向日葵
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涼しく空調が効いた、白を基調とした華やかな控室で、私はウエディングドレスを着て猫脚の椅子に座っている。大きな鏡が、ヘアメイクを終えて緊張した顔の私を映している。鏡の横に置かれた花瓶には、白百合が活けられていて、甘い香りを漂わせている。繊細なレースのカーテンがかけられた窓からは、夏の陽射しが明るく見えて、私は少し目を細めた。その時 お待ちください、という係りの人の慌てた声と共にバタンと扉が開いて、タキシードを着た宇佐美くんが入ってきた。
「わあ、信じられないぐらい綺麗だよ。世界で一番素敵だ」
宇佐美くんは惜しげも無く褒めると、まだ足りないというように、私をじっと見つめた。この目を見ると、私は決まって小学生の宇佐美くんを思い出すのだ。それをきっかけに、私の記憶はするすると子供の頃へ戻っていった。
宇佐美くんと始めて出会ったのは、小学校6年生の時だった。転校生を紹介する、と先生が言って、扉をあけて入って来たのが彼だった。特に緊張した様子も見せず教壇に立つと、宇佐美時重、と黒板に白いチョークで字を書いた。大きくてなかなか達筆だったのを覚えている。彼はくるりとクラスメートの方を向くと、「宇佐美時重です。宜しく」と挨拶して、人懐っこそうな笑顔を見せた。色白で、両頬にほくろがあって、鼻筋が通っていて、富士額の坊主頭は形が良かった。そんなことを考えながら彼の顔を見ていると、ふと目が合った。私は慌てて目をそらしたけれど、宇佐美くんがこちらを凝視しているのが、何となくわかる。先生はミョウジの隣が空いてるな、と言うと、宇佐美くんに私の横へ座るように言った。上履きの足音が近づいてきて、椅子を引いて座った音がする。
「これから宜しくね、ミョウジさん」
私も彼の方を見て頷いたけれど、宇佐美くんの目はさっきみんなに向けた物とは違うように思われて、何か嫌な予感が広がった。蛇のような、抜け目ない絡みつくような視線。私が うん、と頷くと、ミョウジさんが隣でヨカッターと、にこにこしながら言う。私はさっき感じた予感から逃れるように、キャラクターが書かれた筆箱を眺めた。
宇佐美くんは、すぐにクラスに馴染んだ。誰に話しかけられても愛想がいいし、運動も得意だった。男の子達とはしゃいだり、女の子とも普通に話すような子だった。そんな様子だったので、私は最初に感じた印象はきっと勘違いだったのだろうと思うようになっていた。
そんな風にして日々は過ぎ、夏がやってきた。湿度の高い風が、教室の開けた窓から入ってきてベージュのカーテンをふんわりと揺らす。校庭の花壇には、暑さで揺らめく大気の中で、向日葵がじっとこちらを見るように咲き誇っている。次の時間は体育で、皆んなが楽しみにしているプールの授業だ。チャイムが鳴って、算数の教科書とノートを机の引き出しにしまうと着替えるためにロッカーへ向かう。カラフルなプールバッグが教室中に広がっていく中、私はドキドキと心拍数が上がる。ない。今朝ここに確かに入れたはずのプールバッグが無い。そのうち友達が声をかけてきて、大きな声で騒ぎ出した。
ナマエのプールバック、ないんだってぇ。朝持ってきてたの、私みたもん。誰かとったんじゃ無いの?
その声で、クラスメートがわらわらと集まってきて、先生もやって来る。ミョウジ、今日はとにかく見学してなさい、と言われて私は頷いた。集まって来るクラスメートの後ろの方で、小さく笑みを浮かべる宇佐美くんの視線を感じながら。
結局プールバッグは出てこず、私は後日新しいものを一式買ってプールの授業を受けた。私はあの件以来、宇佐美くんの様子を伺うようになっていたが、私が彼の方を見ると必ず目が合うのだ。どんな時でも。だんだん怖くなってきて、友達にも相談してみたが誰一人として私の懸念をまともに取り合ってくれる人はいなかった。
時重くん、優しいじゃん。足も速いし。友達も多いよねぇ。
彼はもはや、すっかり人当たりのいい児童として認知されていた。誰もあの蛇のような視線に気が付いていないのだ。私は最初に言葉を交わした時の不穏な空気が、再び胸の底に広がるのを感じた。
私は中学生になった。小学校ではずっと宇佐美くんと同じクラスだったのだが、進学によって生徒数も増え、クラスも別になったことで同じ学校ながらも顔を合わすことは少なくなった。でも移動教室ですれ違う時などは、必ず宇佐美くんは私を見ていた。小学校の頃の幼さがある身体つきから、彼の身長はぐんぐん伸びて体格も良くなったように思う。でも彼の目だけはあの時のまま、蛇のように私を見ているのだった。聞いたところによると、柔道部に所属しているそうで、先輩達を凌ぐ実力があるらしい。
中学時代には、こんなことがあった。
進学して月日が経ち、冬休み明けの放課後。私は寒い教室の中で、マフラーをまき、ブランケットを膝にかけて友達とお喋りをしていた。
「ナマエは、バレンタインどうするの?」
