雪が降る
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少し歩いて適当に店へ入ると、狭く薄暗い店内で乾杯する。店などなんでも良かった。必要なのはきっかけで、私達は一杯のお酒を足掛かりにして、二人になる機会を窺っているように思えた。席はカウンターに横並びで、狭いので否応なく距離が近くなる。尾形はコートを脱ぐと壁にかけられているハンガーにかけた。上質で暖かそうな生地のうえに、雪の雫が付いている。私もコートをかけてから椅子に腰掛けると、尾形は触れてしまいそうなほど近くにいた。
「でも、尾形さんがいるなんて思ってなかったのでびっくりしました」
私は持っていたグラスを置いて言うと、尾形はお酒をごくりと飲み込んでから口を開く。
「……迷惑か」
「そんな、とんでもない。むしろ……」
嬉しかった、と言いかけて私は黙った。これではまるで告白ではないか。それに、モテる尾形の事だから、もしかしたらこの状況は彼にとって特別なものではないのかもしれない。そう思うと浮き上がる心にブレーキがかかって、私はグラスに視線を落とす。柔らかい照明に、氷がみずみずしく光るのが見えた。
「むしろ、なんだよ」
尾形が食い下がってきたので、私はどうするべきか悩んだ。黒い瞳が答えを探るようにこちらを見ている。このまま流れに身を任せるのか、はぐらかして帰るのか、今ならまだ選べる。分別のある選択をしなければ。私はもう大人で、勢いに任せて恋愛を始めるような時期は過ぎた筈なのだ。
「……俺はミョウジと話したかったから」
私が黙っていたからか、尾形はそう言うと再びグラスに唇をつけた。表情が読み取れないので、何を考えているのかよく分からない横顔。どうしてそんなことを言うの。そんな風に言われたら、もう抗う事などできないではないか。遊ばれているのかもしれない、そう分かっているのに。
「……私もそう思ってました」
呟くように答えると、尾形は顔を私へ向ける。口元が小さく笑って そうかい、と言った。
私達はグラスを空けると外へ出る。扉を開けた瞬間、冷たい風と共に雪が舞い込んで肌に当たる。店に入った時よりも地表は白く染まり、夜の街は色を無くしたようだった。街灯に照らされた道を歩くと、尾形はタクシーを拾う。私は彼が右腕を上げて車を止め、こちらを振り向くのを眺めた。二人で車内に乗り込むと、暖房で温まって淀んだ空気を吸いこむ。尾形は恐らく自分の住所を運転手に告げると、私達は言葉を交わす事もなく黙った。やがて左手の甲に尾形の掌が被せられる感触がして、私は息が詰まりそうになる。おずおずと尾形の方を見たとき、唇を塞がれて私は目を瞑った。
ああ、この人、慣れてるな。
私はそんな直感が広がっていくのを感じたが、もう後戻りはできないのだった。
尾形は単身者向けのマンションに住んでいて、彼の後ろに続いて部屋へ入った。鍵を閉めるなり、抱き寄せられて尾形の唇が私の声を封じた。もつれるようになりながら靴を脱ぐと、暗い室内を引っ張られるようにして進み、ベッドへ連れて行かれる。尾形は湿ったコートや上質そうなスーツのジャケットを脱ぐと、ネクタイを緩めて私をベッドへ押し倒すようにした。暗がりの中で、尾形の瞳が一心にこちらを見ているのがわかる。なんだかその性急さに少し怖くなった私は、彼の胸板を両手で押さえる。シャツごしに触れた肉体は筋肉質で男性的だった。
「なんだよ」
尾形はそう言うと、私の手を掴んでどかそうとした。
「……あの。なんで私なんですか」
あぁ?と言いながら、私の手首を易々と胸元から離していく。
「尾形さん、女の人に困ってないじゃないですか。なんでわざわざ私と……」
尾形の唇が落ちてきたので、その続きを言う事は叶わなかった。先程よりも乱暴なキスに、なんだか息苦しくなる。
「……ただの噂だ。お前にもそう思われているとはな。傷ついたよ」
「え?でもなんか……すごく手慣れてる感じだったので……」
「俺の言葉よりよく分からん奴らの噂話を信じるのか」
尾形はそう言うと少し黙って、ふと口元に笑みを浮かべてから呟いた。俺では駄目か。そうだよな。
「嫌ならそう言えよ。タクシー代やるから帰ればいい」
私が呆然としていると、尾形は身体を起こして電気をつけた。白っぽい光が部屋に溢れて一瞬目が眩む。身を起こしてあたりを見回してみると、なんとも味気ない部屋で、カーテンや冷蔵庫、ベッドなどの生活必需品しか見当たらない。寝て起きるだけの部屋、とでも言うべきか。尾形は玄関に向かうと数分前に床へ置いた鞄に手を突っ込み、財布を取り出すと戻ってくる。
