向日葵
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宇佐美くんは無言で歩いて行き、山下公園へ入っていった。広々として、四季折々の花が咲く美しい公園。海が見えてきて、潮の香りが通り過ぎていく。宇佐美くんは海が見えるベンチに腰をかけたので、腕を掴まれている私も彼の横に座った。
「智春が誘ったんだろ?僕が目を離すとすぐこうだ。君は魅力的だから」
私はなんと言ったらいいのか分からなかった。でも、私はどうしようもなく、懐かしさを感じていた。こうやって、自分の主張を一方的に押し付けてくる宇佐美くん。帽子のひさしから覗く、私に執着する瞳。涼しい目元と形のいい鼻。全てが心から懐かしかった。
「僕、学校辞めようかなぁ」
私は え?と聞き返すと、宇佐美くんは目をやや見開いて言葉を続ける。
「君と確実に結婚するために、ご両親の心象が少しでも良くなるような職業に就こうと思って今の学校を選んだけど…その間に智春みたいな奴が現れて、今日みたいな事があったら元も子もない。そうだ、別に君を攫って勝手に結婚してもいいんだよね。どうして気がつかなかったんだろ」
宇佐美くんの表情は一変して晴れやかな笑顔になると、じゃあ行こうかと言い出した。こう言う時の宇佐美くんは本気だ。私は慌てて、宇佐美くんの腕を掴んで引き止めた。
「ちょ、ちょっと待って。何も学校やめることないでしょ。私、これから絶対男の子と遊んだりしないから」
言いながら、自分は何を言っているのかと思ったが、止まらなかった。
「宇佐美くんの事だけを見てるから」
言い終わると、宇佐美くんはじっと私を見つめている。そして私の手を握ると、うっとりとした表情で口を開いた。
「本当?絶対?嘘じゃないよね?あぁー嬉しい!じゃあ次の休みにナマエの家に行って、ご両親に挨拶しよう」
宇佐美くんは立ち上がると、やったーと無邪気に喜んでいる。その姿を見ていると、私はなんだかどうでも良くなってしまった。宇佐美くんから逃げるとか、人並みに恋愛するとか、そんな事よりも、この少し狂った男の行く末に興味が湧いた。
「わかったよ、家で話しておくね」
うん、と宇佐美くんは頷くと、幸せそうに頬を上気させて目を細めた。
宇佐美くんは早速翌週の日曜日にうちにやってくると、制服姿で深々と頭を下げた。なんでも、一年生のうちは休日の外出時でも制服を着用するそうだ。しかし両親には多大な効き目があったらしく、宇佐美くんが私と結婚したいと言い出した時には驚いていたが、今時なんて真面目でしっかりした青年なんだと感心し始めた。いや、真面目じゃなくて執念が凄いだけだよ、と胸の中で呟いたけれど、私は苦笑いを浮かべて成り行きを見守る。
「宇佐美くんは小学校の頃から知ってるから、私達も安心よ。ナマエをよろしくね」
こうして私たちは、手も繋いでなければキスもしていないのに、公認の仲となったのだった。
戻っていく宇佐美くんを駅まで送る途中、彼は急に私の手を取った。
「僕たち、晴れて婚約者だね……そして僕らが初めて手を繋いで歩いた日でもある。こうして大切な日が増えていくのは嬉しいなぁ」
宇佐美くんは喜びに浸るようにうっとりしている。男らしい掌に手を包まれる感触。
改札の前につくと、宇佐美くんは名残惜しそうに私を見た後にホームへ入っていった。
♢
私はこうして、宇佐美くんの婚約者になった。彼に会えるのは土日のみで、仕事や部活で空いていない日も多い。宇佐美くんは土日に都合がつくと即電話して来て、会えるよね?と期待のこもった声で聞くのだった。私はその度に横須賀へ足を運んだ。同級生や上級生に目撃されて囃し立てられるような場面もあったけれど、宇佐美くんはどこ吹く風だった。あいつらよっぽど僕が羨ましいんだな、可哀想な奴らだ。フフンと自慢気に息を吐きながら、意地悪そうな顔で笑っていたのを思い出す。宇佐美くんは本当に、人目というものを気にしない人だった。彼は私と自分自身の二人の世界が一番大切で、その他はまるでどうでも良さそうだった。
