捧げた心臓の在処
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第3話:嵐の前夜と、残された者の誓い
古城での清掃活動や束の間の賑やかな日常が過ぎ去り、調査兵団本部には着々と「第57回壁外調査」の冷たい足音が忍び寄っていた。
エレン・イェーガーという存在を獲得し、壁外へ繰り出すための大規模作戦。
新兵たちの配置、長距離索敵陣形の最終調整、そして王都や各兵団との熾烈な裏工作――。
そのすべてを寸分の狂いもなく書類上で組み立てていくのは、団長補佐・あさきの役目であった。
「……あさきさん」
壁外調査を翌日に控えた夕刻。古城の馬小屋の陰で馬の手入れをしていたエレンが、遠くから歩いてくるあさきの姿を見つけ、弾んだ声を上げた。
「エレン。馬の手入れは終わったの?」
「はい! 完璧です! あさきさん……あの、俺、明日の壁外調査……リヴァイ班として絶対に役に立ってみせます! 無事に戻ってきたら……また、あさきさんのお手伝いをさせてください!」
まっすぐにあさきを見つめるエレンの緑の瞳。
裁判の日に「化け物」ではなく一人の人間として自分を受け入れてくれた彼女に対し、エレンの心には「認められたい」という必死な情熱と、母を重ねるような強い執着が静かに根を張っていた。
あさきは一瞬、胸を締め付けられるような愛おしさを覚え、柔らかく微笑むとエレンの肩にそっと手を置いた。
「ええ、エレン。約束よ。……リヴァイ兵長の指示をしっかり聞いて、絶対に生きて戻ってきなさい。私は本隊で、あなたたちの無事を祈っているわ」
「はい……っ!」
「おいマセガキ、いつまであさきの前でニヤついてやがる」
背後からぬっと現れたリヴァイが、容赦なくエレンの首根っこを掴み上げる。
「さっさと馬の準備をしてこい。一秒でも遅れたら蹴り飛ばす」
「うわっ、兵長! 分かりましたから引っ張らないでくださいー!」
バタバタと走り去るエレンの背中をあさきとリヴァイは並んで見送った。
夕闇が迫る空の下、リヴァイがあさきの真横に立ち、低く呟く。
「……あさき。本陣から出過ぎるなよ。エルヴィンの側を離れるな」
「分かっているわ、リヴァイ。あなたも……どうか無事で」
二人の間に交わされた短い言葉。
これが、彼らにとって最後の「当たり前の日常」になろうとは、誰も知る由もなかった。
翌日行われた第57回壁外調査は、突如現れた「女型の巨人」によって地獄と化した。
長距離索敵陣形を喰い破る謎の巨人、過酷な状況下でのエルヴィンの冷徹な捕獲作戦、そして――巨大樹の森で繰り広げられた壮絶な死闘。
あさきはエルヴィンの傍らで分隊長クラスの実力を振るい、本陣へと迫る奇行種を的確に駆逐しながら作戦を完遂させようと尽力した。しかし、女型の叫び声による群がりによって捕獲作戦は失敗に終わり、無念の撤退が命じられる。
そして待ち受けていたのは、あまりにも残酷な現実だった。
夕暮れ時、命からがら壁内へと帰還した調査兵団。
血煙と絶望が漂う中、兵舎の影で一人膝を折り、頭を抱えて震えている少年がいた。エレンだった。
彼の目の前で全滅した、精鋭・旧リヴァイ班。ペトラ、オルオ、エルド、グンタ――あさきにとっても、長年共に戦い、兵団の未来を信じて支え合ってきた大切な仲間たちだった。
「……俺が……俺があの時、自分の力を信じて変身していれば……っ!」
ボロボロと涙を溢れさせ、己の拳で地面を殴りつけるエレン。
「俺のせいで……ペトラさんも、オルオさんも……みんな俺を庇って死んだんだ……っ!! 俺が、みんなを殺したんだ……!!」
