探しもの
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細い枝に、ぽつりぽつりと橙色の柿が実っている。背後に見える山は赤や黄色に紅葉して、日に照らされると燃えるように輝く。群生しているすすきは、風に揺られるとまるで銀色の波のように見えた。青い空は澄み切って高く、鱗雲がゆったりと流れていく。そんな秋の冷たい空気の中にいると、私は決まって胸が締め付けられるような切なさを覚えるのだった。どうしてかは分からない、物心ついたときからずっとそうなのだ。それでいて私は秋が待ち遠しかった。この季節がもたらす寂しさは、私の心の核となっている、そんな気がしていた。ずっしりと重たい段ボールを抱えている今もそれは同じで、すすきの海の中をあの切なさを感じながら歩いている。箱の中身はどっさりと入った柿で、磨かれたように艶があるそれらは、これでもかというほどの量だった。用事があって行った親戚の家から帰る時、たくさん採れたから持っていきなさい、あんた柿好きだったよね?と言われて待たされたのだ。確かに柿は好きだが、限度というものがあるだろう。次第に手が痛くなってきて、私は箱を持ち直そうと立ち止まる。人っ子一人いない田舎道、あるのは揺れるすすきと紅葉した山々ばかりだ。舗装されていない道の小石が、私のスニーカーに踏まれてジャリ、と音を立てる。よいしょと手を休めようとした時、重さでバランスが崩れて箱が揺れた。慌てて持ち直そうとすると、背後から おっと、と声が聞こえて、両手がふわりと軽くなる。驚いて後ろを振り返ると、背の高い男性が段ボールを支えている。
「結構重いね」
彼はそう言って、心配そうに 大丈夫?と聞いた。顔を見た瞬間、私はこのひとのから目が離せなくなってしまった。胸の奥から溢れ出るような、感情の渦を感じて言葉が出てこない。被ったキャップからのぞく無造作な髪、顔にある大きな傷。目元は鋭いが茶色い瞳には温かさが宿っているのが分かった。分かったと言うより、知っているという感覚だった。なぜかは分からない、どこかで会ったのだろうか。そんな事を考えながら一言も発せずにいると、彼は申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめん、急に話しかけたりして怖かったよね。荷物が重たそうだったから、つい」
「いえっ、違うんです。その、私の方こそすみません。お礼も言わずに」
私は我に帰ると慌てて彼の手から段ボールを受け取ろうとしたが、そのひとは首を振った。
「良かったら、俺が持つよ。方向も同じだし」
そう言って、彼はすすきが揺れている一本道を見やった。私は迷ったが、お言葉に甘える事にして彼の隣を歩き始める。そのひとは、杉元佐一と名乗った。名前を聞いたとき、私の胸はまたしても洪水のような感情に襲われそうになったが、努めてなんでもないふりをする。杉元さんは最近結婚した友人の家を訪ねるところだったそうで、寅二、と親しげな声で友の名を言った。
「……ところで、君の名前も聞いていい?」
「はい。ミョウジナマエです」
「ナマエ、さん……」
名を呼ばれて、私の胸には懐かしさでいっぱいになった。意志とは関係なく涙まで込み上げそうになり、私は自分に困惑する。
杉元さんは私の名前を聞くとしばらく黙っていた。何かをじっと考えるように、まっすぐ前を向いている。もしかして、私と同じことを感じているのだろうか。いや、そんなことある筈がない。
「……それにしても、こんな量の柿食べるの大変だね。干柿にでもしたら?」
「干柿ですか」
「うん、美味しいよ。よく爺ちゃんぽいって言われるけど、なんかずっと干柿が好物でね。食べるとすごく懐かしい気持ちになるっていうか……そういうの、ない?」