初めて宇佐美くんと寝たのもこの辺りだ。彼はラブホテルの一室で、筋肉質な、熱のこもった身体で私を何度も抱いた。行為の間、宇佐美くんは私を恍惚の表情で見つめる。ああ、綺麗だ。可愛い。僕だけのナマエ。そう言いながら、宇佐美くんは私の肌に唇を落とすと強く吸う。彼は私の身体に痕をつけることを好んだ。それは宇佐美くんの独占欲が具現化しているようで、家でお風呂に入る時などに見ると少しゾッとするのだが、宇佐美くんはああいう人なのだからしょうがない。
大学に入って四度目の三月に、私達は卒業した。私は就職したが、宇佐美くんは福岡にある幹部候補生学校へ進学したので、結婚はそのあとになった。彼は福岡行きの飛行機に乗る前私を見ると、絶対に浮気しないでね、連絡はすぐ返してね、毎日僕のこと考えてね、僕はいつでも君のことを考えてるから、とクドクド言ったあと、まるで空港に二人しかいないかのようなキスをして、なんども振り返りながら搭乗口に向かったのだった。
約一年間の遠距離恋愛は、なかなか辛かった。私はもはや、あの奇妙な宇佐美くんの毒気にすっかり慣れていたし、あれがないと物足りないとさえ思った。私が休暇に福岡に行くと宇佐美くんはすごく喜んだ。彼の愛情表現は、年々エスカレートしているように思う。彼は隙あらば手を繋ごうとするし、私の姿を見つけると食い入るように見つめるので、誰の目にも私達の関係はたちどころに露呈してしまうのだった。
小学校、中学校の頃なんかは、もっと控えめで今となっては可愛らしかったのに、と懐かしく思ったりもする。
宇佐美くんは卒業すると、3尉(旧日本軍でいう少尉)に昇任して戻ってきて、再び私の前に一枚の紙を取り出した。
「ナマエ、結婚しよう」
私のワンルームで、二人がけのテーブルにつくと宇佐美くんは真剣な顔で言った。私達は23歳になっていたが、その熱量は18歳だったあの時のままで、私には一瞬、まだ子供だった宇佐美くんが見えたような気がした。その時目頭が熱くなるのを感じて、私は目を伏せる。婚姻届の茶色い文字がゆらゆらと歪んだ。愛しさが心の奥から泉のように湧き出て、涙となって目から落ちて行く。宇佐美くんはゆっくり手を伸ばすと、私の頬に触れて涙を拭った。
「ナマエは僕の太陽だ。君がいない人生なんて考えられない」
私を見るまっすぐな瞳に捕まる。私はもう逃げ出せない。宇佐美くんの言う通りだった。私達はこうして、結婚したのだった。
そんな景色が浮かんでは消えていき、私は名前を呼ばれてはっと顔を上げる。宇佐美くんが、そろそろ出番だよ、と言ったのでドレスの裾に気をつけながら椅子を立った。新郎の宇佐美くんは先に入場して、私を待っている。父と腕を組んで扉が開くのを待っている時間は不思議だった。堪えるように、じっと黙っている父。私は心のなかで、ありがとう、と言った。口を開くと、なんだか泣いてしまいそうだった。やがて扉が開け放たれると、厳かなオルガンの音色が聞こえて、祭壇の後ろには向日葵がいっぱいに飾られているのが見えた。向日葵は、私をじっと見つめるように咲いている。その花々を背景にして、宇佐美くんが立っている。私はふと思い出した。向日葵の咲く季節、私のプールバッグがなくなったこと。困る私を見ていた、12歳の宇佐美くんの目。向日葵の花言葉は、あなただけを見つめる。私はこれからもこの男に見つめられ続けるのだ。病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も、死が二人を分かつまで。とんでもないひとに好かれたものだと思う。初めて会った時からちっとも変わらない瞳を見返しながら、私はそんな事を思った。
