捧げた心臓の在処
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第8.6話:血のぬくもりと、受け継がれる羽
「白夜」の惨劇から数ヶ月。
調査兵団本部におけるあさきとリヴァイの関係は、言葉にできないほど歪で、そして痛々しいものとなっていた。
深夜、あさきの自室。
月明かりだけが差し込む静寂の中、二人は誰に知られることもなく、呼吸を乱しながら身体を重ねていた。
そこにあるのは、甘い愛の囁きでも、安らぎでもない。
エルヴィンを失い、影と心中しようとするあさきを、自らの体温と痛みを刻み込むことで強引に「生」の現実に引きずり回すリヴァイの、狂暴なまでの執着。
「……は、……っ、リヴァイ……っ」
リヴァイの肩に爪を立て、あさきは掠れた声で息を吐き出す。
「……俺を見ろ、あさき。痛いか? 苦しいか? ……それが生きてるってことだ。あいつとの綺麗な思い出の中に逃げるな。俺の体温を、全部その身体に刻み込め……!」
肌と肌が擦れ合い、生々しい熱量が全身を支配するたび、自分がまだ生きているのだと自覚させられる。
「……だから死ぬな。……死ぬことなんか、絶対に許さねえ」
あさきの首筋に顔をうずめ、低く囁くリヴァイ。
二人とも知っていた。この行為は、エルヴィンという巨大な存在を失った者同士が、お互いの傷口を汚し合いながら生き延びるための「自傷」のような泥沼の契りだと。
だが、この痛々しい体温の重ね合わせこそが、息をすることすら諦めかけたあさきの命を、今日までかろうじて繋ぎ止めていたのだった。
やがて、壁内政府と兵団の体制が再編され、エルヴィンの遺言通り、ハンジ・ゾエが第14代調査兵団団長に就任した。
だが、急造された新体制の裏で、ハンジは一人、膨大な事務作業と政治的圧力、そして「エルヴィンの跡を継ぐ」という恐ろしいほどの重圧に押し潰されそうになっていた。
ある深夜。
団長執務室の前に通りかかったあさきは、ドアの隙間から漏れる明かりと、中で机に突っ伏して頭を抱えるハンジの姿を目にした。
かつて、エルヴィンが座っていたあの大きな椅子。
積み上げられた王都からの問合せ書、兵団の財務書類、そしてマーレに関する未知の資料の山。
「……くっ……エルヴィン……君はこんな量の重圧を……毎日一人で背負っていたのかい……?」
ハンジの掠れた呟き。その声は、重圧と孤独で震えていた。
その背中を見た瞬間、あさきの胸の奥で、カチリと何かが音を立てて動いた。
(……ハンジ分隊長……)
脳裏に蘇る、生前のエルヴィンの言葉。
『ハンジには資質がある。だが、あいつは突き進む性質だ。……あさき、君が隣で手綱を引き、支えてやってくれ』
そして、あの日、雨の中で自分にマントをかけてくれたエルヴィンの温かい手。
彼が自分の命と引き換えにしてまで守り抜いた、この「調査兵団」という居場所。
(……私は、何をしているの……?)
あさきは己の手を見つめた。
エルヴィンを失った悲しみに溺れ、リヴァイの体温に縋って死から逃げ回っていた自分。
けれど、エルヴィンが愛し、命を懸けて繋いだ調査兵団が、いま目の前で潰れそうになっている。
(エルヴィンが……命を懸けて残した仲間たちを、この翼を……私が潰させるわけにはいかない……!)
