に関係があるのかも知れない。
「煮えてきたね。そろそろ食べようか」
ある日、私達は尾形の部屋で鍋を食べているところだった。リクエストされたあんこう鍋が、グツグツと煮えて湯気が立っている。子供の時から好きな食べ物だそうで、あんこうがスーパーに並ぶようになると、私はよくこの料理を作るようになった。尾形は小皿に取った鍋を箸で取り、息を吹きかけてから口へ運ぶ。もぐもぐと食べている、色白の頬。私もそんな彼の横で、すっかり馴染み深い味になったあんこう鍋をつついた。
「……うまい」
唐突に、ボソッと声が聞こえて私は尾形を見た。彼は何食わぬ顔で、黙々と鍋を食べている。
「今、うまいって言った…?」
なんだか嬉しくなって言うと、尾形は怪訝そうな顔でこちらを見返す。
「そんなに喜ぶことかよ」
「尾形さんと分かち合えるのが嬉しくて」
そう答えてから、私は先程よりも幸せな気分で鍋を口に入れると、尾形が はッと小さく笑ったのが聞こえる。
「安上がりな女だな」
そう言うと、私達は食事に戻った。静かな食卓だけれど温かくて親密な時間。私は尾形とこんな風に時を重ねていきたいと、彼の好物を食べながら思った。
♢
そんな事を思い返していると、急に手首を掴まれて我に帰る。見ると、掛け布団から少し顔を出した尾形が、まだ眠そうな顔をして私を眺めていた。
「……今日は随分と冷えるな。雪でも降るんじゃねぇか」
「ニュースで、夕方は雪って言ってたよ」
「そうか。じゃあ家にいようぜ」
尾形はそう言うと、掌に力を込めて私を布団の中へ引っ張り込んだ。筋肉質な腕に抱き寄せられて、私はなんだか安心する。
「尾形さん、本当に寒いの嫌いだね。……私は雪が好きだけど」
「なんでだよ」
「尾形さんとの思い出があるから」
そう言うと、尾形の顔が近づいてキスされる。頬に触れると、休日なので剃っていない髭がちくりと指先にあたった。
「たかが雪だろ」
彼はそっけなく言ったけれど、私の髪をすくように撫でる指先や、柔らかく重ねられる唇で、私の言葉を悪く思っていない事がわかる。尾形の言葉や表情は、私の心にあの日の雪を降らせるのだった。白く色を無くした街を、初めて二人で歩いた夜。降り積もる雪は、私を隅々まで染めてゆく。
おわり
彼は自分の気持ちを言葉にする事が極度に苦手だった。嫌味は元気よく話せるのだが、自分の情緒面のことは黙ってしまうか、捻くれたことを言ってはぐらかすかのどちらかだ。だから私は表情や仕草で尾形の心情を推し量るのだが、これについてはあまり苦労が無い。彼は案外顔に出やすいタチだったので、よく見ていれば嬉しいとか美味しいとか、ムカつくとか嫌だとかはすぐ分かった。けれども、料理を二人で食べる時などは「美味しい」という会話がないのは、少し寂しく思った。尾形は何を食べるときも無言で黙々と食べるので、私はこれについて一度話題にした事がある。彼は暫く黙ると、そういう習慣が無かったから、と答えた。尾形の母は小学生の頃に亡くなっていて、祖父母に引き取られて育ったそうだ。自分のことを話さないところや、人と打ち解けようとしないところは、そうした幼少期に関係があるのかも知れない。
「煮えてきたね。そろそろ食べようか」
ある日、私達は尾形の部屋で鍋を食べているところだった。リクエストされたあんこう鍋が、グツグツと煮えて湯気が立っている。子供の時から好きな食べ物だそうで、あんこうがスーパーに並ぶようになると、私はよくこの料理を作るようになった。尾形は小皿に取った鍋を箸で取り、息を吹きかけてから口へ運ぶ。もぐもぐと食べている、色白の頬。私もそんな彼の横で、すっかり馴染み深い味になったあんこう鍋をつついた。
「……うまい」
唐突に、ボソッと声が聞こえて私は尾形を見た。彼は何食わぬ顔で、黙々と鍋を食べている。
「今、うまいって言った…?」
なんだか嬉しくなって言うと、尾形は怪訝そうな顔でこちらを見返す。
「そんなに喜ぶことかよ」
「尾形さんと分かち合えるのが嬉しくて」
そう答えてから、私は先程よりも幸せな気分で鍋を口に入れると、尾形が はッと小さく笑ったのが聞こえる。
「安上がりな女だな」
そう言うと、私達は食事に戻った。静かな食卓だけれど温かくて親密な時間。私は尾形とこんな風に時を重ねていきたいと、彼の好物を食べながら思った。
♢
そんな事を思い返していると、急に手首を掴まれて我に帰る。見ると、掛け布団から少し顔を出した尾形が、まだ眠そうな顔をして私を眺めていた。
「……今日は随分と冷えるな。雪でも降るんじゃねぇか」
「ニュースで、夕方は雪って言ってたよ」
「そうか。じゃあ家にいようぜ」
尾形はそう言うと、掌に力を込めて私を布団の中へ引っ張り込んだ。筋肉質な腕に抱き寄せられて、私はなんだか安心する。
「尾形さん、本当に寒いの嫌いだね。……私は雪が好きだけど」
「なんでだよ」
「尾形さんとの思い出があるから」
そう言うと、尾形の顔が近づいてキスされる。頬に触れると、休日なので剃っていない髭がちくりと指先にあたった。
「たかが雪だろ」
彼はそっけなく言ったけれど、私の髪をすくように撫でる指先や、柔らかく重ねられる唇で、私の言葉を悪く思っていない事がわかる。尾形の言葉や表情は、私の心にあの日の雪を降らせるのだった。白く色を無くした街を、初めて二人で歩いた夜。降り積もる雪は、私を隅々まで染めてゆく。
おわり
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