私は、佐藤くんにあげるんだ、私は田中先輩。私はね……と女の子たちの口から次々と名前が飛び出す。ナマエは?と促されて、私は少し考えてから口を開いた。
「うーん、鈴木くんかな」
鈴木くんは、ちょっとかっこいいし、面白いし、勉強も運動もできる。チョコを渡したいっていう女の子が、たくさんいそうな男の子。好きではなかったけれど、彼女達に話を合わせたくて言ってしまった。みんなは納得したように頷くと、チョコ作り頑張ろうね、ラッピング見に行こうねと盛り上がっている。その時私はなんとなく気配を感じて廊下の方を見ると、誰かが教室の前から立ち去っていくのが見えた。誰だったのか気になったが、友達に ナマエ、と呼ばれておしゃべりに戻った。
バレンタイン当日がやって来た。私は机の中にラッピングしたチョコレートを入れていた。板チョコを溶かしてハート形のカップに流しただけの、簡単なものだ。カラースプレーや銀やピンクの粒が細かいアラザンが乗った、いかにもという感じの安っぽいチョコレート。鈴木くんは校門の近くで、いろんな女の子からチョコを貰っているとの事だったので、私もそれに混ざってささっと渡してこようと思い、誰もいない教室の机の中に手を入れる。
「ん……」
なんだか変な感触。持ってきたチョコを取り出して、私はぞっとした。粉々に砕け散ったチョコレート。まるでなんども踏み潰したような、無残な姿になっていた。それを手のひらに乗せて絶句していると、誰かが入って来る気配がする。
「ミョウジ、何してんの?」
「宇佐美くん。……なんでもない」
入って来たのは学ランを来た宇佐美くんだった。私は咄嗟にチョコレートを隠したが、彼の目には見えていたようで、つかつかと歩み寄って来る。
「うわぁ〜ひどいね。鈴木にあげるつもりだったんだよね。残念だねぇ」
「…別に。本当に好きなわけじゃなかったから」
「え?そうなの?……なーんだ」
彼は小さく、ヨカッタ、と呟いたように思う。小さくてはっきりとは聞き取れなかったけれど。
「じゃあ、そんなのもう捨てちゃいなよ。食べられないだろ」
宇佐美くんはそう言うと、なんだか晴れやかな様子で私の手から包みを取り上げて、ゴミ箱に放り込んだ。どうして宇佐美くんは、私が鈴木くんにチョコレートをあげようとしていたのを知っているのだろう。
「わあ、信じられないぐらい綺麗だよ。世界で一番素敵だ」
宇佐美くんは惜しげも無く褒めると、まだ足りないというように、私をじっと見つめた。この目を見ると、私は決まって小学生の宇佐美くんを思い出すのだ。それをきっかけに、私の記憶はするすると子供の頃へ戻っていった。
宇佐美くんと始めて出会ったのは、小学校6年生の時だった。転校生を紹介する、と先生が言って、扉をあけて入って来たのが彼だった。特に緊張した様子も見せず教壇に立つと、宇佐美時重、と黒板に白いチョークで字を書いた。大きくてなかなか達筆だったのを覚えている。彼はくるりとクラスメートの方を向くと、「宇佐美時重です。宜しく」と挨拶して、人懐っこそうな笑顔を見せた。色白で、両頬にほくろがあって、鼻筋が通っていて、富士額の坊主頭は形が良かった。そんなことを考えながら彼の顔を見ていると、ふと目が合った。私は慌てて目をそらしたけれど、宇佐美くんがこちらを凝視しているのが、何となくわかる。先生はミョウジの隣が空いてるな、と言うと、宇佐美くんに私の横へ座るように言った。上履きの足音が近づいてきて、椅子を引いて座った音がする。
「これから宜しくね、ミョウジさん」
私も彼の方を見て頷いたけれど、宇佐美くんの目はさっきみんなに向けた物とは違うように思われて、何か嫌な予感が広がった。蛇のような、抜け目ない絡みつくような視線。私が うん、と頷くと、ミョウジさんが隣でヨカッターと、にこにこしながら言う。私はさっき感じた予感から逃れるように、キャラクターが書かれた筆箱を眺めた。
宇佐美くんは、すぐにクラスに馴染んだ。誰に話しかけられても愛想がいいし、運動も得意だった。男の子達とはしゃいだり、女の子とも普通に話すような子だった。そんな様子だったので、私は最初に感じた印象はきっと勘違いだったのだろうと思うようになっていた。
そんな風にして日々は過ぎ、夏がやってきた。湿度の高い風が、教室の開けた窓から入ってきてベージュのカーテンをふんわりと揺らす。校庭の花壇には、暑さで揺らめく大気の中で、向日葵がじっとこちらを見るように咲き誇っている。次の時間は体育で、皆んなが楽しみにしているプールの授業だ。チャイムが鳴って、算数の教科書とノートを机の引き出しにしまうと着替えるためにロッカーへ向かう。カラフルなプールバッグが教室中に広がっていく中、私はドキドキと心拍数が上がる。ない。今朝ここに確かに入れたはずのプールバッグが無い。そのうち友達が声をかけてきて、大きな声で騒ぎ出した。
ナマエのプールバック、ないんだってぇ。朝持ってきてたの、私みたもん。誰かとったんじゃ無いの?