「あの、尾形さん……?」
「いくら必要なんだよ」
尾形はもはやこちらを見ようともしない。事態が思わぬ方向へ向かったので、私は戸惑いながらも口を開いた。
「まずお財布しまって下さい。少し話しましょう」
そう言うと尾形はようやく私を見て、ベッドのへりに腰掛ける。
「さっき、俺では駄目かって言いましたけど……駄目じゃないです」
「……じゃあなんで嫌がる」
「嫌がってはないです。ただ知りたかったんです。尾形さんの気持ちが」
「分かるだろ。わざわざ興味ない女と帰ったり、酒飲んだりするかよ」
「じゃあつまり、私に興味あるってことですか」
そう言うと、尾形は黙ってしまった。私の直感はあてにならないらしい。どうやら社内で流れている噂は、随分誇張した話だったようだ。考えてみれば、最初の誘い方も微妙に間がおかしかった。
「…私は尾形さんに興味ありますよ。嫌いな食べ物は椎茸ってわかりましたけど、もっといろんなことを知りたいし……私のことも、知って欲しいです」
尾形は言葉を発しなかったが、ちゃんと聞いているのは分かった。やがて彼は立ち上がると、コーヒーでも飲むか、と呟いて小さなキッチンへと向かった。私はシワのよったコートを脱ぐと、インスタントコーヒーの瓶を取り出す尾形を見る。
「すみません、用意してもらって……あの、寒いのでエアコンつけてもいいですか」
「好きにしろ」
尾形は電気ケトルで沸かしたお湯をマグカップに注ぎながら答えた。私はベッドサイドに置いてあったリモコンを手に取ると、電源を入れてから窓の外を見やった。相変わらず雪がしんしんと降っていて、立ち上がって窓を開けてみる。
「おい、閉めろよ。暖房の意味がねぇだろ」
尾形が後ろから声をかけてきたので振り向くと、マグカップを両手に持って不満げな顔をしている。私はお礼を言ってカップを受け取ると、窓の外に視線を戻した。
「雪、綺麗ですよ」
そう言って尾形の方を見た瞬間に、唇が重なった。さっきよりも優しいキスになんだか安心して、自然と目を閉じると尾形の体温を舌先に感じる。どんな言葉を並べるよりも、彼の唇は私を幸福にした。
「……コーヒーが」
「どうせインスタントだ、飲みたきゃ入れ直せばいい」
尾形はそう言うと、私の手からマグカップを取り上げて窓際に置き、窓を閉める。彼の両腕が伸びてくると、シャツを着た胸板に抱き寄せられる。外気で冷えた唇を温め合うように、私達はキスをした。
「でも、尾形さんがいるなんて思ってなかったのでびっくりしました」
私は持っていたグラスを置いて言うと、尾形はお酒をごくりと飲み込んでから口を開く。
「……迷惑か」
「そんな、とんでもない。むしろ……」
嬉しかった、と言いかけて私は黙った。これではまるで告白ではないか。それに、モテる尾形の事だから、もしかしたらこの状況は彼にとって特別なものではないのかもしれない。そう思うと浮き上がる心にブレーキがかかって、私はグラスに視線を落とす。柔らかい照明に、氷がみずみずしく光るのが見えた。
「むしろ、なんだよ」
尾形が食い下がってきたので、私はどうするべきか悩んだ。黒い瞳が答えを探るようにこちらを見ている。このまま流れに身を任せるのか、はぐらかして帰るのか、今ならまだ選べる。分別のある選択をしなければ。私はもう大人で、勢いに任せて恋愛を始めるような時期は過ぎた筈なのだ。
「……俺はミョウジと話したかったから」
私が黙っていたからか、尾形はそう言うと再びグラスに唇をつけた。表情が読み取れないので、何を考えているのかよく分からない横顔。どうしてそんなことを言うの。そんな風に言われたら、もう抗う事などできないではないか。遊ばれているのかもしれない、そう分かっているのに。
「……私もそう思ってました」
呟くように答えると、尾形は顔を私へ向ける。口元が小さく笑って そうかい、と言った。
私達はグラスを空けると外へ出る。扉を開けた瞬間、冷たい風と共に雪が舞い込んで肌に当たる。店に入った時よりも地表は白く染まり、夜の街は色を無くしたようだった。街灯に照らされた道を歩くと、尾形はタクシーを拾う。私は彼が右腕を上げて車を止め、こちらを振り向くのを眺めた。二人で車内に乗り込むと、暖房で温まって淀んだ空気を吸いこむ。尾形は恐らく自分の住所を運転手に告げると、私達は言葉を交わす事もなく黙った。やがて左手の甲に尾形の掌が被せられる感触がして、私は息が詰まりそうになる。おずおずと尾形の方を見たとき、唇を塞がれて私は目を瞑った。
