捧げた心臓の在処
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第1話:鉄格子の中の温もり
特別兵法会議の重い鉄の扉が閉ざされた瞬間、地下の空気は凍りつくような冷ややかさを増した。
裁判の最中、全人類から「未知の脅威」「殺すべき化け物」として注がれた蔑みと恐怖の視線。そして、衆人環視の中で「人類最強の兵士」リヴァイから加えられた、容赦のない暴力の痛打。
両手を頑丈な拘束具で縛られ、兵卒に引きずられるようにして地下の小さな控室へと押し込められたエレン・イェーガーは、冷たい床の上に力なく座り込んでいた。
口の中に広がる血の味と、腫れ上がった頬の激痛。
だが、肉体の痛み以上にエレンの心を叩きのめしていたのは、世界から隔絶されたという猛烈な孤独感と、「自分は本当に人として扱われることはないのだ」という絶望だった。
ギィ、と重厚な鉄扉がきしんだ音を立てて開く。
エレンは咄嗟に身体を硬くし、警戒を強めて入り口を睨みつけた。
入ってきたのは、鋭い光を宿した青い瞳の男――調査兵団団長、エルヴィン・スミス。そして、その横で不機嫌そうに懐の手ぬぐいを取り出しているリヴァイだった。
(また……殺気を出したら、殴られる……!)
身構えるエレンの視界の端に、もうひとりの影が映り込む。
エルヴィンのさらに一段後ろから、すっと進み出てきた女性兵士。深緑のマントを羽織り、背筋を寸分の狂いもなく伸ばしたその佇まいは、殺伐とした地下牢には不似合いなほど気品に満ちていた。
「おい、目つきの悪いガキ。少しは頭が冷えたか」
リヴァイが低く掠れた声で吐き捨て、歩み寄ろうとしたその時だった。
「待ちなさい、リヴァイ」
透き通るような、しかし毅然とした声が室内を打った。
あさきはリヴァイの前に立ち塞がるようにすっと歩み出ると、腕に抱えていた大量の書類を脇の机に置く。そして、泥と血に汚れた床の上に、何のためらいもなく膝をついた。
エレンのすぐ目の前に、あさきの顔がくる。
彼女はエレンと同じ目線の高さまで視線を下げると、その瞳に宿る柔らかな光でエレンを包み込むように見つめた。
「……痛かったでしょう、エレン。怖かったわね」
あさきは胸元から清潔な白い手ぬぐいを取り出すと、怯えるエレンの頬にそっと手を添えた。そして、切れて血が滲む口元を、驚くほど優しい手つきで拭い始める。
「あ……っ」
エレンの息が止まった。
裁判所にいた大人たちの誰もが、自分を「巨人という名の化け物」として見ていた。危険因子として排除するか、利用するかという冷酷な計算しかそこには存在しなかった。
しかし、いま目の前にいるこの女性だけは違う。
あさきはエレンを化け物としてではなく、「ただ傷つき、怯えている一人の若い兵士」として見つめていた。
触れられた手の感触。心配そうに眉をひそめる温かい眼差し。
その瞬間、エレンの脳裏に、かつてシガンシナ区の悲劇の日に失った母・カルラの記憶が激しくフラッシュバックした。
自分を心配して本気で叱り、包み込んでくれたあの温もりが、あさきの姿と重なって胸の奥に押し寄せる。
「……っ、俺は、平気です……っ!」
エレンは込み上げる感情を必死に押し殺そうと、かっと顔を赤くして俯いた。胸の奥がざわつき、激しい動悸が打つ。
「平気なわけないでしょう。……こんなになるまで耐えて、よく頑張ったわね。あなたの覚悟のおかげで、私たちはあなたを調査兵団に入れれたのよ」
あさきは優しく微笑むと、エレンの頭に手を置き、撫でるようにポンポンと叩いた。
「おい、あさき。甘やかすな」
後ろからリヴァイが呆れたように鼻を鳴らす。
「そいつはいつ理性を失って化け物に化けるか分からねえんだぞ。最初から主従関係ってものを叩き込んでおかねえと――」
あさきは立ち上がると、くるりとリヴァイに向き直り、腰に手を当てて鋭い視線を向けた。
「言葉を選びなさい、リヴァイ。この子は命がけでトロスト区の壁を塞ぎ、私たち調査兵団を信じてここに立っているのよ。……それにあなた、芝居とはいえ加減を間違えて前歯を吹き飛ばしたでしょう。もう少しやりようがあったんじゃないの?」
「……チッ。あの場で総統と憲兵団を納得させるには、ありゃ必要な演出だった。文句なら書類で提出しろ、補佐官」
「言われなくても、事後処理の修正書類と一緒に提出します」
あの「人類最強」と恐れられるリヴァイ兵長に対し、一歩も引かずに堂々と小言を言い放つあさき。
エレンは口を半開きのまま、ポカンと二人を見上げた。
(この人は……一体、何者なんだ……!?)
