第19章
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鯉登少尉は出立準備の最中、ナマエのもとを訪ねた。鶴見中尉と離れ離れになるのはもちろん辛いが、たまに見かけては密かに想っているナマエに会えなくなることも辛かった。鶴見中尉は網走監獄の方で忙しくしていて、ナマエは再び大怪我をした二階堂の世話のため、病院にいると聞いたので彼は病室を訪ねた。
「ナマエさん」
二階堂を何やらなだめていたらしいナマエは顔を上げると彼を見る。
「鯉登さん、どうなさったのですか。生憎、食べ物は無いのですが……」
「私は食べ物欲しさにナマエさんを訪ねているわけではないのですよ。……少し外の空気でも吸いませんか。ずっと二階堂にかかりきりと聞いておりますから」
「…では、少し」
ナマエはそう言うと、二階堂に ちょっと出てきますね、と声をかけた。彼は痩せた顔でわずかに頷くと、ばっと布団を被ってしまう。そんな彼を残して、二人は病院を出るとあてもなくぶらぶらと散歩した。
「準備は順調ですか。きっと、樺太は寒いのでしょうね」
「ええ、行李がいくつあっても足りません。必要最小限に留めていますが、月島が口煩いもので」
そう言うと、ナマエは ふふふ、と笑った。その細まる目元に、鯉登少尉の胸は高鳴る。
ああ、どんなに寒くとも、貴女が隣にいたら温かいでしょう。私の心中は、こんなにも熱く焔が燃え盛っているのですから。
「……ところで、その着物はやはりお似合いですね。思った通りだ」
鯉登少尉はナマエの着物をちらりと見てから言った。旭川で選んだその反物は彼女によく似合っていて、着てくれていることが単純に嬉しかった。
「恐れ入ります、鯉登さんが選んでくださったから……あの気球の事件は驚きましたけれど、鯉登さんはとても勇敢で怖さも飛んでいってしまったのを思い出します」
そう言うとナマエは言葉を切り、鯉登少尉を見上げた。真っ直ぐに見つめられ、心臓がどくどくと脈打ち始めるのを感じる。
「……二階堂さんも今回、また大怪我をされていました。樺太は更に危険な旅になるのだと思います。どうか、ご無事で帰ってきてくださいね」
鯉登少尉は はい、と頷くのが精一杯だった。ナマエの言葉で、身体中の力が生き生きと漲るような気がする。これをもってすれば、何でも出来るような気がしてくる。
「必ずや、良い結果を残して帰って参ります。安心して待っていて下さい」
はい、とナマエが返事をした時、鯉登少尉殿、と呼びかけられて二人は声の方を向いた。月島軍曹が、真面目な顔で二人を見ている。
「鯉登少尉殿、準備はまだ終わっていないでしょう。あと行李を三つは減らして頂きますからね」
「まだ減らせと言うのか!?全て必要だ、お前は何故そんなに荷物が少ないのだ。樺太で困って私に泣きついても知らんぞ」
月島は はい、とだけ返事をすると鯉登少尉を自分の持ち場へ戻るように促した。ナマエに熱のこもった視線を送ってから、部下に連れられて帰っていく鯉登少尉の長身な後姿を見送り、ナマエも病室へと戻る。
それからしばらくして、樺太先遣隊は鯉登少将率いる雷型駆逐艦隊に乗って大泊へと向かった。鯉登少尉がいないと鶴見中尉の身辺は普段より静かになるが、現在は宇佐美上等兵がいるので少尉がいた頃とはまた違った空気感が漂っている。今日も二階堂の病室で食事を取らない彼を励ましていると、宇佐美が扉を開けて入ってきた。
「二階堂まだ食べてないんですかぁ?鶴見中尉殿が心配なさるから、ちゃっちゃと食べさせて下さいよ」
そう言いながら、彼は近くにあった椅子にどさりと腰を下ろす。どうも宇佐美には嫌われているらしい。ナマエは苦笑すると、ベッドに横たわる二階堂を見遣った。可哀想に右手を失い、食事も摂らないので近頃は痩せ細っていくばかりだ。昨日スプーンを使って口元へ料理を運んでみたが、食欲がわかないようでぷいとそっぽを向かれてしまった。
