灼熱
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話して下さったのは、故郷の村でのお話でした。
御家族が皆んな結核に倒れ、村八分の状態になって故郷から出てきたこと。
そして、ずっと想いを寄せていたひとの亊。
その方は結婚なさっていて、もう終わった話だと仰いましたけれど、彼がそのひとを大切に想っていることは直ぐに分かりました。
そのひとの亊を話す杉元さんの目には、優しい光と切なさが宿っているのが見えましたから。
「俺はまだ……情けないけど、その人を思い返すこともあるんだ。こんな男を、待ってたらいけないよ。君だって、そろそろ縁談がくる歳だろう?御両親の勧めに従った方がいい」
私は胸を突かれたような気持ちでした。
様々な感情が込み上げてきて、淚が溢れそうになりました。
杉元さんが遠慮がちに私へ腕を伸ばそうとしましたが、躊躇して手が空中で止まったのが見えました。
「それでもいい、それでもいいですから……私は貴方を待ちたいのです。ですから…」
お願い、と言おうとした時でした。
唇に柔らかな感触を感じて、私は呼吸を忘れました。
「…ありがとう」
杉元さんはそれだけ言うと、再び私の唇を塞ぎました。
私は産まれて初めて味わう幸福に、心が打ち震えました。
女としての歓びが全身を駆け巡るのを感じて、息が詰まりそうなほどでした。
♢
次の日、佐一さんは第一師団歩兵聯隊へ入営されました。
私は兵営の前までお見送りに行きました。
私と同じように、入営する家族や知り合い、友人を見送る人が大勢集まっていて、あちこちから 万歳、万歳と聞こえてきます。
「行ってくる。見送りありがとう」
佐一さんはそれだけ言うと、あのひなたのような笑顔を向けてから、振り返らずに兵営へ入って行きました。
それから幾らもたたない二月十日、宣戦布告が行われ日露戦争が勃発しました。
佐一さんから出征を知らせる電報が届いた時には、開戦に沸く世の中とは裏腹に、指が震えました。
国家存亡をかけ、大国露西亞とあのひとは戦うのです。
あんなに優しく笑うあのひとが、戦わなくてはならないのです。
私は電報をそっと胸に抱くと、佐一さんの武運長久を、心から願いました。
出征の日に合わせて列車のホームへ行ってみますと、出征兵士を見送りに来た人で大変な混雜となっておりました。
やがて兵隊さん達を乗せた出征列車がホームに入って来まして、静かに停車してから私はなんとか列車に近付きますと、佐一さんの姿を探しました。
「佐一さん!」
すると一人の兵隊さんが、窓から身を乗り出します。
紛れもなく佐一さんで、彼の瞳が私を見つけたのがわかりました。
「どうか、ご無事で……行ってらっしゃい」
混雜でそれしか声はかけられませんでしたが、佐一さんが うん、と頷いたのが見えました。
「俺は不死身だから大丈夫。行ってくるよ」
ナマエさんも元気で、と彼が言った時、列車が動き始めました。
数えられない程の日章旗がはためき、万歳、万歳と幾人もの声がこだまします。
私は列車が見えなくなっても、しばらくホームに立ち尽くしておりました。
♢
日本軍の快進撃は続き、新聞や雜誌は盛に日露戦争の戦局を伝えます。
旅順砲撃続報、敵艦来襲、陸軍の南関嶺占領、など、新聞には大きな見出しが目を引き、號外も多く配られました。
日本軍は勝利を重ねていましたが、戦争が長引くにつれて、内地へ戻された負傷兵や戦死した将校さん、兵隊さんのお葬式を出す姿が目立つようになりました。
旅順総攻撃の報を聞いた時には、ただ祈る事しかできない我が身を歯痒く思い、少しでも兵隊さん達のお力になれたらと、慰問袋に手紙や日用品などを心を込めて詰めて送りました。
佐一さんから、たまに手紙が届くこともありました。
それには、寒さが厳しくおにぎりさえも凍ってしまう亊、銃弾が雨霰のように降ってくること、白襷隊に志願して辛うじて生き残った亊などがしたためてあり、その過酷な状況を心配しつつも、命が無事なことには安堵しました。
そして年が明けて直ぐの明治三十八年一月二日、悲願であった旅順陥落の報で国中が沸き返りましたが、犠牲は余りにも大きく、家族を失った方々の悲しみは例えようもありません。
佐一さんからの手紙には、これから奉天へ向かう旨が書いてありました。
私は去年に発表された、君死にたまふことなかれ、という詩を思い返しました。
君死にたまふことなかれ、旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ。
__どうか死なないで下さい、旅順の城が陥落するかしないかなんてどうでもいいのです。
この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのむべき、君死にたまふことなかれ。