私はジャリジャリと小石を踏みながら、ある、と思った。揺れるすすき、枝先に実る橙色の柿、ひらひらと落ちてくる赤い紅葉。込み上げてくる、懐かしさと切なさ。杉元さんは、こんな気持ちになったことがあるのだろうか。
「ねえ、ナマエさん。そう言う風に思うことない?」
彼はいつの間にか立ち止まって、私の目を真っ直ぐに見てもう一度聞いた。真剣な目に、私は射抜かれるような気持ちになる。知っている、私はこの目を知っている。
「……ごめん、俺なんか変だよね。初めて会った何こんなこと聞いたりして」
杉元さんは私が押し黙っているのを見やってから、行こうか、と言って歩き始めた。背の高い後ろ姿が、少しずつ遠ざかっていく。私はなんだか堪らなくなって、私は走ると彼が着ている上着の背中の辺りを掴んだ。
「分かります、私も……秋が来ると必ず、切ないような懐かしいような気持ちになるんです。……そして杉元さんの事も、そんな風に思っているんです。変ですよね」
私は一気に言うと、ごちゃ混ぜになる感情に飲み込まれないようにするため口を噤んだ。杉元さんは私の言葉を黙って聞いていて、沈黙の後にゆっくりと口を開く。
「俺だけじゃなかったんだね、そう思ったの。ナマエさんの後ろ姿を見つけたとき、何故だか懐かしくなったんだよ」
不思議だ、と彼は呟くと、私達は再び歩き始めた。北風が吹いて、すすきの海は美しく揺れる。私達はその中を、ただ黙って歩いた。言葉を発したら大切なものが壊れてしまうような気がして、何も話すことが出来なかった。
♢
杉元さんに家まで段ボールを運んでもらい、友人宅へ向かう彼と別れて、家の炬燵で緑茶を啜っている時も、私は杉元さんの事を考え続けていた。あれは一体何だったのだろう。もう一度会いたい、会って確かめたい。そこまで考えて、私は自分が分からなくなる。一体何を知りたいのだろう。私はどうしてあの人に拘るのだろう……そうしているうちに日は傾いて、そろそろ晩御飯でも作らなくてはと炬燵を出る。台所へ向かうと、ピンポン、とインターホンが鳴ったので扉を開けた。
「……杉元さん」
「ごめん……なんかどうしてももう一度顔を見たくて」
杉元さんは思い詰めたような声で言い、私は頷くと彼を家に招き入れた。お邪魔しますと言った唇、靴を脱ぐために伏せた目元。このあと私の顔を見て、杉元さんは優しく笑うのだ。そんなことが分かるはず無いのに、私は知っているのだ。彼がそんなふうにする事を。
「やっぱり。そうやって笑ってくれると思った」
杉元さんは私の顔を見ると、茶色の瞳に優しい影を宿して言った。私達の間には一体何があるのだろう。見えない糸で引き合っているとか、少女じみた事を考えるような年齢はとっくに過ぎているが、そんな風に考えずにはいられない。私達はひとまずお茶を飲む事にして、炬燵で向かい合わせに座った。二つの湯呑みの他には、杉元さんが友人宅で頂いたという干し柿が皿に乗せられている。
「いただきます」
私達はこっくりとした色の甘い干柿を口に入れた。広がっていく味を感じながら、私は断片的に思い出していた。
刺すような冷たい空気、銃声、踏みしめる雪。黄色い地に赤い格子柄のマフラーが、風に吹かれて揺れていたこと。寒さ厳しい時に被せてくれた外套。焚火の炎、私を呼ぶ声、私を包む腕。優しく、時に激しく落ちてきた唇。故郷にあった柿の木の話。美しく紅葉する里山、銀色の波のようなすすき。俺のふるさとに帰る家はないけれど、ナマエさんが………ああ、なんだろう。そこから先が、思い出せない。
「ナマエさんが……」
沈黙のあと、杉元さんの声が聞こえて顔を上げた。驚いた事に私の目からは涙が溢れていて、慌てて指先で拭う。
「ナマエさんが…… ナマエさんが良ければ、俺の帰る場所になって欲しい」
