第15章
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それから程なくして、二階堂には義足が与えられた。
お見舞いに行った際に彼から聞いた話では、散弾が二発入る仕組みになっているようで、ほら見て、と義足の足の裏を見せられる。
これを杉元にくらわせてやると元気を取り戻した様子だったが、莫爾比涅は手放せないらしく、月島から小瓶を取り上げられている場面をしばしば目にした。
入院中する事もないと、余計に薬が欲しくなるだろうと、ナマエは足繁く本や菓子類を持って行ったり、故郷の静岡や洋平の話を聞いたりして過ごしたのだった。
「二階堂さん、最近はお元気になられて良かったですね」
夜、寝る前にナマエは繕い物を、鶴見中尉は読書をしている。
彼の頁を捲る指先が休まったのを見計らって、ナマエは声をかけた。
「そうだね。有坂閣下とナマエのおかげだよ」
そう言いながら読みかけの本に栞を挟んで、閉じてから座卓の上に置く。
そのまま少し離れたところで繕い物をしているナマエの側に腰を下ろすと、彼女の手元を覗き込んだ。
「綺麗な半衿だね。似合いだろうな」
「首元が明るくなって、良いかと思いまして…私には、少し派手でしょうか」
ナマエは襦袢に、華やかな刺繍が施された半衿を縫い付けているところだった。
近年は煌びやかなものが流行していて、立ち寄った呉服店で一目見て気に入って購入したのだった。
鶴見中尉の妻として、恥ずかしくない自分でありたい。
慎ましく暮らすのに慣れているナマエが、服飾品を買い求める動機はそんな女心からだった。
「何を言うんだ、君は美しいものが似合うのだから、素敵だと思うよ」
鶴見中尉はゆったりとした微笑みを向けると、ナマエの頬に軽く触れるような接吻する。
少し困ったように頬を赤らめ、目を伏せたナマエの睫毛を眺めながら、彼は口を開いた。
「ナマエは最近二階堂にかかりきりだろう。少し羽を伸ばしたらどうかな」
羽を伸ばす?と鸚鵡返しにされて、鶴見中尉は少し笑ってしまう。働き者の女だ。
「そうだよ。ナマエは妻として十分やってくれている。たまには、若い婦人らしい事もしてほしいと思っていてね」
「いいえ、至らぬ事ばかりですし……お心遣いは有難いですけれど、私は旦那さまのお側がいいので」
こう言う時のナマエは少し頑固だ。
さてどうしたものかと考えながら、鶴見中尉は彼女を見つめた。
「私はナマエに色々なものを見せたいと思っているのだが、多忙で君を旅行に連れて行ってやる事も出来ない。籠に入った鳥じゃないのだから、外で楽しい事も経験してほしいと思って居てね」
言いながら、最初ナマエは搾取の対象であったのに、自分の心は随分変化したものだと感じる。
籠に入れっぱなしにしておこうと考えていたのに、その鳥を肩に乗せて外を歩くだけでなく、自らの羽ではばたく姿もまた良しと思うようになるとは。
ナマエは夫の発言に驚いたような顔をしていたが、やがて 分かりました、と頷いた。
「いい子だ。しかしナマエ一人というのは心配だから、鯉登少尉をつけよう。旭川に行ったことはある?」
「いいえ、御座いません」
「ならば丁度良い。旭川も栄えた町だから、彼に案内してもらいなさい」
ナマエはまだ得心のいかない顔をしていたが、針を持った指を休めたまま頷いた。
♢
数日後、ナマエは一泊分の荷物を手に持つと、玄関先で 行って参ります、と言って出かけて行った。
この間の夜縫っていた半衿は思っていた通り似合いで、少し心細そうな口元と一緒に鮮やかな刺繍が眼に浮かぶ。
出かける前にナマエは箪笥の引き出しを開けると、大切そうに小箱を取り出して蓋を開ける。
出てきたのは冬の日に贈った指輪で、彼女はそれを出かける時に着けるのだ。外さなくても良いのだよ、と教えたけれど、こんなに綺麗だから勿体ない、と言って大事に仕舞っているのだった。
鶴見中尉は手を伸ばすと、指輪を取り上げた。
手を出してご覧、と言うと、ナマエは素直に左手を差し出したので、その薬指にそっと嵌る。
彼女は優しい目で手元を見ると、有難うございます、と言って微笑んだ。