「宇佐美さんからも何か言って下さいますか。二階堂さん、ずっと食べていないんですよ」
「らしいね。おい二階堂、鶴見中尉殿も気にされているぞ。……まさかお前、そうやって鶴見中尉殿の気を引こうとしてるんじゃないだろうな!?」
そう言う声かけじゃなくて……とナマエが宇佐美の嫉妬の色が浮かぶ横顔を見ながら思っていると、廊下から軍靴の足音が聞こえてきた。宇佐美は素早く椅子から立ち上がると現れた鶴見中尉に近寄り、ナマエの方を見て勝ち誇ったような顔をする。
「食事を全然摂らんそうだな。駄目じゃないか二階堂」
「杉元が死んだと聞かされて以来抜け殻のようなのです。ずっと布団をかぶって出てきません」
「そうか…… ナマエも根気よくやってくれているようだが……ほらほら二階堂」
鶴見中尉はそう言うと、軍服の物入れからお馴染みの薄青い瓶を取り出してコンコンと指差す。
「出ておいで二階堂。ちゃんと食べたらご褒美に莫爾比涅をやるぞ」
右腕が吹っ飛ばされてます、と耳打ちされ、鶴見中尉は宇佐美にフォークを持ってこさせて二階堂を説得する。彼はげっそりした顔を布団から少し出すと、そろりそろりと出てきたのでナマエは思わず笑顔になると鶴見中尉を見遣った。彼も うん、と頷いて見せたが、突如 鶴見くんッという大声が割り込んできて二階堂は再び布団に潜ってしまった。鶴見中尉は ああん、と残念そうだ。
「二階堂くんに贈り物があるよッ!!新しい手だよッ」
「これはこれは有坂閣下!二階堂見てみろ、素晴らしい手じゃないか!!閣下、これはただの義手ではないのですよね?」
宇佐美が 見てる見てる、と言う通り、二階堂は興味関心で義手を見ている。ナマエもどんな仕掛けがあるのかと期待しながら有坂閣下の手元を見つめた。
「お箸入れになっておるッ」
中指からカランカランとお箸が一膳出てきて、二階堂はまた布団に入ってしまった。
♢
網走の病院には腹部を刺されたインカラマッも入院しているので、ナマエは彼女の病室も訪れていた。家永の治療によって、重症だったインカラマッも着々と健康を取り戻しつつあったが、この所はどうも顔色が悪く、今日もどことなく具合が悪そうだった。
「インカラマッさん、お加減はいかがですか」
「はい、随分楽になりました」
しかし彼女はにわかに顔を顰めると、入墨が施された唇へ指先を添えた。ナマエは咄嗟に近くにあったタライを手に取ったが、彼女は何とか堪える。その様子にひらめくものがあって、ナマエはゆっくりと口を開く。
「……あの、間違っていたらごめんなさい。おめでたですか」
遠慮がちに問いかけると、少しの沈黙の後にインカラマッは頷いて答える。ナマエは他人のことながら喜びが湧いてきて、思わず まあ!と言ってぽんと手を叩く。
「お父様は谷垣さんですよね。ああ、もう少し早く分かっていたらお知らせ出来たのに」
「そうですね。でも……この子と、彼の帰りを待ちます」
そう言って微笑んだインカラマッの顔は、今まで見たことがないほど優しい表情で、ナマエも自然と頬が緩む。力になりたいという気持ちが湧いて出て、食べたいものや体の不調などを尋ねては、明日お見舞いの品を考えるのだった。その夜に宿へ戻ってきた鶴見中尉にもインカラマッが懐妊した事を話すと、彼は そうか、とだけ言った。黒い瞳の奥には何の感情も見られない。しかしその後に、柔らかい表情を作ってから口を開いた。
「それはめでたいな。家永は見た目はああだが男だ、同じ婦人のナマエの方が気がつく事もあるだろう。谷垣が戻るまで側にいてやりなさい」
ナマエは はい、と答えたが、夫の真意を図る事は出来ない。でもそれでいい、このひとが選んだ事ならば。このひとが望む事ならば。