「……あさき。裁判所と憲兵団への提出書類の件だが」
それまで静観していたエルヴィンが、静かな声で問いかけた。
「すでに完了しております、団長」
あさきは即座にビジネスの顔に戻り、机の上の書類を数枚抜き取ってエルヴィンに手渡す。
「ナイル師団長への根回しと、総統府へのエレンの管理計画書……すべてあらかじめ作成しておいた特例条項を適用させました。憲兵団側が不服を申し立てる隙は一切残していません」
「……完璧だな。相変わらず仕事が早い」
エルヴィンは微かに口元を緩めると、エレンの方へと視線を向けた。
「エレン・イェーガー。君がこうして調査兵団の管轄に置かれたのは、リヴァイのパフォーマンスだけでなく、彼女があらかじめ憲兵団との政治的駆け引きを完璧に制していたからだ」
エレンは息を呑んだ。
自分が地下牢で怯えている間に、この美しい補佐官は裏で泥を被り、完璧な手腕で自分の命を繋ぎ止めてくれていたのだ。
「さあ、立ち上がりなさい、エレン。ここは寒いわ」
あさきが再びエレンに向き直り、すっと手を差し伸べる。
拘束された両手を差し出し、あさきの手を借りて立ち上がるエレン。彼女の手から伝わる温もりに、エレンの胸の奥で、決して消えることのない強い感情が芽生えた。
(この人だ……。この人が、俺を『人間』として助けてくれた……)
失った母親の面影。自分を化け物扱いしない唯一の大人。
この日、特別兵法会議の薄暗い控室で交わされた熱い視線と温もりが、やがてエレン・イェーガーという少年を、あさきという存在へ異常なまでに執着させていく決定的な原点となったのだった。
第1話:鉄格子の中の温もり
特別兵法会議の重い鉄の扉が閉ざされた瞬間、地下の空気は凍りつくような冷ややかさを増した。
裁判の最中、全人類から「未知の脅威」「殺すべき化け物」として注がれた蔑みと恐怖の視線。そして、衆人環視の中で「人類最強の兵士」リヴァイから加えられた、容赦のない暴力の痛打。
両手を頑丈な拘束具で縛られ、兵卒に引きずられるようにして地下の小さな控室へと押し込められたエレン・イェーガーは、冷たい床の上に力なく座り込んでいた。
口の中に広がる血の味と、腫れ上がった頬の激痛。
だが、肉体の痛み以上にエレンの心を叩きのめしていたのは、世界から隔絶されたという猛烈な孤独感と、「自分は本当に人として扱われることはないのだ」という絶望だった。
ギィ、と重厚な鉄扉がきしんだ音を立てて開く。
エレンは咄嗟に身体を硬くし、警戒を強めて入り口を睨みつけた。
入ってきたのは、鋭い光を宿した青い瞳の男――調査兵団団長、エルヴィン・スミス。そして、その横で不機嫌そうに懐の手ぬぐいを取り出しているリヴァイだった。
(また……殺気を出したら、殴られる……!)