ナマエは怒るだろうね、私の考えている事を知ったら。
鶴見中尉は彼女の微笑みを思い返しながら心の中で呟いた。
鯉登少尉が、ナマエに想いを寄せているのは知っていた。その上で、彼は鯉登少尉にナマエの案内役を任せたのだった。
まだ若い彼女は、これから年齢を重ねるうちに変わっていくだろう。様々な想いや考えを持つようになるだろう。
それは楽しみな事であったが、一つ絶対に叶えてやる事のできない望みがある。子供を持つ事だ。
彼は今でも鮮明に覚えている。かつてその腕に抱いた、小さく温かな命の重みを。
透き通るような瞳が自分を映したこと、紅葉のような手のひらが、人差し指を握ったこと。
その時の感動は、今も胸の奥に仕舞ってある。
オリガ、そしてフィーナ。彼女達との生活は、長谷川幸一という嘘で塗り固めていたとは言え、本物だった。
オリガを慈しむように見るフィーナの横顔や、彼女が振る舞う手料理、朗らかな笑い声。
夜泣きするオリガを交代であやしたこと。二人で飲んだ紅茶の味。あのように安らかで、愛に溢れた生活を忘れられる筈がない。
もう大切は人は作らない。そう考えていたが、ナマエというひとは、不思議と心にするりと入ってきて、彼を温めた。
彼女の優しさ、無垢な心を愛した。
この手が血に汚れていると、薄々気がつきながらもナマエは躊躇せず握った。
だからその指に、鶴見篤四郎として指輪を嵌めたのだった。
しかし、子供だけは作らないと決めている。
あのように愛しく、儚い存在を今この手に抱くことはもう出来なかった。
ナマエはいずれ、子を望むかもしれない。
そうなった時は、彼女に選択肢を与えてやるべきだと考えている。ナマエに何かしてやれるとしたら、人生での他の可能性を見せてやることだ。
そして危険な橋を渡っている以上、彼女を未亡人にしてしまう事もあるやも知れぬ。その場合、だれがナマエを守ってやれるのか。
未来の可能性の一つとして、鯉登少尉という存在は良いと思った。彼は真っ直ぐにナマエを愛し、守るだろう。
鶴見中尉はそんな事を考えながら、普段はナマエが出してくる肋骨服を自分で取り出すと、シャツの上に羽織った。
お見舞いに行った際に彼から聞いた話では、散弾が二発入る仕組みになっているようで、ほら見て、と義足の足の裏を見せられる。
これを杉元にくらわせてやると元気を取り戻した様子だったが、莫爾比涅は手放せないらしく、月島から小瓶を取り上げられている場面をしばしば目にした。
入院中する事もないと、余計に薬が欲しくなるだろうと、ナマエは足繁く本や菓子類を持って行ったり、故郷の静岡や洋平の話を聞いたりして過ごしたのだった。
「二階堂さん、最近はお元気になられて良かったですね」
夜、寝る前にナマエは繕い物を、鶴見中尉は読書をしている。
彼の頁を捲る指先が休まったのを見計らって、ナマエは声をかけた。
「そうだね。有坂閣下とナマエのおかげだよ」
そう言いながら読みかけの本に栞を挟んで、閉じてから座卓の上に置く。
そのまま少し離れたところで繕い物をしているナマエの側に腰を下ろすと、彼女の手元を覗き込んだ。
「綺麗な半衿だね。似合いだろうな」
「首元が明るくなって、良いかと思いまして…私には、少し派手でしょうか」
ナマエは襦袢に、華やかな刺繍が施された半衿を縫い付けているところだった。
近年は煌びやかなものが流行していて、立ち寄った呉服店で一目見て気に入って購入したのだった。
鶴見中尉の妻として、恥ずかしくない自分でありたい。
慎ましく暮らすのに慣れているナマエが、服飾品を買い求める動機はそんな女心からだった。
「何を言うんだ、君は美しいものが似合うのだから、素敵だと思うよ」
鶴見中尉はゆったりとした微笑みを向けると、ナマエの頬に軽く触れるような接吻する。
少し困ったように頬を赤らめ、目を伏せたナマエの睫毛を眺めながら、彼は口を開いた。
「ナマエは最近二階堂にかかりきりだろう。少し羽を伸ばしたらどうかな」
羽を伸ばす?と鸚鵡返しにされて、鶴見中尉は少し笑ってしまう。働き者の女だ。
「そうだよ。ナマエは妻として十分やってくれている。たまには、若い婦人らしい事もしてほしいと思っていてね」