その声で、クラスメートがわらわらと集まってきて、先生もやって来る。ミョウジ、今日はとにかく見学してなさい、と言われて私は頷いた。集まって来るクラスメートの後ろの方で、小さく笑みを浮かべる宇佐美くんの視線を感じながら。
結局プールバッグは出てこず、私は後日新しいものを一式買ってプールの授業を受けた。私はあの件以来、宇佐美くんの様子を伺うようになっていたが、私が彼の方を見ると必ず目が合うのだ。どんな時でも。だんだん怖くなってきて、友達にも相談してみたが誰一人として私の懸念をまともに取り合ってくれる人はいなかった。
時重くん、優しいじゃん。足も速いし。友達も多いよねぇ。
彼はもはや、すっかり人当たりのいい児童として認知されていた。誰もあの蛇のような視線に気が付いていないのだ。私は最初に言葉を交わした時の不穏な空気が、再び胸の底に広がるのを感じた。
私は中学生になった。小学校ではずっと宇佐美くんと同じクラスだったのだが、進学によって生徒数も増え、クラスも別になったことで同じ学校ながらも顔を合わすことは少なくなった。でも移動教室ですれ違う時などは、必ず宇佐美くんは私を見ていた。小学校の頃の幼さがある身体つきから、彼の身長はぐんぐん伸びて体格も良くなったように思う。でも彼の目だけはあの時のまま、蛇のように私を見ているのだった。聞いたところによると、柔道部に所属しているそうで、先輩達を凌ぐ実力があるらしい。
中学時代には、こんなことがあった。
進学して月日が経ち、冬休み明けの放課後。私は寒い教室の中で、マフラーをまき、ブランケットを膝にかけて友達とお喋りをしていた。
「ナマエは、バレンタインどうするの?」
私は、佐藤くんにあげるんだ、私は田中先輩。私はね……と女の子たちの口から次々と名前が飛び出す。ナマエは?と促されて、私は少し考えてから口を開いた。
「うーん、鈴木くんかな」
鈴木くんは、ちょっとかっこいいし、面白いし、勉強も運動もできる。チョコを渡したいっていう女の子が、たくさんいそうな男の子。好きではなかったけれど、彼女達に話を合わせたくて言ってしまった。みんなは納得したように頷くと、チョコ作り頑張ろうね、ラッピング見に行こうねと盛り上がっている。その時私はなんとなく気配を感じて廊下の方を見ると、誰かが教室の前から立ち去っていくのが見えた。誰だったのか気になったが、友達に ナマエ、と呼ばれておしゃべりに戻った。
バレンタイン当日がやって来た。私は机の中にラッピングしたチョコレートを入れていた。板チョコを溶かしてハート形のカップに流しただけの、簡単なものだ。カラースプレーや銀やピンクの粒が細かいアラザンが乗った、いかにもという感じの安っぽいチョコレート。鈴木くんは校門の近くで、いろんな女の子からチョコを貰っているとの事だったので、私もそれに混ざってささっと渡してこようと思い、誰もいない教室の机の中に手を入れる。
「ん……」
なんだか変な感触。持ってきたチョコを取り出して、私はぞっとした。粉々に砕け散ったチョコレート。まるでなんども踏み潰したような、無残な姿になっていた。それを手のひらに乗せて絶句していると、誰かが入って来る気配がする。
「ミョウジ、何してんの?」
「宇佐美くん。……なんでもない」
入って来たのは学ランを来た宇佐美くんだった。私は咄嗟にチョコレートを隠したが、彼の目には見えていたようで、つかつかと歩み寄って来る。
「うわぁ〜ひどいね。鈴木にあげるつもりだったんだよね。残念だねぇ」
「…別に。本当に好きなわけじゃなかったから」
「え?そうなの?……なーんだ」
彼は小さく、ヨカッタ、と呟いたように思う。小さくてはっきりとは聞き取れなかったけれど。
「じゃあ、そんなのもう捨てちゃいなよ。食べられないだろ」
宇佐美くんはそう言うと、なんだか晴れやかな様子で私の手から包みを取り上げて、ゴミ箱に放り込んだ。どうして宇佐美くんは、私が鈴木くんにチョコレートをあげようとしていたのを知っているのだろう。
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