杉元さんはそう言うと、両手で私の手を握った。温かく大きな掌に、感じていた寂しさ、切なさがとけていく。
「俺はずっと君を探してたんだ。だからあんなに懐かしくなったんだ…… ナマエさんを忘れないために。ずっと言いたかったことを伝えるために」
どうしよう何から話そう、と彼は困ったように言うが、茶色の瞳が私の目を見たとき、その迷いは全て消え去った。彼は黙って立ち上がると、私の隣に座って手を伸ばす。後頭部を包んだ掌に力が込められて、私は目を瞑った。懐かしい体温が唇に宿って、夢でも見ているような心地だった。
「会いたかったよ」
もう君を泣かせない、杉元さんはそう言うと、私を腕に包んだ。今度は離さない、この人と離れない。涙で揺れる視界の中、私はそんな祈りを込めて、彼の背中に腕を回した。
おわり
「結構重いね」
彼はそう言って、心配そうに 大丈夫?と聞いた。顔を見た瞬間、私はこのひとのから目が離せなくなってしまった。胸の奥から溢れ出るような、感情の渦を感じて言葉が出てこない。被ったキャップからのぞく無造作な髪、顔にある大きな傷。目元は鋭いが茶色い瞳には温かさが宿っているのが分かった。分かったと言うより、知っているという感覚だった。なぜかは分からない、どこかで会ったのだろうか。そんな事を考えながら一言も発せずにいると、彼は申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめん、急に話しかけたりして怖かったよね。荷物が重たそうだったから、つい」
「いえっ、違うんです。その、私の方こそすみません。お礼も言わずに」
私は我に帰ると慌てて彼の手から段ボールを受け取ろうとしたが、そのひとは首を振った。
「良かったら、俺が持つよ。方向も同じだし」
そう言って、彼はすすきが揺れている一本道を見やった。私は迷ったが、お言葉に甘える事にして彼の隣を歩き始める。そのひとは、杉元佐一と名乗った。名前を聞いたとき、私の胸はまたしても洪水のような感情に襲われそうになったが、努めてなんでもないふりをする。杉元さんは最近結婚した友人の家を訪ねるところだったそうで、寅二、と親しげな声で友の名を言った。
「……ところで、君の名前も聞いていい?」
「はい。ミョウジナマエです」
「ナマエ、さん……」
名を呼ばれて、私の胸には懐かしさでいっぱいになった。意志とは関係なく涙まで込み上げそうになり、私は自分に困惑する。
杉元さんは私の名前を聞くとしばらく黙っていた。何かをじっと考えるように、まっすぐ前を向いている。もしかして、私と同じことを感じているのだろうか。いや、そんなことある筈がない。
「……それにしても、こんな量の柿食べるの大変だね。干柿にでもしたら?」
「干柿ですか」
「うん、美味しいよ。よく爺ちゃんぽいって言われるけど、なんかずっと干柿が好物でね。食べるとすごく懐かしい気持ちになるっていうか……そういうの、ない?」
私はジャリジャリと小石を踏みながら、ある、と思った。揺れるすすき、枝先に実る橙色の柿、ひらひらと落ちてくる赤い紅葉。込み上げてくる、懐かしさと切なさ。杉元さんは、こんな気持ちになったことがあるのだろうか。
「ねえ、ナマエさん。そう言う風に思うことない?」
彼はいつの間にか立ち止まって、私の目を真っ直ぐに見てもう一度聞いた。真剣な目に、私は射抜かれるような気持ちになる。知っている、私はこの目を知っている。
「……ごめん、俺なんか変だよね。初めて会った何こんなこと聞いたりして」
杉元さんは私が押し黙っているのを見やってから、行こうか、と言って歩き始めた。背の高い後ろ姿が、少しずつ遠ざかっていく。私はなんだか堪らなくなって、私は走ると彼が着ている上着の背中の辺りを掴んだ。
「分かります、私も……秋が来ると必ず、切ないような懐かしいような気持ちになるんです。……そして杉元さんの事も、そんな風に思っているんです。変ですよね」
