第18章
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網走に向かうに当たり、まずは船で根室へ行くそうだ。ナマエは夫の手間を増やすのも申し訳なく、家で帰りを待った方が良いと考えていたが、鶴見中尉は首をフルフルと横に振って、それは駄目だと言う。
「君をここで一人にしておくのは心配だ。戦争にでもなって召集されない限りは、ナマエは私の手元に置きたい」
そう言って彼は優雅に微笑むと、ナマエの手を取って自らの痩せた頬にあてがった。男の肌の感触がする。数日後には発つから準備しなさい、と言われて、ナマエは荷造りを始めたのだった。夫の着替えや日用品等も、将校行李(将校用トランク)に仕舞っておく。鶴見中尉も出立に向けて準備が忙しいのだろう、慌ただしく日々は過ぎていって、二人が時間を取れたのは船上での事だった。移動中は今過ごしている個室が彼らの部屋だった。ベッドが二台と、丸テーブルに椅子が二脚置いてあり、丸い窓からは硝子越しに海がきらきらと陽の光を反射しているのが見える。二人は椅子に腰掛けて、その景色を見ていた。
「ナマエ、この所は慌ただしくて済まなかったね。網走につけば更に忙しくなるだろうが……」
そう言いながら、鶴見中尉は向かいに座っているナマエの手を撫でた。
「いいえ、お気になさらないで下さい」
そう言ったきり、ナマエは黙って手元を見つめる。鶴見中尉はその様子をじっと見つめていたが、おや、と思って口を開いた。
「ナマエ、おまえ具合が悪いんじゃないか?」
図星だった。慣れない船に揺られ、ナマエはすっかり船酔いしていた。鶴見中尉はそれを察すると、椅子から立ち上がってナマエの隣に立ち、肩に手を添えるとゆっくり立ち上がらせた。ナマエは辛そうに眉を顰める。
「動くのは嫌だろうが、ここに居ても良くならない。外へ出て風に当たろう」
そう言ってナマエの肩を抱いたまま廊下へ出ると、甲板へと続く階段を登り、重たい扉を開けば潮風と光が入ってくる。夏衣袴の白地が光を反射して眩しい。外に出ると、どこまでも広がる大海原が見えた。
鶴見中尉は 大丈夫かい、とナマエの様子を観察しながら言い、視線を前に動かすと見慣れた部下の姿を見つける。
「月島、鯉登はまた船酔いか?」
甲板の柵付近に立っている月島は機敏に振り返ると、は、と返事をする。足元には、しゃがみこむようにしている鯉登少尉の姿があった。彼はナマエ以上に具合が悪いらしく、恨めしそうに海を見つめている。ナマエも不快感に思わず口元を指で押さえた。
「奥様は……あの、お身体を冷やして宜しいのですか」
月島は言いずらそうにしながら、温めた方が良いのでは、と真顔でちぐはぐな事を言い始めたので鶴見中尉は苦笑すると彼の言葉を遮った。
「お前たまに真面目な顔で頓珍漢な事を言うな?ただの船酔いだ」
「左様でしたか」
月島は特に表情を変えずに言うと、足元でうずくまる鯉登少尉に お気を確かに、と声をかける。
「鶴見中尉殿と奥様ですよ」
鯉登少尉は弱々しく顔を上げて、手摺につかまりながら立ち上がると敬礼した。
「情けなかところをお見せしてすみもはん」
「構わん。その分お前は陸で働けばよいのだ」
そう言って鶴見中尉が微笑むと、若い将校は褐色の肌の頬を赤らめて喜んだ。そしてナマエの方へ視線を移すと、自分が贈った着物を纏って佇んでいる。海を背景にした彼女は少し顔色が悪かったけれど、それは不思議と心を惹きつけるものがあった。上官が居るのにも関わらず、邪な思いが心に満ちていきそうだったので、鯉登少尉は波打つ海原を眺める。
「ナマエ、気分はどうだい」
鶴見中尉が柔らかい声で尋ねると、ナマエは先程より少し持ち直した様子で頷いた。