自責の念に押し潰され、呼吸すら乱すエレンの前に、すっと影が落ちる。
あさきだった。
彼女は自身のマントが泥と返り血で汚れるのも構わず、冷たい床の上に膝をつくと、震えるエレンの身体を正面から力強く抱きしめた。
「あ……あさき、さん……っ」
あさきの胸の中で、エレンが息を呑む。
「……自分を責めちゃダメよ、エレン」
あさきの声は優しく、しかし揺るぎない芯が通っていた。
抱きしめる腕にギュッと力を込め、エレンの背中を愛おしそうに撫でる。
「誰も間違っていなかったわ。あの子たちはね、リヴァイ兵長を……そして、あなたという『人類の希望』を信じて、最後まで誇り高く戦ったの。彼らが命を賭して選んだ選択を、あなたが『失敗だった』なんて言わないであげて」
「でも……っ、でも……!!」
「生き残った私たちはね、彼らの残した意志を繋ぐしかないの。……死んでいった仲間の生きた証を拾い上げて、前へ進むのよ、エレン」
胸に伝わるあさきの温もりと、その力強い言葉。
自分自身だって大切な仲間を大勢失い、胸が張り裂けそうなほど苦しいはずなのに、新兵である自分を受け止め、絶望から引き揚げてくれる「大きな盾」としての存在。
エレンの瞳から涙が溢れ出し、あさきの背中に回した手で彼女の服を強く握りしめた。
(この人だ……。この人を……あさきさんを絶対に守らなきゃいけない)
絶望の中で注がれたあさきの深い愛と救いは、エレンの心の中で「あさきさんを脅かす全ての敵を駆逐する」という、より暗く、深く、歪んだ執着の芽を静かに育てていくことになる。
少し離れた建物の陰。
暗闇の中から、死んだ魚のような瞳でその光景を静かに見つめる男がいた。
リヴァイだった。
足の負傷と部下たちを失った失意を抱えながらも、彼は何も言わず、ただ傷ついた後輩を抱きしめるあさきの背中を、静かに見守り続けていたのだった。
第3話:嵐の前夜と、残された者の誓い
古城での清掃活動や束の間の賑やかな日常が過ぎ去り、調査兵団本部には着々と「第57回壁外調査」の冷たい足音が忍び寄っていた。
エレン・イェーガーという存在を獲得し、壁外へ繰り出すための大規模作戦。
新兵たちの配置、長距離索敵陣形の最終調整、そして王都や各兵団との熾烈な裏工作――。
そのすべてを寸分の狂いもなく書類上で組み立てていくのは、団長補佐・あさきの役目であった。
「……あさきさん」
壁外調査を翌日に控えた夕刻。古城の馬小屋の陰で馬の手入れをしていたエレンが、遠くから歩いてくるあさきの姿を見つけ、弾んだ声を上げた。
「エレン。馬の手入れは終わったの?」
「はい! 完璧です! あさきさん……あの、俺、明日の壁外調査……リヴァイ班として絶対に役に立ってみせます! 無事に戻ってきたら……また、あさきさんのお手伝いをさせてください!」
まっすぐにあさきを見つめるエレンの緑の瞳。
裁判の日に「化け物」ではなく一人の人間として自分を受け入れてくれた彼女に対し、エレンの心には「認められたい」という必死な情熱と、母を重ねるような強い執着が静かに根を張っていた。
あさきは一瞬、胸を締め付けられるような愛おしさを覚え、柔らかく微笑むとエレンの肩にそっと手を置いた。
「ええ、エレン。約束よ。……リヴァイ兵長の指示をしっかり聞いて、絶対に生きて戻ってきなさい。私は本隊で、あなたたちの無事を祈っているわ」
「はい……っ!」
「おいマセガキ、いつまであさきの前でニヤついてやがる」
背後からぬっと現れたリヴァイが、容赦なくエレンの首根っこを掴み上げる。
「さっさと馬の準備をしてこい。一秒でも遅れたら蹴り飛ばす」