私は一気に言うと、ごちゃ混ぜになる感情に飲み込まれないようにするため口を噤んだ。杉元さんは私の言葉を黙って聞いていて、沈黙の後にゆっくりと口を開く。
「俺だけじゃなかったんだね、そう思ったの。ナマエさんの後ろ姿を見つけたとき、何故だか懐かしくなったんだよ」
不思議だ、と彼は呟くと、私達は再び歩き始めた。北風が吹いて、すすきの海は美しく揺れる。私達はその中を、ただ黙って歩いた。言葉を発したら大切なものが壊れてしまうような気がして、何も話すことが出来なかった。
♢
杉元さんに家まで段ボールを運んでもらい、友人宅へ向かう彼と別れて、家の炬燵で緑茶を啜っている時も、私は杉元さんの事を考え続けていた。あれは一体何だったのだろう。もう一度会いたい、会って確かめたい。そこまで考えて、私は自分が分からなくなる。一体何を知りたいのだろう。私はどうしてあの人に拘るのだろう……そうしているうちに日は傾いて、そろそろ晩御飯でも作らなくてはと炬燵を出る。台所へ向かうと、ピンポン、とインターホンが鳴ったので扉を開けた。
「……杉元さん」
「ごめん……なんかどうしてももう一度顔を見たくて」
杉元さんは思い詰めたような声で言い、私は頷くと彼を家に招き入れた。お邪魔しますと言った唇、靴を脱ぐために伏せた目元。このあと私の顔を見て、杉元さんは優しく笑うのだ。そんなことが分かるはず無いのに、私は知っているのだ。彼がそんなふうにする事を。
「やっぱり。そうやって笑ってくれると思った」
杉元さんは私の顔を見ると、茶色の瞳に優しい影を宿して言った。私達の間には一体何があるのだろう。見えない糸で引き合っているとか、少女じみた事を考えるような年齢はとっくに過ぎているが、そんな風に考えずにはいられない。私達はひとまずお茶を飲む事にして、炬燵で向かい合わせに座った。二つの湯呑みの他には、杉元さんが友人宅で頂いたという干し柿が皿に乗せられている。
「いただきます」
私達はこっくりとした色の甘い干柿を口に入れた。広がっていく味を感じながら、私は断片的に思い出していた。
刺すような冷たい空気、銃声、踏みしめる雪。黄色い地に赤い格子柄のマフラーが、風に吹かれて揺れていたこと。寒さ厳しい時に被せてくれた外套。焚火の炎、私を呼ぶ声、私を包む腕。優しく、時に激しく落ちてきた唇。故郷にあった柿の木の話。美しく紅葉する里山、銀色の波のようなすすき。俺のふるさとに帰る家はないけれど、ナマエさんが………ああ、なんだろう。そこから先が、思い出せない。
「ナマエさんが……」
沈黙のあと、杉元さんの声が聞こえて顔を上げた。驚いた事に私の目からは涙が溢れていて、慌てて指先で拭う。
「ナマエさんが…… ナマエさんが良ければ、俺の帰る場所になって欲しい」
杉元さんはそう言うと、両手で私の手を握った。温かく大きな掌に、感じていた寂しさ、切なさがとけていく。
「俺はずっと君を探してたんだ。だからあんなに懐かしくなったんだ…… ナマエさんを忘れないために。ずっと言いたかったことを伝えるために」
どうしよう何から話そう、と彼は困ったように言うが、茶色の瞳が私の目を見たとき、その迷いは全て消え去った。彼は黙って立ち上がると、私の隣に座って手を伸ばす。後頭部を包んだ掌に力が込められて、私は目を瞑った。懐かしい体温が唇に宿って、夢でも見ているような心地だった。
「会いたかったよ」
もう君を泣かせない、杉元さんはそう言うと、私を腕に包んだ。今度は離さない、この人と離れない。涙で揺れる視界の中、私はそんな祈りを込めて、彼の背中に腕を回した。
おわり
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