__この世であなた一人ではないのです。ああ、誰にお願いしたらいいのでしょう。どうか死なないで下さい。
御家族が皆んな結核に倒れ、村八分の状態になって故郷から出てきたこと。
そして、ずっと想いを寄せていたひとの亊。
その方は結婚なさっていて、もう終わった話だと仰いましたけれど、彼がそのひとを大切に想っていることは直ぐに分かりました。
そのひとの亊を話す杉元さんの目には、優しい光と切なさが宿っているのが見えましたから。
「俺はまだ……情けないけど、その人を思い返すこともあるんだ。こんな男を、待ってたらいけないよ。君だって、そろそろ縁談がくる歳だろう?御両親の勧めに従った方がいい」
私は胸を突かれたような気持ちでした。
様々な感情が込み上げてきて、淚が溢れそうになりました。
杉元さんが遠慮がちに私へ腕を伸ばそうとしましたが、躊躇して手が空中で止まったのが見えました。
「それでもいい、それでもいいですから……私は貴方を待ちたいのです。ですから…」
お願い、と言おうとした時でした。
唇に柔らかな感触を感じて、私は呼吸を忘れました。
「…ありがとう」
杉元さんはそれだけ言うと、再び私の唇を塞ぎました。
私は産まれて初めて味わう幸福に、心が打ち震えました。
女としての歓びが全身を駆け巡るのを感じて、息が詰まりそうなほどでした。
♢
次の日、佐一さんは第一師団歩兵聯隊へ入営されました。
私は兵営の前までお見送りに行きました。
私と同じように、入営する家族や知り合い、友人を見送る人が大勢集まっていて、あちこちから 万歳、万歳と聞こえてきます。
「行ってくる。見送りありがとう」
佐一さんはそれだけ言うと、あのひなたのような笑顔を向けてから、振り返らずに兵営へ入って行きました。
それから幾らもたたない二月十日、宣戦布告が行われ日露戦争が勃発しました。
佐一さんから出征を知らせる電報が届いた時には、開戦に沸く世の中とは裏腹に、指が震えました。
国家存亡をかけ、大国露西亞とあのひとは戦うのです。
あんなに優しく笑うあのひとが、戦わなくてはならないのです。
私は電報をそっと胸に抱くと、佐一さんの武運長久を、心から願いました。
出征の日に合わせて列車のホームへ行ってみますと、出征兵士を見送りに来た人で大変な混雜となっておりました。
やがて兵隊さん達を乗せた出征列車がホームに入って来まして、静かに停車してから私はなんとか列車に近付きますと、佐一さんの姿を探しました。
「佐一さん!」
すると一人の兵隊さんが、窓から身を乗り出します。
紛れもなく佐一さんで、彼の瞳が私を見つけたのがわかりました。
「どうか、ご無事で……行ってらっしゃい」
混雜でそれしか声はかけられませんでしたが、佐一さんが うん、と頷いたのが見えました。
「俺は不死身だから大丈夫。行ってくるよ」
ナマエさんも元気で、と彼が言った時、列車が動き始めました。
数えられない程の日章旗がはためき、万歳、万歳と幾人もの声がこだまします。
私は列車が見えなくなっても、しばらくホームに立ち尽くしておりました。
♢
日本軍の快進撃は続き、新聞や雜誌は盛に日露戦争の戦局を伝えます。
旅順砲撃続報、敵艦来襲、陸軍の南関嶺占領、など、新聞には大きな見出しが目を引き、號外も多く配られました。
日本軍は勝利を重ねていましたが、戦争が長引くにつれて、内地へ戻された負傷兵や戦死した将校さん、兵隊さんのお葬式を出す姿が目立つようになりました。
旅順総攻撃の報を聞いた時には、ただ祈る事しかできない我が身を歯痒く思い、少しでも兵隊さん達のお力になれたらと、慰問袋に手紙や日用品などを心を込めて詰めて送りました。
佐一さんから、たまに手紙が届くこともありました。
それには、寒さが厳しくおにぎりさえも凍ってしまう亊、銃弾が雨霰のように降ってくること、白襷隊に志願して辛うじて生き残った亊などがしたためてあり、その過酷な状況を心配しつつも、命が無事なことには安堵しました。
そして年が明けて直ぐの明治三十八年一月二日、悲願であった旅順陥落の報で国中が沸き返りましたが、犠牲は余りにも大きく、家族を失った方々の悲しみは例えようもありません。
佐一さんからの手紙には、これから奉天へ向かう旨が書いてありました。
私は去年に発表された、君死にたまふことなかれ、という詩を思い返しました。
君死にたまふことなかれ、旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ。
__どうか死なないで下さい、旅順の城が陥落するかしないかなんてどうでもいいのです。
この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのむべき、君死にたまふことなかれ。
__この世であなた一人ではないのです。ああ、誰にお願いしたらいいのでしょう。どうか死なないで下さい。