捧げた心臓の在処
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幕間:終わらない死亡報告書と、静かな涙
深夜の兵舎、あさきが一人で立て篭もる執務室。
窓の外からは虫の鳴き声すら消え去り、重苦しい静寂が空間を支配していた。
デスクの上にうず高く積まれた、厚い書類の山。
第57回壁外調査における戦死者名簿、遺品整理の指示書、そして遺族へ送られる死亡告知書。その一枚一枚が、昼間の壁外調査で失われた無数の命の重みそのものであった。
あさきは真っ白な紙を見つめたまま、羽ペンを握る手を小さく震わせていた。
『補佐官! 明日の壁外調査、絶対に生きて戻ってきます!』
『あさき補佐官がくれたマニュアル、何度も読み返しました!』
昨日まで、兵舎の廊下で恥ずかしそうに顔を赤らめながら、あさきに声をかけてくれた若い新兵たちの弾んだ声。彼らの生前の笑顔、声のトーン、手に触れた時の温もりが、ペンの先を進めようとするたびに脳裏に鮮烈にフラッシュバックする。
(あの子は……あの日、おかゆを持って行ってあげた子……)
(この子は……『無事に戻ったらあさきさんに褒めてもらいたい』って笑っていた子……)
かろうじてペンを走らせる。
黒いインクが羊皮紙の上で踊り、また一人、若く未来ある兵士の名前が「死亡」の欄へと刻まれていく。
「……っ……」
あさきは固く唇を噛み締めた。
新兵たちの生存率を上げようと、寝る間も惜しんで書き上げた自作の生存マニュアル。だが、突如現れた女型の巨人という圧倒的な絶望の前には、彼女の必死の努力も掠り傷ほどの気休めにしかならなかった。
(……嘘つき……)
あさきは心の中で、自分自身を苛烈に糾弾する。
(『生きて戻りなさい』なんて……私は新兵たちを心配するフリをして、本当はただ、エルヴィンにこれ以上『死者の重み』を背負わせたくなかっただけ……。自分の都合で彼らに甘い希望を見せて、結局守れずに……こんな書類一枚で彼らの人生を終わらせている……)
自分は冷酷で、ずるくて、最低な人間だ。
そう自責の念に押し潰されそうになったその時、あさきの目が、一枚の報告書の上で止まった。
――特別作戦班(リヴァイ班)。
ペトラ・ラル、オルオ・ボザド、エルド・ジやン、グンタ・シュルツ。
かつてリヴァイの側近として、あさき自身も共に夜を徹して書類を書き、時にはリヴァイの不器用さを笑い合いながらお茶を飲んだ、かけがえのない仲間たち。
彼らの最期を冷徹な公文書として記録しなければならない現実。
握りしめた羽ペンから、ポタリと黒いインクが滴り落ちた。
「……う、……ぁ……っ」
堪えていたものが、決壊した。
声を上げれば、外で警戒にあたる兵士に悟られてしまう。あさきは両手で必死に口元を覆い、溢れ出す涙を必死に押し殺した。
ぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙が、まだ乾ききっていない書類の上に落ちて、インクを静かに滲ませていく。
(ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ!!)
声にならない謝罪の言葉。
『冷徹な鉄の補佐官』『エルヴィンの優秀な脳』として完璧に振る舞ってきた彼女が、誰の目もない深夜の執務室でだけ見せた、一人の傷ついた人間としての、幼く弱々しい号泣だった。
ギィ、と扉が静かに開く音。
あさきはハッと息を呑み、咄嗟に濡れた顔を袖で覆って背を向けた。
「……誰……? 今、書類の整理中だから――」
「あさき」
低く、静かな声。
立っていたのは、エルヴィンだった。
彼もまた、全責任を問われ、王都召喚と兵団の存続という重圧の中で血の滲むような思いを抱えている。
エルヴィンはゆっくりと歩み寄ると、震えるあさきの肩に、そっと大きな手を置いた。あさきが抱える悲しみと自責のすべてを、無言のまま受け止めるように。
「……団長、私……っ。あの子たちに、もっとやれることがあったはずなんです。私の作ったマニュアルが……私がもっと優秀だったら、あの子たちは……っ」
「君のせいではない、あさき」
エルヴィンの声は低く、そしてどこまでも優しかった。
「作戦を立て、彼らを死地へ送ったのは私だ。罪も、悪魔の誇りも、すべて私が背負う。……だがな、あさき。君がこうして彼らの生きた証を一人一人、最後まで丁寧に書き残してくれるからこそ、彼らの死はただの『数字』にならないのだ」
「……エルヴィン……」
「すまない……君にこんな辛い役目を押し付けてしまって」
エルヴィンの青い瞳の奥に、隠しきれない苦渋と悲痛な光が揺れているのを、あさきは見逃さなかった。
自分以上に、何百、何千という『死者の背中』を背負い、悪魔の仮面を被り続けているこの人。
あさきはキュッと唇を噛み締めると、溢れ出る涙を拭い、まっすぐにエルヴィンを見つめ返した。
「……いいえ、団長。これが、私の任務です。あの子たちが……仲間たちが心臓を捧げた証を、完璧な形で残してみせます。それが、私にできる最後の弔いですから……っ」
月明かりが差し込む執務室で、二人は互いの傷と重圧を静かに分かち合う。
あさきが流した涙と、その涙を越えて再びペンを握り直す強い覚悟。
この「弱さ」を知る夜があったからこそ、彼女は次のストヘス区で、憲兵団を圧倒する『鉄の補佐官』として立ち塞がることができるのだった。
