第13章
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二階堂が戻ってきたと聞いたのは、鰊番屋の夜から数日経ってからだった。
尾形はそのまま逃走、谷垣はどうやら足を怪我して、アイヌの村にいるそうだ。
「二階堂だがね。彼は羆に襲われて大怪我をしている。その際に左耳を失って、釣り合いが悪いから私が右耳を削いでやったんだが…」
鶴見中尉はナマエが渡した肋骨服を羽織り、釦をとめながらさらりと言った。
右耳を削ぐ。二階堂に対する制裁なのだろう、ナマエは少し動悸がするような心地だった。
「どうも元気がなくてね。洋平を杉元に殺されたのもあるだろうが、ナマエもたまに軍病院へ様子を見に行ってくれないか。君がいると華やぐからね」
彼はにこりと微笑みをナマエに向けて言う。
「そうでしょうか…お役に立てると良いのですが。杉元、というのはこの前の顔に傷があるひとですか」
鶴見中尉は うん、と返事をすると更に続けた。
「そうだ。奴はアイヌともつるんでいてね。すでに何枚か、刺青人皮を持っていると考えていいだろう」
「そうですか…手強いのでしょうね」
そう言うと、鶴見中尉は余裕のある笑みを浮かて口を開いた。
「奴らに集めさせると思えばいいさ。…さて、この話はこれくらいにしよう。可憐なきみに長々と聞かせる話ではないな」
そう言うと、彼は指先でナマエの顎に触れた。
そのままじっと彼女の顔を見つめると、きみの唇は可愛らしいね、と言ってほんの少しだけの接吻をする。
鶴見中尉はその後に出かけて行き、ナマエも二階堂のお見舞いへ行った。
尾形が元気になったと思ったら、今度は二階堂だ。
軍人や兵士というのは、本当に怪我が絶えない危険な仕事だとつくづく思う。
病室に入ると、頭を包帯でぐるぐる巻きにした二階堂が、暗い目をして一点を見つめている。
「二階堂さん、こんにちは。…お加減は…いい訳、ないですね」
ナマエはそっとベッド脇の椅子に腰を下ろすと、持っていた風呂敷を膝の上で広げた。
結び目が解けて、中から橙色の丸い果物がころりと顔を出したので、二階堂は視線をそちらへ移した。
「穴門蜜柑 (いよかん)です。本当は蜜柑を持っていきたかったのですが、季節ではなかったので…。気分だけでもと思いまして」
「鶴見中尉から、俺の好物を聞いたんですか」
二階堂がぶっきらぼうに問いかけたので、ナマエは頷いた。
「はい、お見舞いの品を選ぶのに聞きました。召し上がりますか」
二階堂はコクンと頷くと、懐から何か大事そうに取り出して口元に持って行く。
洋平、鶴見中尉の嫁さんが穴門蜜柑を持ってきてくれたよ。よかったね。と、ボソボソ囁くのが聞こえた。
よくよく見るとそれは人間の耳で、ナマエは危うく穴門蜜柑を落としそうになったが、努めて動揺を出さないようにした。
双子の片割れを失った悲しみで、彼の心は欠けてしまったのかもしれない。
それを補うために、片方の耳に話しかけているのだろうか。
ナマエは静かに穴門蜜柑の皮を剥いた。橙色の皮に爪を差し込んだ瞬間、溢れる柑橘の香りが爽やかだった。
どうぞ、と薄い皮に包まれた一切れの果肉を彼の方は差し出すと、二階堂は口を開けた。
「怪我をしていて食べられないんですよ」
ナマエは少々戸惑ったが、傷が痛むのかもしれない。
そっと彼の口に果肉を入れると、二階堂はもぐもぐと咀嚼して、うまい、と呟いた。
「良かったです。沢山食べて元気を出して下さいね」
二階堂はナマエが口元に果肉を持ってくるたびに、大人しく食べる。
時折手に持った洋平に話しかけている彼へ、最後の一切れを口元へ持って行った時、どたどたと廊下を歩く足音が響いてナマエは扉の方に視線を向ける。
なんとなく予想していたが、現れたのはやはり鯉登少尉だった。
「二階堂ッ、ナマエさんに何をさせているのだ!?自分で食えるだろッ」
離れろ離れろと言いながら、鯉登少尉はナマエの二階堂の間に割って入った。
二階堂は知らん顔で、放り込まれた果肉を咀嚼している。
「鯉登さん、こんにちは。病院ですから、もう少しお静かにした方が…」
そう言われて、恥ずかしくなったのか彼はカッと頬を赫くした。
すんもはん、と少ししょげた様子で謝ると、ナマエの隣の椅子に腰掛ける。
「鯉登さんはいつも食べ物がある時にいらっしゃいますね」
ナマエが ふふふ、と愉快そうにしながら言うので、彼は慌てて否定した。
「そげん事は……たまたまです」
でも折角ですから、と言うと、ナマエは鯉登少尉のために新しく穴門蜜柑を剥く。
彼は手際よく皮を剥いていく女の指先を眺めた。
やがて一つの果肉を切り離すと、どうぞ、と目の前に差し出した。
鯉登少尉は妙に嬉しそうな顔をしたあと、ぱかりと口を開ける。
「鯉登さんもお怪我ですか」
ナマエはそんな彼の様子が可笑しくて、笑いながら鯉登少尉の口に果肉を放り込む。
ナマエの笑顔は、やはり今日も彼の胸を打った。