「はい、お陰様で少し良くなりました」
「そのようだね。もう少し一緒に居てやりたいのだが、仕事があってね。私は船室に戻るが、ナマエはもう少し風に当たりなさい。あまり当たると今度は風邪をひくから気を付けなさい。月島、妻の面倒を頼む」
そう言うと、鶴見中尉はさり気なくナマエの頬に手を触れてから立ち去っていく。そんな彼らを乗せて、船は蒸気をあげて根室港まで進んでいった。
船から降りると、宿を手配してあるからそこで待ちなさい、と言われて向かうことになった。まだ気分の悪い鯉登少尉と、月島軍曹も付いて来る。室内へ入る前に外の空気を吸いたいそうで、三人は港で暫く海を眺めた。鯉登少尉はおもむろに将校の記念写真を取り出すと、悩ましげに眺める。
「はぁ…」
「鯉登少尉殿、まだ船酔いが治りませんか?」
彼は質問には答えず、食い入るように写真に写る鶴見中尉を見つめている。恐らく日露出征前の写真で、ナマエも横から覗き込むと怪我をする前の彼がこちらを見返していた。
「早くまた戦争が起こらないものだろうか」
「…宿へ戻りましょう。ナマエさんもお加減はいかがですか」
「はい、お陰様で……鯉登さんも、もう大丈夫なようですね」
「ええ。私は海はどうも駄目でして……海軍少将の父を持ちながら、お恥ずかしい事ですが」
そう言うと、鯉登少尉はしゅんと項垂れたのでナマエは慌てて口を開いた。
「鯉登さんはお父様譲りの立派な将校さんだと思います。剣もお強いですし」
ナマエに真剣な表情で言われ、鯉登少尉は嬉しさが隠しきれず そうですか?と喜んだ。月島はそんな若い二人に宿へ戻るよう促して、連れ立って歩き始める。ナマエの宿は鶴見中尉の小隊が宿泊している建物の程近くに建っているようで、遠目に鶴見中尉が部下に命令を出しているのが見えた。家で見せる柔らかな表情は微塵も出さず、威厳のある態度で部下に接する彼は情報将校の名に相応しかった。その姿を少し見たあと、鯉登少尉と月島の二人と別れて自分の宿へ入る。
「君をここで一人にしておくのは心配だ。戦争にでもなって召集されない限りは、ナマエは私の手元に置きたい」
そう言って彼は優雅に微笑むと、ナマエの手を取って自らの痩せた頬にあてがった。男の肌の感触がする。数日後には発つから準備しなさい、と言われて、ナマエは荷造りを始めたのだった。夫の着替えや日用品等も、将校行李(将校用トランク)に仕舞っておく。鶴見中尉も出立に向けて準備が忙しいのだろう、慌ただしく日々は過ぎていって、二人が時間を取れたのは船上での事だった。移動中は今過ごしている個室が彼らの部屋だった。ベッドが二台と、丸テーブルに椅子が二脚置いてあり、丸い窓からは硝子越しに海がきらきらと陽の光を反射しているのが見える。二人は椅子に腰掛けて、その景色を見ていた。
「ナマエ、この所は慌ただしくて済まなかったね。網走につけば更に忙しくなるだろうが……」
そう言いながら、鶴見中尉は向かいに座っているナマエの手を撫でた。
「いいえ、お気になさらないで下さい」
そう言ったきり、ナマエは黙って手元を見つめる。鶴見中尉はその様子をじっと見つめていたが、おや、と思って口を開いた。
「ナマエ、おまえ具合が悪いんじゃないか?」
図星だった。慣れない船に揺られ、ナマエはすっかり船酔いしていた。鶴見中尉はそれを察すると、椅子から立ち上がってナマエの隣に立ち、肩に手を添えるとゆっくり立ち上がらせた。ナマエは辛そうに眉を顰める。
「動くのは嫌だろうが、ここに居ても良くならない。外へ出て風に当たろう」
そう言ってナマエの肩を抱いたまま廊下へ出ると、甲板へと続く階段を登り、重たい扉を開けば潮風と光が入ってくる。夏衣袴の白地が光を反射して眩しい。外に出ると、どこまでも広がる大海原が見えた。