「うわっ、兵長! 分かりましたから引っ張らないでくださいー!」
バタバタと走り去るエレンの背中をあさきとリヴァイは並んで見送った。
夕闇が迫る空の下、リヴァイがあさきの真横に立ち、低く呟く。
「……あさき。本陣から出過ぎるなよ。エルヴィンの側を離れるな」
「分かっているわ、リヴァイ。あなたも……どうか無事で」
二人の間に交わされた短い言葉。
これが、彼らにとって最後の「当たり前の日常」になろうとは、誰も知る由もなかった。
翌日行われた第57回壁外調査は、突如現れた「女型の巨人」によって地獄と化した。
長距離索敵陣形を喰い破る謎の巨人、過酷な状況下でのエルヴィンの冷徹な捕獲作戦、そして――巨大樹の森で繰り広げられた壮絶な死闘。
あさきはエルヴィンの傍らで分隊長クラスの実力を振るい、本陣へと迫る奇行種を的確に駆逐しながら作戦を完遂させようと尽力した。しかし、女型の叫び声による群がりによって捕獲作戦は失敗に終わり、無念の撤退が命じられる。
そして待ち受けていたのは、あまりにも残酷な現実だった。
夕暮れ時、命からがら壁内へと帰還した調査兵団。
血煙と絶望が漂う中、兵舎の影で一人膝を折り、頭を抱えて震えている少年がいた。エレンだった。
彼の目の前で全滅した、精鋭・旧リヴァイ班。ペトラ、オルオ、エルド、グンタ――あさきにとっても、長年共に戦い、兵団の未来を信じて支え合ってきた大切な仲間たちだった。
「……俺が……俺があの時、自分の力を信じて変身していれば……っ!」
ボロボロと涙を溢れさせ、己の拳で地面を殴りつけるエレン。
「俺のせいで……ペトラさんも、オルオさんも……みんな俺を庇って死んだんだ……っ!! 俺が、みんなを殺したんだ……!!」
自責の念に押し潰され、呼吸すら乱すエレンの前に、すっと影が落ちる。
あさきだった。
彼女は自身のマントが泥と返り血で汚れるのも構わず、冷たい床の上に膝をつくと、震えるエレンの身体を正面から力強く抱きしめた。
「あ……あさき、さん……っ」
あさきの胸の中で、エレンが息を呑む。
「……自分を責めちゃダメよ、エレン」
あさきの声は優しく、しかし揺るぎない芯が通っていた。
抱きしめる腕にギュッと力を込め、エレンの背中を愛おしそうに撫でる。
「誰も間違っていなかったわ。あの子たちはね、リヴァイ兵長を……そして、あなたという『人類の希望』を信じて、最後まで誇り高く戦ったの。彼らが命を賭して選んだ選択を、あなたが『失敗だった』なんて言わないであげて」
「でも……っ、でも……!!」
「生き残った私たちはね、彼らの残した意志を繋ぐしかないの。……死んでいった仲間の生きた証を拾い上げて、前へ進むのよ、エレン」
胸に伝わるあさきの温もりと、その力強い言葉。
自分自身だって大切な仲間を大勢失い、胸が張り裂けそうなほど苦しいはずなのに、新兵である自分を受け止め、絶望から引き揚げてくれる「大きな盾」としての存在。
エレンの瞳から涙が溢れ出し、あさきの背中に回した手で彼女の服を強く握りしめた。
(この人だ……。この人を……あさきさんを絶対に守らなきゃいけない)
絶望の中で注がれたあさきの深い愛と救いは、エレンの心の中で「あさきさんを脅かす全ての敵を駆逐する」という、より暗く、深く、歪んだ執着の芽を静かに育てていくことになる。
少し離れた建物の陰。
暗闇の中から、死んだ魚のような瞳でその光景を静かに見つめる男がいた。
リヴァイだった。
足の負傷と部下たちを失った失意を抱えながらも、彼は何も言わず、ただ傷ついた後輩を抱きしめるあさきの背中を、静かに見守り続けていたのだった。