ああ、この人、慣れてるな。
私はそんな直感が広がっていくのを感じたが、もう後戻りはできないのだった。
尾形は単身者向けのマンションに住んでいて、彼の後ろに続いて部屋へ入った。鍵を閉めるなり、抱き寄せられて尾形の唇が私の声を封じた。もつれるようになりながら靴を脱ぐと、暗い室内を引っ張られるようにして進み、ベッドへ連れて行かれる。尾形は湿ったコートや上質そうなスーツのジャケットを脱ぐと、ネクタイを緩めて私をベッドへ押し倒すようにした。暗がりの中で、尾形の瞳が一心にこちらを見ているのがわかる。なんだかその性急さに少し怖くなった私は、彼の胸板を両手で押さえる。シャツごしに触れた肉体は筋肉質で男性的だった。
「なんだよ」
尾形はそう言うと、私の手を掴んでどかそうとした。
「……あの。なんで私なんですか」
あぁ?と言いながら、私の手首を易々と胸元から離していく。
「尾形さん、女の人に困ってないじゃないですか。なんでわざわざ私と……」
尾形の唇が落ちてきたので、その続きを言う事は叶わなかった。先程よりも乱暴なキスに、なんだか息苦しくなる。
「……ただの噂だ。お前にもそう思われているとはな。傷ついたよ」
「え?でもなんか……すごく手慣れてる感じだったので……」
「俺の言葉よりよく分からん奴らの噂話を信じるのか」
尾形はそう言うと少し黙って、ふと口元に笑みを浮かべてから呟いた。俺では駄目か。そうだよな。
「嫌ならそう言えよ。タクシー代やるから帰ればいい」
私が呆然としていると、尾形は身体を起こして電気をつけた。白っぽい光が部屋に溢れて一瞬目が眩む。身を起こしてあたりを見回してみると、なんとも味気ない部屋で、カーテンや冷蔵庫、ベッドなどの生活必需品しか見当たらない。寝て起きるだけの部屋、とでも言うべきか。尾形は玄関に向かうと数分前に床へ置いた鞄に手を突っ込み、財布を取り出すと戻ってくる。
「あの、尾形さん……?」
「いくら必要なんだよ」
尾形はもはやこちらを見ようともしない。事態が思わぬ方向へ向かったので、私は戸惑いながらも口を開いた。
「まずお財布しまって下さい。少し話しましょう」
そう言うと尾形はようやく私を見て、ベッドのへりに腰掛ける。
「さっき、俺では駄目かって言いましたけど……駄目じゃないです」
「……じゃあなんで嫌がる」
「嫌がってはないです。ただ知りたかったんです。尾形さんの気持ちが」
「分かるだろ。わざわざ興味ない女と帰ったり、酒飲んだりするかよ」
「じゃあつまり、私に興味あるってことですか」
そう言うと、尾形は黙ってしまった。私の直感はあてにならないらしい。どうやら社内で流れている噂は、随分誇張した話だったようだ。考えてみれば、最初の誘い方も微妙に間がおかしかった。
「…私は尾形さんに興味ありますよ。嫌いな食べ物は椎茸ってわかりましたけど、もっといろんなことを知りたいし……私のことも、知って欲しいです」
尾形は言葉を発しなかったが、ちゃんと聞いているのは分かった。やがて彼は立ち上がると、コーヒーでも飲むか、と呟いて小さなキッチンへと向かった。私はシワのよったコートを脱ぐと、インスタントコーヒーの瓶を取り出す尾形を見る。
「すみません、用意してもらって……あの、寒いのでエアコンつけてもいいですか」
「好きにしろ」
尾形は電気ケトルで沸かしたお湯をマグカップに注ぎながら答えた。私はベッドサイドに置いてあったリモコンを手に取ると、電源を入れてから窓の外を見やった。相変わらず雪がしんしんと降っていて、立ち上がって窓を開けてみる。
「おい、閉めろよ。暖房の意味がねぇだろ」
尾形が後ろから声をかけてきたので振り向くと、マグカップを両手に持って不満げな顔をしている。私はお礼を言ってカップを受け取ると、窓の外に視線を戻した。
「雪、綺麗ですよ」
そう言って尾形の方を見た瞬間に、唇が重なった。さっきよりも優しいキスになんだか安心して、自然と目を閉じると尾形の体温を舌先に感じる。どんな言葉を並べるよりも、彼の唇は私を幸福にした。
「……コーヒーが」
「どうせインスタントだ、飲みたきゃ入れ直せばいい」
尾形はそう言うと、私の手からマグカップを取り上げて窓際に置き、窓を閉める。彼の両腕が伸びてくると、シャツを着た胸板に抱き寄せられる。外気で冷えた唇を温め合うように、私達はキスをした。