凪に涙の波紋
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第2章:届いた手紙と狭霧山の少年
錆兎を失い、義勇から拒絶されるようになってから数年。
あさきの心を支えていたのは、育手である鱗滝左近次との定期的な文(ふみ)のやり取りだった。
右手に嵌めた錆兎の指輪にそっと触れながら手紙を開く時間は、あさきにとって傷ついた心を静かに休められる数少ない救いだった。そんなある日、届いた手紙に記されていたのは、予期せぬ知らせだった。
『義勇から紹介され、新たな弟子が狭霧山へ来た。家族を鬼に殺され、妹を鬼に変えられた炭治郎という少年だ』
手紙を読んだあさきの胸に、温かな波紋が広がる。
自分を遠ざけ、誰とも関わろうとしない義勇。けれど彼は、絶望の淵にいた見知らぬ兄妹を見捨てず、命を助け、鱗滝のもとへ導いていたのだ。
(義勇は……冷たくなってなんていない。今も、優しくて温かい心を持っているんだ……)
胸に込み上げる愛おしさに背中を押されるように、あさきは久しぶりに狭霧山へと足を運んだ。
山深く、冷涼な空気が漂う境内に到着すると、そこにはボロボロになりながらも必死に刀を振るう赤毛の少年の姿があった。手に大きな豆を作り、血を滲ませながら、大きな岩に向かって愚直に刃を振るい続ける少年——竈門炭治郎だ。
「はぁ……はぁ……ッ、もう一度……!」
「無理をしすぎたら身体を壊してしまうわ。……はい、お水」
あさきが竹筒を差し出すと、炭治郎は驚いたように顔を上げ、すぐに丁寧におじぎをした。
「あっ、ありがとうございます! あなたは……」
「あさきよ。鱗滝さんの愚弟子で、義勇……冨岡さんとは兄弟弟子にあたるの」
「冨岡さんの……!」
炭治郎の瞳が一瞬で輝いた。彼は竹筒の水で喉を潤すと、溢れんばかりの感謝をあさきに語り始めた。
「冨岡さんは、俺と妹の命の恩人なんです。あの人がいなかったら、俺も禰豆子も死んでいました。厳しくて、冷たく見えるかもしれないけれど……すごく温かい人です!」
真っ直ぐな瞳で義勇への感謝を口にする炭治郎。あさきは嬉しそうに目を細め、言葉を返した。
「ええ、本当にそうなの。義勇は昔からとても優しくてね……」
そう言って、あさきは炭治郎にせがまれるまま、かつて狭霧山で義勇や錆兎と過ごした修行の日々を語り始めた。
山くだりの罠に引っかかって泥だらけになった義勇のことや、厳しい修行のあとに三人で食べた温かいご飯のこと。口数は少ないけれど、誰よりも傷つきやすくて、誰よりも温かい人だってこと……
義勇との思い出をひとつひとつ愛おしそうに手繰り寄せながら話すあさきの顔は、眩しいほどに温かく、幸せに満ちていた。
だが——炭治郎は、その話を聞きながらふと鼻を微かにひくつかせた。
(……不思議だ)
あさきから漂ってくるのは、義勇を心から大切に想っている温かく甘い幸福の匂い。
それなのに、その匂いのすぐ奥から、胸が締め付けられるような酷く泣きたくなるほど哀しい匂いが混ざり合って漂ってくるのだ。
(あさきさんは、こんなにも幸せそうに冨岡さんの話をしているのに……どうしてこんなに切なくて、哀しい匂いがするんだろう)
炭治郎はまだ知らない。あさきの右手に光る指輪の理由も、二人が抱える絶望やすれ違いの深さも。けれど、少年の優れた嗅覚は、あさきがどれほど深い傷と愛を抱えて義勇を見つめ続けているかを的確に感じ取っていた。
「炭治郎くん。義勇を……あの人を助けてくれて、ありがとう」
あさきに優しく頭を撫でられ、炭治郎は「はい!」と力強く頷いた。
「俺、絶対に強くなります! そして……冨岡さんも、あさきさんも、みんなが笑えるように頑張ります!」
真っ直ぐに未来を見つめる少年の風に触れ、あさきの中で何かが解けていくのを感じていた。
拒絶され続け、自分自身も「嫌われてしまった」と心を閉ざしかけていたけれど、もう一度義勇と向き合いたい。彼の深い傷を、今度は自分が包み込んであげたい——。