あさきはゆっくりと息を吐き出すと、身なりを整え、ドアをノックした。
「……ハンジ団長。夜分遅くに失礼いたします」
「え……? あさき……!?」
驚いて顔を上げるハンジ。
部屋に入ってきたあさきの佇まいは、数日前までの「光の消えた死人」ではない。
背筋をピンと伸ばし、洗練された動作で机へと歩み寄る、かつての「鉄の補佐官」の顔に戻っていた。
あさきは無言でデスクの上の乱雑な書類の山を手際よく手に取ると、一瞬で分類し、ペンを走り出させた。
「財務の書類はこちらで承認の形式を整えます。王都憲兵への弁明書は、元貴族の形式に則って私が作成いたしますので、団長は軍政方針の決定だけに集中してください」
「あさき……君、体調は……」
「問題ありません」
あさきはハンジに向かって、かすかに、けれど力強く微笑んだ。
「……私は、エルヴィン・スミスの補佐官でした。彼が残したこの調査兵団を……そして、彼が指名した第14代団長であるあなたを支えることが、今の私の役割です。……ハンジ団長、私をお使いください」
「あさき……っ!」
ハンジの瞳から涙が溢れ出した。ハンジはあさきの手に自分の手を重ねると、何度も何度も深々とお辞儀をした。
「ありがとう……! ありがとう、あさき……!!」
執務室の外。
廊下の影から、そのやり取りを静かに見つめる男がいた。
リヴァイだった。
あさきの瞳に、再び「生きるための強い光」が宿ったことを見届けたリヴァイは、胸の奥で深く、静かに息を吐き出した。
不意に、部屋から出てきたあさきと視線が交差する。
廊下の暗がりで並んで立つ二人。
「……戻ったようだな」
リヴァイの低い声。あさきは静かに頷き、リヴァイに向かって深く頭を下げた。
「……ええ。リヴァイ……感謝しています。あなたが……私を死なせないでいてくれたから、私はもう一度、エルヴィンの愛した場所を守る覚悟ができました」
あさきの言葉に、リヴァイはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「……感謝されるようなことはしてねえよ。俺はただ、てめえが勝手に死ぬのが気に入らなかっただけだ」
「ふふ……相変わらず、不器用な人」
あさきは少しだけ柔らかく目を細めると、凛とした声で言った。
「もう……大丈夫。私はもう、一人で立っていられますから」
あさきの言葉は、リヴァイとの「自傷のような関係」の終わりを意味していた。
リヴァイは一瞬だけ目を細めたが、すぐにいつもの冷めた顔に戻ると、あさきの頭にぽんと手を置いた。
「……そうか。ならさっさと仕事に戻れ、補佐官」
「ええ、兵長」
すれ違う二人。
それは、傷を舐め合う関係から、再び「同じ志を抱いて生き抜く戦友」へと戻った瞬間だった。
第8.6話:血のぬくもりと、受け継がれる羽
「白夜」の惨劇から数ヶ月。
調査兵団本部におけるあさきとリヴァイの関係は、言葉にできないほど歪で、そして痛々しいものとなっていた。
深夜、あさきの自室。
月明かりだけが差し込む静寂の中、二人は誰に知られることもなく、呼吸を乱しながら身体を重ねていた。
そこにあるのは、甘い愛の囁きでも、安らぎでもない。
エルヴィンを失い、影と心中しようとするあさきを、自らの体温と痛みを刻み込むことで強引に「生」の現実に引きずり回すリヴァイの、狂暴なまでの執着。
「……は、……っ、リヴァイ……っ」
リヴァイの肩に爪を立て、あさきは掠れた声で息を吐き出す。
「……俺を見ろ、あさき。痛いか? 苦しいか? ……それが生きてるってことだ。あいつとの綺麗な思い出の中に逃げるな。俺の体温を、全部その身体に刻み込め……!」
肌と肌が擦れ合い、生々しい熱量が全身を支配するたび、自分がまだ生きているのだと自覚させられる。
「……だから死ぬな。……死ぬことなんか、絶対に許さねえ」
あさきの首筋に顔をうずめ、低く囁くリヴァイ。
二人とも知っていた。この行為は、エルヴィンという巨大な存在を失った者同士が、お互いの傷口を汚し合いながら生き延びるための「自傷」のような泥沼の契りだと。
だが、この痛々しい体温の重ね合わせこそが、息をすることすら諦めかけたあさきの命を、今日までかろうじて繋ぎ止めていたのだった。
やがて、壁内政府と兵団の体制が再編され、エルヴィンの遺言通り、ハンジ・ゾエが第14代調査兵団団長に就任した。
だが、急造された新体制の裏で、ハンジは一人、膨大な事務作業と政治的圧力、そして「エルヴィンの跡を継ぐ」という恐ろしいほどの重圧に押し潰されそうになっていた。
ある深夜。
団長執務室の前に通りかかったあさきは、ドアの隙間から漏れる明かりと、中で机に突っ伏して頭を抱えるハンジの姿を目にした。
かつて、エルヴィンが座っていたあの大きな椅子。
積み上げられた王都からの問合せ書、兵団の財務書類、そしてマーレに関する未知の資料の山。
「……くっ……エルヴィン……君はこんな量の重圧を……毎日一人で背負っていたのかい……?」
ハンジの掠れた呟き。その声は、重圧と孤独で震えていた。
その背中を見た瞬間、あさきの胸の奥で、カチリと何かが音を立てて動いた。
(……ハンジ分隊長……)
脳裏に蘇る、生前のエルヴィンの言葉。
『ハンジには資質がある。だが、あいつは突き進む性質だ。……あさき、君が隣で手綱を引き、支えてやってくれ』
そして、あの日、雨の中で自分にマントをかけてくれたエルヴィンの温かい手。
彼が自分の命と引き換えにしてまで守り抜いた、この「調査兵団」という居場所。
(……私は、何をしているの……?)