身構えるエレンの視界の端に、もうひとりの影が映り込む。
エルヴィンのさらに一段後ろから、すっと進み出てきた女性兵士。深緑のマントを羽織り、背筋を寸分の狂いもなく伸ばしたその佇まいは、殺伐とした地下牢には不似合いなほど気品に満ちていた。
「おい、目つきの悪いガキ。少しは頭が冷えたか」
リヴァイが低く掠れた声で吐き捨て、歩み寄ろうとしたその時だった。
「待ちなさい、リヴァイ」
透き通るような、しかし毅然とした声が室内を打った。
あさきはリヴァイの前に立ち塞がるようにすっと歩み出ると、腕に抱えていた大量の書類を脇の机に置く。そして、泥と血に汚れた床の上に、何のためらいもなく膝をついた。
エレンのすぐ目の前に、あさきの顔がくる。
彼女はエレンと同じ目線の高さまで視線を下げると、その瞳に宿る柔らかな光でエレンを包み込むように見つめた。
「……痛かったでしょう、エレン。怖かったわね」
あさきは胸元から清潔な白い手ぬぐいを取り出すと、怯えるエレンの頬にそっと手を添えた。そして、切れて血が滲む口元を、驚くほど優しい手つきで拭い始める。
「あ……っ」
エレンの息が止まった。
裁判所にいた大人たちの誰もが、自分を「巨人という名の化け物」として見ていた。危険因子として排除するか、利用するかという冷酷な計算しかそこには存在しなかった。
しかし、いま目の前にいるこの女性だけは違う。
あさきはエレンを化け物としてではなく、「ただ傷つき、怯えている一人の若い兵士」として見つめていた。
触れられた手の感触。心配そうに眉をひそめる温かい眼差し。
その瞬間、エレンの脳裏に、かつてシガンシナ区の悲劇の日に失った母・カルラの記憶が激しくフラッシュバックした。
自分を心配して本気で叱り、包み込んでくれたあの温もりが、あさきの姿と重なって胸の奥に押し寄せる。
「……っ、俺は、平気です……っ!」
エレンは込み上げる感情を必死に押し殺そうと、かっと顔を赤くして俯いた。胸の奥がざわつき、激しい動悸が打つ。
「平気なわけないでしょう。……こんなになるまで耐えて、よく頑張ったわね。あなたの覚悟のおかげで、私たちはあなたを調査兵団に入れれたのよ」
あさきは優しく微笑むと、エレンの頭に手を置き、撫でるようにポンポンと叩いた。
「おい、あさき。甘やかすな」
後ろからリヴァイが呆れたように鼻を鳴らす。
「そいつはいつ理性を失って化け物に化けるか分からねえんだぞ。最初から主従関係ってものを叩き込んでおかねえと――」
あさきは立ち上がると、くるりとリヴァイに向き直り、腰に手を当てて鋭い視線を向けた。
「言葉を選びなさい、リヴァイ。この子は命がけでトロスト区の壁を塞ぎ、私たち調査兵団を信じてここに立っているのよ。……それにあなた、芝居とはいえ加減を間違えて前歯を吹き飛ばしたでしょう。もう少しやりようがあったんじゃないの?」
「……チッ。あの場で総統と憲兵団を納得させるには、ありゃ必要な演出だった。文句なら書類で提出しろ、補佐官」
「言われなくても、事後処理の修正書類と一緒に提出します」
あの「人類最強」と恐れられるリヴァイ兵長に対し、一歩も引かずに堂々と小言を言い放つあさき。
エレンは口を半開きのまま、ポカンと二人を見上げた。
(この人は……一体、何者なんだ……!?)
「……あさき。裁判所と憲兵団への提出書類の件だが」
それまで静観していたエルヴィンが、静かな声で問いかけた。
「すでに完了しております、団長」
あさきは即座にビジネスの顔に戻り、机の上の書類を数枚抜き取ってエルヴィンに手渡す。
「ナイル師団長への根回しと、総統府へのエレンの管理計画書……すべてあらかじめ作成しておいた特例条項を適用させました。憲兵団側が不服を申し立てる隙は一切残していません」
「……完璧だな。相変わらず仕事が早い」
エルヴィンは微かに口元を緩めると、エレンの方へと視線を向けた。
「エレン・イェーガー。君がこうして調査兵団の管轄に置かれたのは、リヴァイのパフォーマンスだけでなく、彼女があらかじめ憲兵団との政治的駆け引きを完璧に制していたからだ」
エレンは息を呑んだ。
自分が地下牢で怯えている間に、この美しい補佐官は裏で泥を被り、完璧な手腕で自分の命を繋ぎ止めてくれていたのだ。
「さあ、立ち上がりなさい、エレン。ここは寒いわ」
あさきが再びエレンに向き直り、すっと手を差し伸べる。
拘束された両手を差し出し、あさきの手を借りて立ち上がるエレン。彼女の手から伝わる温もりに、エレンの胸の奥で、決して消えることのない強い感情が芽生えた。
(この人だ……。この人が、俺を『人間』として助けてくれた……)
失った母親の面影。自分を化け物扱いしない唯一の大人。
この日、特別兵法会議の薄暗い控室で交わされた熱い視線と温もりが、やがてエレン・イェーガーという少年を、あさきという存在へ異常なまでに執着させていく決定的な原点となったのだった。