おわり
「智春が誘ったんだろ?僕が目を離すとすぐこうだ。君は魅力的だから」
私はなんと言ったらいいのか分からなかった。でも、私はどうしようもなく、懐かしさを感じていた。こうやって、自分の主張を一方的に押し付けてくる宇佐美くん。帽子のひさしから覗く、私に執着する瞳。涼しい目元と形のいい鼻。全てが心から懐かしかった。
「僕、学校辞めようかなぁ」
私は え?と聞き返すと、宇佐美くんは目をやや見開いて言葉を続ける。
「君と確実に結婚するために、ご両親の心象が少しでも良くなるような職業に就こうと思って今の学校を選んだけど…その間に智春みたいな奴が現れて、今日みたいな事があったら元も子もない。そうだ、別に君を攫って勝手に結婚してもいいんだよね。どうして気がつかなかったんだろ」
宇佐美くんの表情は一変して晴れやかな笑顔になると、じゃあ行こうかと言い出した。こう言う時の宇佐美くんは本気だ。私は慌てて、宇佐美くんの腕を掴んで引き止めた。
「ちょ、ちょっと待って。何も学校やめることないでしょ。私、これから絶対男の子と遊んだりしないから」
言いながら、自分は何を言っているのかと思ったが、止まらなかった。
「宇佐美くんの事だけを見てるから」
言い終わると、宇佐美くんはじっと私を見つめている。そして私の手を握ると、うっとりとした表情で口を開いた。
「本当?絶対?嘘じゃないよね?あぁー嬉しい!じゃあ次の休みにナマエの家に行って、ご両親に挨拶しよう」
宇佐美くんは立ち上がると、やったーと無邪気に喜んでいる。その姿を見ていると、私はなんだかどうでも良くなってしまった。宇佐美くんから逃げるとか、人並みに恋愛するとか、そんな事よりも、この少し狂った男の行く末に興味が湧いた。
「わかったよ、家で話しておくね」
うん、と宇佐美くんは頷くと、幸せそうに頬を上気させて目を細めた。
宇佐美くんは早速翌週の日曜日にうちにやってくると、制服姿で深々と頭を下げた。なんでも、一年生のうちは休日の外出時でも制服を着用するそうだ。しかし両親には多大な効き目があったらしく、宇佐美くんが私と結婚したいと言い出した時には驚いていたが、今時なんて真面目でしっかりした青年なんだと感心し始めた。いや、真面目じゃなくて執念が凄いだけだよ、と胸の中で呟いたけれど、私は苦笑いを浮かべて成り行きを見守る。
「宇佐美くんは小学校の頃から知ってるから、私達も安心よ。ナマエをよろしくね」
こうして私たちは、手も繋いでなければキスもしていないのに、公認の仲となったのだった。
戻っていく宇佐美くんを駅まで送る途中、彼は急に私の手を取った。
「僕たち、晴れて婚約者だね……そして僕らが初めて手を繋いで歩いた日でもある。こうして大切な日が増えていくのは嬉しいなぁ」
宇佐美くんは喜びに浸るようにうっとりしている。男らしい掌に手を包まれる感触。
改札の前につくと、宇佐美くんは名残惜しそうに私を見た後にホームへ入っていった。
♢
私はこうして、宇佐美くんの婚約者になった。彼に会えるのは土日のみで、仕事や部活で空いていない日も多い。宇佐美くんは土日に都合がつくと即電話して来て、会えるよね?と期待のこもった声で聞くのだった。私はその度に横須賀へ足を運んだ。同級生や上級生に目撃されて囃し立てられるような場面もあったけれど、宇佐美くんはどこ吹く風だった。あいつらよっぽど僕が羨ましいんだな、可哀想な奴らだ。フフンと自慢気に息を吐きながら、意地悪そうな顔で笑っていたのを思い出す。宇佐美くんは本当に、人目というものを気にしない人だった。彼は私と自分自身の二人の世界が一番大切で、その他はまるでどうでも良さそうだった。