その後、二階堂は有坂閣下の義手の効果もあって少しずつ食事をとるようになり、体力も回復して行った。杉元は実は生きているのだが、鶴見中尉はそれを伏せているのでナマエはこの件について何も言うことはできない。ただ、この身体ではあの不死身の男を斃すのはもう困難と思われるし、彼の心が復讐から解放されて少しでも楽になることを願うばかりである。鶴見中尉は各方面への根回し等、網走監獄の後片付けが忙しい様子だったが、今日は少し早く戻ってきたので二人で夕食をとり、ベッドに入った所だった。最初は慣れなかったこの寝具でも、小樽を発ってしばらく経つ今は普段通り体を休めることが出来るようになった。
「毎日遅くまでお疲れ様です。今日はゆっくり休んで下さいね」
「そうだな。ナマエ、ちょっと遠いぞ。こっちに来なさい」
二人は洋燈を消した部屋の中、それぞれのベッドの中に入っていた。鶴見中尉は自分が入っている掛け布団を少し持ち上げて見せながらそう言うので、ナマエはベッドから出ると彼の隣へ潜り込む。
「こうして眠るのは久しぶりだな。やはりこれが一番落ち着くよ」
彼はナマエを腕に包むと、うなじへ鼻先をつけて囁いた。綺麗な形の鼻骨と、ひやりとした皮膚の感触がする。やがて鶴見中尉の唇はナマエの言葉を封じて、彼の掌や肉体に、何も考えられなくされてしまう。薄暗がりの中、ナマエはもがくように背中へ手を回してしがみつく。体内を熱くさせられて、息が苦しい。そんなナマエを見下ろして、彼は口元に笑みを浮かべると朱がさしている頬を指先で撫でた。
「気持ちいいな、ナマエ……そんなに可愛い顔をして」
だがまだ足りないだろう?と囁かれ、ナマエは目を瞑って顔を背けた。すると、駄目だよ、という声と共に鶴見中尉の掌はナマエの顔を正面へ戻した。黒い瞳に見つめられて、どうしようもなく羞恥が込み上げてくる。
「よく見せて。……いい子だ」
ナマエは頭がぼうっとした。恍惚と言っても良かった。彼の掌の中にいる幸福に、どっぷりと身が沈んでいくような気がした。
「ナマエさん」
二階堂を何やらなだめていたらしいナマエは顔を上げると彼を見る。
「鯉登さん、どうなさったのですか。生憎、食べ物は無いのですが……」
「私は食べ物欲しさにナマエさんを訪ねているわけではないのですよ。……少し外の空気でも吸いませんか。ずっと二階堂にかかりきりと聞いておりますから」
「…では、少し」
ナマエはそう言うと、二階堂に ちょっと出てきますね、と声をかけた。彼は痩せた顔でわずかに頷くと、ばっと布団を被ってしまう。そんな彼を残して、二人は病院を出るとあてもなくぶらぶらと散歩した。
「準備は順調ですか。きっと、樺太は寒いのでしょうね」
「ええ、行李がいくつあっても足りません。必要最小限に留めていますが、月島が口煩いもので」
そう言うと、ナマエは ふふふ、と笑った。その細まる目元に、鯉登少尉の胸は高鳴る。
ああ、どんなに寒くとも、貴女が隣にいたら温かいでしょう。私の心中は、こんなにも熱く焔が燃え盛っているのですから。
「……ところで、その着物はやはりお似合いですね。思った通りだ」
鯉登少尉はナマエの着物をちらりと見てから言った。旭川で選んだその反物は彼女によく似合っていて、着てくれていることが単純に嬉しかった。
「恐れ入ります、鯉登さんが選んでくださったから……あの気球の事件は驚きましたけれど、鯉登さんはとても勇敢で怖さも飛んでいってしまったのを思い出します」
そう言うとナマエは言葉を切り、鯉登少尉を見上げた。真っ直ぐに見つめられ、心臓がどくどくと脈打ち始めるのを感じる。
「……二階堂さんも今回、また大怪我をされていました。樺太は更に危険な旅になるのだと思います。どうか、ご無事で帰ってきてくださいね」