「いいえ、至らぬ事ばかりですし……お心遣いは有難いですけれど、私は旦那さまのお側がいいので」
こう言う時のナマエは少し頑固だ。
さてどうしたものかと考えながら、鶴見中尉は彼女を見つめた。
「私はナマエに色々なものを見せたいと思っているのだが、多忙で君を旅行に連れて行ってやる事も出来ない。籠に入った鳥じゃないのだから、外で楽しい事も経験してほしいと思って居てね」
言いながら、最初ナマエは搾取の対象であったのに、自分の心は随分変化したものだと感じる。
籠に入れっぱなしにしておこうと考えていたのに、その鳥を肩に乗せて外を歩くだけでなく、自らの羽ではばたく姿もまた良しと思うようになるとは。
ナマエは夫の発言に驚いたような顔をしていたが、やがて 分かりました、と頷いた。
「いい子だ。しかしナマエ一人というのは心配だから、鯉登少尉をつけよう。旭川に行ったことはある?」
「いいえ、御座いません」
「ならば丁度良い。旭川も栄えた町だから、彼に案内してもらいなさい」
ナマエはまだ得心のいかない顔をしていたが、針を持った指を休めたまま頷いた。
♢
数日後、ナマエは一泊分の荷物を手に持つと、玄関先で 行って参ります、と言って出かけて行った。
この間の夜縫っていた半衿は思っていた通り似合いで、少し心細そうな口元と一緒に鮮やかな刺繍が眼に浮かぶ。
出かける前にナマエは箪笥の引き出しを開けると、大切そうに小箱を取り出して蓋を開ける。
出てきたのは冬の日に贈った指輪で、彼女はそれを出かける時に着けるのだ。外さなくても良いのだよ、と教えたけれど、こんなに綺麗だから勿体ない、と言って大事に仕舞っているのだった。
鶴見中尉は手を伸ばすと、指輪を取り上げた。
手を出してご覧、と言うと、ナマエは素直に左手を差し出したので、その薬指にそっと嵌る。
彼女は優しい目で手元を見ると、有難うございます、と言って微笑んだ。
ナマエは怒るだろうね、私の考えている事を知ったら。
鶴見中尉は彼女の微笑みを思い返しながら心の中で呟いた。
鯉登少尉が、ナマエに想いを寄せているのは知っていた。その上で、彼は鯉登少尉にナマエの案内役を任せたのだった。
まだ若い彼女は、これから年齢を重ねるうちに変わっていくだろう。様々な想いや考えを持つようになるだろう。
それは楽しみな事であったが、一つ絶対に叶えてやる事のできない望みがある。子供を持つ事だ。
彼は今でも鮮明に覚えている。かつてその腕に抱いた、小さく温かな命の重みを。
透き通るような瞳が自分を映したこと、紅葉のような手のひらが、人差し指を握ったこと。
その時の感動は、今も胸の奥に仕舞ってある。
オリガ、そしてフィーナ。彼女達との生活は、長谷川幸一という嘘で塗り固めていたとは言え、本物だった。
オリガを慈しむように見るフィーナの横顔や、彼女が振る舞う手料理、朗らかな笑い声。
夜泣きするオリガを交代であやしたこと。二人で飲んだ紅茶の味。あのように安らかで、愛に溢れた生活を忘れられる筈がない。
もう大切は人は作らない。そう考えていたが、ナマエというひとは、不思議と心にするりと入ってきて、彼を温めた。
彼女の優しさ、無垢な心を愛した。
この手が血に汚れていると、薄々気がつきながらもナマエは躊躇せず握った。
だからその指に、鶴見篤四郎として指輪を嵌めたのだった。
しかし、子供だけは作らないと決めている。
あのように愛しく、儚い存在を今この手に抱くことはもう出来なかった。
ナマエはいずれ、子を望むかもしれない。
そうなった時は、彼女に選択肢を与えてやるべきだと考えている。ナマエに何かしてやれるとしたら、人生での他の可能性を見せてやることだ。
そして危険な橋を渡っている以上、彼女を未亡人にしてしまう事もあるやも知れぬ。その場合、だれがナマエを守ってやれるのか。
未来の可能性の一つとして、鯉登少尉という存在は良いと思った。彼は真っ直ぐにナマエを愛し、守るだろう。
鶴見中尉はそんな事を考えながら、普段はナマエが出してくる肋骨服を自分で取り出すと、シャツの上に羽織った。