捧げた心臓の在処
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第2話後編:月明かりの執務室と、不器用な情愛
古城に静寂が訪れた深夜。
兵舎の明かりが次々と消えていく中、団長執務室の窓からだけは、淡いランプの光と月明かりが漏れていた。
机の上に高く積み上げられた、膨大な書類の山。
第57回壁外調査の資材手配書、王都憲兵団への追加報告書、そして新兵たちの配置案……。あさきは目の下にうっすらとクマを作り、白くなった唇を噛み締めながら、猛烈な勢いでペンを走らせていた。
昼間の104期生とのやり取りや古城の大掃除の疲れ、そして何より裁判直後から続く不眠不休の激務。疲労はとっくに限界を超えていたが、あさきはペンを置こうとしなかった。
(あとこれだけ片付ければ、明日の朝、団長が少しでも体を休められる……!)
すべては、エルヴィンの負担を一つでも減らすため。己の限界に気づかないフリをして執念で書類に向き合うあさきの姿を、向かいのデスクからエルヴィンが静かな瞳で見つめていた。
「……あさき、そろそろ休みなさい。残りは私がやる」
静かだが、諭すようなエルヴィンの声。だがあさきは頭を横に振り、か細い声で答える。
「いいえ、団長……。明日は早朝から幹部会議があります。あなたが休んでくださらなければ……私は、まだ――っ」
必死に立ち上がろうとした、その瞬間。
猛烈な貧血と目眩があさきを襲い、視界がぐにゃりと歪んだ。
「っ……あ……」
力なく横へ倒れ込むあさきの身体。
「あさき――!」
エルヴィンが咄嗟に立ち上がり手を伸ばしかけた、その時だった。
バタン!
ノックもなしに扉が勢いよく開かれ、ぬるくなった紅茶のカップを手にしたリヴァイが室内に滑り込んできた。
倒れかけたあさきの身体を、すばやい身ごなしとその腕の中にしっかりと受け止める。
「……チッ。おい、あさき。てめえ、最後に寝たのはいつだ」
低く掠れた声には、隠しきれない殺気と、それ以上の焦燥がバチバチと据わっていた。
リヴァイの胸元から漂う、あの例の石鹸の匂い。倒れ込んだあさきを支える腕は、驚くほど確かで温かい。
「……大丈夫よ、リヴァイ……。あとこの束さえ終われば……っ」
「黙れ。顔色が紙と同じになってやがる」
あさきの言葉を容赦なく遮ると、リヴァイは机の上に散らばる書類を一瞥し、向かいに立つエルヴィンを鋭い眼光で睨みつけた。
「……おいエルヴィン。お前のためにボロボロになって死ぬのが、こいつの仕事か? あ? ――この馬鹿は今夜、俺が回収する。文句は言わせねえ」
冷酷に見えて、誰よりもあさきの命と身体を案じているリヴァイの不器用な優しさ。
エルヴィンは差し伸ばしていた手をそっと引っ込めると、少し驚いた後、申し訳なさと愛おしさが混ざった穏やかな苦笑を浮かべた。
「……ああ、すまないリヴァイ。彼女を頼む。あさき、無理をさせて申し訳なかった。今夜はもう休みなさい。……私のために、君が倒れては元も子もないのだからね」
「団、長……っ」
抗議しようとしたあさきだったが、リヴァイは抵抗を許さず、その華奢な身体をすっと横抱きで強引に抱え上げた。
「おい、暴れるな。落とすぞ」
「やだ……自分で歩けるわ、リヴァイ……っ」
「やかましい。……エルヴィン、茶の淹れ直しはそこの棚に置いてある。さっさと寝ろよ、悪魔」
リヴァイはあさきを腕の中にしっかりと抱えたまま、足で器用にドアを閉めて執務室をあとにした。
静まり返った執務室に残されたエルヴィンは、月明かりを浴びながら一人、ぽつりと置かれた紅茶のカップを静かに見つめる。
「……本当に、君たちには苦労をかけるな」
その呟きには、人類の命運を背負う重圧と、どんな地獄でも自分の傍らで支え続けてくれる二人に対する、深く温かい信頼が込められていた。