鯉登少尉は はい、と頷くのが精一杯だった。ナマエの言葉で、身体中の力が生き生きと漲るような気がする。これをもってすれば、何でも出来るような気がしてくる。
「必ずや、良い結果を残して帰って参ります。安心して待っていて下さい」
はい、とナマエが返事をした時、鯉登少尉殿、と呼びかけられて二人は声の方を向いた。月島軍曹が、真面目な顔で二人を見ている。
「鯉登少尉殿、準備はまだ終わっていないでしょう。あと行李を三つは減らして頂きますからね」
「まだ減らせと言うのか!?全て必要だ、お前は何故そんなに荷物が少ないのだ。樺太で困って私に泣きついても知らんぞ」
月島は はい、とだけ返事をすると鯉登少尉を自分の持ち場へ戻るように促した。ナマエに熱のこもった視線を送ってから、部下に連れられて帰っていく鯉登少尉の長身な後姿を見送り、ナマエも病室へと戻る。
それからしばらくして、樺太先遣隊は鯉登少将率いる雷型駆逐艦隊に乗って大泊へと向かった。鯉登少尉がいないと鶴見中尉の身辺は普段より静かになるが、現在は宇佐美上等兵がいるので少尉がいた頃とはまた違った空気感が漂っている。今日も二階堂の病室で食事を取らない彼を励ましていると、宇佐美が扉を開けて入ってきた。
「二階堂まだ食べてないんですかぁ?鶴見中尉殿が心配なさるから、ちゃっちゃと食べさせて下さいよ」
そう言いながら、彼は近くにあった椅子にどさりと腰を下ろす。どうも宇佐美には嫌われているらしい。ナマエは苦笑すると、ベッドに横たわる二階堂を見遣った。可哀想に右手を失い、食事も摂らないので近頃は痩せ細っていくばかりだ。昨日スプーンを使って口元へ料理を運んでみたが、食欲がわかないようでぷいとそっぽを向かれてしまった。
「宇佐美さんからも何か言って下さいますか。二階堂さん、ずっと食べていないんですよ」
「らしいね。おい二階堂、鶴見中尉殿も気にされているぞ。……まさかお前、そうやって鶴見中尉殿の気を引こうとしてるんじゃないだろうな!?」
そう言う声かけじゃなくて……とナマエが宇佐美の嫉妬の色が浮かぶ横顔を見ながら思っていると、廊下から軍靴の足音が聞こえてきた。宇佐美は素早く椅子から立ち上がると現れた鶴見中尉に近寄り、ナマエの方を見て勝ち誇ったような顔をする。
「食事を全然摂らんそうだな。駄目じゃないか二階堂」
「杉元が死んだと聞かされて以来抜け殻のようなのです。ずっと布団をかぶって出てきません」
「そうか…… ナマエも根気よくやってくれているようだが……ほらほら二階堂」
鶴見中尉はそう言うと、軍服の物入れからお馴染みの薄青い瓶を取り出してコンコンと指差す。
「出ておいで二階堂。ちゃんと食べたらご褒美に莫爾比涅をやるぞ」
右腕が吹っ飛ばされてます、と耳打ちされ、鶴見中尉は宇佐美にフォークを持ってこさせて二階堂を説得する。彼はげっそりした顔を布団から少し出すと、そろりそろりと出てきたのでナマエは思わず笑顔になると鶴見中尉を見遣った。彼も うん、と頷いて見せたが、突如 鶴見くんッという大声が割り込んできて二階堂は再び布団に潜ってしまった。鶴見中尉は ああん、と残念そうだ。
「二階堂くんに贈り物があるよッ!!新しい手だよッ」
「これはこれは有坂閣下!二階堂見てみろ、素晴らしい手じゃないか!!閣下、これはただの義手ではないのですよね?」
宇佐美が 見てる見てる、と言う通り、二階堂は興味関心で義手を見ている。ナマエもどんな仕掛けがあるのかと期待しながら有坂閣下の手元を見つめた。
「お箸入れになっておるッ」
中指からカランカランとお箸が一膳出てきて、二階堂はまた布団に入ってしまった。
♢
網走の病院には腹部を刺されたインカラマッも入院しているので、ナマエは彼女の病室も訪れていた。家永の治療によって、重症だったインカラマッも着々と健康を取り戻しつつあったが、この所はどうも顔色が悪く、今日もどことなく具合が悪そうだった。