このひとには鶴見中尉殿がいる。それは分かっているけれど、ならばせめて、その他大勢の男の中では一番でありたい。
鯉登少尉は口の中に瑞々しい甘酸っぱさを感じながら、そんな事を考えた。
尾形はそのまま逃走、谷垣はどうやら足を怪我して、アイヌの村にいるそうだ。
「二階堂だがね。彼は羆に襲われて大怪我をしている。その際に左耳を失って、釣り合いが悪いから私が右耳を削いでやったんだが…」
鶴見中尉はナマエが渡した肋骨服を羽織り、釦をとめながらさらりと言った。
右耳を削ぐ。二階堂に対する制裁なのだろう、ナマエは少し動悸がするような心地だった。
「どうも元気がなくてね。洋平を杉元に殺されたのもあるだろうが、ナマエもたまに軍病院へ様子を見に行ってくれないか。君がいると華やぐからね」
彼はにこりと微笑みをナマエに向けて言う。
「そうでしょうか…お役に立てると良いのですが。杉元、というのはこの前の顔に傷があるひとですか」
鶴見中尉は うん、と返事をすると更に続けた。
「そうだ。奴はアイヌともつるんでいてね。すでに何枚か、刺青人皮を持っていると考えていいだろう」
「そうですか…手強いのでしょうね」
そう言うと、鶴見中尉は余裕のある笑みを浮かて口を開いた。
「奴らに集めさせると思えばいいさ。…さて、この話はこれくらいにしよう。可憐なきみに長々と聞かせる話ではないな」
そう言うと、彼は指先でナマエの顎に触れた。
そのままじっと彼女の顔を見つめると、きみの唇は可愛らしいね、と言ってほんの少しだけの接吻をする。
鶴見中尉はその後に出かけて行き、ナマエも二階堂のお見舞いへ行った。
尾形が元気になったと思ったら、今度は二階堂だ。
軍人や兵士というのは、本当に怪我が絶えない危険な仕事だとつくづく思う。
病室に入ると、頭を包帯でぐるぐる巻きにした二階堂が、暗い目をして一点を見つめている。
「二階堂さん、こんにちは。…お加減は…いい訳、ないですね」
ナマエはそっとベッド脇の椅子に腰を下ろすと、持っていた風呂敷を膝の上で広げた。
結び目が解けて、中から橙色の丸い果物がころりと顔を出したので、二階堂は視線をそちらへ移した。
「
「鶴見中尉から、俺の好物を聞いたんですか」
二階堂がぶっきらぼうに問いかけたので、ナマエは頷いた。
「はい、お見舞いの品を選ぶのに聞きました。召し上がりますか」
二階堂はコクンと頷くと、懐から何か大事そうに取り出して口元に持って行く。
洋平、鶴見中尉の嫁さんが穴門蜜柑を持ってきてくれたよ。よかったね。と、ボソボソ囁くのが聞こえた。
よくよく見るとそれは人間の耳で、ナマエは危うく穴門蜜柑を落としそうになったが、努めて動揺を出さないようにした。
双子の片割れを失った悲しみで、彼の心は欠けてしまったのかもしれない。
それを補うために、片方の耳に話しかけているのだろうか。
ナマエは静かに穴門蜜柑の皮を剥いた。橙色の皮に爪を差し込んだ瞬間、溢れる柑橘の香りが爽やかだった。
どうぞ、と薄い皮に包まれた一切れの果肉を彼の方は差し出すと、二階堂は口を開けた。
「怪我をしていて食べられないんですよ」
ナマエは少々戸惑ったが、傷が痛むのかもしれない。
そっと彼の口に果肉を入れると、二階堂はもぐもぐと咀嚼して、うまい、と呟いた。
「良かったです。沢山食べて元気を出して下さいね」
二階堂はナマエが口元に果肉を持ってくるたびに、大人しく食べる。
時折手に持った洋平に話しかけている彼へ、最後の一切れを口元へ持って行った時、どたどたと廊下を歩く足音が響いてナマエは扉の方に視線を向ける。
なんとなく予想していたが、現れたのはやはり鯉登少尉だった。
「二階堂ッ、ナマエさんに何をさせているのだ!?自分で食えるだろッ」
離れろ離れろと言いながら、鯉登少尉はナマエの二階堂の間に割って入った。
二階堂は知らん顔で、放り込まれた果肉を咀嚼している。
「鯉登さん、こんにちは。病院ですから、もう少しお静かにした方が…」
そう言われて、恥ずかしくなったのか彼はカッと頬を赫くした。
すんもはん、と少ししょげた様子で謝ると、ナマエの隣の椅子に腰掛ける。
「鯉登さんはいつも食べ物がある時にいらっしゃいますね」
ナマエが ふふふ、と愉快そうにしながら言うので、彼は慌てて否定した。
「そげん事は……たまたまです」
でも折角ですから、と言うと、ナマエは鯉登少尉のために新しく穴門蜜柑を剥く。
彼は手際よく皮を剥いていく女の指先を眺めた。
やがて一つの果肉を切り離すと、どうぞ、と目の前に差し出した。
鯉登少尉は妙に嬉しそうな顔をしたあと、ぱかりと口を開ける。
「鯉登さんもお怪我ですか」
ナマエはそんな彼の様子が可笑しくて、笑いながら鯉登少尉の口に果肉を放り込む。
ナマエの笑顔は、やはり今日も彼の胸を打った。
このひとには鶴見中尉殿がいる。それは分かっているけれど、ならばせめて、その他大勢の男の中では一番でありたい。
鯉登少尉は口の中に瑞々しい甘酸っぱさを感じながら、そんな事を考えた。