幕間:終わらない死亡報告書と、静かな涙
深夜の兵舎、あさきが一人で立て篭もる執務室。
窓の外からは虫の鳴き声すら消え去り、重苦しい静寂が空間を支配していた。
デスクの上にうず高く積まれた、厚い書類の山。
第57回壁外調査における戦死者名簿、遺品整理の指示書、そして遺族へ送られる死亡告知書。その一枚一枚が、昼間の壁外調査で失われた無数の命の重みそのものであった。
あさきは真っ白な紙を見つめたまま、羽ペンを握る手を小さく震わせていた。
『補佐官! 明日の壁外調査、絶対に生きて戻ってきます!』
『あさき補佐官がくれたマニュアル、何度も読み返しました!』
昨日まで、兵舎の廊下で恥ずかしそうに顔を赤らめながら、あさきに声をかけてくれた若い新兵たちの弾んだ声。彼らの生前の笑顔、声のトーン、手に触れた時の温もりが、ペンの先を進めようとするたびに脳裏に鮮烈にフラッシュバックする。
(あの子は……あの日、おかゆを持って行ってあげた子……)
(この子は……『無事に戻ったらあさきさんに褒めてもらいたい』って笑っていた子……)
かろうじてペンを走らせる。
黒いインクが羊皮紙の上で踊り、また一人、若く未来ある兵士の名前が「死亡」の欄へと刻まれていく。
「……っ……」
あさきは固く唇を噛み締めた。
新兵たちの生存率を上げようと、寝る間も惜しんで書き上げた自作の生存マニュアル。だが、突如現れた女型の巨人という圧倒的な絶望の前には、彼女の必死の努力も掠り傷ほどの気休めにしかならなかった。
(……嘘つき……)
あさきは心の中で、自分自身を苛烈に糾弾する。
(『生きて戻りなさい』なんて……私は新兵たちを心配するフリをして、本当はただ、エルヴィンにこれ以上『死者の重み』を背負わせたくなかっただけ……。自分の都合で彼らに甘い希望を見せて、結局守れずに……こんな書類一枚で彼らの人生を終わらせている……)
自分は冷酷で、ずるくて、最低な人間だ。
そう自責の念に押し潰されそうになったその時、あさきの目が、一枚の報告書の上で止まった。
――特別作戦班(リヴァイ班)。
ペトラ・ラル、オルオ・ボザド、エルド・ジやン、グンタ・シュルツ。
かつてリヴァイの側近として、あさき自身も共に夜を徹して書類を書き、時にはリヴァイの不器用さを笑い合いながらお茶を飲んだ、かけがえのない仲間たち。
彼らの最期を冷徹な公文書として記録しなければならない現実。
握りしめた羽ペンから、ポタリと黒いインクが滴り落ちた。
「……う、……ぁ……っ」
堪えていたものが、決壊した。
声を上げれば、外で警戒にあたる兵士に悟られてしまう。あさきは両手で必死に口元を覆い、溢れ出す涙を必死に押し殺した。
ぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙が、まだ乾ききっていない書類の上に落ちて、インクを静かに滲ませていく。
(ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ!!)
声にならない謝罪の言葉。
『冷徹な鉄の補佐官』『エルヴィンの優秀な脳』として完璧に振る舞ってきた彼女が、誰の目もない深夜の執務室でだけ見せた、一人の傷ついた人間としての、幼く弱々しい号泣だった。
ギィ、と扉が静かに開く音。
あさきはハッと息を呑み、咄嗟に濡れた顔を袖で覆って背を向けた。
「……誰……? 今、書類の整理中だから――」
「あさき」
低く、静かな声。
立っていたのは、エルヴィンだった。
彼もまた、全責任を問われ、王都召喚と兵団の存続という重圧の中で血の滲むような思いを抱えている。
エルヴィンはゆっくりと歩み寄ると、震えるあさきの肩に、そっと大きな手を置いた。あさきが抱える悲しみと自責のすべてを、無言のまま受け止めるように。
「……団長、私……っ。あの子たちに、もっとやれることがあったはずなんです。私の作ったマニュアルが……私がもっと優秀だったら、あの子たちは……っ」
「君のせいではない、あさき」
エルヴィンの声は低く、そしてどこまでも優しかった。
「作戦を立て、彼らを死地へ送ったのは私だ。罪も、悪魔の誇りも、すべて私が背負う。……だがな、あさき。君がこうして彼らの生きた証を一人一人、最後まで丁寧に書き残してくれるからこそ、彼らの死はただの『数字』にならないのだ」
「……エルヴィン……」
「すまない……君にこんな辛い役目を押し付けてしまって」
エルヴィンの青い瞳の奥に、隠しきれない苦渋と悲痛な光が揺れているのを、あさきは見逃さなかった。
自分以上に、何百、何千という『死者の背中』を背負い、悪魔の仮面を被り続けているこの人。
あさきはキュッと唇を噛み締めると、溢れ出る涙を拭い、まっすぐにエルヴィンを見つめ返した。
「……いいえ、団長。これが、私の任務です。あの子たちが……仲間たちが心臓を捧げた証を、完璧な形で残してみせます。それが、私にできる最後の弔いですから……っ」
月明かりが差し込む執務室で、二人は互いの傷と重圧を静かに分かち合う。
あさきが流した涙と、その涙を越えて再びペンを握り直す強い覚悟。
この「弱さ」を知る夜があったからこそ、彼女は次のストヘス区で、憲兵団を圧倒する『鉄の補佐官』として立ち塞がることができるのだった。