「インカラマッさん、お加減はいかがですか」
「はい、随分楽になりました」
しかし彼女はにわかに顔を顰めると、入墨が施された唇へ指先を添えた。ナマエは咄嗟に近くにあったタライを手に取ったが、彼女は何とか堪える。その様子にひらめくものがあって、ナマエはゆっくりと口を開く。
「……あの、間違っていたらごめんなさい。おめでたですか」
遠慮がちに問いかけると、少しの沈黙の後にインカラマッは頷いて答える。ナマエは他人のことながら喜びが湧いてきて、思わず まあ!と言ってぽんと手を叩く。
「お父様は谷垣さんですよね。ああ、もう少し早く分かっていたらお知らせ出来たのに」
「そうですね。でも……この子と、彼の帰りを待ちます」
そう言って微笑んだインカラマッの顔は、今まで見たことがないほど優しい表情で、ナマエも自然と頬が緩む。力になりたいという気持ちが湧いて出て、食べたいものや体の不調などを尋ねては、明日お見舞いの品を考えるのだった。その夜に宿へ戻ってきた鶴見中尉にもインカラマッが懐妊した事を話すと、彼は そうか、とだけ言った。黒い瞳の奥には何の感情も見られない。しかしその後に、柔らかい表情を作ってから口を開いた。
「それはめでたいな。家永は見た目はああだが男だ、同じ婦人のナマエの方が気がつく事もあるだろう。谷垣が戻るまで側にいてやりなさい」
ナマエは はい、と答えたが、夫の真意を図る事は出来ない。でもそれでいい、このひとが選んだ事ならば。このひとが望む事ならば。
その後、二階堂は有坂閣下の義手の効果もあって少しずつ食事をとるようになり、体力も回復して行った。杉元は実は生きているのだが、鶴見中尉はそれを伏せているのでナマエはこの件について何も言うことはできない。ただ、この身体ではあの不死身の男を斃すのはもう困難と思われるし、彼の心が復讐から解放されて少しでも楽になることを願うばかりである。鶴見中尉は各方面への根回し等、網走監獄の後片付けが忙しい様子だったが、今日は少し早く戻ってきたので二人で夕食をとり、ベッドに入った所だった。最初は慣れなかったこの寝具でも、小樽を発ってしばらく経つ今は普段通り体を休めることが出来るようになった。
「毎日遅くまでお疲れ様です。今日はゆっくり休んで下さいね」
「そうだな。ナマエ、ちょっと遠いぞ。こっちに来なさい」
二人は洋燈を消した部屋の中、それぞれのベッドの中に入っていた。鶴見中尉は自分が入っている掛け布団を少し持ち上げて見せながらそう言うので、ナマエはベッドから出ると彼の隣へ潜り込む。
「こうして眠るのは久しぶりだな。やはりこれが一番落ち着くよ」
彼はナマエを腕に包むと、うなじへ鼻先をつけて囁いた。綺麗な形の鼻骨と、ひやりとした皮膚の感触がする。やがて鶴見中尉の唇はナマエの言葉を封じて、彼の掌や肉体に、何も考えられなくされてしまう。薄暗がりの中、ナマエはもがくように背中へ手を回してしがみつく。体内を熱くさせられて、息が苦しい。そんなナマエを見下ろして、彼は口元に笑みを浮かべると朱がさしている頬を指先で撫でた。
「気持ちいいな、ナマエ……そんなに可愛い顔をして」
だがまだ足りないだろう?と囁かれ、ナマエは目を瞑って顔を背けた。すると、駄目だよ、という声と共に鶴見中尉の掌はナマエの顔を正面へ戻した。黒い瞳に見つめられて、どうしようもなく羞恥が込み上げてくる。
「よく見せて。……いい子だ」
ナマエは頭がぼうっとした。恍惚と言っても良かった。彼の掌の中にいる幸福に、どっぷりと身が沈んでいくような気がした。
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