鶴見中尉は 大丈夫かい、とナマエの様子を観察しながら言い、視線を前に動かすと見慣れた部下の姿を見つける。
「月島、鯉登はまた船酔いか?」
甲板の柵付近に立っている月島は機敏に振り返ると、は、と返事をする。足元には、しゃがみこむようにしている鯉登少尉の姿があった。彼はナマエ以上に具合が悪いらしく、恨めしそうに海を見つめている。ナマエも不快感に思わず口元を指で押さえた。
「奥様は……あの、お身体を冷やして宜しいのですか」
月島は言いずらそうにしながら、温めた方が良いのでは、と真顔でちぐはぐな事を言い始めたので鶴見中尉は苦笑すると彼の言葉を遮った。
「お前たまに真面目な顔で頓珍漢な事を言うな?ただの船酔いだ」
「左様でしたか」
月島は特に表情を変えずに言うと、足元でうずくまる鯉登少尉に お気を確かに、と声をかける。
「鶴見中尉殿と奥様ですよ」
鯉登少尉は弱々しく顔を上げて、手摺につかまりながら立ち上がると敬礼した。
「情けなかところをお見せしてすみもはん」
「構わん。その分お前は陸で働けばよいのだ」
そう言って鶴見中尉が微笑むと、若い将校は褐色の肌の頬を赤らめて喜んだ。そしてナマエの方へ視線を移すと、自分が贈った着物を纏って佇んでいる。海を背景にした彼女は少し顔色が悪かったけれど、それは不思議と心を惹きつけるものがあった。上官が居るのにも関わらず、邪な思いが心に満ちていきそうだったので、鯉登少尉は波打つ海原を眺める。
「ナマエ、気分はどうだい」
鶴見中尉が柔らかい声で尋ねると、ナマエは先程より少し持ち直した様子で頷いた。
「はい、お陰様で少し良くなりました」
「そのようだね。もう少し一緒に居てやりたいのだが、仕事があってね。私は船室に戻るが、ナマエはもう少し風に当たりなさい。あまり当たると今度は風邪をひくから気を付けなさい。月島、妻の面倒を頼む」
そう言うと、鶴見中尉はさり気なくナマエの頬に手を触れてから立ち去っていく。そんな彼らを乗せて、船は蒸気をあげて根室港まで進んでいった。
船から降りると、宿を手配してあるからそこで待ちなさい、と言われて向かうことになった。まだ気分の悪い鯉登少尉と、月島軍曹も付いて来る。室内へ入る前に外の空気を吸いたいそうで、三人は港で暫く海を眺めた。鯉登少尉はおもむろに将校の記念写真を取り出すと、悩ましげに眺める。
「はぁ…」
「鯉登少尉殿、まだ船酔いが治りませんか?」
彼は質問には答えず、食い入るように写真に写る鶴見中尉を見つめている。恐らく日露出征前の写真で、ナマエも横から覗き込むと怪我をする前の彼がこちらを見返していた。
「早くまた戦争が起こらないものだろうか」
「…宿へ戻りましょう。ナマエさんもお加減はいかがですか」
「はい、お陰様で……鯉登さんも、もう大丈夫なようですね」
「ええ。私は海はどうも駄目でして……海軍少将の父を持ちながら、お恥ずかしい事ですが」
そう言うと、鯉登少尉はしゅんと項垂れたのでナマエは慌てて口を開いた。
「鯉登さんはお父様譲りの立派な将校さんだと思います。剣もお強いですし」
ナマエに真剣な表情で言われ、鯉登少尉は嬉しさが隠しきれず そうですか?と喜んだ。月島はそんな若い二人に宿へ戻るよう促して、連れ立って歩き始める。ナマエの宿は鶴見中尉の小隊が宿泊している建物の程近くに建っているようで、遠目に鶴見中尉が部下に命令を出しているのが見えた。家で見せる柔らかな表情は微塵も出さず、威厳のある態度で部下に接する彼は情報将校の名に相応しかった。その姿を少し見たあと、鯉登少尉と月島の二人と別れて自分の宿へ入る。