あさきは己の手を見つめた。
エルヴィンを失った悲しみに溺れ、リヴァイの体温に縋って死から逃げ回っていた自分。
けれど、エルヴィンが愛し、命を懸けて繋いだ調査兵団が、いま目の前で潰れそうになっている。
(エルヴィンが……命を懸けて残した仲間たちを、この翼を……私が潰させるわけにはいかない……!)
あさきはゆっくりと息を吐き出すと、身なりを整え、ドアをノックした。
「……ハンジ団長。夜分遅くに失礼いたします」
「え……? あさき……!?」
驚いて顔を上げるハンジ。
部屋に入ってきたあさきの佇まいは、数日前までの「光の消えた死人」ではない。
背筋をピンと伸ばし、洗練された動作で机へと歩み寄る、かつての「鉄の補佐官」の顔に戻っていた。
あさきは無言でデスクの上の乱雑な書類の山を手際よく手に取ると、一瞬で分類し、ペンを走り出させた。
「財務の書類はこちらで承認の形式を整えます。王都憲兵への弁明書は、元貴族の形式に則って私が作成いたしますので、団長は軍政方針の決定だけに集中してください」
「あさき……君、体調は……」
「問題ありません」
あさきはハンジに向かって、かすかに、けれど力強く微笑んだ。
「……私は、エルヴィン・スミスの補佐官でした。彼が残したこの調査兵団を……そして、彼が指名した第14代団長であるあなたを支えることが、今の私の役割です。……ハンジ団長、私をお使いください」
「あさき……っ!」
ハンジの瞳から涙が溢れ出した。ハンジはあさきの手に自分の手を重ねると、何度も何度も深々とお辞儀をした。
「ありがとう……! ありがとう、あさき……!!」
執務室の外。
廊下の影から、そのやり取りを静かに見つめる男がいた。
リヴァイだった。
あさきの瞳に、再び「生きるための強い光」が宿ったことを見届けたリヴァイは、胸の奥で深く、静かに息を吐き出した。
不意に、部屋から出てきたあさきと視線が交差する。
廊下の暗がりで並んで立つ二人。
「……戻ったようだな」
リヴァイの低い声。あさきは静かに頷き、リヴァイに向かって深く頭を下げた。
「……ええ。リヴァイ……感謝しています。あなたが……私を死なせないでいてくれたから、私はもう一度、エルヴィンの愛した場所を守る覚悟ができました」
あさきの言葉に、リヴァイはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「……感謝されるようなことはしてねえよ。俺はただ、てめえが勝手に死ぬのが気に入らなかっただけだ」
「ふふ……相変わらず、不器用な人」
あさきは少しだけ柔らかく目を細めると、凛とした声で言った。
「もう……大丈夫。私はもう、一人で立っていられますから」
あさきの言葉は、リヴァイとの「自傷のような関係」の終わりを意味していた。
リヴァイは一瞬だけ目を細めたが、すぐにいつもの冷めた顔に戻ると、あさきの頭にぽんと手を置いた。
「……そうか。ならさっさと仕事に戻れ、補佐官」
「ええ、兵長」
すれ違う二人。
それは、傷を舐め合う関係から、再び「同じ志を抱いて生き抜く戦友」へと戻った瞬間だった。