狭霧山の懐かしい風の中で、あさきの胸には小さくも消えない灯火が確かに宿り始めていた。
第2章:届いた手紙と狭霧山の少年
錆兎を失い、義勇から拒絶されるようになってから数年。
あさきの心を支えていたのは、育手である鱗滝左近次との定期的な文(ふみ)のやり取りだった。
右手に嵌めた錆兎の指輪にそっと触れながら手紙を開く時間は、あさきにとって傷ついた心を静かに休められる数少ない救いだった。そんなある日、届いた手紙に記されていたのは、予期せぬ知らせだった。
『義勇から紹介され、新たな弟子が狭霧山へ来た。家族を鬼に殺され、妹を鬼に変えられた炭治郎という少年だ』
手紙を読んだあさきの胸に、温かな波紋が広がる。
自分を遠ざけ、誰とも関わろうとしない義勇。けれど彼は、絶望の淵にいた見知らぬ兄妹を見捨てず、命を助け、鱗滝のもとへ導いていたのだ。
(義勇は……冷たくなってなんていない。今も、優しくて温かい心を持っているんだ……)
胸に込み上げる愛おしさに背中を押されるように、あさきは久しぶりに狭霧山へと足を運んだ。
山深く、冷涼な空気が漂う境内に到着すると、そこにはボロボロになりながらも必死に刀を振るう赤毛の少年の姿があった。手に大きな豆を作り、血を滲ませながら、大きな岩に向かって愚直に刃を振るい続ける少年——竈門炭治郎だ。
「はぁ……はぁ……ッ、もう一度……!」
「無理をしすぎたら身体を壊してしまうわ。……はい、お水」
あさきが竹筒を差し出すと、炭治郎は驚いたように顔を上げ、すぐに丁寧におじぎをした。
「あっ、ありがとうございます! あなたは……」
「あさきよ。鱗滝さんの愚弟子で、義勇……冨岡さんとは兄弟弟子にあたるの」
「冨岡さんの……!」
炭治郎の瞳が一瞬で輝いた。彼は竹筒の水で喉を潤すと、溢れんばかりの感謝をあさきに語り始めた。
「冨岡さんは、俺と妹の命の恩人なんです。あの人がいなかったら、俺も禰豆子も死んでいました。厳しくて、冷たく見えるかもしれないけれど……すごく温かい人です!」
真っ直ぐな瞳で義勇への感謝を口にする炭治郎。あさきは嬉しそうに目を細め、言葉を返した。
「ええ、本当にそうなの。義勇は昔からとても優しくてね……」
そう言って、あさきは炭治郎にせがまれるまま、かつて狭霧山で義勇や錆兎と過ごした修行の日々を語り始めた。
山くだりの罠に引っかかって泥だらけになった義勇のことや、厳しい修行のあとに三人で食べた温かいご飯のこと。口数は少ないけれど、誰よりも傷つきやすくて、誰よりも温かい人だってこと……
義勇との思い出をひとつひとつ愛おしそうに手繰り寄せながら話すあさきの顔は、眩しいほどに温かく、幸せに満ちていた。
だが——炭治郎は、その話を聞きながらふと鼻を微かにひくつかせた。
(……不思議だ)
あさきから漂ってくるのは、義勇を心から大切に想っている温かく甘い幸福の匂い。
それなのに、その匂いのすぐ奥から、胸が締め付けられるような酷く泣きたくなるほど哀しい匂いが混ざり合って漂ってくるのだ。
(あさきさんは、こんなにも幸せそうに冨岡さんの話をしているのに……どうしてこんなに切なくて、哀しい匂いがするんだろう)
炭治郎はまだ知らない。あさきの右手に光る指輪の理由も、二人が抱える絶望やすれ違いの深さも。けれど、少年の優れた嗅覚は、あさきがどれほど深い傷と愛を抱えて義勇を見つめ続けているかを的確に感じ取っていた。
「炭治郎くん。義勇を……あの人を助けてくれて、ありがとう」
あさきに優しく頭を撫でられ、炭治郎は「はい!」と力強く頷いた。
「俺、絶対に強くなります! そして……冨岡さんも、あさきさんも、みんなが笑えるように頑張ります!」
真っ直ぐに未来を見つめる少年の風に触れ、あさきの中で何かが解けていくのを感じていた。
拒絶され続け、自分自身も「嫌われてしまった」と心を閉ざしかけていたけれど、もう一度義勇と向き合いたい。彼の深い傷を、今度は自分が包み込んであげたい——。
狭霧山の懐かしい風の中で、あさきの胸には小さくも消えない灯火が確かに宿り始めていた。