初めて宇佐美くんと寝たのもこの辺りだ。彼はラブホテルの一室で、筋肉質な、熱のこもった身体で私を何度も抱いた。行為の間、宇佐美くんは私を恍惚の表情で見つめる。ああ、綺麗だ。可愛い。僕だけのナマエ。そう言いながら、宇佐美くんは私の肌に唇を落とすと強く吸う。彼は私の身体に痕をつけることを好んだ。それは宇佐美くんの独占欲が具現化しているようで、家でお風呂に入る時などに見ると少しゾッとするのだが、宇佐美くんはああいう人なのだからしょうがない。
大学に入って四度目の三月に、私達は卒業した。私は就職したが、宇佐美くんは福岡にある幹部候補生学校へ進学したので、結婚はそのあとになった。彼は福岡行きの飛行機に乗る前私を見ると、絶対に浮気しないでね、連絡はすぐ返してね、毎日僕のこと考えてね、僕はいつでも君のことを考えてるから、とクドクド言ったあと、まるで空港に二人しかいないかのようなキスをして、なんども振り返りながら搭乗口に向かったのだった。
約一年間の遠距離恋愛は、なかなか辛かった。私はもはや、あの奇妙な宇佐美くんの毒気にすっかり慣れていたし、あれがないと物足りないとさえ思った。私が休暇に福岡に行くと宇佐美くんはすごく喜んだ。彼の愛情表現は、年々エスカレートしているように思う。彼は隙あらば手を繋ごうとするし、私の姿を見つけると食い入るように見つめるので、誰の目にも私達の関係はたちどころに露呈してしまうのだった。
小学校、中学校の頃なんかは、もっと控えめで今となっては可愛らしかったのに、と懐かしく思ったりもする。
宇佐美くんは卒業すると、3尉(旧日本軍でいう少尉)に昇任して戻ってきて、再び私の前に一枚の紙を取り出した。
「ナマエ、結婚しよう」
私のワンルームで、二人がけのテーブルにつくと宇佐美くんは真剣な顔で言った。私達は23歳になっていたが、その熱量は18歳だったあの時のままで、私には一瞬、まだ子供だった宇佐美くんが見えたような気がした。その時目頭が熱くなるのを感じて、私は目を伏せる。婚姻届の茶色い文字がゆらゆらと歪んだ。愛しさが心の奥から泉のように湧き出て、涙となって目から落ちて行く。宇佐美くんはゆっくり手を伸ばすと、私の頬に触れて涙を拭った。
「ナマエは僕の太陽だ。君がいない人生なんて考えられない」
私を見るまっすぐな瞳に捕まる。私はもう逃げ出せない。宇佐美くんの言う通りだった。私達はこうして、結婚したのだった。
そんな景色が浮かんでは消えていき、私は名前を呼ばれてはっと顔を上げる。宇佐美くんが、そろそろ出番だよ、と言ったのでドレスの裾に気をつけながら椅子を立った。新郎の宇佐美くんは先に入場して、私を待っている。父と腕を組んで扉が開くのを待っている時間は不思議だった。堪えるように、じっと黙っている父。私は心のなかで、ありがとう、と言った。口を開くと、なんだか泣いてしまいそうだった。やがて扉が開け放たれると、厳かなオルガンの音色が聞こえて、祭壇の後ろには向日葵がいっぱいに飾られているのが見えた。向日葵は、私をじっと見つめるように咲いている。その花々を背景にして、宇佐美くんが立っている。私はふと思い出した。向日葵の咲く季節、私のプールバッグがなくなったこと。困る私を見ていた、12歳の宇佐美くんの目。向日葵の花言葉は、あなただけを見つめる。私はこれからもこの男に見つめられ続けるのだ。病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も、死が二人を分かつまで。とんでもないひとに好かれたものだと思う。初めて会った時からちっとも変わらない瞳を見返しながら、私はそんな事を思った。
おわり
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